2026年4月1日水曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(5)

「騒ぎを起こし、後始末はできない」

佐官級に昇進するまで、妻の実家に身を寄せていた。その時期、義理の両親を実の親のように大切にしながら、いっしょに暮した。全斗煥はそんな日々をよく振り返った。

▽妻の実家に10年間

「妻の実家に10年間、3人の子どもを授かるまでいた。わが国のことわざに『粟の3粒もあれば、妻の実家に身を寄せるな』というのがあるが、(妻の実家がよくしてくれたものだから)ワシは今、良心に照らして言うが、やましいことは何一つない。義父や義母に嫌な思いをしたことはなかった。いま米国にいる2番目の息子まで妻の実家で育てた。ワシはちょっと、タチの悪い男なので、少しでも疎まれているような気配を感じていたら、たとえ飢え死にしようと、そこを出ていただろう。居候をするにしても、でっかい顔をしていないと、な。あそこでは、本当に情が深く通い合っていたんだ」(1986111日)

実の父母以上の恩を受けたのである。

▽「副官という柄ではありません」

1960年ごろ、全斗煥が中尉のとき、義父の李圭東将軍は、陸士同期の朴正煕のところに全を連れて行って紹介した。朴正煕がソウル永登浦の第6管区司令官だった頃で、義父は朴正煕司令官に、この自慢の娘婿の将来を頼んだ。

朴正煕司令官は、いきなり、全斗煥に言った。

「おまえ、ここに来てワシの副官にならんか」

全斗煥は辞退した。

「自分は、副官という柄ではありません」

全斗煥が「ありがたく、光栄ではありますが、申し訳ありません」と言うと、朴正煕はうなずいた。こうして朴正煕少将と全斗煥中尉の2人は、李圭東を仲立ちに、初めて顔を合わせたのだった。

▽物おじしない図太さ

副官という柄ではない、という全斗煥。

全斗煥の物おじしない、外向的な性格について、そのころ近くで見ていた李瑛珍(陸士12期、在米の事業家)の回顧が興味深い。

1958年ごろ、全斗煥先輩から、ビリヤードでもしようと誘われれば、しばしば、いっしょに付き合ったりしていた。1年ほどして、かれはソウル鍾路区桂洞の夫人宅で新婚生活に入ったが、その後も、かれの部屋で食事したりして親しく過ごした。実際のところ、かれの物おじしない図太さには、一目置くべきものがあった。自分が好きになりさえすれば、相手が女性であれ、後輩であれ、当然、相手も自分を好きになるものだ、と決めてかかる自信――それはまさに、そんな男らしい図太さからきていたのだと思う」

▽事を起こしておいて、後始末ができず…

全斗煥、盧泰愚といっしょに米国の特殊戦学校(ノースカロライナ州フォートブラッグ)に行っていた時の、李瑛珍の思い出――。

米国留学時代の全斗煥(中央)、盧泰愚(右端)、李瑛珍(左端)=1959年8月

1959年に全斗煥、盧泰愚と私(李瑛珍)の3人でニューヨーク見物に行ったことがある。特殊戦教育の前期課程を終え、空いた時間を利用して私が運転する車で出かけた。ニューヨークに近づくと、車線が多くなり、行き交う車も多くなったが、そこで、全斗煥先輩がどうしても自分で運転したいというものだから(その時は運転免許の取りたてだった)やむなくハンドルを譲った。不安になった盧泰愚先輩が、後部座席にいて止めさせようとしたが、全斗煥先輩は頑固で、お構いなしだった。ところが、全先輩はうっかり道を間違えてしまった。マンハッタンの方へ入ろうとしていたのに、また、高速道路に出てしまうかと思うと、マンハッタン北部のハーレムに迷い込んでしまった。そこのガソリンスタンドで給油をして出ようとしたところで、黒人の車にぶつかり、押し問答になってしまったりもした。事を起こしておいて後始末ができず、周りを不安がらせる。そんな彼の性格の一面がよくあらわれていた」

▽仲たがい

そんな無鉄砲なやり方が合わず、李瑛珍は全斗煥から離れていった。その経緯――。

「実際、全斗煥先輩と近しくなる機会は多かった。しかし彼といっしょにいようとすれば、予測困難なその行動が不安になり、なんの説得力もなく、ただ、後輩は先輩に無条件で従うべきだという、とんでもないプライドと自信が嫌だった。良いにつけ、悪いにつけ、ともかく私生活を共にするほかない米国で、わたしたちは、お互いに遠ざけようとしたのだが、ごく些細なことでも衝突は避けられなかった。帰国するころには、わたしと全先輩の間は相当に悪くなっていた」

米国留学を終えて帰国すると、李瑛珍中尉は、陸軍本部の特戦監室に発令された。特戦監の李贄衡将軍への転入申告を終えて出てくると、全斗煥はちょっと離れたところから見ていて、一言投げつけた。そばにいた盧泰愚も聞いていた。

李瑛珍、貴様、同窓会の名簿から除名してやるからな!」

なんということを言うのか…。

おそらく後輩の李瑛珍が先輩を差し置き、ひとり、陸軍本部特戦監室に発令されたのが不満だったようだ。こんなとき、何も言い返さなかったら、まるで裏でロビーでもしたのではないか、と疑われてしまう。

「全先輩、誤解しないでください。この発令はわたしも知らなかったことなんです」

李瑛珍中尉は、全斗煥先輩につっけんどんな口ぶりで弁明せざるを得なかった。

                              訳:波佐場 清

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