2023年11月30日木曜日

日韓はどうしてこうなのか/百済歴史散策①

この秋、11月初めに韓国へ行ってきた。大阪の旅行社が企画した「白村江(はくすきのえ)の戦い 百済歴史散策」というツアーに参加した。韓国中西部地域に広がる古代百済の遺跡を巡る34日の旅だった。

韓国観光公社HP 韓国・扶余付近の白村江(錦江)

 ■歴史問題の火種

日本と韓国はどうしてこうなのか――。このところずっと、そんなことを考えていた。たとえば、ここ数年最大の外交懸案といわれてきた徴用工問題。ことし3月いったん「政治決着」したことなっているが、一部の被害者は納得しておらず、韓国の司法レベルでもいぜん、火種がくすぶっている。

従軍慰安婦の問題もある。この1123日、ソウル高裁は日本政府に対して元慰安婦らに損害賠償を支払うよう命じる判決を下し、日韓間の歴史問題の深刻さを改めて浮き彫りにした。

日本政府の歴史に向き合う姿勢も問われている。

今年は1923年の関東大震災時の朝鮮人虐殺から100年の節目にあたった。松野博一官房長官はこれに関し、「政府として調査したかぎり、事実関係を把握できる記録が見当たらない」と繰り返した。日韓両政府が約束しあった「過去直視」とはほど遠いようにみえる。 

■相次ぐヘイトスピーチ

これらの問題の根源には日本によるかつての植民地支配があることはいうまでもない。と、ずっとそのように考えてきていた。しかし果たしてそれだけなのか。もっと深いところに根を張っているのではないか。 

たとえば、自民党の杉田水脈(みお)衆議院議員のブログ投稿の問題。2016年の国連会議に参加した在日コリアンの女性らについて「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場」「存在だけでも日本国の恥晒(さら)し」などと書いたことに対して法務省は最近、人権侵犯にあたると認定した、という。 

杉田議員はその後、投稿内容を撤回したものの、最近また、在日コリアンの「在日特権」といったことを持ち出しているという。そのような人物が、どうして衆院議員、それも政権与党の重要ポストに就いていられるのか。 

これに限らず、韓国や北朝鮮の人びとや在日コリアンを理性を超えているとしか思えないように、あしざまに言うヘイトスピーチのたぐいはこの間、数えきれないほど繰り返されてきた。どうしてこうなのか。それらも歴史に根差したものなのか、どうか。 

■「三韓征伐」

こんなことを考えていて私の頭に浮かんできたのは、日本の朝鮮半島支配以前の、たとえば、明治維新前後の時期の「征韓論」だ。なぜ、あそこで「征韓」だったのか。東京大学の小島毅教授は次のように書いている。 

当時のこの隣国の正式な国名は「朝鮮」であり、「韓」ではありませんでした。それなのに、「征朝」ではなく「征韓」なのは、明治政府が神功皇后の三韓征伐を意識していたからでしょう。(小島毅『父が子に語る近現代史』ちくま文庫) 

神功皇后?三韓征伐? これは『古事記』や『日本書紀』に出てくる話である。皇国史観に基づいた戦前の、たとえば『尋常小学国史』は、次のようなことを書いていた。 

▽仲哀天皇の皇后、神功皇后は天皇と共に熊襲の平定で九州に行ったが、途中で天皇が亡くなった。そのころ、朝鮮には新羅・百済・高麗[筆者注:高句麗]の「三韓」があり、新羅の勢いがたいそう強かった。

▽皇后は新羅を従えれば熊襲は自ずと治まると考え、兵を率いて新羅を討った。紀元 860 年[皇紀。西暦では200年]のことだった。軍船を連ねて新羅に押し寄せた。

▽新羅王は大いに恐れ、「東の方角に神国があり、天皇という方がいると聞く。これは日本の神兵に違いない。どうして防ぎ得ようか」と直ちに降参した。やがて、百済と高麗も日本に従うようになった。

▽こうして朝鮮は天皇の徳になびき、熊襲も治まった。次の応神天皇の代に王仁という学者が百済から来て学問を伝えるなど、日本がますます開けるようになったのは神功皇后の手柄によるものであった。 

小島教授は次のようにも指摘する。 

(「三韓征伐」は)日本側が勝手に作りあげた虚構であって、なんら歴史的事実を反映するものではありません。しかし、卑弥呼をモデルとして造形されたこの皇后が、隣国をひれ伏させたとすることによって、実際に記紀が編纂された七世紀後半の国際情勢のなかで、ずっと昔から韓国(当時の王朝は新羅)より上位にあるのだ、という歴史を捏造したのでした。(同) 

■「白村江」への旅

この物語を生み出した当時の国際情勢とはどんなものであったのか。そこで日本側がつくりあげたという歴史観は戦前期に限らず、いま私たちが生きるこの時代にまで尾を引いているということはないのだろうか。 

そんなことを考えているとき、近くにいる友人が声をかけてくれた。「いっしょに白村江へ行ってみないか。いいツアーがある」。私は二つ返事でこの誘いに飛びついた。 

11月初旬、私たちは関西空港から韓国へと旅立った。(つづく)

           立命館大学コリア研究センター上席研究員  波佐場 清