2018年11月6日火曜日

「金正恩委員長がめざすのはベトナム型開放」/韓国の丁世鉉・元統一相

韓国の元統一相、丁世鉉氏が111日、大阪で講演したのを機会に、いまの朝鮮半島情勢について聞いた。北朝鮮の金正恩委員長について丁氏は「自国の後進性を率直に認め、ベトナム型の開放を進めようとしている」と評価、「文在寅大統領との約束を守って必ず年内にソウルを訪れなければならない」と強調した。(波佐場 清)

丁世鉉氏
 
チョン・セヒョン 1945年生まれ。ソウル大卒。77年に国土統一院(現・統一省)に入り、金泳三政権で大統領統一秘書官、金大中、盧武鉉両政権で統一相などを務めた。現在、文在寅政権の「ブレーン」の一人として活発に発言している。大阪での講演は金大中平和センター日本後援会(共同代表 梁官洙・大阪経法大教授)主催の「金大中大統領追悼講演」として行われた。
 
■平壌のスタジアムでの大統領演説


9月の平壌での南北首脳会談では、文在寅大統領が15万人収容の「51スタジアム」で、韓国大統領として初めて北の一般市民を前に演説した。演説内容について北側は事前に何の条件も付けなかったという>

――率直に言って驚きました。金正恩委員長にはリスキーな面があったと思うが、その心情はどういうものだった、と?

これまでの南北首脳会談では夕食会や昼食会のあいさつなどは互いに事前に見せ合ってきた。北の方で負担になるといわれ、南側で一部手直ししたこともある。今回、事前に何の条件も付けなかったということは、文大統領が演説しているときの金委員長の緊張した表情からも読み取れた。
青瓦台HP 平壌の「5・1スタジアム」で観衆に応える文在寅大統領

それだけ文大統領を信頼しているということだろう。2人にとっては3回目の会談だった。文大統領が大体どういう話をするか、金委員長には分かっていた。悪いことは言わないだろうという信頼ができていた。


演説には「核兵器と核の脅威がない平和」を約束しあったという部分があり、そこがポイントだった。南北、米朝間で「完全な非核化」に合意したことは平壌のメディアも伝えてはいたが、この間の経緯を考えると金委員長の口から説明するのはなかなか難しい。文大統領が「こんな合意をした」と言ったのは基本方向を人民に理解させるうえで有効だった。

■非核化には抵抗感?

――非核化には北の内部に抵抗もあった、と?

4月の板門店会談のさい、金委員長は「ここまで来るのは大変だった」という趣旨のことを言った。そこには決断が大変だったという意味も含まれる。内部で非核化に相当な抵抗があったという話だ。いい加減な約束をして後で米国にやられてしまうのではないか、危険だ、と。

金正恩委員長は最高権力者ではあるが、若い。金日成の時代から政権の中枢で仕事をしてきた人たちからみると、ちょっと危ないと考えたとしてもおかしくない。板門店の南側地域まで出ていくと急いでいるような印象を与え、南のペースに巻き込まれてしまうのではないか、という心配もあったはずだ。金委員長はそれを抑えて板門店に出ていった。

文大統領の演説は、非核化は南北間の合意なのだ、ということを国内に分かりやすく伝えるのに役立った。

■タテの比較からヨコの比較へ
――金正恩委員長はかなり率直なようにみえる。4月の文在寅大統領との最初の首脳会談では、平昌五輪に行った北の関係者は韓国の高速鉄道を称賛していたといい、一方で、文大統領を北に招くにも交通事情がよくない…、などと言っていた。「百戦百勝」を強調した過去の最高指導者とは相当違うようにもみえます。

金日成、金正日の時代までは首領の無謬性を強調し、首領が決めれば無条件に従わなければならないということでやっていた。金正恩委員長はそうした無謬性をひっくり返したというわけだ。昨年の「新年の辞」でも、自ら「能力が及ばない」などと「自責の念」を告白した。

自ら足りない点があると認めるには勇気がいる。勇気は自信の裏返しでもある。それを認めても体制に影響はなく、むしろ人民の信頼を得ることができるという統治次元の計算もあったはずだ。韓国の大統領にそういうふうに言うのも信頼を得るためだ。飾らず、事実通りにモノを言えば、それだけ信頼を得ることができる。

――世界を広く知り、自国を客観的に見ているということでしょうか。

重要な点だ。北はこの間、自らの体制の優位性をアピールするため、いつもタテ軸、つまり過去と比べて今を評価してきた。日本の植民地時代がどうだったとか、解放直後はどれほど困難で、いまはどれほど良くなったか、という具合だ。

それでは発展はない。ヨコの比較、つまり南と比べてみて初めて自らの遅れも認識できる。そうなると、追いつかないといけないと努力する。遅れを認めること自体、ヨコの比較で住民を発奮させようということだ。

――ヨコの比較は体制にとって危険もありそうです。

南と比べて遅れているとなると、体制に対する不満も出てくる。そういう不満が出てくる前にヨコとの比較を通して早い速度で経済をよくすれば金委員長の評価と期待は高まる。実際のところ、北の住民は中国を通して南の事情がよく分かってきている。だから金委員長は果敢に遅れを認め、努力しようというわけだ。

■「北朝鮮の鄧小平」
――中国の最高指導者、鄧小平のことが思い浮かびます。鄧小平は自国の遅れに率直でした。

<鄧小平は例えば、197810月に来日した際、「まず必要なのは、我々が遅れていることを認めることだ。遅れていることを素直に認めれば、希望が生まれる」などと言っていた。その年の暮れ、中国は改革開放政策を決定した>

鄧小平は毛沢東時代になかったヨコの比較概念で、改革開放に出た。追いつくには遅れていることを認めることから始めなければならない。遅れていないと錯覚し慢心していたら、滅んでしまう。

私はこの間、金正恩氏は北朝鮮の鄧小平になる可能性が高いと言ってきた。そうなると、それは平和の始まりだ。韓国が支援すれば、韓国も平和を享受できる。米国が後押しすれば、核問題も解決できる。

■ベトナム型の開放?

――金正恩委員長は具体的にどういう発展方向を考えているのでしょうか。

4月の板門店での南北首脳会談の際、金委員長は文大統領との2人だけの対話で、米国の不可侵の約束と終戦宣言を条件に核を放棄すると言ったほか、経済に関し、「開放するとしたらベトナムのようにやりたい」と語った。

青瓦台HP 板門店会談で談笑する両首脳

ベトナムの「ドイモイ(刷新)」は、米国との国交回復より10年早く、1986年に始まった。これは、米国との国交が確定した後で改革開放に踏み切った中国とは順序が逆だった。ベトナムの場合、米国の敵視政策が続いていたため国交が遅れた。
 
北朝鮮は米国との国交を望んでいる。それが安全の保証につながると考えている。できれば、米朝国交のあとで開放に踏み切りたいところだろうが、核問題の現状を考えると簡単ではない。


北朝鮮は20165月の第7回党大会で「国家経済発展5カ年戦略」の存在を明らかにした。2020年に終わることになっており、残るところ、あと2年だ。それまでの間に米国と国交を開くのは不可能だろう。そこで、米国の敵視政策をいったん緩めさせようというのが朝鮮戦争の終戦宣言提案だ。
 終戦宣言がなされれば、米韓軍事演習も容易でなくなる。加えて米国企業も少しは呼び込めるのではないか。北に入っていく韓国企業も増える。また、そのころになると、日本の過去清算に伴う賠償も受け取ることができるのではないか…。というわけで、まず開放、そのあとで米国との国交。それがベトナム方式だ。

 
■現有の核兵器は交渉カード
 ――ネックは言うまでもなく核問題です。北朝鮮は今年4月の党中央委総会で2013年以来の「経済建設と核武力建設の並進路線」に代えて「経済建設に総力を集中する」という路線を打ち出しました。そこでは核実験場の廃棄などを宣言したが、現有の核兵器放棄には触れていません。
 
それが交渉カードだ。北は米国に脅威を与えられるほどの核兵器を持ったから、米国が相手にしてくれるようになったと考えている。米国を交渉に引き出すということでは、もう新たに核兵器をつくる必要はなくなった。これ以上つくれば制裁が強化されるだけなので「やめた」と言った。しかし既存の核兵器を放してしまえば、交渉カードはなくなる。交渉の過程で米国から重要な反対給付が得られたときに手放すということだ。
 
これまでのところ、北は「米国が相応の措置を取れば、寧辺の核施設の永久廃棄に踏み切る用意がある」などとしているが、米国が求める核兵器・施設リストの提出などには、いまのところ応じようとしていないようだ。
 
■年内の終戦宣言はむずかしい
――終戦宣言について言えば、南北間で年内に行おうと約束し合いましたが、非核化をめぐる米朝間の交渉はこのところ停滞しています。
 
<今年4月の南北首脳会談で出した「板門店宣言」は、「休戦協定締結65年に当たる今年、終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者または南北米中4者の会談の開催を積極的に推進していく」としている>
 
米朝交渉がうまくいかないと終戦宣言はできない。第2回の米朝首脳会談が来年に延ばされた状況下では、年内の終戦宣言はむずかしい。
 
――板門店宣言でみるように、南北は朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に転換しようと改めて約束し合ったわけです。そこに至る過程については、どう考えていますか。
 
休戦協定を平和協定に換えるにはまず、軍備管理から始めなければならない。(9月の南北首脳会談で採択した「軍事分野合意書」の実行で)これはすでに始まっている。次は軍備削減で、それなくして平和協定はない。
 
休戦協定は米朝中の3者で調印したが、平和協定は韓国を加えた4者が基本にならなければならない。平和協定締結にあたっては米国がアジア地域に展開する核兵器をどうするか、という問題は避けて通れない。そう考えると、ロシア、日本も加わるべきだ。日本はすでに軍事強国だし、核大国のロシアもそこに入って米国を牽制する役割を果たすべきだろう。
 
■金正恩委員長のソウル訪問は年内に
――金正恩委員長は年内にソウルを訪問できるでしょうか。米朝交渉の状況から見て、むずかしいようにもみえます。金委員長のソウル訪問実現の条件は?
 
9月の「平壌共同宣言」は、「金正恩国務委員長は文在寅大統領の招請により、近い時期にソウルを訪問することにした」とした。文大統領は平壌の会見で「特別な事情がない限り、年内という意味が込められている」と説明した>

青瓦台HP 平壌の首脳会談に臨んだ両首脳
 
条件はないと思う。金委員長のソウル訪問は、平壌を訪問した文大統領が相互主義の立場から要請したのであって、金委員長はそれに受諾した。9月の平壌首脳会談の時点では第2回米朝首脳会談の早期実現を見込み、ソウルの首脳会談ではそれをさらに発展させうるという考えがあったかもしれない。しかしこれは、あくまで答礼次元の話なのだ。


金委員長は年内、それもできるだけ早くソウルへ来るべきだ。来ないといけない。来て、南北首脳会談をもう一度して、そこで、米国の要求をもう少し受け入れろと文大統領は金委員長を説得すべきだ。米朝首脳会談が早く開かれるよう、文大統領はいま一度、役割を果たさないといけない。

 
ソウルの南北首脳会談で北の態度が変われば、文大統領の説得で金委員長は決心したということで正当化できる。それがない条件で北が譲歩すれば、米国の圧力に屈したということになる。北としてはメンツの上からもそういうことはできない。
 
■反対デモは織り込み済み
――ソウルを訪問すれば、反対デモも起きます。
 
金正恩委員長もそれは分かっている。20006月の金大中―金正日会談の共同宣言にも金正日委員長の「適切な時期のソウル訪問」が盛り込まれ、実際、北の関係者がソウルを下見にきた。結果、「到底、行ける状況にない」と判断し、平壌に帰って金正日委員長にそのように報告した。
 
そういう先例はあるが、その時は、ソウルに行ったからといって米朝や南北の関係が画期的によくなるという展望もなかった。ただ首脳会談の答礼という次元でソウルを訪問するのでは、得るものがなく、失うものだけが多いと考えた。北が恐れたのは最高首脳のイメージ損傷だった。
 
しかし、金正恩委員長の場合は自ら足りない面があることを認めている。北が南に比べて遅れていると認めるほどに現実的な判断ができる人物だ。南に行けば反対する人間もいるということは分かっている。警護面で心配ないということも知っている。金委員長がソウルに来てこそ、信頼はいっそう深まる。この先、国際社会に出ていこうとするなら、このような約束は守らなければならないということも分かっている。
 
――文在寅大統領は平壌の大衆の前で演説したが、同様のことは金正恩委員長にはもちろん、できない?
 
それはできない。せいぜい国会演説程度。北では51スタジアムの15万観衆も統制できる。実際、2000年にソウルを下見に来た北の関係者は当時、「我々はすべてを統制できるが、南ではそれができない。だから、将軍(金正日委員長)にソウルに行ってくださいとは言えない」と韓国側に言っていた。

 

2018年9月25日火曜日

南北首脳会談と朝鮮半島のナショナリズム


一つの民族、同胞(はらから)…。平壌での今回の南北首脳会談で、現地から送られてくる映像、韓国での報道ぶりをみていて改めて思ったのは、朝鮮半島に住む人たちの自らの民族への思い、民族意識の強さというものだった。

2つのシーンがとくに強く印象に残った。一つは、文在寅大統領が平壌のマスゲーム会場で大観衆を前に演説した場面、もう一つは、文大統領が金正恩委員長とともに中朝国境の白頭山に登ったシーンである。
 

15万人の拍手と歓呼
文大統領のマスゲーム参観は訪朝2日目、首脳会談で「共同宣言文」をまとめた後の919日夜だった。15万人収容の「51競技場」で北朝鮮自慢の集団体操を見た後、会場を埋め尽くした市民歓呼のなか、大統領は第一声、まず次のよう呼びかけた。
マスゲーム会場で歓呼に応える文在寅大統領=写真はいずれも青瓦台HP
「平壌市民のみなさん、北の同胞、兄弟のみなさん。平壌でみなさんとこのように会うことができ、本当にうれしく思います」
https://www.youtube.com/watch?v=ABQb9WkaB-I

やや上ずった声。歓呼と拍手が一段と高まるなか、大統領は一語一語を噛みしめるように、次のように続けていった。
 
「金正恩委員長と私は、韓(朝鮮)半島でもう戦争はなく、新しい平和の時代が始まったことを8千万同胞と全世界に厳粛に宣言しました」
「わが民族の運命は私たち自身が決めるという民族自主の原則を確認しました」
「南北関係を全面的、画期的に発展させて断絶した民族の血脈をつなぎ、共同の繁栄と自主統一の未来を引き寄せようと固く約束し合いました」
 
「金正恩委員長と私はきょう、韓半島で戦争の恐怖と武力衝突の危険を完全になくすための具体的な措置に合意しました」
「白頭山から漢拏山まで、美しいわが山河を永遠に核兵器と核の脅威のない平和の地として子孫に引き継いでいくことを確約し合いました」
 
■「70年間の敵対を清算しよう」
観衆総立ちの拍手と歓声。会場の興奮は、次のような訴えで極まっていった。
 
「平壌市民のみなさん。わが民族は優秀です。強靭です。わが民族は平和を愛します。そして、わが民族は、いっしょに暮さなければなりません」
「私たちは5千年間いっしょに暮らしながら、この70年間別れて暮らしてきました。私はきょう、この席で過去70年間の敵対関係を完全に清算し、再び一つとなるための、平和への大きな一歩を踏み出すことを提案します」
「金正恩委員長と私は、北と南8千万同胞と固く手を握り、新しい祖国をつくっていきます。いっしょに新しい歩みを始めましょう」
 
7分余の演説だったが、韓国の大統領がこのような形で北朝鮮の市民に直接語りかけるのはもちろん初めて。映像は、観衆の表情も映し出した。どの顔も南から来たこの大統領の一挙手一投足に目を凝らし、その一言半句も聞き漏らすまいと必死の様子がそのまま伝わってくる。
 
■「霊峰」の天池バックに記念撮影
白頭山登山は大統領訪朝最終日の翌20日。早朝、平壌の順安空港を発ち、空路登山基地の三池淵空港へ移動。車とケーブルカーを乗り継ぎ、山頂に立った両首脳は、この山を象徴するカルデラ湖・天池をバックに記念撮影。2人で手をつなぎ、それを高く持ち上げてポーズを取り、カメラにおさまった。

白頭山の天池をバックに記念撮影
 
標高2,744メートル、朝鮮半島の最高峰。朝鮮民族発祥の地とされ、南と北が共にそれぞれの「愛国歌」(国歌)に次のように歌いこんでいる。

韓国  〽東海(日本海)が乾き果て 白頭山が磨り減るときまで…(1番の歌い出し)

北朝鮮  〽白頭山の気性を余さず抱き 勤労の精神は宿り…(2番の出だし)
 

北朝鮮が、金日成主席の抗日パルチザン闘争の舞台として「聖地」とすれば、韓国民も「民族の精気」が宿る「霊峰」とあがめ、あこがれる。

その山頂で両首脳夫妻が談笑し、大統領夫妻が天池に手を浸し、ペットボトルに水を汲む。韓国のメディアはこれを、興奮気味の口調で次のように速報した。

「文在寅大統領と金正恩委員長の両首脳はきょう、民族の霊峰白頭山にいっしょに登り、南と北が一つの同胞(はらから)、一つの民族だということをいま一度、確認し合いました」(YTNニュース)ttps://www.youtube.com/watch?v=mbZHmAW3PRY

■民族の思い込めた共同宣言
朝鮮半島が南北に分断されて70年余。この間、冷戦構造に封じ込められ、時の経過とともに民族統一への思いは冷めてきたともいわれる。実際、韓国の各種世論調査では若い世代を中心にそうした傾向がみられたのも事実である。

 
しかし、今回の首脳会談を見ていて感じたのは、実際に統一が可能かどうかということとは別に、それが「民族の正義」として南北をまたぎ広く共有されているのは間違いないということだ。
 
今回両首脳が合意した「9月平壌共同宣言」にはそうした民族の思いがにじみ出ている。前文のなかには次のような一文がある。
 
<両首脳は、民族自主と民族自決の原則を再確認し、南北関係を民族の和解と協力、確固たる平和と共同繁栄のために一貫して持続的に発展させていくことにし、現在の南北関係の発展を統一へとつなげていくことを願う全同胞の志向と念願を政策的に実現するために努力していくことにした>

この共同宣言とは別に、その「付属合意書」として「板門店宣言軍事分野履行合意書」も採択した。そこでは武力衝突の防止へ軍事演習を厳しく規制し合ったほか、境界海域一帯に「平和水域」と「モデル共同漁業区域」を設けるといった内容も盛り込んでいる。
 

韓国大統領府はこれを「実質的な終戦宣言」としており、この南北間の約束に米国も巻き込んでいこうとしているのは間違いない。
 
■「自国の運命は自らで…」
朝鮮半島問題の解決は当事者である自らの手で―。文在寅大統領はこの間、こんなメッセージを繰り返し発してきた。大統領就任3カ月後の昨年815日の光復節演説では次のように訴えた。
 
「(南北)分断は、私たちが自ら自国の運命を決めるだけの力がなかった植民地時代の不幸な遺産です。冷戦の中にあってそれを清算できなかった。しかし今、私たちは自ら自国の運命を決めることができるほどに国力が大きくなった。朝鮮半島の平和も分断の克服も、私たちの力で成し遂げていかなければなりません」
 
同年111日、国会での施政演説でも次のように説いた。

「わが民族の運命は私たち自らが決めていかなければなりません。植民地支配や南北分断のように私たちの意思と無関係なところで私たちの運命が決められた不幸な歴史を繰り返してはならない」
 
文大統領のこうした発言や、今回の共同宣言に見られる「民族」「同胞」への言及は文字通り、そのまま朝鮮半島のナショナリズムの発現と言い換えていい。
 
それは「南北関係の発展と統一」(共同宣言)へと未来方向に向かっているだけではなく、過去へもさかのぼる。その場合、日本の植民地支配に突き当たるのは必然だ。実際、今回の共同宣言には次のような一文も盛り込まれた。
 
<南と北は、…(来年の)31運動100周年を南北が共同で記念することにし、そのための実務的な方案を協議していくことにした>
 
■信頼醸成は過去直視から
日本で北朝鮮の問題といえば、核・ミサイル問題や日本人拉致の問題として語られることが多かった。重要な問題であることは間違いないが、しかしそれらは、それ単独の問題として存在しているわけではない。それぞれに過去の歴史、経緯を引きずり、複雑に絡み合っている。
 
大前提となってきたのは朝鮮半島の南北分断と対立だった。古い冷戦構造を引きずったその基本構図がいま、崩れ始めたのである。トランプ米大統領と金正恩委員長が史上初の首脳会談(612日、シンガポール)をおこない、その共同声明で「相互の信頼醸成」をうたい上げた。そして今また、2度目の首脳会談に向けて動き出している。
 
日本も対応が迫られる。安倍首相は遅ればせながら北朝鮮との「信頼醸成」に言及し始めているが、言葉だけでは前に進まない。
 
根本は「過去清算」の問題だ。振り返って考えると、日朝間の最大の課題はそこにあったはずである。いまは、その原点に立ち返ってまず、植民地支配の過去を直視し、そのうえで、北東アジアに大きな平和の絵柄を描いていくことが日本には求められる。

 「拉致」も「核・ミサイル」も、そうしたなかから解法を見つけ出していく以外にない。
                                (波佐場 清)                                                                             
 

2018年8月3日金曜日

「冷戦解体、後戻りはない」/丁世鉉・元統一相が大阪で講演

南北首脳会談、そして史上初の米朝首脳会談。朝鮮半島でいま起きているのは、過去70年にわたってこの地域を凍てつかせてきた冷戦構造を解体しようという動きであり、この歴史の流れにはもう誰も逆らえない――金大中、盧武鉉両政権で統一相として対北「太陽政策」を推進した丁世鉉氏(73)が81日、大阪での講演会でこう指摘し、北東アジア地域で新たに始まった国際秩序の再編に備えるよう訴えた。
 

丁世鉉氏はいまの文在寅政権の対北政策を、1970年代以来韓国内で積み重ねられてきた朝鮮半島の冷戦構造解体への努力の延長線上に位置づけ、一方で、北朝鮮の金正恩委員長についても、その経済発展戦略のうえから、もう後戻りはできないと言い切った。 

講演会は、駐大阪韓国総領事館(呉泰奎総領事)が主催し、北区の民団大阪本部で開かれた。以下は、講演の要約である。 (波佐場 清) 

■もう、戦争はない
ことし427日、板門店の南北首脳会談で文在寅大統領と金正恩委員長が合意して発表した「板門店宣言」は冒頭、次のように始まっていた。


「両首脳は朝鮮半島にもう戦争はないであろうということ、新しい平和の時代が始まったということを8千万同胞と全世界に厳粛に宣言した」

去年1年を振り返ると、4月危機説、8月危機説、10月危機説といったものが流布されるなか、戦争の恐怖に戦々恐々としていたわが国民は、その日、「もう戦争はない」との言葉に涙を流した。海外の同胞にあっても同じ気持ちだったと思う。

■文在寅大統領の「ベルリン構想」振り返ると、去年76日、ドイツのベルリンを訪問した文在寅大統領はケルバー財団主催の演説で「朝鮮半島の冷戦構造解体と恒久的平和の定着」に向けた対北朝鮮政策に関し、その基調として次の5項目を提示していた。

  北の崩壊や吸収統一、人為的な統一を排除し、平和を追求する②北の体制の安全を保障しつつ、非核化を追求する③南北間の合意を法制化し、終戦宣言をおこない、関係国が参加する平和協定を締結する④南北の鉄道をつなぎ、韓国-北朝鮮-ロシアを結ぶ天然ガスパイプラインを敷設するなど「朝鮮半島の新経済地図」を実現していく⑤非政治的な交流協力は政治・軍事状況と切り離して推進する。 

そのうえで、文大統領はいったん易しいことから始めよう、と次の4つの事業を北に提案した。  104宣言」(*2007年、盧武鉉大統領と金正日総書記が交わした「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」)10周年に合わせて離散家族の再会と墓参を実現しよう②北の平昌冬季五輪参加を望む③軍事境界線での敵対行為を止めよう④南北対話を再開しよう。
 
■南北首脳の約束へと昇華いま振り返ると、この「ベルリン構想」は今年初めから相当部分が実行に移され、残された部分は「板門店宣言」の随所に盛り込まれた。

「ベルリン構想」は「朝鮮半島の冷戦構造解体と恒久的な平和定着」を目指す文大統領の統一への意志の表現だったのだが、それから9カ月たったところで出された「板門店宣言」は、「ベルリン構想」を土台に南北が手を取り合ってその目標を達成していこうという南北両首脳の約束へと昇華されたのである。 

「ベルリン構想」は、「板門店宣言」として再生したのだ。 

■朝鮮半島の冷戦構造を解体朝鮮半島分断の歴史を振り返ると、その冷戦構造解体への努力はずっと前からあった。それはわれわれの悲願であってきたのである。
 
1971年の大統領選で、その年の418日、金大中候補はソウルの奨忠壇公園での演説で「4大国クロス承認」と「南北交流」を提起したが、これは冷戦の真っただ中でなされた朝鮮半島の冷戦構造解体論だった。野党候補の提案だったため、国家政策へと発展することはなかった。 

198877日、盧泰愚大統領が発表した「77宣言」も朝鮮半島の冷戦構造解体論だった。「韓国が、イデオロギーで敵対していたソ連、中国と国交を結ぶので、米国と日本も北朝鮮と国交を開いてほしい。その土台のうえに南北関係を安定的に発展させていきたい」というものだった。 

当時、米日両政府の無関心と協調のなさから、これは入れられず、朝米、朝日の国交はなされなかった。しかし一方で、韓ソ、韓中の国交は達成された。こうして90年代初め、朝鮮半島の冷戦構造は半分だけが解体された。 

1998831日、北朝鮮は日本列島をまたぎ、太平洋に向けて中距離ミサイル(テポドン1号)を発射した。当時、米国のクリントン政権は金大中大統領の太陽政策を支持していたのだが、これによって対北政策の修正を求める世論が高まると、クリントン大統領はウィリアム・ペリー元国防長官を対北政策調整官に任命した。 

6カ国が合意した「ペリー・プロセス」ペリー調整官は韓国政府と協調しつつ、北の核・ミサイル問題の解決策を準備するため日本、中国、ロシア、北朝鮮を巡回訪問し各国と協議した。99523日、ペリー氏が平壌を訪問した後に発表された「ペリー・プロセス」は、朝鮮半島をめぐって6カ国が同意した冷戦構造解体論だった。
 
ペリー・プロセスは、北の核・ミサイル問題について朝鮮半島に残る冷戦構造の産物であると見て、まず朝米の敵対関係から解消していこう、というのが骨子になっていた。 

朝米、朝日の国交と南北関係の改善を通して朝鮮半島の冷戦構造を完全に解体してこそ、北朝鮮にとっても核・ミサイル開発の必要性がなくなると見たのである。しかし、それも2001年、米国がブッシュ政権となり、ペリー・プロセスは推進力を失ってしまった。 

■「非核化」を入り口に据え、挫折このあと、ブッシュ政権の間違った対北核政策によって北の核・ミサイル問題は悪化し、朝米の敵対関係が強まった。韓国政府も冷戦構造解体へと流れをリードしていくことができなかった。

韓国の李明博―朴槿恵政権と米国のオバマ政権が重なった時期は「非核化」をまず、入り口に据える政策をとったことで、2008年から10年間、朝鮮半島の非核化をめぐる北京での6者協議も開かれなかった。 

この期間、北の核能力は速いスピードで高度化し、結果として北朝鮮は6回の核実験を重ねた。20171129日には13千キロを飛ぶICBMの発射実験にも成功した。 

ブッシュ政権以来の間違った対北政策で初期段階の小さなうちに防げたものが今、とてつもなく大きくなってしまったわけである。そんななか、今年初めからトランプ米政権はもうこれ以上放置できないと判断し、朝米の国交を開いてでも北の非核化を実現しようと打って出ているのである。 

■トランプ大統領を動かした文在寅大統領これは不幸中の幸いといえる。北朝鮮が非核化し、朝米が国交を結べば、朝日間の国交も不可避となるだろう。朝米と朝日の国交が開かれれば、朝鮮半島の冷戦構造は完全に解体されることになる。
 
ところで、今回の動きはトランプ大統領自らが進んで選んだものではなかった。文在寅大統領の役割が大きかった。文大統領は、去年7月に「ベルリン構想」を宣言した後、黙々とそれを一つずつ推進してきた。それがこうした結果に結びついたといえる。 

トランプ大統領はこの間、北朝鮮に対する圧迫と制裁を声高に叫んできた。そんな中にあって文大統領は「ベルリン構想」で提案した通りに北の平昌五輪参加を実現させた。それを機会に南北対話を復元し、南北間の特使交換とシャトル外交を通じて金正恩委員長とトランプ大統領を結びつけたのだった。 

■破格の米朝合意
米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長は612日、シンガポールのカペラホテルで会った。過去70年にわたって敵対し、核問題で4半世紀の間「悪魔」視してきた北朝鮮の首脳と、米国首脳が初めて会ったのだ。その対面は、北朝鮮の国旗と星条旗が交互に並ぶ壁の前で握手を交わすという破格のシーンから始まった。

破格さは形式だけではなかった。首脳会談の結果として出てきた「612共同声明」はその内容において、もっと驚くべきことがあった。朝米が新しい関係を樹立し、朝鮮半島の平和体制をつるくためにいっしょに努力するとし、北朝鮮は完全な非核化を約束したのである。

北の核と関連したこの間の朝米間の合意は、北がまず非核化をすれば、米国はそれに国交樹立で応じ、経済支援方式で補償してやるという構図だった。

それが、今回の共同声明は違っていた。第1項で、新しい関係の樹立、つまり朝米国交をうたい、第2項に平和体制の構築を盛り込んだ。北の非核化は第3項だった。過去25年にわたる北の核問題の解決手順とは完全に異なるパラダイムで両首脳は合意したのである。

■曲折を経つつも前進
朝米首脳会談後、767日に実現したポンペオ国務長官と金英哲党副委員長の協議は双方の当事者間で評価に多少の食い違いがあった。しかし「612共同声明」の実行を準備する実務協議をこんごも続けていくことにしたことの意味は大きい。

北朝鮮は東倉里のミサイル発射実験台も解体中であり、朝鮮戦争で行方不明になった米兵の遺骨返還も始まった。したがって今は多少の曲折を経つつ軋んではいるが、朝米首脳の共同声明は結局は実行されていくことになるだろう。

いま、米国は北に対して非核化の日程表をまず提出するよう求めている。これに対し、北は朝米国交と朝鮮半島平和づくりへの入り口といえる終戦宣言からやろうと主張している。互いに相手方が先に動くことを求め、綱引きをしているわけだ。しかしこの間の朝米交渉の先例に照らすと、このようないざこざは大きく見て交渉戦略の一環といえるだろう。

■後に引けない金正恩委員長
巷間、金正恩委員長の誠意を疑い、朝米合意実行の可能性は低いとの見方もある。しかし、こんどの朝米首脳会談の合意が実行されなければ、金正恩委員長は国内政治的に困難な局面に陥ると考えられる。

というのも、その場合、金正恩委員長が20165月の朝鮮労働党第7回大会で住民に約束した「国家経済発展5カ年戦略」は一歩も前へ進めなくなってしまうからだ。

言い換えると、金正恩委員長は住民と交わした経済発展の約束を守るためにも朝米合意を実行しなければならない。つまりは、この間苦労して開発してきた核を放棄してでも朝米の国交を実現し、それを土台に海外からの投資も誘致しようと決心したということだ。

こうした点で朝米首脳会談合意の実行は国内政治の上から、トランプ大統領よりも金正恩委員長の方がもっと切実に望んでいると見るべきだ。それが実行されるかどうかは、北朝鮮ではなく、むしろ米国の国内事情如何にかかっているといえるのである。

■新秩序へ、周辺国のうごめき
ともあれ、トランプ大統領と金正恩委員長のビッグディールで非核化と朝米国交が実現すれば、北朝鮮に対する敵対を前提としてきた朝鮮半島の冷戦構造は解体されるほかない。その場合、北東アジアの国際秩序も再編されるしかない。実際、そこへ向けての周辺国の動きはあわただしい。

金正恩委員長は朝米首脳会談を前に2度にわたって中国の習近平主席と会った。さらにその後61920日にも3度目の訪中をした。これはこんご展開される北東アジアの国際秩序再編の過程で中国がメーン・アクターになろうとしていることと無関係ではないだろう。

ロシアのプーチン大統領も金正恩委員長に9月の首脳会談を要請した。これもまた、北東アジアの国際秩序再編の過程にあって自らの持ち分を確保しようとする動きと見るべきだ。日本の安倍首相も北朝鮮との接触の機会をつくろうと心を砕いているようだ。拉致問題をインセンティブにしようとしているようだが、まだ成果は得られていない。

■変わる北東アジアの政治力学
朝鮮半島の冷戦構造解体は北東アジアの国際政治力学を大きく変えていくだろう。冷戦時代以来、最も厳しく敵対してきた朝米が国交まで開くとなると、朝日、朝中の関係も変わらざるを得ない。韓中、韓ロの関係も今とは違ったものになるだろう。そうした中でわれわれは北の核・ミサイル問題がもたらす戦争の恐怖から逃れ、平和のうちに暮らせるようになるだろう。
 
朝米が非核化と国交をビッグディールすることで原則合意した。早晩、朝鮮戦争の終戦が公式に宣言され、朝米間の不可侵協定や朝鮮半島における平和協定の締結へ向けた話し合いも始まるだろう。韓米間では、変化した北東アジアの国際秩序にマッチするよう、韓米同盟の位相と役割を調整すべきだろう。

在韓米軍は2つの帽子をかぶってきたが、まずは国連軍司令部の帽子は脱がなければならないだろう。しかし、そのような調整は在韓米軍の撤収を意味するものではない。南北間では軍備管理や軍縮の話し合いも行われることになるだろう。

■韓国社会にも大きな変化
朝鮮半島の冷戦構造解体は、韓国内の政治・社会にも大きな変化をもたらすだろう。朝鮮半島の冷戦と南北対決の構造のなかでつくられた分断体制は過去70年間、北に対する敵愾心を滋養分として巨木に成長した。朝鮮半島の冷戦構造が残っていたことでそれは可能となった。

そんなところへ、分断体制と表裏一体の関係にあった冷戦構造が完全に解体されれば、分断体制もこれ以上、維持し難くなるだろう。

冷戦構造の解体が始まれば、北への敵対を前提に構築されてきた各種社会文化秩序や法体系までも影響を受けることになるだろう。朝米がもう敵対せず、国交までを結ぶというのに、南北が敵対し続けるのは難しいのではないか。

南北間で連絡事務所を設置しあうことも可能となり、南北は一つの経済共同体として関係が深まっていくだろう。1989年以降、韓国政府が追求してきた「南北連合」段階に入れば、海外同胞社会でも「親北」か「反北」か、といった対立は無意味となるだろう。

冷戦時代、北にかこつけた公安統治が行われ、北の軍事脅威を理由に安保至上主義が国内政治を支配した。いま、冷戦構造の解体と分断体制の瓦解が進めば、冷戦と分断を前提につくり上げられた政治の論理と既得権をそのまま維持していくのは難しくなるだろう。

■逆らえない歴史の流れ
南北首脳会談と朝米首脳会談が行われたことで、北東アジアに国際秩序再編の新しい流れがすぐに始まるだろう。いまやもう、その滔々たる歴史の流れを逆流させたり、それに逆らったりすることはできないだろう。

19世紀の中盤から後半にかけて西洋の文化が東洋に押し寄せたとき、日本はその流れに乗ったために自分の運命を自分で決定でき、結果としてアジアの強者になることができたといえる。

一方で、朝鮮はそれが新しい流れであることも分からず、旧秩序にすがっていて自らの運命を自分で決められず、遅れてしまったあとで右往左往した。結果、朝鮮は日本の植民地になってしまった。

歴史に学ぶべきだと簡単に言うが、こんどこそ、われわれは過去の前轍を踏んではならない。政府はもちろん、世論指導層を含む国民皆が、南北首脳会談と朝米首脳会談がもたらす朝鮮半島の冷戦構造解体と国際秩序の再編、そして分断体制瓦解の過程で起こることへの対策をあらかじめ準備しておかなければならない。