2026年6月26日金曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(33)

  朴鐘圭の裏切り

 19805月中旬、中央情報部長を兼任する保安司令官の全斗煥は突然、人事作業をいったん、中止させた。学生たちの街頭デモが激しくなると、徐廷和次長は会議のたびに、こう言っていた。

 「いまは情報部を改編している時ではなく、全員総がかりで社会を混乱させるデモ隊や、その政治勢力とたたかうべき時です」

 そう声を張り上げたおかげで、辞めさせられるところだった要員たちも、すんでのところで助かった。

 中央情報部が地下室拷問によってその「実力」を発揮するチャンスが来たのである。

 ▽拷問

 「517クーデター」による反対勢力の一掃や戒厳令の全国拡大とともに、その間空っぽだった地下室には、どっと「政治的な顧客」たちが押し寄せてきた。

 内乱陰謀で金大中、そしてデモ関連の学生たちがいっせいに捕らえられ、地下室にぎっしりと詰め込まれた。同じ時刻、保安司令部は西氷庫の捜査分室などに金鍾泌、李厚洛、金振晩、金致烈、呉源哲、金鍾珞、張東雲、李世鎬らをぶち込み、締め上げ始めた。

517」の、この反対勢力一掃のことを朴鐘圭は事前に知っていた。

 全斗煥と親しかったことから、その日程からやり方までをすべて把握していた。後日、金鍾泌は、当時を振り返って記者たちにそのように語った。

 ▽権力型不正蓄財

 513日、朴鐘圭はだしぬけに共和党からの離党を宣言し、記者会見を開いて「不正蓄財した財産を公の場で調べてほしい」と次のように言っていた。

朴鐘圭(中央)は金鍾泌(左)らを裏切り、新軍部の下で栄華を極めた。右は朴正煕大統領

 「最近、権力型の不正腐敗という批判が高まってきており、国民の間に不信感が広がっている。この際、わたしや共和党も含め、すべての政治家の腐敗について浄化をおこなうべきだ。それがわたしの心からの思いだ。だからといって、わたしが政界を引退するというわけではない」

 権力型不正蓄財――。

 それは全斗煥一派による造語だった。朴鐘圭は、何日か後に起こることを予告していたのである。

 それは、それからわずか4日後の「517一掃作戦」で、朴正煕政権の実力者たちに被せた罪状のことだった。金鍾泌(216億)、李厚洛(194億)、李世鎬(111億)、金振晩(103億)、金鍾珞(92億)、朴鐘圭(77億)、李秉禧(24億)、呉源哲(21億)、張東雲(11億)など、腐敗分子の名前と不正蓄財額が新聞の1面を飾った。

 金鍾泌は「朴鐘圭が新軍部の手先になって共和党を離党し、政治家の財産没収の名分づくりのために、あのような芝居を打ったのだ」と述懐した。朴鐘圭は、全斗煥が政権をとるべきだと煽ってきていた(元保安司令官・姜昌成の証言)。

 ▽恩人

 そして、一掃作戦の直前、全斗煥は「恩人」の朴鐘圭に「あなたを不正蓄財の処罰対象者から外すと、スジが通らないと言われます。公正さを装うためにも、発表に含めざるを得ないので、少しの間だけがまんして待っていてください」と了解を求めていたのだった。

 全斗煥にとって朴鐘圭は、少佐時代の1962年、中央情報部に入るときに身元保証人になってもらった恩人だった。そして73年の「ハナ会事件」[全斗煥を中心とした軍内部の私組織「ハナ会」のパトロンだった当時の首都警備司令官、尹必鏞が朴正煕大統領にたいして「不忠」だとされ、失脚した事件]に際しても、全斗煥が危うく軍服を脱がされそうになった危機から救ってやっていた。

 そういう事情があったとはいえ、金鍾泌は朴鐘圭の裏切りに腹の虫がおさまらなかった。

 かれは、当時の朴鐘圭について「まるで難破船からネズミが海へ飛び込むかのように、必死になっていた」と筆者に語った。李厚洛の新軍部に向けた「尻尾ふり」以上に、朴鐘圭の裏切りの方が、金鍾泌には骨身にこたえたという。

 ▽卑劣

 517日夜、落ち着かず、どこかそわそわした気分のなか、金鍾泌は張栄淳(元国会法制司法委員長)らと碁を打っていた。そんなところへ、藪から棒に朴鐘圭が現れた。

 ほんの数日前に「わたし朴鐘圭も含め、(金鍾泌らの)すべての不正蓄財について政府は調査すべきだ」と記者会見で言っていたばかりである。新軍部にくっつき、その手先になり下がった朴鐘圭がいったい、どの面をさげて何をしに、ここへ来たというのか。

 朴鐘圭は黙って碁盤だけを見つめながら、うろうろしていた。

 しばらくして、銃を持った兵士らが金鍾泌を連行するために踏み込んできたところで初めて分かった。かれら逮捕チームの囮(おとり)となって、金鍾泌が現場から逃げ出せないよう足止めをするために来ていたことは明らかだった。実に汚く、卑劣なやり口だった(『金鍾泌証言録』)。

 「何かと厄介者だった朴鐘圭がまだ軍曹だった時代から、かれが朴正煕大統領と陸英修夫人の信頼を得られるよう、常に後押しをしてやっていた。警護室長になるときも応援してやった。それなのに、その見返りが、このように恩を仇で返そうということだったのか」(金鍾泌)

 朴鐘圭は、新軍部の全斗煥に対してそのようにひれ伏すことで、軍部の下でも拘束を免れた。不正蓄財も、その額(77億ウォン)が発表されただけで、あとはうやむやにされ、新軍部の庇護を受けた。そして、のちに国際オリンピック委員会(IOC)委員という名誉職まで得て、栄華を極めることになったのだった。

                          訳:波佐場 清

 

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