2021年8月27日金曜日

日韓の深淵―盧泰愚さんの時代②/幼い頭に日本の歴史・文化だけが注入された

今年10月に亡くなった韓国の元大統領盧泰愚さん(大統領在任198893年)は1932年12月、慶尚北道達城郡公山面で生まれた。朝鮮半島南東部の中心都市、大邱の北郊にある八公山(標高1192㍍)のふもとの小さな村だった。いまは大邱広域市に組み込まれ、八公山にはロープウェイが設置されるなど、一帯は行楽客や登山客らでにぎわっている。

八公山の麓の盧泰愚さんの生家=『盧泰愚回顧録』より

生まれた年の1932年といえば、朝鮮半島が日本の植民統治下に入って20余年がたっていた。前年9月、満州事変勃発。32年に入ると上海事変、満州国建国、日本国内では「515事件」…。その後、「226事件」(1936年)、日中戦争の発端となった盧溝橋事件(37年)とつづき、朝鮮は日本の大陸侵略の兵站基地として戦時動員態勢に組み込まれていった――。そんな時期に盧泰愚さんは幼児期を過ごし、少年時代を迎えていったのだった。

 ■幼き日々

『盧泰愚回顧録』(2011年、朝鮮ニュースプレス社)は一家や幼い日のことを次のように書いている。(以下、回顧録からの引用は、いずれも一部再構成して抄訳した)

 

ソウルで出版された『盧泰愚回顧録』

 ▽祖父から文字を習う

5歳のころから祖父に千字文を教えてもらった。祖父は文字を習わなかった人なのに、どうして孫に教えることができたのか。あとで聞いた話では祖父の兄弟が勉強するとき、祖父は家族といっしょに藁草履を作りながら耳学問で勉強したのだという。

  6歳で父親と死別

父は村の書記などをしていたが、私がまだ6歳にもならない1938年初め、交通事故で亡くなった。木炭車のバスで大邱市内に向かう途中、踏切事故に遭ったのだった。

みぞれの降る日、大邱から飛び込んできた悲報に、幼い私はそれがどういうことかも分からなかった。だれかが弔花を持ってくるのを見てこんな寒い冬なのに、と不思議に思った。夕刻ごろ父の棺が着き、母が痛哭するのをみていっしょに泣いたのを覚えている。

父は多才、多能だった。電気もない深い山奥の村で蓄音機があるのは我が家だけだった。父の膝に座り、蓄音機に合わせて歌った歌はいまも忘れていない。冬になると村の貯水池へ連れていってくれ、スケートを楽しんだ。

  ▽仏教と縁

大黒柱の父を失い、わが一族は離散した。2人の叔父は日本と満州へ渡った。祖父母は苦難に耐えてわが家を守った。祖母は篤実な仏教信者で、よく背負われて八公山西麓の把渓寺[桐華寺の末寺]へ行ったことを覚えている。

私が生まれたことについて村人たちは、祖母が男の子を授けてほしいとお参りした功徳だと噂し合った。そんなこともあって私も仏さまとは縁が深いと思うようになった。

■「国民学校」時代

盧泰愚少年は1939年春、地元の小学校に入学した。

  

▽片道6㌔の山道を通学

私が通った学校は公山国民学校で、数えの7歳で入学した。家から学校まで片道6㌔、毎日往復12㌔の山道を歩くのは容易ではなかった。

私は体が弱く、幼いときは叔母が負ぶってくれたりもした。1学年2クラスだったが、同輩は何人もおらず、大部分が私より年長だった。56歳上の者もいた。5年生のときには結婚した同級生までいた。

『回顧録』は通った学校を「国民学校」としているが、入学当初は正式には「小学校」だったと思われる。盧少年が入学した前年1938年の(第三次)朝鮮教育令改正で、それまで「普通学校」といわれていた朝鮮の初等教育学校は、日本国内と同様「小学校」になった。さらに413月の教育令改正で、「小学校」は日本国内と同様、「国民学校」という名に変わった。

この時期、皇国臣民化の教育はいちだんと進んだ。3710月、「皇国臣民の誓詞」が制定され、朝礼など事あるごとに斉唱が義務付けられた。児童用は次のようなものだった。

一、私共は大日本帝国の臣民であります。

二、私共は心を合わせて天皇陛下に忠義を尽くします。

三、私共は忍苦鍛錬して立派な強い国民となります。

38年の教育令改正は、動員態勢を強化するためのもので、朝鮮人の志願兵制度と対になっていた。「国体明徴」「内鮮一体」「忍苦鍛錬」が三大教育方針とされた。朝鮮語は正課から外されて随意科目となり、公立学校の大半で朝鮮語を教えなくなった。教科書も日本人と同じものを使うようになった。

 

盧泰愚少年はこんな教育を強いられたのだった。『回顧録』は次のように書いている。

 

▽「朝鮮は未開、日本が保護者」

1年生の時から韓国の歴史や文化の授業はないも同然だった。朝鮮語の科目も2年生からなくなった。純真無垢な幼い頭に日本の歴史・文化だけを注入するのだからそのまま入っていくほかなかった。

 「朝鮮は未開で貧しいので日本が保護者となって開化、開発し、日本と同じようないい暮らしのできる国にならないといけない」

「ルーツは同じ民族なのだから一つの国にならないといけない」

日本はそんなことを言い、いわゆる「内鮮一体」をスローガンに、歴史、文化、言語を日本に同化させようとした。

 私たちは日本語を一生懸命に習い、歪曲された歴史を真実であるかのように学ばなければならなかった。「教育勅語」のようなものは国民学校23年生以上なら全部暗記しなければならなかった。

 

   ▽内心「われわれは違う」

 そのように徹底した日本式の教育を受けたが、ルーツの違いはどうしようもなかった。

ユダヤ人たちがタルムードを通して民族の正統性を確固と維持してきたように、夕べには祖父が、われわれの文化は日本の文化よりもずっと優秀だという話をしょっちゅうしてくれた。

そんなわけで、日本の教育を受けながらも心の内では「われわれは違う、違わないといけない、いつかはわれわれのものを取り戻そう」という考えを育んでいくほかなかった。

 

日本人教師との再会

植民地時代に受けた教育について、こう振り返った盧泰愚さんだが、そこでは深く感銘を受けた日本人教師との出会いもあった。盧泰愚さんは大統領になった後、その恩師をソウルの青瓦台(大統領官邸)に招待し、涙の再会を果たしたのだった。(つづく)

             立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

*参考文献

趙景達『植民地朝鮮と日本』岩波新書、2013

佐野通夫『日本植民地教育の展開と朝鮮民族の対応』社会評論社、2006


2021年8月23日月曜日

日韓の深淵―盧泰愚さんの時代①/ 植民地朝鮮で日本は何を教えたのか

日本支配下の植民地朝鮮で、国民学校(小学校)の教師をしていた日本人女性のことが朝日新聞デジタルに紹介されていた。富山市郊外のサービス付き高齢者向け住宅で、この夏100歳の誕生日を迎えた杉山とみさん。朝鮮の子どもたちを天皇に尽くす立派な「皇国臣民」に育てることが責務と信じていた。そんな自分を戦後、忸怩たる思いで見つめ直し、教え子たちとの交流を続けてきたという。朝日新聞大阪本社の中野晃記者が書いている。

https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=1298&iref=pc_rensai_article_breadcrumb_1298

杉山さんは父母が移住した植民地朝鮮で1921年(大正10年)に生まれた。41年春、ソウルにあった京城女子師範学校を卒業。数えの20歳で朝鮮の子どもたちが学ぶ大邱の達城国民学校に赴任し、4年生の受け持ちとして教師生活に入った、という。

近くの国民学校に盧泰愚少年

ちょうどそれと同じころ、杉山さんの国民学校のすぐ近くの別の国民学校で、のちに韓国の大統領となる一人の少年が学んでいた。1988年、第13代大統領に就任した盧泰愚(ノ・テウ)さんである。今年10月26日、88歳で亡くなった。

盧泰愚さんは慶尚北道達城郡の公山国民学校で学んだ。学校の所在地から考えて杉山さんの達城国民学校とは、さほど離れてはいなかったと思える。杉山さんが赴任した41年春、盧泰愚少年は国民学校3年生になっていた。

朝鮮語の使用は絶対禁止。皇居の方角に頭を下げる「宮城遥拝(ようはい)」、天皇皇后の御真影と教育勅語をおさめた奉安殿への最敬礼の繰り返し。「私共は心を合わせて天皇陛下に忠義を尽くします」などと声をあげる「皇国臣民の誓詞」の復唱も連日させた――。杉山さんが振り返って語る、そのような教育を盧泰愚少年も受けたはずである。

「二宮金次郎は尊敬されていますか」

そんな盧泰愚さんについて、私には忘れられない思い出がある。

もう30年以上も前のことになる。1987年夏、新聞記者だった私は、民主化運動で揺れる韓国へ労使紛争の取材で出張していた。全斗煥政権の時代である。盧泰愚さんは当時、全氏の後継者として与党の大統領候補に指名されていた。

そんな時、折しも盧泰愚さんは、ソウルの日本人記者団と記者会見をおこなった。私も取材が許された。そこで盧さんは開口一番、私たちに次のように問いかけてきた。

 「日本ではいまでも二宮金次郎は尊敬されていますか」

日本語での問いかけだったことにまず、驚いた。流暢とまではいかないまでも、はっきりと聞き取れる日本語だった。そして、そのこと以上に、盧さんの口から二宮金次郎という人物の名前が出たことに私は大いに面食らった。

私は戦後すぐの1947年、日本の北陸の田舎町に生まれた。小学校の校庭に二宮金次郎の像があった。薪を背に本を読む、あの二宮尊徳像である。この像はその後、いつのまにか校庭からなくなり、私の記憶からも消えかけていた。そんなとき、この隣国の大統領候補の口から突然、その名前が発せられたのである。

「自国の言葉を使った、と鞭打たれ……

盧泰愚さんはその年暮れの大統領選挙で、野党候補の金泳三、金大中氏らを破って当選し、翌882月から93年までの5年間、韓国の大統領をつとめた。就任した88年の秋、ソウルで開かれた第24回オリンピック大会の開会宣言をおこなったのは、この大統領だったのである。

1988年9月のソウル五輪開会式で「開会宣言」をする盧泰愚大統領=『盧泰愚回顧録』より

大統領となった盧泰愚さんは19905月、日本を公式訪問した。その際、国会の衆院本会議場でおこなった演説も記憶に残る。次のようなくだりがあった。 

「国民学校[小学校]に入ったばかりの子どもが日本式の名前でなく、自分の(本当の)名前を使ったからといって、また、母親から直接覚えた自分の国の言葉を使ったからといって先生に鞭打たれなければならなかった痛みは皆さまには理解し難いことでしょう」

(韓国大統領記録館HPhttps://www.pa.go.kr/research/contents/speech/index.jsp

 大統領自ら、少年時代の記憶をそのままに語ったのである。

足を踏まれた側の痛み

足を踏まれた痛みは、踏んだ側にはわからない、という。加害者の側が十分気づかずに被害者側を傷つけてしまっていることもある。詩人の茨木のり子さん(19262006年)は次のようなことを書いていた。 

これももう十年以上も前になるだろうか。韓国の女流詩人、洪允淑さんが来日され、会いたいとの連絡を下さったので、銀座でお目にかかったことがある。私とほぼ同世代の方で、日本語がうまく、私の詩もよく読んでいて下さるのに、こちらからは洪さんの詩が皆目わからないのだった。
「日本語がお上手ですね」
その流暢さに思わず感嘆の声をあげると、
「学生時代はずっと日本語教育をされましたもの」
ハッとしたが遅く、自分の迂闊さに恥じ入った。日本が朝鮮を植民地化した三十六年間、言葉を抹殺し、日本語教育を強いたことは、頭ではよくわかったつもりだったが、今、目の前にいる楚々として美しい韓国の女(ひと)と直接結びつかなかったのは、その痛みまで含めて理解できていなかったという証拠だった。
洪さんもまた一九四五年以降、改めてじぶんたちの母国語を学び直した世代である。
(『ハングルへの旅』朝日新聞社、1986年6月第一刷発行)

  私自身の体験に照らしてもハッと気づかされることのある文章である。

植民地時代知る「最後の世代」

日韓関係が激しく、きしんでいる。慰安婦、徴用工……。その根源には日本の朝鮮半島に対する植民地支配という過去の問題があることはいうまでもない。この歴史問題をどう乗り越えていけばいいのか。

過去をいたずらに蒸し返すばかりでは未来志向の関係は築けない、という意見を聞くことがある。そういう面もあるかもしれない。しかし、事実は事実として知っておくことは必要だ。過ちを繰り返さないためにもそれは欠かせない。新たな未来はそれを踏まえることで開けてくる。

日韓間の深淵をのぞいてみたいと思う。今年は日本にとって戦後76年にあたる。それはそのまま韓国にとっての解放76年になる。日本でも韓国でも、あの時代を記憶する人はしだいに少なくなっていこうとしている。盧泰愚さんもそんな「最後の世代」の一人であった。

韓国で出版された『盧泰愚回顧録』(上下2巻、20118月ソウルの朝鮮ニュースプレス社発行)を読みながら日韓関係について考えてみた。(つづく)

               立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

 

2020年8月16日日曜日

文在寅大統領と安倍首相の落差/「8・15演説」

8月15日、文在寅大統領の「光復節」演説と安倍晋三首相の「戦没者追悼式」式辞をインターネットとテレビのライブ中継で立て続けに見た。双方の歴史認識の違いを改めて確認するとともに、今回とくに感じたのは、国家と個人の関係についての考え方で双方に大きな落差があるという点だった。

■「国家は個人のために存在する」
午前10時過ぎ、ソウルで文大統領の演説が始まった。次のような部分が印象に残った。
青瓦台HP 8月15日、ソウルの東大門デザインプラザで開かれた光復節慶祝式典で「愛国志士」を迎える文在寅大統領
「本日、75回目の光復節を迎えて思うのは国民ひとり一人の光復がなされたのか、ということです。個人が国のために存在するのではなく、個人の人間らしい生き方を保障するために国があるということを考えます。基本的人権の保障を定めた憲法10条の時代です。それが私たちの政府がめざす目標です」

大韓民国憲法第10条はつぎのようにうたっている。

<すべての国民は人間としての尊厳と価値を有し、幸福を追求する権利を持つ。国家は個人が持つ不可侵の基本的人権を確認し、これを保障する義務を持つ>

大統領はここから、日本との間の元徴用工訴訟の問題につなげていった。

「大法院(最高裁)は1965年の韓日請求権協定の有効性を認める一方で、個人の『不法行為賠償請求権』は消滅していないと判断しました。大法院の判決は大韓民国の領土内で最高の法的権威と執行力を持っています。政府は司法府の判決を尊重し、被害者が同意できる円満な解決策を日本政府と協議してきました。いまも話し合いの窓口はそのまま開かれています」

さらに、日本政府が事実上の報復措置として取った韓国向け輸出規制に関し、一人の元徴用工被害者のことを具体的に取り上げて次のように述べた。
青瓦台HP 8月15日、光復節の式典で演説する文在寅大統領

「(日本製鉄を相手取っていっしょに訴訟を起こした4人の原告うちの)唯一の生存者である李春植さんは去年、日本の輸出規制が始まったとき、『私のせいで韓国が損害を被ってしまうのではないか』と言われた。私たちは一人の個人の尊厳を守ることが決して国の損害にはならないという事実を確認しておきたいと思います」

■国家は見えても個人が見えない
一方、東京の日本武道館での安倍首相の式辞。16日付の朝日新聞で改めて確認できたのだが、昨年まで繰り返し用いてきた「歴史」という文言が消えていた。アジアの近隣諸国への加害責任には今年も言及しなかった。代わって「積極的平和主義」が初めて登場してきた。

全文を読み返してみる。
「あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。……今、すべての御霊の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます」

「今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます」

それらしい言葉が並んでいるが、どこか空々しい。そう感じるのは、文在寅大統領の演説に私自身、つい、引き込まれすぎたせいなのか、どうか。

「我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り拓いてまいります」

ここからは、国家は見えも、個人は見えてこない。

■「大津事件」の教え
元徴用工問題で文在寅大統領が強調した「司法判断尊重」の姿勢についてはこの間、日本で批判が相次いだ。「国と国の約束事であり、国(行政府)が責任をもって守っていくべきだ」といった類のものだ。しかし、これはどうなのか…

筆者個人のことになるが、私はいま滋賀県大津市に住んでいる。市内に大津市歴史博物館があり、そこでは「大津事件」に関する展示がなされている。1891(明治24)年5月11日、日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)が滋賀県・大津町(現大津市)で警備にあたっていた巡査に突然切りつけられ負傷した事件である。

博物館の展示には、大国ロシアの反発を恐れた明治政府は巡査を大逆罪で死刑にするよう司法当局に迫ったが、時の大審院長、児島惟謙は刑法通り、通常の謀殺未遂で無期徒刑にした――といった趣旨の説明文が添えられている。

日本の学校教育ではいま、どう教えているのか。高校の日本史の教科書を開いてみると、次のように書かれている。

<訪日中のロシア皇太子が琵琶湖遊覧の帰途、滋賀県大津市で警備の巡査津田三蔵によって切りつけられ負傷した事件。ロシアとの関係悪化を苦慮した日本政府(第1次松方内閣)は、犯人に日本の皇族に対する大逆罪を適用して死刑にするよう裁判所に圧力をかけたが、大審院長児島惟謙はこれに反対して津田を適法の無期徒刑に処させ、司法権の独立を守った>(山川出版『詳説 日本史B』)

これは、国民に主権がなかった帝国日本での出来事である。そんな時代ですら、三権分立のもつ意味は重かったのである。いま、普遍の民主主義の価値に照らすとき、他国の司法の判断とはいえ、もっと重視、尊重していいはずである。それとも、これは日本社会における最近の司法権力の存在感のゆらぎを反映したものなのか、どうか。

■安倍首相への皮肉?
文大統領は演説で韓国憲法の「基本的人権の尊重」について触れたが、日本国憲法で言えば、「基本的人権の尊重」は、「国民主権」「平和主義」と並ぶ憲法の三大原則の一つであることは中学生でも知っている。

憲法第13条をいま一度、読んでみる。

<すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする>

これは、韓国憲法と比べてみても決して引けを取らない。「すべて国民は、個人として尊重される」と言い切っている点、日本国憲法の方が個人の人権をより重視しているといっていいだろう。そんな日本国憲法の基本精神が今回の式辞に限らず、安倍首相のこのところの言葉からまるで伝わってこないのはどうしたことか。

文在寅大統領は今回の演説で、元徴用工問題の解決に向けて次のようにも語った。

「三権分立に基づいた民主主義、人類の普遍的な価値と国際法の原則を守り抜くために日本といっしょに努力していきます。一人の人間の人権を尊重する日本と韓国の共同の努力が両国国民間の友好と未来協力の架け橋になるものと信じます」

この演説について、日本のマスメディアの多くは「日本政府に対話を求めたもの」と前向きにとらえている。確かにそうともとれようが、一方で、日本国憲法の精神に背くような姿勢をみせる安倍首相に対して最大限の皮肉を言っているようにも感じられるのは私だけなのか。

私たちの日本国憲法が泣いている。                    (波佐場 清)

2019年7月20日土曜日

「日本は反人道、人権侵害で国際法違反」/韓国、正面から反論/全訳・青瓦台ブリーフィング

日韓関係を揺るがす元徴用工問題は、韓国側が真っ向から反論に出てきたことで新たな局面に入ったようだ。

719日午前、河野太郎外相は南官杓・駐日韓国大使を外務省に呼んで抗議。席上、外相は大使の言葉を途中で遮り、「極めて無礼だ」と声を張り上げた。韓国側は「外相こそ無礼」と反発、その日午後、ソウルの青瓦台(大統領府)で金鉉宗・国家安保第2次長が記者会見し、厳しく日本政府を批判した。

金次長は、韓国側を「国際法違反」と非難する日本政府に対し、「日本の方こそ、国際法違反だ」と反論、改めて輸出規制措置の撤回を求めた。
https://www1.president.go.kr/articles/6828

以下は、青瓦台のホームページに載せられた金鉉宗氏のブリーフィング内容の全訳である。(波佐場 清訳、見出しは訳者が付けた)

■「日本の方こそ、国際法違反」
本日午前、日本の河野太郎外相が南官杓駐日大使を呼んで強制徴用問題に関する日本の立場を伝達し、談話を発表しました。これについて次のような点を指摘したいと思います。

まず、韓国が国際法に違反しているという日本側の変わらぬ主張、これは間違っています。

韓国大法院は、1965年の韓日請求権協定は強制徴用者に対する反人道的犯罪および人権侵害を含めたものではなかった、とする判決を下しており、民主国家の韓国としてはそのような判決を無視することも廃棄することもできません。

韓国政府は強制徴用問題を解決するため日本側と外交チャンネルを通して通常的な話し合いを続けて来ました。ところが、その外交努力が十分に尽くされ切っていない状況にあって、日本は一方的な輸出規制措置を取りました。これはWTOの原則、自由貿易の規範やG20大阪首脳会議で発した自由貿易の原則、さらにはグローバル・バリュー・チェーン(GVC)にも深刻な打撃を与えるという点で、国際法に違反した主体はむしろ日本であるといえます。

何よりも根本の問題として指摘しておきたいのは、強制徴用という反人道的な不法行為によってまず初めに国際法に違反したのはまさに日本であった、という点です。その点を韓国大法院判決は指摘したのです。

■「仲裁期限は日本側が一方的、恣意的に設定」
また、日本は請求権協定上の仲裁を通した問題解決を引き続き主張しているが、我々としては日本側が設定した一方的、恣意的な期限の区切りに同意したことはありません。

併せて一般的に2つの国が仲裁手続きを通して紛争を解決しようとしても、結果的に「一部勝訴、一部敗訴」となるケースが多く、問題の根本的な解決は難しいのです。長期間にわたって仲裁手続きが進む過程では両国民間の敵対心が大きくなり未来志向の関係にも否定的な影響を及ぼし得ます。

■「建設的、合理的な提案なら話し合える」
それにもかかわらず我々は強制徴用問題を外交的に解決することが重要という認識のもと、あらゆる建設的な提案にオープンという立場であり、日本側に提示した大法院判決履行問題の円満な解決案を含め両国国民と被害者の共感を得ることのできる合理的な案について日本側といっしょに話し合っていくことができるという立場です。

日本は輸出規制措置を取りながら、その根拠として当初、過去の問題による信頼の阻害に言及していたのに、その後、輸出管理の上で不適切な事案が発生したと言い、今日はまた、強制徴用の問題を取り上げました。日本の立場とは一体どんなものなのか、相当な混乱ぶりです。

こんななか、日本は不当な輸出規制措置を撤回し、状況をさらに悪化させる発言や措置を取らないよう強く求めます。

今日、南官杓大使は日本のアニメ会社で発生した火災で多くの死傷者が出たことに哀悼の言葉を伝え、河野太郎外相はこれに謝意を表しました。

     ◇   ◇
国際法に違反しているのは韓国なのか、それとも日本なのか――。元徴用工をめぐる日韓の激しいやりとりのなか、そんな問題が浮上してきている。

■「完全かつ最終的に解決」
日本政府は、日本企業に賠償を求めた韓国大法院判決に対し「国際法の常識では考えられない」と反発、韓国政府に是正を求めてきた。安倍首相は、韓国大法院の判決が確定した昨年1030日、記者団に「1965年の日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決している」「判決は国際法に照らして、ありえない判断だ。日本政府として毅然と対応していく」と語った(20181031日付読売新聞)。

今回、河野外相は外務省に南官杓大使を呼んだ席で「昨年の韓国の大法院判決で韓国側に国際法違反の状況が生じている。国際法違反の状況の是正を速やかにやっていただくよう強く求めた」と記者会見で明らかした。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaiken4_000850.html

河野外相はこの会見後に出した「外務大臣談話」で次のように指摘した。

「我が国は、国際社会における法の支配を長く重視してきた。国家は国内事情のいかんを問わず国際法に基づくコミットメントを守ることが重要との信念の下、昨年の韓国大法院の判決並びに関連の判決及び手続きにより韓国が国際法違反の状態にあるとの問題を解決する最初の一歩として…」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page4_005119.html

要するに、これは「1965年の請求権協定で「完全かつ最終的に解決」した問題で、元徴用工に賠償を命じた大法院判決は国際法に反する、というのである。

■「反人道」「人権侵害」の指摘を重視
韓国大法院判決は、次のような論理で、元徴用工らの損害賠償請求を認めたのだった。

そもそも元徴用工らの損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配や侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とした強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権であって、日韓請求権協定には含まれていなかった――。

今回、金鉉宗氏のブリーフは、「反人道的犯罪」や「人権侵害」について指摘したこの大法院判決を引用し、「民主国家の韓国としてはそのような判決を無視することも廃棄することもできない」と、あくまで植民地支配や侵略戦争に関係した日本企業の責任を問うていこうという姿勢を確認したのである。

■「日本は法の支配を重視」
韓国の歴代政権はこの間、元徴用工問題について「1965年の日韓政府間の請求権協定で決着済み」との立場をってきた。日本政府としては「ここへ来て文在寅政権がそれをひっくり返そうとしている」というふうに映る。さきに見たように、河野外相の「外務大臣談話」に、
「我が国は、国際社会における法の支配を長く重視してきた。国家は国内事情のいかんを問わず国際法に基づくコミットメントを守ることが重要」
と書き込んだのも、そうしたことが背景にある。

「韓国はいちど交わした約束を簡単に破る」「国際ルールを守らず、その都度、ゴールを動かす」。こんな不信が日本で語られるのも事実だ。「日本人は悪法も法として守るが、韓国人は正義の前には法を無視していいと考える」といった具合に民族性の違いを説く人もいる。

河野外相が「大臣談話」で言及した「法の支配」とは、どういうことなのか。

■「法の支配」と「法治国家」は違う
芦部信喜著『憲法』(岩波書店)は「法の支配」について、「法治国家」とは違うとして次のようなことを書いている。
▽近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とするが、この立憲主義思想は法の支配(rule of law)の原理と密接に関連する。

▽「法の支配」の原理と類似するものに、戦前のドイツの「法治主義」ないしは「法治国家」の観念がある。この観念は、法によって権力を制限しようとする点においては「法の支配」の原理と同じ意図を有するが、少なくとも、次の二点において両者は著しく異なる。
第一に、「法の支配」は、立憲主義の進展とともに、市民階級が立法過程へ参加することによって自らの権利・自由の防衛を図ること、したがって権利・自由を制約する法律の内容は国民自身が決定すること、を建前とする原理であることが明確になり、その点で民主主義と結合するものと考えられたことである。これに対して、戦前のドイツの法治国家の観念は、そのような民主的な政治制度と結びついて構成されたものではない。もっぱら、国家作用が行われる形式または手続きを示すものにすぎない。したがって、それは、いかなる政治体制とも結合しうる形式的な観念であった。

第二に、「法の支配」に言う「法」は、内容が合理的でなければならないという実質的要件を含む観念であり、ひいては人権の観念とも固く結びつくものであったことである。これに対して、「法治国家」に言う「法」は、内容とは関係のない(その中に何でも入れることができる容器のような)形式的な法律にすぎなかった。そこでは、議会の制定する法律の中身の合理性は問題とされなかったのである。

■日本に問われる人権意識
目を引くのは、「法の支配」に言う「法」は、人権の観念とも固く結びつくものであったことである、との指摘である。 河野外相のいう「法の支配」は、人権の観念を十分に意識したものなのか、どうか。もし、人権意識が十分でなかったとしたら、その意味するところは、ただの形式的な「法治主義」になってしまう。

日本政府は元徴用工の問題を、どれほど人権の問題としてとらえているのか。もし、人権意識が十分でないとしたら、「反人道」「人権侵害」を真正面から掲げる韓国を向こうに回して、こんご論争の主舞台になると予想される国際社会でたたかっても勝ち目はない。

2019年7月17日水曜日

日本政府に深い不信/全訳・文在寅大統領発言

日韓関係は、ただならぬ様相である。直接の引き金となったのは韓国に対する日本政府の半導体原料輸出規制だが、韓国人元徴用工問題への対抗を意図したものであることは間違いない。実際、日本の新聞は「元徴用工訴訟を巡る問題で、解決に向けて対応しない韓国への事実上の対抗措置」(72日付読売新聞)などと書いてきた。

日本政府もその脈絡でこの問題を語ってきたのは事実である。


今年1月、安倍首相はテレビ番組で徴用工問題に関し「国際法に基づき毅然とした対応をとるため、具体的な措置の検討を関係省庁に指示した」と言っていた。麻生副総理兼財務相も国会答弁のなかで、「送金の停止、ビザの発給停止とかいろんな報復措置があろうかと思う」(312日、衆院財務金融委員会)と述べていた。

■「対抗措置」を否定
ところが、不思議である。輸出規制措置発表後は、徴用工問題への対抗措置であることを日本政府は一切、否定している。経済産業省の発表文(71日付)は「韓国向け輸出管理の運用の見直しについて」と題し、①輸出管理面で日韓間の信頼関係が著しく損なわれた②韓国に関連する輸出管理をめぐり不適切な事案が発生した――などとしている。

政府は「安全保障面で問題のない国としての優遇措置をやめる」ということだ、とも説明している。一方で、輸出管理をめぐって発生したとする「不適切な事案」については具体的には明らかにしていない。
どうしてこんなことになったのか。

714日付朝日新聞を読んで得心がいった。箱田哲也・論説委員は「社説余滴」欄で次のように書いていた。
<昨年秋、徴用工裁判で日本企業に賠償を命じる判決が確定した後、政府は省庁別に対抗策を検討させた。
多くの案の中で、ことの深刻さを伝えるには手荒なまねをせざるをえないとの判断から、対韓強硬派の政治家らが推していた今回の措置を決めた。

政府内で「対抗措置ではない」と主張できる理論武装を重ね、G20サミットの閉会を待って発表した>

■貿易の世界に政治を持ち込む
なるほど、という思いである。
徴用工問題への対抗措置ということになれば、政治問題を経済の分野に持ち込むことになる。それは日本が重視してきた自由貿易の原則をゆがめることにつながる。実際、この対韓輸出規制発表の直前まで大阪で開かれていたG20首脳会議では議長国・日本が主導し「自由、公正な貿易の実現」を宣言したばかりだった。政府はそのことに対する批判を恐れているのである。

しかし、どう言い繕おうと、本質は見透かされる。米経済紙、ウォールストリート・ジャーナルが「政治と貿易のない交ぜ」と批判するなど、日本の今回の措置には世界から厳しい目が向けられている。

戸惑うのは、一部メディア、とくにテレビの豹変ぶりである。日本政府の今回の対韓輸出規制発表当初は「対抗措置は当然」と言い募りながら、発表後は政府の言い分に合わせて安全保障の問題にすり替える。「コメンテーター」を名乗る一部テレビ出演者の「波乗り」ぶりには、見ている方で赤面するばかりである。

■異常、異様な会合
それにしても、まったく異常、異様としか言いようがない。
対韓輸出規制後、日韓当局者の初の会合が712日、東京・霞が関の経産省で開かれた。テレビが映し出した、その冒頭部分の様子をみて驚いた。

課長レベルの会合。殺風景な部屋にノーネクタイ、クールビズの日本側の2人がまず現れ、席に着く。そのあと、ネクタイ、スーツを着込んだ韓国側の2人が部屋に入り、持ってきたリュックを足元に置いて対面の椅子に座る。

机の上にはわずかばかりの資料のようなもの以外、何もない。双方の間から見える壁際のホワイトボードには、「輸出管理に関する事務的説明会」と印刷された紙一枚が張られている。テレビ画面を見ている限り、双方の表情は硬直し、言葉のやり取りなどは一切なかった。

このような国際会合の場合、普通に考えると、迎える側が入り口で応対し、言葉を掛けあって握手の一つでも交わすのが常識というものだ。ところが、今回、日本側は会釈もせず、椅子に座ったまま、立ち上がろうともしなかった。

■「水一杯のもてなしもなく」
韓国のメディアはこれを「日本側は会場場所を壊れた機資材が転がる倉庫に決め、水一杯ももてなさないなど、あらゆる欠礼をおかした」(韓国経済新聞社説)などと書いた。

いくら「おもてなし」の国とはいえ、とても、もてなしなどできる状況になく、間違ったサインを送ってもいけないといえば、それまでである。しかし、あまりにも狭量すぎないか。どんな場合であれ、相手が部屋に入ってきたら、立ち上がって迎えることぐらいは常識ではないか。これでは、こどものけんか以下である。

日本側がこれを「説明会」と位置づけるのなら、相手方を少しはなごませる工夫も必要だろう。これでは、ただ、けんかを大きくしようとしているだけと見られても仕方がない。「相手に恥をかかせ、やっつけてやった」ということで、あるいは気分がせいせいするかもしれないが、問題の解決には何の役にも立たない。

これが日本のエリート役人の流儀だとはとても思えない。指示はどのレベルの、誰から出ていたのか。

■文在寅大統領の発言内容
この問題はこの先、どう解決していけばいいのか。カギの一つが文在寅大統領の手に握られていることは間違いない。文大統領はそもそも何を考えているのか。

その文在寅大統領は715日、大統領府での首席秘書官・補佐官会議でこの問題について自ら語った。そこには日本政府に対する強い不信がある。その言い分の是非はともかくも、ここはいったん、その声を冷静に聞いてみることも必要だろう。
https://www1.president.go.kr/articles/6804
以下はその全訳である。(見出しは訳者が付けた)


青瓦台HP 首席秘書官・補佐官会議
■「過去」は、経済問題と別途

過去の問題は韓日関係において懐中のトゲのようなものです。ときどき、私たちを痛く突き刺します。しかしこれまで両国は、過去の問題は別途に管理しつつ、それによって経済、文化、外交、安保分野の協力が壊れないよう知恵を絞ってきました。

私もやはりこの間、過去の問題は過去の問題として知恵を絞って解決しながら、未来志向の関係発展のためにいっしょに協力していくべきだと強調してきました。日本が今回、これまでになく過去の問題を経済問題に絡ませてきたのは両国関係発展の歴史に逆行する、まったく賢明といえない仕打ちだという点をまず、指摘しておきます。

強制徴用被害者に対する大法院判決を履行する問題で、韓国政府は円満な外交的解決案を日本政府に示してきました。私たちが示した案が唯一の解決策だと主張したことはありません。両国民と被害者の共感が得られる合理的な案についていっしょに話し合ってみようというものでした。しかし日本政府は何らの外交的話し合いや努力もなく、一方的な措置を電撃的に取りました。日本政府は一方的な圧迫をしまい込み、いまからでも外交的解決の場に戻るよう望みます。

日本は当初、強制徴用に対する韓国大法院の判決を今回の措置の理由として掲げていたのに、個人と企業の間の民事判決を通商問題と結びつけることに国際社会の支持が得られないと分かると、韓国側に戦略物資の密搬出や対北制裁履行違反の疑惑があるかのように言葉を翻しました。

■朝鮮半島平和プロセスへの挑戦
私たちは4大国際輸出統制体制を模範的に履行するだけでなく、国連安保理決議を順守し、制裁の枠内で南北関係の発展と朝鮮半島平和に総力を挙げています。今回の日本側の措置は、そんな韓国政府に対する重大な挑戦です。

また、それは、韓国政府の努力を支持し朝鮮半島の平和プロセスに参加している国際社会の共同努力に対して不信を惹起するものでもあります。日本がそのような疑惑を実際に持っているのなら、友邦として韓国にまず問題提起をするなり、国際監視機構に問題提起をすればいいのであって、事前に一言もなく、いきなり疑惑を提起してきました。

今回、論争の過程で、むしろ日本の輸出統制の方に問題があったことが分かったりもしました。この点についてはもうこれ以上消耗的な論争をする必要はないと思います。日本が疑惑を撤回する考えがないなら、すでに韓国政府が提案したとおり、両国が共に国際機構の検証を受けて疑惑を晴らし、その結果にしたがえば済むことです。

■日本経済により大きな被害
韓国経済と日本経済は深く結びついています。国交正常化以後、両国は互いに助け合い、いっしょに経済を発展させてきました。とくに製造業分野は韓国が莫大な貿易収支の赤字を出しながらも国際分業秩序の中で部品・素材から完成品生産まで、全過程で緊密に連携していっしょに成長してきました。

今回の日本の輸出制限措置は相互依存と相互共生で半世紀にわたって蓄積してきた韓日経済協力の枠組みを壊すものです。私たちが日本政府の輸出制限措置を厳しく見ざるをえない理由はここにあります。

今回の日本の輸出制限措置は自国産業の被害を防ぐための通常的な保護貿易措置とは方法も目的も異なります。韓国は日本政府のこんどの措置が韓国経済の競争力の中核をなす半導体の素材への輸出制限で始まったという点に注目せざるを得ません。これは韓国経済がさらに一段階高い成長をめざそうとする時期に韓国経済の成長を妨げようとするものにほかなりません。

日本の意図がそこにあるのなら、決して成功はしないでしょう。韓国企業が一時的な困難に陥ることはありえますが、私たちは過去に何度か全国民の団結した力で経済危機を克服してきたように今回も困難に打ち勝っていくでしょう。

むしろ日本との製造業分業システムの信頼を壊し韓国企業が素材、部品、装備の日本依存から抜け出して輸入先を多角化したり国産化の道に進んだりすることでしょう。結局、日本企業により大きな被害が及ぶであろうことを警告しておきます。

■外交努力尽くし、企業を支援
韓国経済にあって今回のことを「禍を転じて福と為す」機会とするという政府の意志は確固不抜です。政府は外交的解決のためにあらゆる努力を尽くしますが、一方で、企業がこの状況に自信をもって対応していけるよう、いかなる支援も惜しみません。これまでに推進してきた経済体質改善のための努力にもいっそうの拍車をかけていきます。

私たちはどんなことがあってもこの状況を克服していきます。国民のみなさんも自信を持ち、企業が困難に打ち勝つことができるよう力を合わせてくださるようお願いします。

韓国の国力は多くの危機を克服しながら育ててきたものです。私たちは今よりももっと困難な挑戦に打ち勝ち、今日の大韓民国に到達しました。多くのヤマ場、兆戦に打ち勝ってここまで来られたのも常に国民の力のおかげでした。私と政府は一貫して国民の力を信じ、厳しい状況を乗り切っていきます。

国会、政界の党派を超えた協力もお願いします。いまの経済状況を厳しく見れば見るほど協力を急いでくださるものと切にお願いする次第です。それこそが政府と韓国企業が厳しい状況を克服できる最大の力となることでしょう。(波佐場 清訳)