第5章 光州の流血踏み台に大統領に
■文在寅の運命――留置場で弁護士への道つなぐ
1980年5月13日から学生デモが激しくなり、絶叫がソウルの街にこだました。
「全斗煥、申鉉碻 退陣しろ」
「戒厳令撤廃 民主主義を回復せよ」
この「ソウルの春」は咲ききれなかった。当時大学生で、のちに第19代大統領となる文在寅もまた、人生の岐路に立たされていた。大混乱の修羅場に巻き込まれ、危うく奈落の底へと突き落されるところだった。
▽司法試験受験後、街頭デモで逮捕
そのいきさつというのは、こうである。
ソウルの慶煕大学法学部の学生だった文在寅が、軍の空挺部隊(1975年の維新反対デモで強制入隊させられた)を除隊したあと、復学したのは80年3月。前年の1979年に司法試験の1次試験に合格し、復学後の1980年4月には第2次試験の受験も済ませていた。
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| 文在寅は1975年、「維新反対デモ」で強制入隊させられ、 空挺部隊で兵役に服した。 |
ところが、時まさに、「ソウルの春」。全斗煥退陣を叫ぶ学生デモは日を追って激しさを増し、文在寅は復学生の代表として5月15日、ソウル駅に結集した20万人のデモ隊の先頭に立つことになる。
そんななか、一人の青年が道端に放置されていたバスを運転、警察の阻止線を突破しようとしていて事故を起こし、戦闘警察隊員1人が死亡、4人にけがを負わせてしまった。あいにく、その運転者は、慶煕大生らが横断幕を掲げて陣を張っていた付近から飛び出していた。このシーンは学生デモの過激ぶり、暴力性、激烈さを示す典型例として、何度も繰り返し報道された。
文在寅は、現場写真を根拠に逮捕される。
戒厳布告令違反の容疑だった。バスを運転していた人物ではないことは明らかになったが、その運転者の行方は杳(よう)として知れず、身柄を確保できなかったために捜査はいつまでも長引いた。そのため、文在寅ら慶煕大の学生たちは軍法会議に直接送られず[戒厳令下では直ちに軍事裁判にかけられることが多かった]、ずっと警察の留置場に未決囚として勾留されていた。
そんな偶然が文在寅を救った。
▽留置場で「合格」聞く
司法試験の第2次試験に合格した、という知らせが留置場に飛び込んできたのである。朗報に沸き立つ慶煕大から学生処(部)長や法学部同窓会長らが留置場の中まで焼酎やつまみを持ち込んできて、祝い酒をふるまった。外泊まではさせてくれなかったものの、「考試合格者」[司法試験や国家公務員上級試験など難関国家試験の合格者。当時の韓国社会では圧倒的なステータスを持っていた]として、それほどの優遇を受けたのだった。
慶煕大で合格できたのは文在寅ともう一人の、合わせて2人だけだった。
▽大学挙げての救出運動
大学は総力を挙げて救出に乗り出した。
金点坤・大学院長(陸士1期)が戒厳司令部を訪ね歩いて救出運動をした。かれは朴正煕が尊敬した軍の大先輩だった。朝鮮戦争当時、平壌に一番乗りで攻め入った韓国軍の連隊長であり、中隊長時代には、朴正煕を配下の小隊長として従えていた。それで、全斗煥はじめ、維新政権の将官たちも仰ぎ見、一目置く人物だった。
その金点坤教授の救出への努力が実を結んだ。
「あの方のおかげで、合同捜査本部の取り調べも参考人扱いで済み、戒厳布告令違反もうやむやになって、釈放された。軍事裁判にかけられていたら、釈放は不可能だっただろう。合格も取り消されるか、第3次試験(面接)で不合格として処理されてしまっていただろう。幸いにも未決の状態だったので釈放の余地が生じ、弁護士の道を歩むことができた。ラッキーだった」(『運命 文在寅自伝』)
こうして司法試験の合格証を手にした文在寅は、のちに司法研修院[日本の司法研修所に相当]で、運命的な同志となる盧武鉉[のちに第16代大統領]と出会うことになる。朴元淳(のちにソウル市長)、朴時煥(大法院判事)、宋斗煥(憲法裁判事)、李貴男(法務部長官)、趙培淑(国会議員)、咸承熙(国会議員)らが研修院の同期だった。
▽ソウル駅大集会の同志たち
ソウル駅に20万人が結集した80年5月15日、慶煕大生文在寅と同じ空間に、ソウル大学の有名な雄弁家であった金富謙(のちに文在寅政権の国務総理、当時政治学科生)もいた。ソウル大の学生会長だった沈在哲(のちに4選国会議員となり、国会副議長も務めた)がその日の集会を指揮していたのだが、(軍が武力鎮圧してくるのを恐れて)ほどなく「自主解散」[一般に「ソウル駅回軍」と呼ばれている]を宣言した。しかし、いくら努力しても群衆を収拾できなくなり、沈在哲はマイクに向かって「金富謙先輩、どこにおられるのですか」と必死になって捜すありさまだった。
金富謙は77年、維新体制反対のデモを主導して緊急措置9号違反で拘束された。永登浦や安養の刑務所で収監生活を送り、大学からも除籍された。79年、富平の化学工場に偽装就職し、80年に復学。ソウル大の学生運動リーダーとしてデモの先頭に立っていた。しかし、このソウル駅集会の2日後、「5・17クーデター」による戒厳拡大に伴って布告令違反(「金大中内乱陰謀」)の関連者として拘束され、再び服役することになったのだった。
訳:波佐場 清

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