2026年6月20日土曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(31)

  「革命は銃剣でやるものだ」

1980517日午後遅く、落ち着かない気分でソウル三清洞の総理公邸にいた申鉉碻総理を、国防部長官の周永福と戒厳司令官の李熺性が訪ねていった。

「総理、デモがひどくなり、もう手の施しようがありません。ですから、どうぞ全国戒厳を宣布してください。そして国会を解散してください。それから、国家保衛非常対策委員会のようなものを新たに設けるよう、国務会議で議決してください」

▽総理の拒否と、大統領の優柔不断

申鉉碻の証言――

「国家保衛非常対策委員会? それって何なんだと聞くと、『これこれ、こういう組織(非常措置として行政府に代わる機関)で、これこれ、こういうことをするためのものなので、決裁してください』と。それでわたしは『どういうことだ、これは革命ではないのか。革命を、決裁をもらってからやる者がどこにいるというんだ、革命は銃剣でやるものだろう』と

申鉉碻は声を荒げて拒否した。申は、こう回顧している。

 「わたしには、できない。非常戒厳の全国拡大は、秩序が乱れているのでやむを得ないとしても、国会の解散、そして政府があるというのに、また、もう一つ別の政府のような国保委ってそれ、何のことだ? 押し問答の末、これは国務総理が決裁する問題ではない、大統領のところへ行こう、と。それで崔圭夏氏のところへ行ったんだ。しかし、決着などつくものか。わたしは決裁なんかできない、と。それでまた、押し問答だ……

崔圭夏は、そこでも毅然とした態度をとることができなかった、と申鉉碻は振り返った。

「あの場でも崔圭夏氏は、わたしが反対するものだから、何も言わなかったよ。ただ、『申総理がそうおっしゃるのであれば』と言う程度で、きっぱりと拒絶もしない。わたしは、『できない』と、きっぱりとそう言った。崔圭夏氏と息が合わないことにはいっしょにやれない。それで、わたしは総理を辞めると言ったんだ」

5人の会合と、新軍部の焦り

 一日がもう暮れていこうとしており、全斗煥と新軍部は焦っていた。

     801月、陸軍会館の行事で歓談する(左から)李熺性戒厳司令官、周永福国防部長官、
金鍾泌共和党総裁。
4カ月後、金鍾泌は「不正蓄財」で新軍部に逮捕された。

 青瓦台での5人の会合[崔圭夏大統領、申鉉碻総理、周永福国防部長官、李熺性戒厳司令官のほか、途中から全斗煥保安司令官も加わっていた]も時間が過ぎていった。深夜の臨時国務会議でも開いて戒厳令の全国拡大を決め、シナリオ通りに反対勢力一掃の作戦を展開しなければならないというのに、時間ばかりが経っていく。

 すでに金大中逮捕、金鍾泌連行といったシナリオに沿って兵力の配置がなされ、地下の取り調べ室まで用意しているというのに、突撃のサインを出せないまま、秒針だけがコチコチと時を刻んでいる。

 保安司令部は前日の16日のうちに、すでに全軍の保安部隊捜査課長会議を招集し、17日の非常戒厳全国拡大と同時に検挙する800余人のリストを通報済みだった。罠を幾重にも完璧に仕掛けてあり、今はもう、ショットガン(散弾銃)方式で一斉突撃を待つばかりだ。急を要している。

 ▽「戒厳拡大」へ深夜の国務会議

 情勢に狂いが生じて壁にぶつかると、周永福と李熺性は、戒厳令の全国拡大だけでも実施すべきだと主張した。

 一歩、引き下がろうというのである。北朝鮮のただならぬ動きがどうのこうのと並べたてながら、こう言った。

「あす、あさっての5月20日になると、梨花女子大に全国の学生代表が集まってきて一斉に決起大会を開くことになっています。戒厳令の全国拡大はやらざるを得ないのではないですか」

申鉉碻の証言は、続く。

「まあ、いいだろう。それは認めよう。しかし、あとのこと(国保委設置)はだめだ。非常戒厳の全国拡大は国務会議で議決しよう。そうしておいて、わたしは総理を辞める、と……。わたしの力不足と不徳から、こういうことになったのだから、総理は辞める。閣僚たち全員の辞任までは強要するつもりはない、と言ったんだ」

結局、戒厳令の全国拡大だけで、ひとまず決着をみた。さあ、国務会議に移ろう――。

▽首席秘書官の抵抗

 深夜の国務会議で議決することが確定した。

 大統領と総理が屈服し、全斗煥、周永福、李熺性は、青瓦台を後にした。

すると間もなく、崔侊洙秘書室長が首席秘書官会議を招集した。

 「全軍主要指揮官会議の進言により、非常戒厳令を全国に拡大することにしました」

 朴正煕大統領が暗殺された「1026事件」のあと発せられてきた戒厳令は、済州島を除外した「地域戒厳」にとどまっていた。これを「全国戒厳」にするということは、軍が行政、司法も握る全面的な軍政への移行を意味した。それは、青瓦台が高建・政務首席秘書官を中心に求めてきていたものとは、まるっきり違っていた。

 崔秘書室長は「それでも、国保委なるものをつくろうという軍部の要求はひとまず、保留にさせた」としながら、高建に言った。

 「非常戒厳令の全国拡大を議決する臨時国務会議を午後9時から開くので出席しなさい」

 国務会議には首席秘書官ではなく、その下にいる一般の秘書官が出席するのが通例だ。ところが異例にも、政務首席に出席しろという。それは、青瓦台にたいして非常戒厳令の全国拡大を追認しろ、という意味なのか。高建は腹の底から激しい怒りがこみ上げてきた。

 「わたしがどうして、そこに出ないといけないのですか」

 ▽「情報部長兼任さえ辞めれば…」

 突然の大声に、みな驚いた様子だった。すると、李経植・経済首席秘書官がその場をなだめようとするように、ぽつりと言った。

 「全斗煥・保安司令官が中央情報部長の兼任を降りさえすれば、すべてがうまく収まることなのに…」

大ごとになる発言だったが、崔侊洙をはじめ青瓦台の文官スタッフたちの本心がそこに表われていた。

新軍部と全斗煥はあまりにもひどすぎる、という抗議――。だれかに聞かれでもしたら大変だとばかりに、崔室長はあわててその場をおさめにかかった。政務首席秘書官の高建にたいして「なら、政務のほうで、一般の秘書官だけでも出席させなさい」と言って引き下がった。こうして、国務会議の盛り立て役として金有厚秘書官(のちに法務次官)がそこに向かうことになった。

▽厳戒のなかで議決、そして内閣総辞職

 午後1010分、国務会議が始まった。

中央庁(政府総合庁舎)の廊下には、着剣した銃を構えた兵士らが整列していた。外部との通信回線はすべて切断され、さらには内線の警備電話までもが遮断されていた。国務委員(閣僚)以外の立ち入りは一切許されず、職員らの出入りさえ禁止された。

全国に戒厳令を拡大する案件は、10分足らずで議決された。

深夜に国務会議が開かれた中央庁(旧朝鮮総督府庁舎)=1980517日午後930

総理の申鉉碻は辞意を表明した。申の回顧談――

 「各自、意見を出すことにしよう、副総理から一人ずつ、順番に意見を述べてください、とそう言ったんだ。すると、順々に全員が辞めたいと、そう言うんだ。(大統領から)『辞めろ』と言われたから、ということではなく、内閣が自ら進んで総辞職を決めたのは、歴史上この1回だけだっただろうな。後になって崔圭夏氏が『こんな危機の時に、どうしてこんなことをなさるのですか』と引き止め、さらには軍部からも引き止められた。全斗煥も『どうして、こんなことをなさるのですか。これで、どうやって、やっていけるというのですか』と。それでもわたしは、もうやれないと答えたんだ。そうして、ついには総辞職ということになったんだ」

午後1140分、政府スポークスマンであり、文化公報部長官の李揆現が、そのことを発表した。

                       訳:波佐場 清

0 件のコメント:

コメントを投稿