■「いっしょに退陣しよう」
長い、実に長い一日だった。
新軍部にとっても、過渡政権にとっても、そして暴力に呑み込まれ、流されていった政治家たちにとっても、ほんとうに長く、緊迫した24時間――歴史に、そう記録されている。
▽最後の逆転画策
国務総理の申鉉碻は、新軍部のむき出しの権力欲に対抗して最後の逆転を試みた。
1980年5月17日朝、青瓦台に赴き、崔圭夏大統領とともに壮烈に一蓮托生の「心中退陣」をしよう、と提案した。武力で反対勢力を一掃しようとする新軍部にたいする最後の一手、大統領と国務総理の「心中退陣」宣言で衝撃を与え、情勢をひっくり返そうというのだった。
一種、政治的「投身自殺」である。
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| 新軍部への対応で対立した申鉉碻総理(左)と崔圭夏大統領 |
崔大統領にたいして「わたしたちが死後も永遠に生きる(名誉を保つ)には、ここは、いっしょに退陣するほかありません」と説いた。
「軍部が出て来るつもりなら、民政の(過渡)政権を倒し、踏みつけていってみろ」
大統領と国務総理がいっしょに退陣すれば、新軍部の登場は不法なものとなる。
まさに、大胆な逆転の発想だった。
横暴な新軍部の腕力に抵抗する過渡政権の最後のカード、乾坤一擲の勝負だった。死即生――死ぬつもりで絶壁から身を投じれば、軍人らはどう出るか。奴らが死にもの狂いで挑んでくるように、われわれ文民の方もどっちみち死ぬのなら、どんな死に方をしようと同じではないか、という覚悟でやるべきだ。
▽国の責任者の器
「崔大統領に言ったんだ。『あなたが引き続き大統領のイスにしがみついてばかりいたら、生きていたとしても、それは死んだも同然のことだ。それは軍の登場を合法化してやるだけだ』とまで言ってやったんだが、大統領は首を縦に振らなかった。結局、新軍部におんぶされて生き残る道を選んだのだ」(申鉉碻の証言)
それで、申鉉碻は5月17日朝のことを振り返っては、よく、「崔圭夏氏は民政に移管するとの公約を裏切った男だ」と批判していた。
「崔圭夏氏は国の責任者になるような器ではなかった。全斗煥はそんな崔大統領を利用したのだ」(申鉉碻)
いざ、乾坤一擲というときに、勝負の一手に打って出たのは逆に、全斗煥一派の方だったのである。
▽第2次クーデターの幕開け
5月17日午前10時、新軍部の「12・12反乱」につづく第2次の静かなクーデターが幕を開ける(政治学者たちは、全斗煥らの新軍部は79年の「12・12クーデター」と80年の「5・17クーデター」の2段階のクーデター<Two-phased coup d’etat>を経て権力を奪取したとする)。
国防部の第1会議室で、全軍主要指揮官会議が開かれた。シナリオ通りに、国防部長官の周永福、合同参謀本部議長の柳炳賢をはじめとする出席者らが着席した。
李熺性、陳鍾埰、尹誠敏、黄永時、車圭憲、盧泰愚、鄭鎬溶、朴俊炳といった実力者たちの硬い表情が見えた。ほかに、金潤鎬、尹興正、金洪基、金相台、崔永九、崔永植、全成覚、姜英植、朴魯栄、安鍾勲、鄭鉉澤、具得賢、金鍾淑、権翊倹、全昌禄、金鍾坤、李鍾浩、丁元民、金正浩、李銀秀、李相海、崔岐徳、崔重夏、尹子重、李熺根、金容洙、金仁基らの将官が、重苦しい表情で席に着いた。
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| 「5・17クーデター」当日の午前、国防部で開かれた全軍主要指揮官会議 |
だれもがみな、全斗煥一味が何を企んでいるかは予感できていた。
▽新軍部のシナリオ
これに先立ち、国防部長官の周永福には、朝早くに保安司令部処長の権正達を通して全斗煥(中央情報部長兼保安司令官)ら新軍部が描くシナリオが通知されていた。国務会議(閣議)にたいして①戒厳令の全国拡大②国会解散③「国家保衛非常対策委員会(国保委)」の設置――を議決するよう迫る、というものだった。加えて、その国務会議での議論も形だけのものとし、白紙委任の署名だけをもらう、という筋書きだった。
周永福は、同じ国防部庁舎にいた合同参謀本部議長の柳炳賢を呼んで、これを通報するとともに根回しを試みた。
▽憲法破壊
ところが、柳炳賢議長は細かな点についてまで、しつこく問い詰めてきた。
「それは崔圭夏大統領の意志なのか、申鉉碻総理の指示なのか。それとも、周永福長官、あなた独りの個人的な発想なのか?」
しかし周永福は、ぐにゅぐにゅと言葉を濁し、答えをはぐらかした。
明確に答える代わりに、保安司令部の指針通りに、ひたすら「学生デモなど国内の混乱を収拾するためには国会の解散が必要だ。そして、国会に代わる非常機関をつくらなければならない。それを法的に裏付けるには戒厳令を全国に拡大する必要がある」という言葉を繰り返すばかりだった。
柳炳賢議長は、崔大統領に随行して中東を歴訪し、前夜に帰国したばかりだったが、全斗煥一味のやり口をすでに見抜いていた。
傀儡に過ぎない国防長官の周永福にたいして柳議長はこう言った。
「国会解散の決議などすれば、会議の主宰者であるあなたは後日、憲法を破壊したという憲法違反の罪を追及されることになる。歴史に汚点を残してはならない。非常統治機構(国保委)を進言するのも軍の権限を越えている」
▽厳重警戒
柳炳賢の警告があったにもかかわらず、周永福は躊躇しているわけにはいかなかった。部屋を出た。
一刻も早く、シナリオ通りに全軍主要指揮官会議を主宰しなければならない……。
国防部の会議場周辺は、殺気立っていた。
新軍部の実力者たちが命懸けで「12・12反乱」に続くクーデターの第2ラウンドを繰り広げている真っ最中なのだ。保安司令部と憲兵隊の要員らが辺りにびっしりと張り付いていた。将官たちさえ、その殺伐とした雰囲気に思わず身をすくめるほどだった。
▽反対意見
周永福長官は、将官らに向かって言った。
「本日の戒厳令拡大の進言は、国務会議の議決を経ることになる。そうして合法化されれば、政治風土を刷新し、政界の問題人物どもを完全に排除しなければならない」という趣旨のものだった。これは反対勢力の一掃に初めて触れた発言だった。
安鍾勲将軍(軍需基地司令官)が発言した。
この人物は、もともと鄭昇和参謀総長の側近だった。「12・12反乱」当時、かれの副官将校だった柳仁相・嘉泉大教授によると、あの夜、安鍾勲は配下の将官を非常招集し、決然とした表情で「クーデター軍に協力するな。わたしの指示だけに従え」と、鄭参謀総長の側に忠誠を誓うよう強いた。しかし今、鄭総長が罪人となってしまった以上、彼も敗軍の将の一人に過ぎず、辛うじて首がつながっているだけという状態だった。それでも、言うべきことは言わなければならない。
「わが軍が政治に直接介入するのは、重大な問題だ。国民全体の世論がこうなのか? 全国民がそうだとは思えない。国民的な合意と全体の意思統一が必要だ。会議をこのようなかたちで開くのは問題だ。対策を講じるための会議といいながら、前もってあらかじめ結論を出しておいて、それに合わせて開く会議なんぞ、何の意味があるというのか」
▽「軍が政治を助けるべき」
全斗煥の盟友、特戦司令官の鄭鎬溶が反論した。
「国民のだれにいちいち聞いて回って、そんなことを言っているんだ。ここでは、各自の考えだけを述べればいいんだ。国民の大多数は、非常戒厳を支持している。あす、あさって(5月20日)国会が開かれると、国を誤った方向に導くような動きが多くなる。学生たちの過激なデモで国が案じられる今、非常対策機関を設けることが求められている」
首都警備司令官の盧泰愚もこのシナリオに加勢した。
「政治は完全に信頼を失っている。政府の力が及ばないのなら、軍が出て助けてやるべきだ。大学街は無政府状態だ。わが軍が政府を助けるべきときがきた。企業家らも国のことを心配し、訴えている。生存と安定のために、国民が望む通りに障害要素を取り除くべきだ」
▽白紙委任
盧泰愚や鄭鎬溶がどれほど大きな力を持つ実力者であるか、将官たちにはよく分かっていた。シナリオをつくっておいて、その通りにやろうとしているところへ、いったい何ができるというのか。大勢に従うのが軍隊というものではないのか。
反論していた安鍾勲も、もう何も言えなくなった。意気消沈した安鍾勲を見て周永福は止めを刺すように「異議はないか」と質し、署名を取り始めた。周長官が回す白紙に将官たち全員が署名をした。
中身を知る必要すらない「問答無用」の白紙委任――。
それまで反対していた柳炳賢や安鍾勲も署名した。さらには崔圭夏大統領の実弟、崔重夏将軍(海軍第5海域司令官)までもが署名に応じた。
「その日の全軍主要指揮官会議は、軍を去る覚悟なしには、反対意見など、とても言い出せないような雰囲気だった」と第3軍司令官の全成覚は、記録に残している。
▽「如意棒」
この白紙署名(進言書)の威力は、想像を超えた。
全軍主要指揮官会議の「白紙委任」は、崔圭夏大統領と申鉉碻総理を締め上げ、米国を脅して新軍部の側に引き込む「白紙小切手」となった。大統領や総理の前で言葉に窮すれば、「北朝鮮の脅威や社会混乱に対処する大韓民国軍部の一致団結した意思だ」と、この決議文を突きつければ、それまでだった。米国にたいしてもこれを突きつけて自分たちの行動を合理化した。それは、保安司令部のとんでもない「如意棒」となった。
反乱軍の作戦は用意周到だった。
全斗煥は、国防部の主要指揮官会議とまったく同時刻の午前10時、崔圭夏大統領と会うために青瓦台に上がっていった。国防部の将官らの決議のほうは周永福、鄭鎬溶、盧泰愚に任せ、全斗煥本人は崔大統領を動かして裁可を受け、反対勢力一掃の土台固めをしようというのであった。
▽「革命は5・16だけでいい」
しかし、崔圭夏も一筋縄ではいかなかった。
戒厳令の全国拡大は、内閣の機能停止を意味した。その間の地域戒厳令(済州島を除外していた)の下では、指揮系統は「大統領-国防部長官-戒厳司令官」だった。それが全国戒厳となると、国防部長官は姿を消し、戒厳司令官が国家権力を事実上掌握することになる。傀儡(大統領)一人だけを意のままに操れば、それで済むということになるのだ。それだけでも許しがたいことだが、その上さらに国会まで解散し、「革命評議会」(許三守の表現)のような国保委をつくるというのは、あまりにもひどすぎるではないか。「憲政の中断はいけない」と崔大統領は抵抗した。
崔大統領は「革命は5・16ひとつでたくさんだ。軍の名誉のためにも二度と憲政中断が繰り返されてはならない」と全斗煥に言った。
▽「総理のところに行こう」
崔圭夏は5カ月前の「12・12クーデター」の際、「陸軍参謀総長を逮捕したいなら、国防部長官の裁可をもらって来い」と言い放ったときと同じように、手続き論を説いて拒否した。「全軍主要指揮官会議の進言は、大統領が裁可することがらではない。国務会議の方で確認してみろ」と申鉉碻総理に下駄を預けた。
「総理のところへ行こう」
すでに午後6時ごろになっていた。
全斗煥は抜け、国防長官の周永福と戒厳司令官の李熺性が、指揮官会議の決議書(白紙に署名だけをもらい、保安司令官が細部を書き入れたもの)を持って申鉉碻総理のとこへ行った。
しかし、申総理も甘くはなかった。
訳:波佐場 清


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