2026年6月2日火曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(25)

 第4章 「死即生」に、崔圭夏「ノー」

 情報部の予算120億ウォン

 19804月初旬、全斗煥を担ぎ上げる動きが本格化していたある日、青瓦台の秘書室長、崔侊洙が首席秘書官会議で、こう問いかけた。

 「全斗煥保安司令官が中央情報部長を兼任したいと要請してきているが、意見を聞きたい」

 ▽保安司令官と中央情報部長の兼任

 情報機関と権力機関は互いに牽制し合うべきものだというのが常識なのに、それを一手に握ろうというのか。まして現役軍人(将官)の情報部長兼任は、法のうえからも制限されている。政務首席秘書官の高建は、きっぱりと言い切った。

 「法的に許されません」

 ほかの首席秘書官らの意見も似たようなものだった。もちろん、崔侊洙室長がそんなわかり切ったことを知らずにいたはずがない。

 軍のトップも反対論

崔侊洙は、戒厳司令官[陸軍参謀総長が兼務]の李熺性に「内密に相談したいことがある」と連絡をとった。

「全斗煥保安司令官(合同捜査本部長)が、空席になっている中央情報部長を兼任したい旨を大統領閣下に進言されました。どう思われますか」

李熺性は初めて聞く話に驚いた。

そうでなくとも、少将の全斗煥が中将に昇進させてほしいと言うので苦労させられていた。また、全斗煥の「お出まし」時には、まるで大統領にでもなったかのように警護隊を派手に連れ回すのにも神経をとがらせていたところだった。断固とした口調で、きっぱりと反対した。

 「二つの情報機関を一人の人間が兼任し、一手に握るのは不適切です」

 801月、新しい年が明けてからというもの、少将だった全斗煥は、中将の階級章を付けたがった。実権に見合った権勢をふるいたかったのである。言いなりになっている周永福・国防部長官や趙文煥次官を前面に押し立てて中将への進級をしつこく迫った。

 国防部長官と次官が戒厳司令官の李熺性を説得したが、断わられた。「名分の立たない進級はなりません。第1師団長を終えてから、まだ1年にもなりません。軍全体のバランスがとれないではないですか。いくら保安から捜査、情報までを統括する業務を担っていることを名分にしているからといって、少将であれば、それで十分であり、中将に補するのは時期尚早です」

 李熺性としては他の将官たちの厳しい視線も意識せざるを得ない。

 ▽お手盛り昇進

 陸軍のトップとしては、最低限の服務期間も満たしておらず、戦時や非常事態でもないのに、特別な功績もない者を異例のスピードで昇進させるわけにはいかない。公平性の問題だ。参謀総長のメンツの問題でもある。他の将官たちに申し訳も立たない。

 焦った全斗煥は、自ら李熺性のもとへ訪ねていって、しつこく迫ったが、李熺性は、はねつけた。そのように2度、3度と、がんばったものの、限界があった。全斗煥はあちこちを突き回し、とうとう31日、「お手盛り中将」の座に登りついたのである。

「お飾り司令官」(のちの金泳三政権下での「1212反乱」に関する取り調べで、検事は李熺性のことをそうに呼んで追及した)は結局、無気力だった。

▽「やめておきなさい」

全斗煥は、情報部長兼任にたいする反対は初めから予想していた。

反対する李熺性や青瓦台首席秘書官らを差し置き、全斗煥は申鉉碻総理のもとを訪ねていた。きまりの悪い話だが、かれは、そんなことは意に介しない。

「どうあっても(中央情報部長を)兼任しなければならない状況なので、了解願います」

申総理は答えた。

「第一に、この件はわたしの所管ではない。大統領直属機関の人事なので、国務総理が受け持つところではない。わたしに了解を求める必要などない。大統領が一存で決めることなのだ」

そう言って、全斗煥の頼みをきっぱりと断った。

「第二に、(わたしの所管ではないが)わたしをわざわざ訪ねてきて話をしてくれたのだから、答えは出そう。やめておきなさい。わたしは崔大統領にも兼任を認めないように、と言っておきました」

全斗煥はあらかじめ用意してきた通り、「重要な情報機関である中央情報部の空白があまりにも長くなって」などと言いながら兼任させてほしいと頼んだ。もちろん、国保委(国家保衛非常対策委員会)や政党を新たにつくるための資金を中央情報部の予算から流用するつもりだ、といったことには一切触れずに、せがんだ。

申総理は首を横に振った。

「あなたの言うことに一理があるとしても、あなた自身のためにも、また国家のためにもそうしないほうがいい。マイナス要因だ」

▽崔圭夏大統領が承認

ところが、1週間後に兼任の発令が出た。

崔圭夏大統領が認めたのである。

保安司令官の全斗煥(左端)は中央情報部長を兼任し、同部幹部らに任命状を手渡した=198054

 
 それどころか、法的な制限の隙間を突き、中央情報部長「代理」というおまけまで付けてやった。全斗煥は、ついに414日、中央情報部長兼任の発令を受けた。

朝日新聞など海外のメディアは「全斗煥が権力トップの座を掌握した」と解説した。まさに、岡目八目である。

▽予算流用

新軍部が狙っていた通り、中央情報部の予算から国保委の創設や運営の名目で100億ウォン、保安司令官室用に20億ウォンをそれぞれ引き出して使った。

兼任の発令を受けて全斗煥が中央情報部の予算から流用した120億ウォンは、情報部の年間予算の15%に相当する額だった。

 「5・16軍事政権」の産婆役を担った金鍾泌は、中央情報部を通して共和党結成の資金をつくった。それから20年近くを経て「517クーデター」を起こした新軍部は、その中央情報部の最後の予算を国保委づくりの資金として流用したのである。2大クーデター政権の、まさに首尾相関の姿といえるのではないか。

いま、全斗煥は両翼を得た。

 2大情報機関を掌握したその威勢を駆っていよいよ、政権奪取へと乗り出していくのである。

                          訳:波佐場 清

 

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