■崔圭夏の退陣
崔圭夏大統領の下野(1980年8月18日)には秘められたエピソードがある。
盧泰愚は、実権をつかみ取った盟友全斗煥の「戴冠式」に向けて何か一仕事をしておかなければならなかった。それで、総理を辞めた申鉉碻に、崔圭夏が下野するよう働きかけてほしい、とそれとなく頼んでみた。
「総理、この非常時にあって崔大統領のままでは到底、やっていけません。難しいでしょうが、申総理のほうから、そのことを崔大統領にうまく伝えていただけたら、助かるのですが…」(盧泰愚)
きっぱり、断わられてしまった。
「分からん人たちだ。わたしが5月17日に、あれだけいっしょに退陣しようと説得しても辞めなかった人だ。いま、どうやって辞めさせろというんだ」(申鉉碻)
申鉉碻が一喝したため、盧泰愚は顔も上げられないまま引き下がってしまった、という。
▽金貞烈の登場
それなら、だれに頼めば、この猫の首に鈴を付けることができるというのか。ここで、金貞烈(空軍参謀総長や国防部長官を歴任。1987年、全斗煥政権最後の国務総理)というカードが浮上してきた。
金貞烈は、全斗煥や盧泰愚らと陸士同期11期の閔錫源が早くに退役し、建設会社「正友開発」を立ち上げて社長となった際、同社の会長になっていた経緯があり、陸士11期の者たちと親しく付き合ってきていた。金貞烈は日本の統治時代、崔圭夏といっしょに京畿高等普通学校[ソウルの名門京畿高校の前身]で学んだ同期生であり、留学先の東京でもそれぞれ陸軍士官学校(金貞烈は日本陸士15期)と東京高等師範学校[筑波大学の前身](崔圭夏)の生徒として親交を深めた関係だった。
▽李承晩、そして崔圭夏…
崔圭夏の首に鈴を付けてほしい、という難しい依頼に、金貞烈は言った。
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| 崔圭夏大統領は新軍部に退陣を迫られ、青瓦台を去った |
「わたしの運命の巡り合わせも数奇なものだな。あれから、もう20年にもなるのか…。わたしが李承晩の下野に際してそれを進言したのだが、今また、同じように青瓦台に入っていって崔圭夏大統領に下野しろと言え、というのか」
1960年4月26日、あの李承晩下野の瞬間を、金貞烈は記録に残している。
「国防部長官として、景武台[当時の大統領官邸。現・青瓦台]に入っていった。外部のことを知らない李承晩にたいして緊迫した状況について報告した。大統領は深刻な表情で『きょうは一人もけがをしてはいけない。どうしたいいのか』と聞いたが、わたしは黙ったままでいた。すると、大統領は『おまえの考えでは、わたしが辞めたら、もう一人のけが人も出ない、ということなんだろうな』と言った。夢にも思わなかった重大事なので驚き、答えに窮して立ち尽くしていると、大統領は重ねて同じことを聞いてきたが、わたしはただ、頭を深く下げるばかりだった。『そうか、そうしよう。このこと(下野)を速やかに人びとに知らせるんだ』」
▽5時間余の説得
戒厳令を全国に広め、反対勢力の一掃に動いた「5・17クーデター」に関する検察の捜査結果によると、金貞烈氏は1980年7月30日に青瓦台を訪れ、崔圭夏大統領と5時間にわたる談判の末に下野に追い込んだことになっている。
その日、金貞烈は青瓦台本館1階の大統領執務室で、義兄弟のように付き合ってきた崔圭夏大統領と向き合って座った。まだ日の明るい午後6時に始まった対話は、午後9時の夕食で終わるかと思いきや、大接見室から小接見室、書斎などを行き来しながら午後11時が過ぎるまで、なんと5時間以上にわたった。
崔圭夏はあっさりとは身を引かなかった。
▽2度にわたる説得
その後何日かして申鉉碻は、長年の親友である金貞烈の訪問を受けた。
2人はかつて、自由党政権(李承晩政権)でいっしょに長官を務めた大の親友であり、しょっちゅう囲碁も打つ間柄だった。そんななかで実は、金貞烈が崔大統領のもとを訪れたのは1度ではなく2度にわたっていたことが分かった。申鉉碻の証言――。
「金貞烈氏が、わたしに言うんだ。新軍部の人間がやって来て『崔圭夏大統領に退陣を勧告する役を引き受けてほしい』というものだから、崔圭夏のところへ行ったというんだ。崔氏にそのことを話すと、崔氏は最初、『何を言うんだ』と…。『軍部がわたしを支持しているのに、どうしてわたしが辞めなければならないのか』と。それでもう1度行った、というんだ。そうしてようやく辞任することになったと…」
崔大統領のもとを2度目に訪れた際には、「名誉ある退陣をして穏やかに余生を過ごされるか。それとも、不名誉な退陣で、不幸な余生を送られますか」と迫ったという。
▽下野声明
崔圭夏大統領のスポークスマンだった徐基源(小説家、記者出身)のメモ――。
「(1980年)7月30日、金貞烈氏が青瓦台本館に来ていった。その後、大統領は雪岳山(江原道)へ行かれ、8月3日、帰京。大統領の選択肢は狭まり、窮地に陥っているのだろう。
8月6日、全斗煥将軍に四つ星(大将)の階級を授与。KBSテレビのスポット広告では『新時代、新しい波に、みんなで合流しよう』というCMが流れている。率直な表現だ。もう、記者たちの間では『大統領の辞任の日程が前倒しされる』という噂が広がっている」
8月12日、MBCテレビで全斗煥将軍のインタビュー(聞き手:李振羲・京郷新聞社長)を放送。
「過渡期は早く終わるべきだ。政治日程は前倒しされるだろう。80年代に民主、福祉、正義社会を実現」というのが主な内容だった。
崔圭夏の下野声明を、金大中の裁判日程と重ならないよう2日間延期。
8月15日、光復節の行事で会った金潤煥議員(維新政友会)が、徐基源に声をかけてきた。
「明日、発表されるんだそうで…。この間、ご苦労さん」
徐基源はただ、ニヤリと笑って済ませた。
8月18日、下野。崔圭夏大統領は、青瓦台を去って行った。
訳:波佐場 清






