2026年3月26日木曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(3)

 ■車智澈への牽制役

 車智澈には金鍾泌が言っていたように、どこか「間抜け」のようなところがあった。そんな人物を晩年に重用した朴大統領も判断力が鈍っていた、と申鉉碻(当時の副総理)は酷評している。

 1977年、文洪球首都軍団長が警護室長の車智澈に、かしづいていた時のことだ。

 ▽「青瓦台を網で覆え」

 車が、文将軍はじめ警護室幹部らを集合させておいて、一席、こんな訓示を垂れた。

 「北朝鮮の空からの浸透は、休戦ラインからの風を利用すれば、パラシュートで青瓦台本館の屋上に降り立つことも可能だ。よって、本館全体を昌慶苑(動物園)の鳥類保護網のように覆う計画をつくれ」

 文は、ためらいながら反論した。

 「ほかの方法ならいざ知らず、本館全体に網をかぶせるというのは、ちょっと難しいと思います。国民の家は放っておいて、いくら差し迫った事情があるからといって、大統領の家だけをあんなふうにするのか、と言われたら、何と答えたらいいのでしょうか。青瓦台は、外国の元首や外交官がしょっちゅう出入りするところでもありますし…」

 車智澈はそれでも、まともに聞こうとせず、ほかの将官に任せたが、結局のところ、とんでもない発想であったため、うやむやになった。

 ▽90度の礼

 文洪球の回顧は続く。

76年に初めて警護室に入ると、車智澈が室長だった。車に会うと、専属の副官を呼んだ。その時、副官は90度に深く腰を折って礼をした。「まるで天皇陛下にでもしていたような最高の礼だ」と旧日本軍で訓練を受けていた文は思った。車は、こう言った。

「われわれ警護室の人間は全員、あのようにしなければなりません。文将軍もあのように室長に礼をすべきです」

警護室の要員には、ドイツのナチ親衛隊の服装に似た制服を着させていた。そうして迎賓館の大ホールに整列させ、大統領に忠誠を誓う杯を挙げるのだった。

「車智澈が朗々とした声で大統領万歳の音頭を取り、『命をかけて閣下を守る』というスローガンを声の限りに叫ぶ。その様子は真面目なようでもあり、また、見ようによっては偽善のようにも見えた。そんなことを言っておきながらも1026の大統領暗殺現場ではトイレに逃げ込んだ車智澈のではなかったのか」(文洪球回顧録)

▽非難の的

そのころの車智徹の振る舞いのひどさは、まったく目に余り、非難の的となっていた。

青瓦台の秘書室では、午前7時半に首席秘書官会議が始まり、8時~8時半の間に秘書室長がその内容をまとめて大統領に報告していた。報告案件で説明が必要なときは、担当の首席秘書官が秘書室長についていく。ある日、政務首席秘書官の高建が金桂元秘書室長のあとについて朴大統領の執務室に入った。

 そこに警護室長の車智徹が先に、来ていた。

 警護上の緊急の懸案など、あろうはずもないだろうに、車智澈は譲ることもなく、後ろ手に組んだまま立っていた。大尉出身の警護室長が、特別に急ぐこともない報告を、陸軍大将出身の秘書室長金桂元に譲らないというのか? 1026の大統領暗殺事件が起きると、青瓦台の内外あちこちから「車智澈の奴(やつ)、とうとう、やらかしてしまったな」との陰口が聞かれた(高建の証言)。

 車智澈は口のきき方も横柄だった。

 ▽「老いぼれ、死んでしまえ」

 国会議長の白斗鎮(190893)は車智澈より26歳も年上だったが、部下のように扱った(実際、白斗鎮は国会で車智澈系だったとする記録は多い)。金桂元79年に合同捜査本部でおこなった陳述の記録にも車智澈の図に乗った言動のことが出てくる。

 79620日――つまり、1026の約4カ月前のことだ。

 朴正煕大統領は、ソウルを訪れた日本の福田赳夫元首相と京畿道・器興の冠岳ゴルフ場(現在のリベラ・カントリークラブ)でゴルフをした。そこに金桂元、車智澈白斗鎮もいっしょに加わった。プレーの後、風呂に入ったのだが、シャワー室の数が少なく、最初に入った白斗鎮を裸のままで待っていた車智澈が、たまりかねて、言い放った。

 「おい、早く出ろよ。老いぼれは、さっさと死ぬべきだ」(車智澈)

 「申し訳ありません」(白斗鎮)

77年ごろ、国防部長官の盧載鉉は、首都軍団長の文洪球を呼んで慨嘆した。

 「車智澈は最近、あまりにも我儘(わがまま)が過ぎる。どう思いますか。このようなこと、大統領閣下はご存知なのでしょうか」

朴正煕政権最後の国防長官盧載鉉(左)と朴大統領=19793

そんな盧載鉉の鬱憤を見ていた青瓦台作戦次長補の盧泰愚も回顧録の中で「盧載鉉長官は、車智澈室長が軍に干渉するのを苦々しく思っていたし、車室長は、金載圭情報部長とは昔から関係がよくなかった」と書いている。

 ▽「抑え役」全斗煥

 国防長官の盧載鉉は、全斗煥少将は自分の味方であると確信していた。

 全斗煥が保安司令官になれば、車智澈室長を牽制できるとみていた。そんなところへ、情報部長の金載圭と秘書室長の金桂元は、盧載鉉と「グル」ではなかったにせよ、車智澈には、ほとほと愛想をつかしていた(実際のところは、保安司令官の後任として金載圭は首都軍団長の文洪球(中将)を、車智澈は警護室次長の李在田(中将)を、それぞれ密かに望んでいたと盧載鉉は後日、全斗煥に話している)。

 車智澈を抑え込むには、全斗煥しかいない!

 国防長官盧載鉉のアイディア――大統領閣下が十数年にわたって可愛がり、南侵トンネルも発見した全斗煥なら、きっとうまくいくだろう、という計算は当たった。

 ▽大統領への街道

 しかし車智澈だけは、この決済が出ると、盧載鉉長官に不満をぶちまけた。

車は「閣下も最初は、あまりにも早すぎる、と否定的だった人事ではないか」と盧載鉉に厳しく当たった。ただでさえ、朴大統領に可愛がられている全斗煥を警戒し、迫害してきた車智澈である。

そんな紆余曲折のなかで、全斗煥は保安司令官になり、翌年、だれも想像することすらできなかった、大統領への街道を歩んでいく。嵐が吹き荒れる、流血の、おどろおどろしい道ではあったが、1026の変乱に乗じて「ハナ会」という軍閥は、全斗煥を押し立て、一糸乱れぬ進撃をしていったのである。

                            訳:波佐場 清 

2026年3月23日月曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(2)

 ■全斗煥の3人の恩人

 全斗煥には生涯、3人の恩人がいた。

 李東圭(義父)、朴正煕、そして朴鐘圭(元大統領警護室長)である。

 朴正煕は、第3共和国および維新政権(第4共和国)の大統領として軍人全斗煥を異例の抜擢で育て上げた。朴大統領は全斗煥大佐を、第1空輸特戦旅団長▽73年の将官進級▽75年の青瓦台警護室勤務▽78年の師団長赴任▽793月の国軍保安司令官――と、その節目、節目で特別に面倒をみてやった。

 ▽「朴正煕の養子」

 それで、「朴正煕の養子」と呼ばれたりしていた。

 東亜日報の故姜聲才記者(元青瓦台担当、2002年死去)は「全斗煥と金復東[全斗煥と陸軍士官学校(陸士)同期、妹は盧泰愚夫人]は、朴大統領の養子と言われている」と言っていた。全斗煥が第1師団長の時、その管轄区域の京畿道坡州を選挙区とする国会議員朴命根(共和党)が、党の公認取り付けに力添えしてほしいと師団衛兵所[詰所]の前で跪(ひざまず)いたというから、なるほど、その陸軍少将としての威勢ぶりは察しもつこうというものである。当時の駐韓米大使グライスティーンの回顧録にも全斗煥に関し、「父親のような朴正煕」とするくだりが出てくる。

 「70年代以降、全斗煥大佐をはじめとする『ハナ会』[全斗煥らが軍内部につくっていた秘密組織]の何人かの将校は(朴大統領からもらった貴重な)日本車のクラウンセダンを持っていた。将官クラスでもジープか、韓国車のコロナだったのに、かれらは違っていた。ハナ会の会長は全斗煥で、会員らは活動費をもらっていた。財閥からも支援金をもらい、大統領からも活動費をもらっていた。役職によっては『一心』[ハナ会の「ハナ」を意味した]という文字が入った指揮棒をもらっていた」(1979年当時の合同参謀本部長、文洪球の回顧)

 ▽保安司令官に大抜擢

 そんな全斗煥の「ハナ会」を後援した先輩グループに尹必鏞、朴鐘圭、徐鐘喆、黃永時、車圭憲、 兪学聖陳鍾埰らがいた。

 維新政権末期の793月、第1師団長全斗煥の保安司令官への抜擢は軍隊社会にあって、まさに驚天動地といえる事件だった。

 少将の階級で「天下の第1師団長」になったのも早かったが、その師団長も12カ月で卒業し、中将が赴任するポストである保安司令官というのだから、みな、驚くほかなかった。

 そのパズルから解いていかなければなるまい。

 保安司令官というポストにいたからこそ、その1年半後に、大統領にまで上り詰めることができたのだから……。

 全斗煥の前任の保安司令官である陳鍾埰まで、保安司令官は三つ星(中将)以上のポストだった。陳鍾埰の前任の保安司令官金載圭も、朴正煕の陸士同期かつ中将だった。ところが、二つ星、それもまだ若造の四十代の少将が、前任の陳鍾埰が第2軍司令官に出たあとを引き継いだのである。

 ▽維新末期の「パワーゲーム」

 陳鍾埰司令官は、大統領警護室長の車智澈 [中央情報部長の金載圭と対立、朴大統領と共に金載圭に暗殺された]が中傷したせいで、追い払われた。

1961年5月のクーデター直後の朴正煕(中央)、朴鐘圭(左)、車智澈(右)

 陳鍾埰司令官は、車智澈
の指揮下にいた警護室の某将官を呼んで賄賂容疑で調べた。しばらくして陳鍾埰は、警護室のある警護官の思想問題について朴大統領に直接報告した。そんなこともあって陳鍾埰は車智澈に睨まれ、第2軍司令官に左遷された。

 アイロニーというほかない。

 かつて車智澈室長のもとで警護室作戦次長補として、あれほどまでに気苦労を重ねていた全斗煥少将が、朴大統領の暗殺という車智澈の敷いたレールに乗り、遂には権力の頂点にまで駆け上がったのである。いかにも摩訶不思議な人生物語の一断面といえる。

 全斗煥の保安司令官抜擢には、黄昏に差しかかった維新政権末期の凄まじい「パワーゲーム」が影を落としていた。そこからは長期政権に酔いしれた朴正煕の権力欲、忠誠独占欲を読み取ることができる。筆者は、朴大統領の最後の秘書室長だった金桂元氏(1923~2016)から生前、全斗煥が保安司令官に昇進した背景について聞いたことがある。

彼は笑いながら、こう答えた。

「朴大統領の抜擢人事でした。全斗煥が好きだったのです」

 ▽国防長官盧載鉉が推挙

 全斗煥を保安司令官に推挙したのは、国防部長官の盧載鉉だった。

 金鍾泌、金桂元、鄭昇和、朴俊炳、張世東、許和平らの証言や記録を総合してみても、その点は完全に一致している。

 それにしても、なぜ、全斗煥だったのか?

 当時、大統領警護室長の車智澈は数々の越権行為や横暴で、軍部と権力中枢にあって、みんなの「共通の敵」であり、憎悪と指弾の的になっていた。

                            訳:波佐場 清

 


2026年3月20日金曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(1)  

 韓国が民主化して40年になろうとしている。軍事独裁政権下、大統領を直接選ぶことなどを求めて立ち上がった民衆の抗争は1987年、血涙で現行の民主憲法を勝ち取ったのだった。以来、この国の民主主義は順調とばかりもいえなかった。大きな危機もあった。一昨年12月の尹錫悦前大統領による非常戒厳の発令はその最たるものだった。現職大統領が軍事力で国会の機能を止めようとした、この「上からのクーデター」の企ては、すんでのところで食い止められたのだった。そんななか、語られたのは軍事政権下の「80年代の教訓」だった。市民、政治家、そして戒厳で動員された一部兵士までもが、その教訓を生かし、体を張ったのである。

 一方でこの間、「不断の努力」も続けられてきた。あの時代の歴史の掘り起こしも、その一つである。先頭に立つ一人に元東亜日報記者の金忠植さんがいる。韓国が民主化されて間もない1990年代初め、金さんは、朴正煕政権(1961~79年)の暗部を抉(えぐ)った「政治工作司令部KCIA――南山の部長たち」を同紙に連載。大反響を呼び、単行本として出版されると50万部を超すベストセラーとなった(日本語版は『実録KCIA』講談社)。KCIAとは、朴正煕政権の独裁権力を支え、その所在地から「南山」の隠語で呼ばれた韓国中央情報部のことである。

 その連載から30余年――。金忠植さんは新たに、その続編を書き下ろした。韓国で「第5共和国(5共)」といわれる全斗煥政権(198088年)の権力内部に切り込んだ『5共 南山の部長たち』(全2巻、2022年出版)である。ここでは全斗煥政権下5人の「南山の部長」(中央情報部長1人と、名称変更した後身の国家安全企画部長4人)を軸に、その軍事政権の闇を暴いている。その内容をここに、訳出したい。

 日本の民主主義が危うくなってきている。韓国では、自らが「たたかい取った」その民主主義と比べ、日本の「与えられた」民主主義の脆(もろ)さを指摘する声がある。韓国の民主主義とは、どんなものなのか――。

            立命館大学コリア研究センター上席研究員  波佐場 清 



金忠植(キム・チュンシク)

1953年、全羅北道生まれ。

77年、高麗大卒。

東亜日報に30年間在職し、主に政治部で国会、政党、青瓦台、外務部を担当。文化部長、社会部長、東京支社長など。

慶応大学博士。

現在、嘉泉大学教授。

  1章 男が行く権力街道、そこをどけろ

48日間の「お手盛り」情報部長

中央情報部(KCIA)の第10代部長は全斗煥である。

1961610日、ソウルの南山中腹に中央情報部を創設したのは金鍾泌だった。

目的は、朴正煕政権の「革命公約を遂行するうえで障害となる要因を除去し、安全保障(反共、北朝鮮)に関する国内外の情報を収集すること。また、安保関連の犯罪を捜査し、軍を含む国家各機関の情報・捜査活動を調整、監督すること」とされた。 

▽超法規的「スーパーパワー」

欧米の自由民主先進国でこのような例はなかった。

大統領直属の機関とし、その捜査権を検察の指揮下に置くのではなく、その上位に置いた。また、業務遂行に必要な協力と支援を全国家機関から受けられるようになっていた。組織の構成、所在地、定員、予算や決算などは秘密であり、さらには予算も他の省(部)庁の予算に上乗せして計上する特殊な組織だった。

米国の中央情報局(CIA)をモデルにしたのだが、それとは比べものにならないほど強力な権限を持っていた。

南山の中央情報部はまさに万能、超法規的な「スーパーパワー」だった。仮に米国にたとえるなら、連邦捜査局(FBI)、検察、警察、軍の捜査機関をすべてCIAの下に置いたかたちの、あり得ないような権力機関が韓国の中央情報部だった。 

▽9人の部長

初代の金鍾泌部長に続き、金容珣、金在春、金炯旭、金桂元、李厚洛、申稙秀、金載圭、尹鎰均(職務代行)、李熺性(代理)の9人が順繰りに部長をつとめた。

朴正煕時代の第3共和国と第4共和国(維新政権)は、これら9人の政権操舵手兼政治工作司令部トップに牛耳られ、挙句の果てに1979年、金載圭情報部長の銃撃によって朴正煕の18年間は幕を下ろしたのだった。 

▽「故郷に錦」

全斗煥が中央情報部長に就任したのは1980414日のことだった。

遡ると、全斗煥がまだ大尉だった63年、中央情報部長が金容珣から金在春に交代した時期に、その情報部長の下で人事課長を務めていた(その前に大尉として国家再建最高会議[訳注:1961年の軍事クーデター直後に発足した軍事政権の最高統治機関]の民情秘書官も務めた)。したがって、17年後に古巣の組織にトップとして戻ってきたというわけである。「現場組」がトップに上り詰めるのは情報部では初めてのことだった。それまでの部長はいずれも朴正煕の指名による落下傘人事だった。

金忠植著『5共 南山の部長たち』

全斗煥は、大尉から将官となり、部長として故郷に錦を飾った、ということになる。 

▽ゴリ押し

 全斗煥は現役軍人の中将(国軍保安司令官[軍内の防諜や保安、情報収集を担当した国軍保安司令部のトップ])でありながら中央情報部長を兼任したため、正式な肩書は「部長代理」ということになった。法的には、現役軍人はなれなかったのだが、彼とその参謀たちが強く求めたのである。

 時の大統領、崔圭夏が反対したばかりでなく、国務総理の申鉉碻も戒厳司令官の李熺性も、さらには青瓦台政務首席秘書官の髙建も、こぞって引き止めたのだが、とうとう「お手盛り兼任」を強行してしまったのである。そこまで無理をして押し通した理由と経過については、のちほど詳しく記録することになるだろう。

 そうして1カ月半余りの間、全斗煥は中央情報部長をつとめた。 

 ▽大金を流用

8062日、全斗煥は中央情報部長の辞表を出した。前日、反対勢力を一掃して発足させた統治機構、国家保衛非常対策委員会(国保委)のトップ(常任委員長)になり、大統領同様の権力をふるえる立場になったからだ。それで、もう情報部長を続ける余裕も、必要もなくなったのである。

全斗煥の情報部長としての任期は短かったが、その権力は強大で、大きな足跡を残した。

79年末に朴正煕が暗殺された後、漂流していた中央情報部を安着させ、リストラによって組織を整え直した。そして何よりも、中央情報部の予算120億ウォン(韓国の年間国家予算総額の約15%に相当)を新しい政権づくりに必要な国家保衛非常対策員会(国保委/全斗煥政権を支えた民主正義党の産婆役ともなった)の創設や運営資金に流用した。政治資金をとくに集める必要はなかったのである。 

間接選挙で大統領就任

中央情報部長を辞めた全斗煥は、空席となったその座を、軍の先輩である兪学聖中将(1979年の「1212クーデター」[全斗煥少将らを中心とした新軍部勢力が軍の実権を掌握した反乱]に加わった一人)に譲った(80718日)。

全斗煥(左)から兪学聖へバトンタッチ(80年7月)


全斗煥は国保委常任委員長という中継ぎのイスを8月末に蹴り、80年9月1日、大統領に就任する。こうして、とり急ぎ、朴正煕の維新憲法に基づいた代議員による間接選挙で大統領になった後、その年秋に憲法を改正し、新たな第5共和国(5共)憲法の下で812月、5共の大統領として就任し直したのだった。 

▽5人の部長

 5共では中央情報部を国家安全企画部(安企部)と改称し、5人がその部長をつとめた。

 全斗煥、兪学聖、盧信永、張世東、安武赫である。

 このうち、盧信永だけが外交官出身の民間人であり、あとの4人はいずれも軍の将官出身だ。全斗煥は、憲法上では5共が始まる前に情報部長に就任しているが、大きく見て5共に分類していいだろう。兪学聖は、全斗煥の次の中央情報部長となったが、8111日、中央情報部が国家安全企画部(安企部)と改称されたのに伴い、そのまま安企部長となった。 

 ▽第10代中央情報部長

 5共の部長5人について語るには、まず、第10代情報部長となった全斗煥の成長過程や、朴正煕が急死した79年の「1026暗殺事件」のことを振り返らなければならない。そして、その直後に起きた「1212クーデター」、80年の「517反対勢力一掃」[80517日に全斗煥ら新軍部がおこなった非常戒厳令の全国拡大と、それに伴う有力政治家や民主運動家らの一斉検挙]、「518光州抗争」[80年5月18日から27日にかけて光州市内で起きた民主化要求の大規模な市民蜂起/光州事件]について見ておくべきだろう。

 なぜなら、「5共鉄拳統治」の右腕となった「南山の部長」(安企部長)たちは、5共スタート期の非道な下克上による流血クーデターと光州抗争、そしてそこからくる正統性の欠如のために全斗煥政権期の8年間を通してずっと凄絶な戦いを繰り広げなければならなかったからである。その相手は、学生、野党、在野勢力、労働者、民主化勢力、そして国民世論だった。

 5共の「南山の部長」たちは、その誕生に根源を発する限界と戦いながら、8年という歳月の日々を、リレーのようにバトンを引き継いでいったのでる。その凄絶な戦いは、情報部長、安企部長たちの使命であり、運命でもあった。

 <訳者コメント>

 訳文中の小見出しは、訳者が入れました。 軍の情報機関である保安司令部のトップだった全斗煥は、国全体の情報を統括する中央情報部のトップを兼任することで情報を独占。権力奪取の第一歩はそこから始まったのでした。

 

2025年3月6日木曜日

『李在明自伝 わたしが目指す韓国』を出版

李在明(イジェミョン)氏をご存知ですか?

韓国でいま、次期大統領に最も近いともいわれている人物です。

そんなかれの『自伝』を日本語に翻訳して出版しました。

『李在明自伝 わたしが目指す韓国』(東方出版)です。

<韓国の最大野党、進歩系の「共に民主党」代表李在明氏については否定的に報じられることが多かった。

「疑惑まみれ」「相次ぐ側近らの不審死」「嫌悪感」「求心力低下」……。前回二〇二二年三月の大統領選で現大統領の尹錫悦(ユンソンニョル)氏に惜敗した後とくに、それが目立った。検察捜査の標的になり、公選法違反や背任などで起訴が繰り返されてきた。 

しかし、それでいながら李在明氏は「将来の政治指導者」としての期待度を問う世論調査では常に、ほぼ最上位にその名前が挙がってきた。昨年四月の総選挙では保守与党「国民の力」に大勝。昨年末の尹錫悦大統領の「非常戒厳」以来の弾劾政局でいままた、次期大統領の有力候補として大きく浮上してきている。 

起訴された刑事裁判の結果によっては次期大統領選への出馬資格を失う。そんな「司法リスク」を抱えながらもここまで多くの支持を集めているのはなぜなのか。 

ソウルの書店で『李在明自伝』(ASIA出版)を手にしたのは昨年初夏のことだった。「その夢があってここまで来た」(「 꿈이 있어 어기까지 왔다)というタイトル。前回の大統領選に向けて出された本だった。読んでみて、私の「なぜ」に一つの答えが示されているように思えた。本書を出すに至った動機である。……>

                       ――本書の「訳者あとがき」より 

お読みいただければ、李在明氏がなぜ韓国民に強い支持を得ているのか、お分かりいただけると思います。 

そして、李在明氏を抜きにはいまの韓国社会を語れないということも――。

 

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            波佐場 清(立命館大学コリア研究センター上席研究員)

2025年3月4日火曜日

[全訳]大統領弾劾審判の国会訴追団代表最終陳述/「一日も早く尹錫悦罷免を」

韓国の尹錫悦大統領が出した「非常戒厳」めぐり、大統領罷免の可否を判断する憲法裁判所の弾劾審判が最終局面を迎えている。韓国メディアは「3月中旬にも憲法裁の判断が示される」との見方を示している。大統領は何を問われたのか。225日の最終弁論で「罷免」を求めた国会弾劾訴追団代表、鄭清来(チョンチョンレ)法制司法委員長(「共に民主党」議員)の40分余にわたった最終陳述をここに全訳で紹介したい。(小見出しは訳者が付けた)

                               波佐場 清

[풀영상] ", 몽상 빠져있던 권력자..응분의 책임 물어야/파면으로 헌법수호" '탄핵심판' 최종변론, 국회 소추위원 정청래 최종진술 - [MBC뉴스] 2025 02 25

憲法裁の最終陳述で「尹錫悦罷免」を訴える鄭清来議員 フェイスブック

■尹錫悦は罷免すべきだ

尊敬する憲法裁判所の裁判官のみなさま、大韓民国の運命を左右する現職大統領にたいする弾劾事件を審理する間、その歴史的重圧にどれほど苦労が多かったことでしょうか。民主主義と憲法を守るための熱情で一貫してこられた裁判官のみなさまのご労苦と献身に国民の一人として敬意を表します。

 大韓民国の民主主義と国家発展のために、被請求人尹錫悦は罷免されなければなりません。「123内乱」[尹錫悦大統領による2024123日の「非常戒厳」宣言のこと――訳者注/以下[ ]内はいずれも訳者注]の夜、全国民がテレビの生中継で、国会を侵奪した武装戒厳軍の暴力行為を見守りました。天も地も知っていることです。天は戒厳軍のヘリコプターの轟音をはっきりと聞き、地は武装した戒厳軍の軍靴を見ました。池の水面(みなも)に浮かんでいた月影も目撃者です。全国民が目撃者であり、全世界の外電も韓国の非常戒厳親衛クーデターをリアルタイムで打電しました。内乱首謀の被疑者尹錫悦を罷免すべき、必要かつ十分な条件はすでに熟しています。

 ■違うと、間違っているは違う

大韓国民5千万の国民の考えがみな同じであるということはあり得ません。男女の違いがあり、生まれた日時や地域、環境、文化も違います。それで、考えも違い、意見、主張も違います。しかし違うということと間違っているということは区別しなければなりません。自分の考えと違うからといってほかの人が間違っているということにはなりません。自分の考えと違うからといって、差別してはなりません。政治的見解が違うといって嫌悪し、蔑み、弾圧してはなりません。ましてや権力を悪用して相手を弾圧、除去の対象としてはなりません。ひとり一人の人間が天下なのであり、宇宙なのです。夜空に浮かぶ星のように国民ひとり一人がみな、尊重されなければなりません。これが憲法第10条で定めた「すべての国民は人間としての尊厳と価値を持ち、幸福を追求する権利を持つ。国家は個人が持つ不可侵の基本的人権を確認し、これを保障する義務を持つ」という基本権条項を貫く根本原則なのです。

■国民が国の主人である

 大韓民国は国民、主権、領土から成っています。国民がすなわち国家なのです。国民は国家を愛し、国家は国民の生命、財産、安全を保障しなければなりません。国民は国家を愛するがゆえに愛国歌を歌い、国旗に誓うのです。大韓民国の国民は考えが違っていても愛国歌と太極旗を愛しています。国家のために個人を犠牲にして献身、奉仕する愛国心は大韓民国の国民が一番です。大韓民国の国民は国を愛しています。壬辰倭乱[日本でいう「文禄・慶長の役]、日帝強占[日本による植民地支配]、韓国戦争[朝鮮戦争]、軍部独裁から国を守ったのも国民であり、国を発展させたのも国民です。腰ひもを引き締め直して子どもたちを教育し、今日の民主化と産業化を達成した主人公は、わたしたちの祖父母であり父母、つまりは国民だったのです。映画『パラサイト 半地下の家族』、『イカゲーム』、BTS――といった文化強国、オリンピックで金メダルをとるスポーツ強国大韓民国を達成したのは誇るべきわが息子、娘たちでした。国を守ったのも国民、国を発展させたのも国民、国も主人も国民です。 

 ■すべての権力は国民に由来する

 大韓民国国民は憲法を愛しています。憲法は、考えや主張、意見が違うとき、大韓民国はこの方向でいこうと決めている国民にたいする合意文書です。国民全体の約束であり、国民が守らなければならない国家の里程標です。憲法は羅針盤です。憲法は国民であり、愛国歌であり、太極旗です。大韓民国の国民はだれも憲法の上にあって君臨することはできません。大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民に由来するということ、これが第1条でうたう民主共和国の憲法精神です。

 ところが、国と憲法を愛する国民を銃剣で殺そうとし、血で守ってきた民主主義を踏みにじり、血をインクとして一字一字を書き刻んだ憲法を破壊しようとした人物がいます。血で書いた民主主義の歴史を舌で消そうとしたのです。銃剣で憲法と民主主義の心臓である国会を蹂躙しようとしたのです。いま、この弾劾審判場にいる被請求人尹錫悦です。

 ■不寛容によってできた「寛容の国」

憲法擁護の最後の砦(とりで)である憲法裁判所の裁判官のみなさま。

フランス共和国は寛容によってできたものではありませんでした。民族反逆者には公訴時効がないとしてナチス加担者を最後まで追跡して不寛容に処罰したことによって逆説的にも寛容の国、トレランスの国になることができました。今日の文化芸術の強国フランスはこうして建設されたのです。

 これに対してわたしたちは1945年8月15日の光復後、反民特委[解放後、日本統治時代に親日活動をおこなった者を処罰するために国会内に設けられた反民族行為特別調査委員会]の挫折によって親日加担者を処罰できず、その結果、正義と不義、愛国と売国、民主主義と独裁が混在して民主主義にたいする挑発や反対のうごめきは止みませんでした。もはや堕落し汚染した反民主主義的、反憲法的な饒舌と詭弁の連環は断ち切らなければなりません。行く道がどれだけ遠いといっても民族の精気を正すべきです。

 ■民主主義の主敵

 平和や文化が花開く文化芸術強国は民主主義の土壌で育つ木です。民主主義の礎(いしずえ)は国家発展の土台です。民主主義発展のプロセスが国家発展のプロセスです。民主主義の定着なしに国家の発展をなした国はありません。先進国家のなかに独裁国家はありません。民主主義と国家発展の主敵がまさに独裁です。国家発展のためには独裁の毒を抜かなければなりません。独裁の典型的な姿が非常戒厳、内乱、そして永久執政の陰謀です。被請求人は2022510日、国会において就任しました。憲法第69条にしたがって「憲法を順守し、国家を保衛します」という宣誓をして大統領に就任しました。しかし、被請求人は憲法を順守し、国家を保衛すると誓った、まさにその場所である国会に戒厳軍を送って侵奪し、憲法を蹂躙しました。大韓民国の憲法と民主主義を抹殺しようとした被請求人尹錫悦は罷免されて当然です。

 現職大統領には刑事不訴追権という憲法上の特権があるが、現職大統領といえども内乱の罪を犯したときは憲法守護の次元から不寛容でなければなりません。それが憲法第11[国民の平等]と第84[刑事上の特権]の精神です。内乱の犯罪は現職大統領を含め誰であっても例外なく処罰の対象です。この間、国会の法律代理人たちは違憲・違法な「123非常戒厳」と罷免理由について、その証拠と法理をすでに数回にわたって明瞭に説明しました。わたしは国民の立場から国民の声を込めて被請求人を罷免すべき理由についていま一度、申し述べたいと思います。

 ■戒厳の条件に違反

 第一に、被請求人尹錫悦は憲法第77条で規定された戒厳の条件に違反しました。憲法第77条第1項は「大統領は戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態において兵力で軍事上の必要に応じたり公共の安寧秩序を維持する必要があときには、法律の定めるところによって戒厳を宣布できる」となっています。123日の大韓民国は戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態でもなく、兵力で軍事上の必要に応じたり公共の安寧秩序を維持する必要はありませんでした。平穏な一日でした。兵力で公共の安寧秩序を害した張本人が被請求人です。戒厳宣布は論難の余地がない明白な違憲行為です。

 ■手続きも不当

 第二に、被請求人尹錫悦は戒厳宣布の手続き面の正当性に反しました。憲法第82条は「大統領の国法上の行為は文書でおこない、その文書には国務総理と関係国務委員が副署する。軍事に関したこともまた、同じ」としています。戒厳法第2条第5項は「大統領が戒厳を宣布したり変更しようとするときは国務会議の審議を経なければならない」となっています。同じく第6項は「国防部長官[国防相]または行政安全部長官[行政安全相]は国務総理[首相]を経由して大統領に戒厳の宣布を建議することができる」となっていますが、被請求人は憲法第82条や戒厳法第2条のすべてに違反しています。戒厳宣布時、正常な国務会議の審議がありませんでした。国務委員らの証言によると、国務総理を経る手続きもとっておらず、開会宣言、案件説明など、正常な国務会議も副署した議事録文書も存在していないようです。被請求人を罷免すべき明白な証拠であり、理由です。

 ■国会を侵奪

 第三に、被請求人尹錫悦は非常戒厳を解除する唯一の権限がある国会を侵奪しました。憲法第77条第5項は「国会が在籍議員の過半数の賛成で戒厳の解除を要求したときには大統領はこれを解除しなければならない」となっています。非常戒厳を解除できるのは唯一、国会だけです。そのような国会の権限と権能を強圧によって妨害しようと国会を武装兵力で統制、封鎖しようとしました。憲法第87条、刑法第91条で規定した内乱の罪を犯した明白な国憲紊乱、内乱行為です。国会の秩序についても云々していますが、国会には国会自体の秩序維持システムがあります。国会のガラス窓を壊し、乱入したことは秩序の維持ではなく、抑圧であり、暴力です。国会秩序を紊乱したのは被請求人の尹錫悦本人です。

 ■布告令は違憲・違法

 第四に、被請求人は違憲・違法な布告令を発表しました。戒厳布告令第1項で「国会と地方議会、政党の活動と政治結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じる」としているのは憲法第77条第3[「非常戒厳が宣布されたときは法律が定めるところによって令状制度・言論・出版、集会・結社の自由、政府や法院の権限に関して特別な措置をとることができる」と定めている]に真っ向から背きます。たとえ、合法的な戒厳であったとしても国会に関してはどのような特別な措置もとることができないようになっているのです。

 ■国家紊乱

 第五に、戒厳軍が中央選挙管理委員会を侵奪したことも、司法府の主要な人物を逮捕・拘禁しようとしたことも、すべて憲法や法律に背くものでした。司法権の独立に真っ向から反しただけでなく憲法の三権分立の精神にも背きます。これは憲法第77条第3項、憲法第114[選挙管理委員会について定めている]、憲法第105[法官の任期などについて定めている]、憲法第106[法官の身分保障について定めている]、憲法機関の独立性の精神に違反し、刑法第91条で「憲法によって設置された国家機関を強圧によって転覆またはその権能行使を不可能にすること」と定義づけた国家紊乱目的の内乱罪に該当します。

憲法裁でおこなわれた尹錫悦大統領弾劾審判の最終弁論 フェイスブック

 ■危険な人物

 このほかにも被請求人が非常戒厳後にみせた司法正義破壊行為は国民に大きな失望と衝撃を与えました。被請求人は「123内乱」後、法官が発付した逮捕令状を拒否して司法機関の法執行を無秩序状態にしてしまいました。ごく一部の支持者を頼りに国家の混乱を助長し扇動するようなみっともない態度をみせ、不正選挙という妄想にとらわれています。不正選挙という陰謀論はわたしが見るに、戒厳宣布文にもなかった後づけのアリバイに過ぎません。万が一にも彼が職務に復帰すれば、また非常戒厳をおこなうかもしれないという疑念を持つに十分な、危険な人物です。

 尊敬する憲法裁判官のみなさま。被請求人尹錫悦の憲法と法律に違反した行為はこの間、2回の準備手続きと本日の第11回弁論に至るまでの厳格な審理のなかで証拠文書や映像、16人の証人の証言によって十分に立証されたと考えます。この際、反省し、自分のことを振り返ってみて国民に真摯に頭を下げ謝って当然です。人間なら良心があるはずです。しかし被請求人は国民にたいする謝罪どころか、警告のための短い戒厳だったとか、何ごとも起こらなかったなどと弁明しています。これによって国民は戒厳宣布当時の衝撃、それ以上の衝撃を受けています。

 戒厳が早く終わったのは被請求人の功労でしょうか。死傷者が出ずに済んだのは被請求人の自慢なのでしょうか。戒厳の被害をそれでも減らすことができたのは国会に駆けつけた市民、戒厳軍を防いだ国会議員補佐官、装甲車を食い止めた市民らのおかげです。本人も告白したように明白な不法命令に消極的に抵抗した軍人、戒厳解除のために命がけで塀を乗り越えた国会議員らの合作品です。警告のための戒厳であり、何ごとも起こらなかったのだから、また、戒厳をなさるというおつもりなのか。人間なら、恥を知るべきです。

 ■過去が現在を助け、死者が生者を救った

大韓民国は軍事独裁と非常戒厳の痛い傷痕を抱えています。わたしたち国民は19805月の光州を血で染めた全斗煥を中心とした新軍部の非常戒厳を鮮明に記憶しています。「なぜ刺したんだろう、なぜ撃ったんだろう、トラックに積んでどこへ行ったんだろう」[光州民主化運動後に歌われた民衆歌謡「5月の歌」の一節]。「望月洞のいからした眼」[同じく「五月の歌」の一節で、望月洞は民主化運動犠牲者らが眠る墓地の所在地]で、大韓民国の民主主義を見守っています。この光州虐殺の傷痕と精神が45年後の内乱の夜、国会を守ってくれたのです。ノーベル文学賞受賞作家ハン・ガン(韓江)さんの言葉通り、過去が現在を助け、死者が生者を救ったのです。

 民主憲法の守護神である憲法裁判官のみなさま。被請求人は非常戒厳の緊急談話文の中で「国会は犯罪者集団の巣窟になり、自由民主主義体制の転覆をはかっており、国会が自由民主主義体制を崩壊させる怪物になったようだ。大韓民国は今すぐにつぶれてもおかしくない風前の灯火の運命にある。国民の自由と幸福を奪っている破廉恥な従北反国家勢力を一挙に剔抉し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する」と言いました。被請求人に問いたいと思います。今も202412月に大韓民国がすぐにつぶれてもおかしくないほどの風前の灯火の運命にあったと考えているのか。もしかして「ミョン・テギュンの黄金フォーン」[政治ブローカー、ミョン・テギュン氏が使っていた携帯電話のこと。尹錫悦大統領夫妻の国会議員候補公認介入などの疑惑に絡む音声が録音されていると韓国メディアは報じている]による本人だけの危機ではなかったのでしょうか。

 ■再び非常戒厳?

 国会は犯罪者の巣窟なのか。国会は反国家勢力なのか。国会が従北反国家団体というなら総選挙で投票した国民も反国家従北勢力だというのでしょうか。国家予算の編成権は行政府にあり、予算の審議・議決権は国会の権限です。使途を疎明できず国民の血税浪費と目されてきた検察の特殊活動費が削減されたといって戒厳をするなら、科学技術分野におけるRD予算を大幅に削減した被請求人はだれが懲らしめるべきなのでしょうか。1%にもならない国家予算を削ったといって非常戒厳をするとなると毎年非常戒厳をしなければならないことになり、憲法裁判所で弾劾が棄却されればまた、非常戒厳をするつもりなのでしょうか?

 ■弾劾の権限と大統領の拒否権

違憲・違法な高官らを弾劾する権限は国会にあります。国会の厳然たる合法的な弾劾の権限について言えば、被請求人も国会の権限に基づいて弾劾され、法的手続きにしたがって今ここで弾劾審判を受けています。被請求人もやはり、憲法と法律に基づいて20余回も拒否権を行使したのではなかったのですか? 金建希特別検察法[大統領夫人を取り巻く疑惑の捜査に専従する検察官を特別に任命する法]、蔡海兵特別検察法[水害の行方不明者を捜索していた海兵隊員の死亡事故をめぐり、上司の過失についての捜査に大統領室が圧力を加えたのではないかとの疑惑解明に特別検察官を任命する法]など、本人や妻の利害が絡む法案もみな、拒否権を行使したのではなかったのですか。国会も大統領も、憲法と法律にしたがってそれぞれが権限を行使したのです。国家機関は憲法と法律の枠内で権限を合法的に行使しなければなりません。自分が気に入らないからといって憲法や法律をまったく無視して反憲法的な内乱を画策していいのでしょうか。気に入らないからといって国民や憲法を殴りつけ、リンチしていいのでしょうか。

 被請求人は与野党合意がなされないので拒否権を行使すると言いました。与野党合意は憲法や国会法のどこにも書いてありません。そのような考え方自体、反憲法的です。総選挙にあたり、一票、一議席でも多く得ようと努力するのは、憲法第49条で規定した「国会の意思決定は多数決で行え」という憲法の命令があるからです。与野党合意が法案通過の前提条件というなら、それは民意を否定し歪曲する反憲法的、反法律的言動です。代議民主主義憲法の否定です。何のための総選挙なのでしょうか?

 ■動かせぬ証言

 尊敬する裁判官のみなさま。被請求人は「警告性の戒厳であり、何ごとも起こらなかった」と仮想現実にいる人間のようなことを言っています。本人は逮捕を指示していなかったと言い、洪壮源・前国情院第一次長と郭種根・前陸軍特殊戦司令官の工作だと主張しています。だれよりも被請求人に忠直だった2人が、どんな理由から被請求人を陥れようとしたというのでしょうか。被請求人から直接指示を聞いたというのは2人の証言だけでもないのに、指示を聞いた人間のみんなが工作に加担したというのでしょうか。そんなことは可能でしょうか。

 国会の内乱国調特委(内乱容疑真相究明国政調査特別委員会)でノ・ヨンフン防諜司令部捜査室長は「軍事警察の未決収用所という正常な拘禁施設があるのにB1バンカーを確認すること自体が正常なことではなかった」と証言しました。 キム・デウ前防諜司令部捜査団長は「李在明[「共に民主党」代表]、禹元植[国会議長]、韓東勲[前「国民の力」代表]3人に集中しろとの指示を受けたのか」との質問に「はい」とはっきりと答えました。また、この憲法裁判所が唯一、職権で採択した証人チョ・ソンヒョン首都防衛司令部第一警備団長もやはり、「中に入っていって議員らを引きずり出せとの指示を聞いた」とはっきりと証言しました。被請求人側で「議員」を「要員」とごまかしてしまおうとする小細工は失敗したのです。

最終陳述をおこなう鄭清来議員 フェイスブック

 ■気に入らない人物の根絶狙う?

よしんば野党が従北反国家団体だとして主要人物を逮捕、拘禁しようとしたのなら、政権与党の韓東勲代表はなぜ、逮捕しようとしたのでしょうか? 結局、被請求人は反国家勢力という見せかけをして自分の気に入らない人物を根絶やしにしようとしたのではないのでしょうか。そういう人たちを全員逮捕し、永久執政を夢見たのではないか。「ノ・サンウォン手帳」[尹錫悦大統領による「非常戒厳」をめぐり内乱罪で起訴された元軍情報司令官の占師、ノ・サンウォン氏の手帳。金龍顕前国防相=内乱罪で起訴=と連携し、戒厳令宣布後に拘束・監禁しようとした人物名などが書かれていたと報じられている]とはまた、何なのか? 「寝室に爆発物、化学薬品、緻密な回収(逮捕)計画」というおぞましい内容です。「殺害暗示のノ・サンウォン手帳 文在寅[前大統領]、柳時敏[ジャーナリスト、元国会議員]500人射殺 政治家・法曹人・放送人・スポーツ関係者らを狙う」「捕縄で収容所送り……全左派勢力崩壊」――これらはこの件を報じたメディアの見出しです。生涯、サッカー以外に知らない車範根監督がなぜ、ここに記載されたのでしょうか。車監督は「わたしはサッカーを愛し、サッカー以外のことには関心や欲心がない。わたしの名前がどうして手帳に書かれているのか、ただ驚くばかりだ」と語り、「わたしは平和、愛、幸福といった言葉で満たされる老後を過ごしたい」と言っています。

■大きな後遺症

 いまはもう、空想にふけった権力者が崩そうとした平和な日常を取り戻さなければなりません。被請求人は何ごとも起こらなかったと強弁していますが、たくさんのことが起き、戒厳の被害はとてつもないものです。国民はまだ、内乱性ストレスで眠られず、ソウル西部地裁乱入[尹錫悦大統領の拘束に反発した支持者が暴徒化して地裁に乱入し、器物を損壊した事件]のようなひどい事態を目撃しました。憲法擁護の最後の砦である憲法裁判所までテロの脅威にさらされています。被請求人が犯した内乱で、国民はお互いを敵とみなし、心理的内戦状態に陥っています。

 尊敬する憲法裁判官のみなさま。大韓民国は輸出で食べている国です。対外依存度が高い経済構造上、国家の安定がすなわち経済であり、平和がすなわち経済です。民主主義先進国大韓民国を不安な目で見ている全世界に、わたしたちの民主主義の回復能力を見せてやらなければなりません。一日も早く内乱を克服し、国政を安定させることがその出発点です。戒厳に伴う国政の混乱と不安感による被害はあまりにも大きなものです。1回目の弾劾訴追案が否決された直後の昨年129日、韓国株式市場のコスピ(KOSPI)とコスダック(KOSDAQ)は年間最低値を記録しました。戒厳宣布の一言で時価総額140兆ウォンが下落したのです。戒厳後、為替レートは急落し、内需景気も凍りつきました。「何ごとも起こらなかった」という被請求人の言葉とは違い、戒厳の後遺症は大きかったのです。

 建物ごとに賃貸問い合わせのビラが張り出され、食堂の主人は「お客さんがいない」と嘆き、廃業を心配しています。

 ■商工人の泣訴

 きょう最終弁論書を作成する、国民といっしょに作成したいのでネットのコメントで上げてほしいとお願いしたところ、ある方が書き込んでくれました。数千人の声のなかの一つです。ある商工人社長の泣訴です。製造卸売の自営業者です。「戒厳のあと、急に注文が減り、資金難で苦しんでいたが、2月を最後にやむを得ず3人の従業員に辞めてもらい、家族4人でなんとかやりくりしています。この1年、苦しいなかでも従業員の給料は赤字を出しながらなんとか埋め合わせていたのに戒厳後はIMF危機[1987年、韓国が国際通貨基金の支援を受けた金融危機]の時より深刻なようです。50年間守ってきた工場は閉じることになりました」。これがいま苦しんでいる国民の声なのです。

 ■外交にも被害

 国益の追求が最終目標の外交も被害は甚大です。米国政府は非常戒厳の発表が事前に通報されていなかったことに当惑と憂慮を表しています。トランプ政権との初期首脳外交のゴールデンタイムを逸しました。202412月に予定されていた日本の中谷元防衛相の訪韓、2025年の年初に予定されていた石破茂首相の訪韓が取り消されました。EUやヨーロッパ諸国は韓国の民主主義毀損に憂慮を表明しており、スウェーデン首相の訪韓が取り消され、2025年上半期に予定されていたマクロン仏大統領の訪韓も延期されるなど、国の品格失墜に伴う被害はあまりにも大きいといえます。

 ■国軍の名誉失墜

 尊敬する裁判官のみなさま。非常戒厳で最も大きな被害を負ったのは大韓民国の国軍です。軍部独裁の被害を繰り返さないためにわたしたちの憲法第87条は「軍人は現役を免除された後でなければ国務委員に任命されない」と規定して軍の政治的中立を宣言しています。しかし被請求人の私的な目標達成のために戒厳軍に動員された軍が、自身らが守るべき国民に銃口を向けたという汚名を着せられることになりました。失墜した軍の名誉を回復させてかれらが再び国と国民を守るのだというプライドをもって勤務できるようにしなければなりません。その出発点は軍の存在理由を崩してしまった被請求人にたいして応分の責任を問うことであらねばなりません。

 ■36年前の悪夢

 尊敬する憲法裁判官のみなさま。わたしは123日の夜1050分ごろ、非常戒厳の緊急速報を見て、怖さでぶるぶる震えながら国会後門の塀を乗り越えました。戒厳軍が先に陣取っていて、逮捕・連行されるのではないかと怖かったのです。国会のグランド近くから本庁舎へ一歩一歩踏み出すごとに36年前の19889月の夜のことがまるで昨日のことのように思い浮かびました。午前1時、安企部に捕まり[国家保安法違反容疑]、いまもどこだったか分からないソウル乙支路のどこかにあるホテルに引っ張って行かれてタオルで……、タオルで目隠しされたまま下着姿で4時間……、拳で殴られ、足で蹴られ……、拷問の暴行を受けました。生きているのが苦しかった。メディアで伝えられた「ノ・サンウォン手帳」通りのことが行われていたら、多くの人たちが死を免れなかったと思います。

 ■誇らしい国を傷つけた大統領

 尊敬する裁判官のみなさま。大韓民国は世界が驚くほどの発展を遂げてきました。この100年間で王朝国家から民主主義国家に、援助を受けていた国から援助の与える国、文化芸術の強国へと発展してきました。いま、この時間にもコリアンドリームを夢見ながら世界のあちこちの韓国語塾で韓国語を学ぼうという人たちが列をつくっています。政治、経済、外交的にも大韓民国は有数の民主主義先進国となり、軍事的にも世界6位の強大国になりました。白凡・金九先生[独立運動家、上海臨時政府主席などを務めた]が夢見た文化の花開く国になりました。わたしたち国民はこの間、外国のどの国も、北朝鮮もあえて揺さぶることのできない国になったと自負してきました。

 そのような誇らしい国で、現職大統領によって国会が戒厳軍に侵奪され、政敵を除去するための親衛クーデターというおぞましいことが起きるとは夢にも思いませんでした。被請求人尹錫悦はいまも非常戒厳が高度の統治行為だといい、反省と自己省察を拒んだまま、戒厳と内乱を正当化する詭弁と饒舌を弄しています。かれを罷免することによって一日も早く大韓民国を正常に戻さなければなりません。

 ■最後の砦

 尊敬する憲法裁判官のみなさま。憲法裁判所は憲法擁護の最後の砦であり、国民主権を守る最後の防波堤です。被請求人の反憲法的内乱行為は民主主義の根幹を揺るがす重大な違憲の試みであり、国民の自由と権利を本質的に侵害する反憲法的挑発でした。被請求人は軍の統帥権者として与えられた強大な権限を乱用して軍と警察を私有化する重大な違憲行為を犯しました。いぜんとして不正選挙陰謀論にとりつかれていて、総選挙の結果によって構成された国会を否定しています。弾劾が棄却されれば国政をどう率いていく、などとでたらめな弁明や食言をこのあとも続けるのかもしれません。

 ■民主主義の敵は民主主義で、憲法の敵は憲法で

 国民は被請求人が盗っ人猛々しくも他人のせいばかりにする言葉遊びをもう信じないでしょう。仮にほんとうのことを言ったとしてもだれが信じますか。被請求人の言葉に騙されてはいけません。信無くば立たず――といいます。信頼を失った大統領は国民の前に再び立つことはできません。民心は海のようなもので、船を浮かべることもひっくり返すこともできます。被請求人から民心は離れました。被請求人の反憲法的内乱行為は主権者である国民に対する明白な背信でした。被請求人の私益と貪欲のための権力乱用と憲政秩序の破壊によって国民の信頼は完全に失われました。国民がこれ以上許さないことはあまりにも当然のことです。被請求人を罷免することは、大統領という最高権力者に憲法を順守する義務があることをいま一度想起させ、憲法の敵から憲法を守ることです。憲法を破壊した行為には例外なく断固として対処するというのが憲法の峻厳な命令です。民主主義の敵は民主主義で払いのけ、憲法の的は憲法で払いのけなければなりません。

 ■韓国民主主義の底力

大統領の弾劾はけっして軽々しく決めてはなりませんが、憲法で定めた要件が充たされ、憲法秩序を守るための不可避な選択だとしたら必ずなされなければなりません。いま、わたしたちに必要なのは憲法の上に君臨しようとするなんでもできる王ではなく、「絶対権力者も過ちがあれば罰を受ける」という一般常識です。大統領にたいする罷免の決定は私的感情による政治報復や政治的攻撃ではなく、ひたすら憲法と法治主義を回復するための憲法擁護者の決断です。被請求人尹錫悦にたいする罷免決定は大韓民国の民主主義の驚くべき回復力を見せてやると同時に大韓民国憲法が生きていて現実に作動する実質規範であることを示す歴史の記録となるでしょう。

 尊敬する裁判官のみなさま。被請求人は以上のような理由により、大韓民国の大統領職を維持する資格がありません。国民のこころのなかの大統領ではありません。わたしたち国民は憲法の敵を憲法によって防ぎました。民主主義の敵も民主主義で守り抜きました。大統領尹錫悦を罷免することによって憲法擁護の意志を見せてやることを望みます。被請求人にたいする罷免で得られる国家的利益は圧倒的に大きなものです。必然は偶然の衣服を着て現れるといいます。非常戒厳が妄想家の偶然の突出行動であったとしたら、内乱の克服は国民が成し遂げた必然です。その必然が大韓民国の民主主義の底力です。

 ■コリアンドリームの実現を

 内乱の克服は国を愛する国民の民主主義にたいする必然的な本能と自己救済策であり、ひとつ一つの努力の結果でした。いまはもう、内乱を克服し、国政を安定させて未来に進まなければなりません。よりよい民主主義、より広い民主主義の広場で「K-民主主義」が咲き乱れ、光の革命で国民のエネルギーを一つにまとめ、ひとり一人が豊かに暮らす国、しばし停滞した外交・安保・国防のしっかりとした国、平和な朝鮮半島、経済と文化芸術が共に発展するコリアンドリームを国民とともに夢見ながら再び前に進みましょう。被請求人の非理性的、反歴史的な非常戒厳は起きてはならなかった非現実的な妄想でしたが、「神がお護りくださる我が国万歳」[国歌「愛国歌」の一節]です。憲法を愛する国民が愛国歌を誇らしく歌えるよう民主主義と憲法擁護のために被請求人尹錫悦を一日も早く迅速に満場一致で罷免してくださるようお願いします。「東海の水が乾き、白頭山が朽ち果てても 神がお護りくださる我が国万歳 無窮花、三千里、華麗な山河 大韓人は大韓を 永遠に保全しよう」[]。最終弁論の最後を映像で締めくくりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。


2024年6月16日日曜日

「民主主義は只(ただ)ではない」/金大中さんが語った日韓の民主主義の違い

5月、韓国・光州で、1980年の「光州事件」にちなむ民主化運動記念行事を見てきた。1980年代末~90年代初め、新聞記者として取材で現地を訪れて以来、30余年ぶりだったと思う。 

光州の街は私の記憶のなかにあるものとはずいぶんと違っていた。街並みは整備され、「市民軍」が立てこもった旧全羅南道庁の建物は記念館になって補修工事が進められていた。 

■金大中さんの全南大学講演

市内にある国立全南大学を訪ねた。805月の学生デモの拠点となったところである。そのことを確認したかったのと、もう一つ、私のこころの中にずっとあった、ある残像をたどってみたかったからである。

光州市にある国立全南大学    

事件から26年が経った200610月、ここ全羅南道地域出身の元大統領金大中さんがこの大学で特別講演会を開いていた。金大中さんが亡くなる3年前のことだった。私がその講演会のことを知ったのはだいぶ後になってからで、たまたまYouTubeで遭遇したのだった。 

金大中さんはここで、民主主義の普遍性や韓国の民主主義、そして日本の民主主義についても熱っぽく語っていた。今回、光州行きにあたって聴き直してみて、改めて腸(はらわた)にしみいるものを感じた。日本の民主主義が危機的な状況にある折、そんな講演内容を拙訳で紹介したい。 

――韓国型民主主義はアジアの民主主義のモデルになり得るでしょうか?

金大中さんの民主主義論は全南大学留学中のウズベキスタンの女子学生のこんな質問に答えるなかで語られた。金大中さんは「民主主義は普遍的なもので、韓国型といったものはない」などと、次のように語ったのだった。https://youtu.be/upk6meSmdHY 

 ■民主主義は只ではない

 民主主義はただではありません。対価なしに得られるものではない。米国の第3代大統領トーマス・ジェファーソンは「民主主義は血なまぐさい」と言いました。そのことはまさに、わが国で証明されました。

金大中さんのYouTube画像

 どれほど多くの人が死んだでしょうか。光州で、そして全国の至る所で…。私も死刑判決を受け、執行直前で助かりました。約6年にわたる監獄暮らしもしました。亡命、軟禁生活も10年以上に及びました。 

 ■根を張った韓国の民主主義

これは自慢ではありません。どれほど多くの方々が、この光州で命を捧げたでしょうか。だから韓国の民主主義はしっかりと根を張っているのです。いまはもう、どんな軍部の人間も、どんな独裁者も韓国では民主主義をしないわけにはいきません。軍部がまた、クーデターを起こすなど夢想だにできません。 

全南大学の正門

私たちは3度、独裁者を克服しました。李承晩、朴正煕、全斗煥。そして結局、盤石の民主主義を築いたのです。

全南大学正門横には1980年5月18日、ここで撮った写真パネルが展示してあった
 ■与えられた日本の民主主義

 最近、日本を見ると、急激に右傾化しています。それは日本人が自ら自分の手で民主主義をやらなかったからです。軍国主義をしていて突然降伏し、戦後マッカーサーが来て民主主義をしろ、というからやったのでした。日本には民主主義の主体勢力がありません。 

 だから過去の軍国主義時代の勢力がまた、復活したのです。いま見ると、そのような軍国主義勢力が幅を利かせてきており、「民主主義を守らないといけない。軍国主義の方向に行ってはならない。非常に危険だ」といっている。いまごろ、そんなことを言っても話になりません。 

 ■過去を教えない日本

 日本は戦争を起こし、戦争犯罪をおかしたことを国民に教育してきませんでした。だから、いま5060代以下の人たちは過去のことをまったく知りません。 

それで、わが朝鮮半島を占領し、朝鮮人を助けてやった、という。中国で南京大虐殺をしたというのは全部ウソだ、われわれは大東亜戦争をし、アジア人を西欧の植民地から解放してやったのだ、という。 

 現在だけでなく、将来がもっと問題です。この先、韓国、中国とも、東南アジア諸国とも葛藤があることでしょう。このように見てくると、「民主主義は只ではない」ということを、日本を見るにつけ、ほんとうに実感してしまいます。 

 ■犠牲になる覚悟が必要

 民主主義について質問したウズベキスタンの学生の心情は理解できます。ほんとうに胸が痛みます。しかし、ウズベキスタンの場合も、民主主義は結局のところ、ウズベキスタンの人たちがしなければなりません。 

 やることができます。ただ、そこには民主主義のために犠牲になる覚悟が必要です。そして国民をそこに導いていかなければなりません。

全南大学キャンパス メタセコイアの並木がきれいだった

 私たちも、「419革命」[1960419日をピークとした全国的な学生蜂起で李承晩政権を倒した民主闘争――訳者注]では、まず学生たちが立ち上がりました。そして遂には、国民がこぞってそれに加勢しました。 

1987年の民主抗争[876月の民主化要求闘争。大統領直選制などを求め、政権側から「民主化宣言」を引き出した――訳者注]のときも、最初に学生、政治家が始めたのが、最後には結局、全国民が参加していったのです。 

そうなると国会の方でも独裁者に圧力をかけ、「李承晩大統領は下野しろ」「全斗煥氏の戒厳令は許さない」となったのです。結局、始まりは私たちが受け持ち、犠牲も引き受けなければなりませんが、最後は、全国民が参加することになり、世界が援けてくれるのです。 

■英国の平和革命と血のフランス革命

ウズベキスタンの場合も同じです。中央アジアのすべての国もそうでしょう。それは必ずそのようになるだろうと思います。 

経済が発展すれば、中産層が生まれます。そうなると中産層は自由を求め、政治参加を要求します。投票権を求め、被選挙権を要求するようになります。要求が認められなければ問題が生じます。 

イギリスでは産業革命によって中産層が生まれました。彼らがそのような要求をすると、貴族らは気持ちよく明け渡しました。それでイギリスは平和革命となりました。 

フランスでは貴族らが要求を受け入れなかった。それで大革命が起き、皆殺しになりました。このことはどこの国であっても真理なのです。 

■揺るがぬ民主主義と、長続きしない民主主義

民主主義は只ではないということ、血と汗と涙を流さなければならないということ、最後は国民が同調するようにしなければならないということ、そうすれば成功し、そうして成し遂げられた民主主義は決して揺らぐことなく根を張ることができます。 

そうしないで外国勢力や偶然によって民主主義がなされても、そういうものは長続きしないということ、そういうことを申し上げたいと思います。 

以上が、200610月、金大中さんが全南大学でおこなった特別講演の民主主義論に関する部分のほぼ全訳である。 

The tree of liberty must be refreshedwith the blood

金大中さんが「民主主義は只ではない」と繰り返し強調し、米大統領トーマス・ジェファーソンの言葉として引用した「民主主義は血なまぐさい」は、金大中さんが韓国語で「민주주의는 피를 먹고 산다」と言ったのを拙訳したものである。 

このフレーズを例えばGoogle翻訳にかけてみると「民主主義は血を食べて生きる」という機械的な逐語訳が返ってくる。ジェファーソンは実際、どう言ったのか。立命館大学で学ぶ韓国からの留学生に調べてもらうと、「これだと思います」と次のような一文を示してくれた。 

The tree of liberty must be refreshed from time to time with the blood of patriots and tyrants. 

Google翻訳にかけると、「自由の木は、愛国者や暴君の血で時々更新されなければなりません」となる。英語に自信があるわけではないが、納得のいく訳語といえる。 

■「民主主義は闘いだ」

最近、フランスのマクロン大統領が「(人々が)民主主義に慣れてしまい、それが闘いであることを忘れている」と語ったという(6月11日付朝日新聞、杉山正欧州総局長)。欧州議会選での右翼政党躍進を伝えるなかで紹介された発言だが、闘いを止めれば、民主主義は後退するというのは真理であろう。

民主化運動記念行事で気勢を上げる参加者 5月17日 光州・錦南路

 

44年前の5月、銃撃の現場となった光州市のメーンストリート、錦南路一帯で開かれた今年の民主化運動記念行事を見ながらずっと考えていたのは金大中さんの「民主主義は只ではない」という言葉のことだった。

           


             立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

 

2024年6月7日金曜日

ハンギョレ新聞イ・ジェフン記者に聞く(下)/南北関係はどうなっていくのか

韓国のハンギョレ新聞記者イ・ジェフンさんは韓国政府の対応や南北関係のこんごの見通しについても話してくれた。

――韓国政府は北朝鮮の「2国家」路線をどう見ているのでしょうか。 

■「北は反統一勢力」

尹錫悦大統領は「反民族、反統一であり、歴史に逆行する挑発だ」と言いました。金暎浩(キム・ヨンホ)統一部長官(統一相)も「歴史に逆行する」と非難し、「統一は究極の目標であり、最重要課題だ」と言っています。簡単に言えば、北は反統一勢力であり、反民族的で、歴史に逆行する、北が統一をしないというなら、われわれがする――というのが尹錫悦政権の立場です。

韓国大統領室HP  尹錫悦大統領

――尹錫悦政権になって統一部(省)で南北交流を担う部門が統廃合され、人員も削減されました。保守層には「統一部をなくしろ」という主張もあったと聞いています。北の新路線で韓国の統一部もなくなる方向に進むのでしょうか? 

 ■存続する韓国の統一部

 逆でしょう。いま言ったように、北に対し尹錫悦大統領は「反統一、反民族、反歴史的だ」と非難しています。そんなことを言う一方で、統一部をなくすというのは理に合わないでしょう。尹錫悦大統領は外に向けても内に向けても「北が統一をしないというなら、われわれがやらないといけない。私がやろう」といったふうに主張していくと思います。統一部がなくなるとは想像しがたいことです。 

 ■南北逆転

 かつて金日成主席は口さえ開けば統一の話をしていました。朝鮮半島の外にいる人には統一に関しては北の方がある意味、南よりも優位にあるようにも見えたかと思います。北は経済的には劣っているが、民族の自主、統一という面では南よりずっと積極的で一定、政治的正当性もあるではないか、と。そんな歴史的関係が金正恩総書記のこんどの宣言で逆転しました。北の政権にとっては政治的に危険な状況といえるでしょう。 

 逆に、韓国政府にとって統一部は政治的資産になります。いまの枠組みが大きく変わらない限り、韓国はこの先どんな政権になっても統一部はなくならないと思います。 

――この間、韓国では「南北は統一指向の特殊な関係」という考え方が広く共感されていたように見えました。 

 ■「特殊関係」か、「2国関係」か

 その通りです。南北基本合意書ができたあと、南北に関することはすべてそれに基づいてやってきました。北に行くときはパスポートでなく統一部長官(統一相)の承認を受ける。ODA援助から北を除く。貿易でなく交易とし、輸出入統計に含めない。学校でも「北は外国ではない」と教えてきました。 

一方で、韓国では一部進歩的知識人を中心に「平和的2国関係を」とする主張がずっとなされてきました。北を国家ではなく「反国家団体」とする国家保安法に反対する立場から「南北が敵対的でない、平和的な2国関係になれば保安法は根拠を失い、そこから統一への道も開ける」とするものです。とくに若い層には「統一」より「平和共存」志向が強くなってきており、こんご、そんな主張も強くなるように思えたのですが、北の新路線で、そうした論議はかえって困難になるかもしれません。 

――南北分断は80年近くになります。若い層は「統一」より「平和共存」志向だといわれましたが、統一はしたくないということなのでしょうか。 

 ■北は他人ではない

統一への関心がないと言っても、例えば北朝鮮がどこかの国とスポーツの試合をするとなると、たとえそれが韓国との友好国であったとしても、韓国人の大部分は必ず北の方を応援します。外国人にはよく分からないと思いますが、韓国人が北を応援しないのは南北間で試合するときだけです。 

北朝鮮は貧しく、小さな国です。しかし、韓国人はEU委員長や英国首相の名は知らなくても、北の最高指導者の名前は、そこらの小学生でもみんな知っている。北は他人ではないと思っているからです。韓国人は保守的であれどうであれ、言葉では統一する必要はないと言っていても、いつか、そういうときになれば、統一すると思っているのです。 

――韓国を「敵対国家」とする北朝鮮の新路線はずっと続いていくのでしょうか。韓国とはもう、対話や交渉はしないのでしょうか。 

 ■「発展権」をどうするか

結論から言えば、変わる可能性はあると私は見ています。北朝鮮は米国と交渉するときなどによく「自主権」「生存権」「発展権」ということを言っていました。それでいうと、「自主権」と「生存権」は金正恩体制のいまの路線で最小限の目標は達成できるでしょう。しかし「発展権」は可能なのか、ということです。 

「発展権」を北朝鮮流に言えば、「瓦屋根の家に住み、白いご飯と肉のスープ」。つまり生存のレベルではなく、ちょっとゆとりのある暮らしということになるでしょう。それが中ロの援助でできるのか。できるならすでにそうなっていたはずです。だから、金日成主席の時代から米国、日本と関係正常化をしようとしてきたのです。 

「発展」の問題を解決するには米国、日本、さらには韓国とも関係を持ち、交流することが不可欠だということです。停戦体制を平和体制にかえる問題もあります。そう考えると「敵対的2国家関係」は、持続可能と断言し難いと思います。 

すでに見たように「2国家関係」というのは歴史的趨勢であり、戦略的、防御的なものです。しかし「敵対的」かどうかは相手の出方によって変わり得ます。北朝鮮がこの先も永遠に統一の話をせず、大韓民国を他国だと、ずっと言い続けることができるのかどうか。そういうことはできないように私には思えます。 

――韓国の尹錫悦政権は敵対政策を続けていくのでしょうか。  

 ■「北カード」

変わる可能性がないとは断定できません。もちろん尹錫悦大統領の基本認識に照らすと真摯な意味での対北政策変更はまず期待できないといっていいでしょう。しかしこの春の総選挙で野党が圧勝したことで国政運営が難しくなっています。就任以来この2年間の米日偏向外交で韓国の外交的立場が弱まって来てもいます。そんな状況にあって活路を南北対話に求めようとする可能性も排除できないと思います。 

歴代の保守政権、李明博政権や朴槿恵政権も、行き詰った時には「北カード」を使おうとしました。全斗煥政権のときもそうでした。もっとも、政権の狙い通りに行くかどうかは、別の問題ですが……。 

――最後に、ご自身はいま、朝鮮半島の平和と統一について、どう考えておられるのでしょうか。 

 ■真の平和のために…

 今のような状況で、仮に、統一か平和か、どちらか一つを選べと言われれば、私は平和を選びます。しかし統一なしに真の平和はむずかしいと思います。統一は困難だけど、私たちが進んで行かなければならない道なのです。

 

イ・ジェフン(이제훈/李制勲) 1965年生まれ。ソウル大学社会学科卒。北韓大学院大学で博士。93年ハンギョレ新聞入社、編集局長などを経て現在、同紙政治部統一外交安保チーム先任記者。近著に『非対称な脱冷戦1990~2020:平和への細い回廊に刻まれた南北関係30年』(市村繁和訳、 緑風出版)。非対称な脱冷戦1990~2020 李 制勲(著/文) - 緑風出版 | 版元ドットコム (hanmoto.com)

                                    おわり

立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清