■米CIA支部長の緊急電話
「12・12」のあの夜、米国も驚き、焦っていた。
12月13日午前3時ごろ、米CIA韓国支部長のロバート・ブリュースターは全斗煥に電話をかけた。副官の黃震夏少佐(のちに国会議員)が受話器を取った。
黄震夏はそれまで、ブリュースターと何度か会っていた。保安司令官の全斗煥とブリュースターが面会する度に、黄少佐は通訳を務めていたのだ。
「事態はとても深刻に推移している。わたしに手伝えることはないだろうか?」
黄少佐を通して全斗煥は答えた。
「崔圭夏大統領は盧載鉉国防部長官の行方を捜しているんだが、どこにいるのか分からない。盧長官が早く崔大統領のもとへ行くことが、事態の収拾に役立つと思う」
▽国防長官を確保
それから20分ほどしてブリュースターからまた、電話がかかった。
「国防長官の所在を突き止めた。崔大統領のところへ行くよう伝えた。盧長官が大統領のおられる三清洞の総理公邸まで行くとして、身辺の安全を保障できるか」
全斗煥は答えた。
「もちろん、保障する。即刻、盧長官に総理公邸に向かうよう伝えてほしい」
三清洞の総理公邸へ行くには、保安司令部の前を通らなければならない。
全斗煥は素早かった。通信を掌握した反乱軍の一味は、盧載鉉長官が総理公邸に着く直前に、その前に立ちはだかった。彼らは盧載鉉に対し、前もってクーデターの状況について説明し、反乱軍の立場に沿った報告をおこなった。大勢はすでに決しており、首を縦に振った盧載鉉は、三清洞の公邸へと向かった。
30~40分後、盧載鉉は帰路にまた、保安司令部に立ち寄り、全斗煥司令官と10分余の間、二人だけで話をしてから立ち去った(黃震夏の目撃談)。
▽米8軍司令官の激怒
駐韓米第8軍司令官のウィッカム将軍は激怒した。
盧泰愚が師団長の第9師団第29連隊は米第8軍の統制下にあったため、なお更だった。さらに、国防部に向かっていた彼の車に流弾が当たってもいた(盧泰愚の話)。盧載鉉国防長官は一時、米第8軍のバンカー(地下壕)にウィッカムといっしょに避難していたが、彼の車を借りて国防部に向かっていたところ、第1空挺旅団が突入してきて銃撃戦に巻き込まれた。米軍の運転手は命の危険を感じた、という(ウィッカム回顧録)。
12・12事件の後、韓国軍の将官たちの米軍ゴルフ場への立ち入りは禁止となった。それほどウィカム司令官の怒りは激しかった。
▽国防長官を横取り
申鉉碻の証言――。
午前3時ごろ、なんとか内乱の衝突を食い止めている状況にあって、やっとのことで盧載鉉国防長官と連絡が取れた。「何が起きているか分かっているのか? どうしてすぐに大統領のいるここに来ないんだ?」と厳しくなじった。長官は答えた。
「行けません。いま、銃撃戦が発生し、双方が対峙しているというのに、どうやって行くというのですか? ここを突破して行くことは不可能です」
申総理は問い直した。
「なら、わたしがそっちに行こう。わたしといっしょなら、こっちに来ますか?」
臆病者の長官は、そうすると答えた。
銃撃戦でものものしい中へ申総理が踏み出そうとすると、崔圭夏大統領は心配そうに「ほんとうに行ってくださるのですか」と聞いた。車に乗り、鍾路2街の鐘閣付近に差し掛かると、戦車が立ちはだかった。「国務総理だ」と叫んでも、兵士らは聞く耳を持たない。あちこちで押し問答をしながら、やっとのことで龍山の国防部庁舎にたどり着いた。午前3時50分ごろのことだった。
国防部の玄関は、第1空挺旅団の突入によってめちゃくちゃに壊され、四方にガラスの破片が飛び散っていた。内乱の現場――文字通り、そのような状況だった。
盧載鉉長官をなんとか車に乗せ、総理公邸に向かった。
ところが、長官は総理公邸の手前にある保安司令部の前で、降りた。全斗煥は要所で待ち伏せをしていて、長官をうまく、「横取り」したのである。実際のところ、盧載鉉にとって、鄭昇和か全斗煥かのどちらかを選べ、と言われれば、迷うことなく全斗煥の方を選んだはずだ。10年前の陸軍参謀次長の頃から培ってきた、義兄弟のような関係にあったからである。
▽事後承認
盧載鉉は国防長官として、鄭昇和参謀総長への捜査着手計画書に遅ればせながら事後承認の署名をした。そして、崔圭夏大統領と申鉉碻総理の前で、大統領の裁可を進言したのだった。
申鉉碻総理は、こう証言している。
「虚脱感に襲われた。クーデター軍の将官らを引き連れてきて威嚇する全斗煥に立ち向かい、内乱を阻止しようと明け方までがんばってきたというのに、軍に責任を負う国防部長官がこうも意気地なしだったとは……」
崔大統領はクーデターの将官たち(とくに白雲澤[全斗煥、全斗煥と同じ陸士11期。ハナ会創設メンバーの一人])の脅迫にも耐え、「死ぬかと思った」と告白(金鍾泌にそう言ったという)したほどだったが、国防長官が白旗を上げたのでは、どうしようもなかった。
崔大統領は裁可の書類に署名するとともに、とくに、その時刻を書き添えた。後日、反乱軍の暴力で、やむを得ず事後承認したのだということを知らせようという趣旨からだった。
1979年12月13日05時10分。
クーデターはいったん成功した。
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| 12月13日午前5時10分。崔大統領は事後承認であることを証拠として残した。 |
▽米国側の詰問
12月13日、夜が明けると、米CIAのブリュースター支部長から保安司令部にまた、連絡が来た。グライスティーン駐韓米大使が、合同捜査本部長の全斗煥に会いたがっているというのだ。午前10時に米国大使館職員官舎の貴賓室で会うことになった。
全斗煥と保安司令部情報処長の権正達、そして副官の黄震夏少佐が官舎に入ると、貴賓室の入り口には、鉄格子が張り巡らされた黒色のバスがエンジンをかけたまま止まっていた。玄関では大きなシェパード犬が牙をむいて警戒にあたっていた。緊張した黄震夏少佐は、ジャンパーの内ポケットにある拳銃を確認し、深呼吸をした。撃たれたら、撃ち返さなければならない。
全員で6人だった。米国大使、ブリュースター、通訳、そして全斗煥、権正達、黄震夏。
グライスティーン大使が切り出した。
「米国は昨夜発生した韓国内の事態を大変憂慮しており、深刻に注視している。前線の兵力を米韓連合軍司令部の承認もなく動かしたのは、深刻な問題だ。どうしてこういうことが起きたのか」(米大使)
「朴大統領暗殺事件を捜査する過程で発生したことだ。捜査は最終段階に入っているが、犯人の金載圭と陸軍参謀総長の鄭昇和の供述に食い違いがあって捜査を終えることができない。2人を対質尋問しようとしていて、この事態となった」(全斗煥)
▽「捜査だけが目的」
「陸軍参謀総長が連行され、軍に動揺が生じている。北朝鮮の動向に特異な点はまだ、ないとはいえ、心配だ。朝鮮半島の安全保障は同盟国であるわれわれの最大の関心事だ。本当に、純粋に暗殺事件の捜査が目的だったのか?」(米大使)
「わたしは国家元首を殺害した歴史的な事件の捜査責任者だ。確実に捜査しようとしているなかで起きた事件について、どうして純粋かどうかなどと聞くのか?」(全斗煥)
「軍部の動揺が心配だ。それが安保に影響しないか、憂慮される」(米大使)
全斗煥はさらにすっとぼけ、ふてぶてしくも、こう言い逃れた。
「純粋な捜査が目的だということは明らかだ。それに大使はご存知なのか? 大統領殺害事件は、背後で米CIAが金載圭を操っていた、という噂で持ちきりだということを。確実に捜査しないとそんなことも解明できないではないか?」(全斗煥)
黄震夏はその日、米国は全斗煥の真意を探ることに集中していると感じた。そんななか、全斗煥はけろっとした詭弁で、最初のボタンを間違えることなく、うまくかけることに成功したのである。
訳:波佐場 清






