■崔炯佑を誘惑、「長官をやってみないか」
1982年6月2日、兪学聖が安企部長を退いた。
兪学聖は、「最後の工作」として金泳三の2回目の自宅軟禁について署名し、盧信永に後を引き継いだ。
盧信永は、緻密でスマートな文官の特長を生かし、精力的に仕事をした。
全斗煥大統領は「安企部長として100メートルを走破できないというなら、70メートルだけでもやれ」と言ったのだが、盧信永はその及ばない30メートル分を「忠誠心」で埋めようとするかのように奮闘した。
▽懐柔工作
金泳三の部下の崔炯佑(のちに金泳三政権で内務部長官)を寝返らせる懐柔工作も繰り広げた。よりにもよって、野性味にあふれ、気も強い崔炯佑を標的に選んだのは、盧信永・玄鴻柱(安企部次長)チームの大胆かつ奇抜な離間策だった。
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| 崔炯佑(左)は金泳三(右)の最側近で、「斬り込み隊長」と言われた |
うまくいけば、世間の話題となり、「大ヒット」になるはずである。
盧信永はまず、玄鴻柱次長に崔炯佑と会うよう指示した。
玄鴻柱の「会いたい」という申し出に崔炯佑は、軟禁状態にあるボス(金泳三)に相談したところ、「会って、向こうの話を聞いてみろ」というのだった。
プラザホテルで会った玄鴻柱について、学者タイプの人物だ、と崔炯佑は感じた。
「印象もよく、大学教授みたいな方なのに、われわれ野党の政治を翻弄するつもりですか。あなたはずいぶんと悪質だという噂だが、立派なポストに就いているんだから、いい仕事をたくさんやってくださいよ」(崔)
「お噂はずいぶんと聞いております。大活躍のようですね。この間、申し訳なかったことも多かったと思いますが、政治をやっているとやむを得ないようなことも生じてしまうようです」(玄)
▽「政府に入って仕事をしては…」
言葉をはぐらかしていた玄鴻柱だったが、本題に入った。
「崔先生、政府のほうに入ってきて仕事をしてみてはいかがでしょうか。第5共和国の理念や政策は、そう悪いものではありませんよ」(玄)
崔炯佑は即座に断った。
玄鴻柱はこの後も、さらに何度か連絡してきた。崔炯佑や金泳三としては敵情について知ることも必要だったため、会うこと自体は断らなかった。北朝鮮との南北会談にしても、成果がどうのというより、敵情探索の意味合いが大きいのではないか。
引き続き誘いを断り続けると、こんどは崔炯佑の東国大学の同窓である政務長官の鄭在哲を送ってきた。保健社会部長官か建設部長官をやってみないか、というのだった。鄭在哲は「おいおい、ご先祖様のおかげでいま、運が向いてきているんだ。せっかくのチャンスなんだから、ひとつ、出世してみろよ。この運が冷めてしまえば、それまでだぞ」と、とぼけながら愛嬌たっぷりに誘惑した。それでも、崔は揺るがなかった。
すると、こんどは安企部長の盧信永が直接、乗り出してきた。執拗だった。
▽「野党だけが愛国ではありません」
ソウル宮井洞の秘密の施設で盧信永と会った崔炯佑は、こう言った。
「盧部長は合理的で、何ごとも理にかなったやり方で進めて行かれる方だと聞いています。そのポストにおられる間に良い仕事をたくさんなさり、歴史の上で高く評価されますよう願っています」(崔)
「わたしの若いころの夢は、大学教授になることでした。こんな仕事をすることになるとは夢にも思っていませんでした。ところで、崔先生。大統領閣下は先生のことが、ずいぶんと気に入っておられるのです」(盧)
盧信永はポケットからメモ紙1枚を取り出し、それを見せながらこう続けた。
「閣下からの、あなたを説得して政府でいっしょに仕事ができるようにしろ、という特別な指示です。わたしたちが身辺調査をしてみたところ、あなたは清廉潔白であり、あなたこそがわたしたちの追い求める理念にそのままぴったりの政治家だ、と閣下は繰り返しおっしゃっています。野党をすることだけが愛国ではありません。大統領の側(そば)にいて、あの方が正しい道を歩まれるよう、国家と民族のためにいちど力を合わせてみましょうよ」
崔炯佑は首を横に振りながら言った。わたしにそのような能力はない、同志を裏切ることはできない、わたしは民主主義をやろうというのであって、出世に関心はない――と。
▽「危うく、寝返るところだった」
それでも盧信永部長は頑なに食い下がってきた。崔炯佑は、こう回顧している。
「盧信永の説得が繰り返されると、わたしも心が揺らぎ始めた。『どんな大木であっても、何度も斧を入れると必ず倒れる』ということなのだろうか。すべてをなげうって苦労ばかりをしてきた妻に少しは贅沢でもさせてやろうか、という思いもよぎった。ひとつ、いいポストでももぎ取り、この間自分をいじめてきた奴らを見返してやろうかという、とんでもない思いにまで駆られた。妻が『義理は守らないといけない』と言って、しっかりと引き止めてくれなかったなら、危うく寝返ってしまうところだった」
盧信永は「長官が嫌なら、民正党公認で総選挙に出馬したらいい」と勧めたりもした。
「将来、2金氏(金泳三、金大中)の新党ができると思いますか? おそらく駄目でしょう。金泳三氏の政治生命は、もう終わりました」(盧)
ソフトで落ち着いたもの言いだったが、棘が潜んだ言い方だった。
「どういうことなの? わたしは金泳三総裁に20年も仕えてきた人間だ。あなたたちが言うように、仮にあの方の政治生命は終わっているとしよう。そうなのだとしたら、その死体を踏みにじり、変節してあなたのところを手伝え、ということなのか。わたしは、民正党に行くくらいなら、むしろ国会議員などやらないでおこうと思う」(崔)
▽妻にも工作
安企部長の盧信永は、まことにしぶとかった。
崔炯佑には内緒で、崔の妻(元英一)まで宮井洞の秘密の施設に呼び出して説得し、崔炯佑を取り込もうとした。ところが、意外にも、妻は夫の崔炯佑以上に断固とした態度で拒み、誘惑をはねのけたのだった。崔炯佑はのちに筆者のインタビューにこんなことを言っていた。
「あのとき、踏みとどまったのは、どれほどよくやったことか。下手をして変節し、寝返ったりしていたら、全斗煥大統領の海外歴訪に随行し、ビルマのアウンサン廟爆破テロ事件(1983年10月9日)で、あの世行きということにもなりかねなかった」
そのころ、全大統領は、盧信永のこのような真面目な粘り強さと忠誠に感心しきりで、絶賛していた。そこには前任の安企部長兪学聖が、許和平と許三守という2人の実力者の顔色をうかがっていたことにたいする無念さも滲んでいるように見えた。
全斗煥はこんなことを言っていた、という。
「歴代の情報部長は、無学な石頭どもだった。それに比べると、盧信永部長は責任感が強く、熱心だ。いまに至るも、ずい分とたくさんの本を読んでいる。在野の咸世雄神父のような人物にたいしても、6時間も食事もせずに説得し続けるなど、自分から進んで積極的に仕事に取り組んでいる」(1982年10月22日、朴哲彦の記録)
訳:波佐場 清




