本ブログで翻訳連載している金忠植著『5共 南山の部長たち』(全2巻)は、前回で上巻の第1巻が終わり、今回から下巻の第2巻に入っていく。下巻を始めるに当たり、金忠植氏は改めて、本書を著した目的や感慨などを「序文」として載せている。今春、訳者に寄せていただいた一文と併せ、ここに紹介しておきたい。(訳:波佐場 清)
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| 金忠植氏 |
<第2巻の序文>
■歴史の大平原に逃げ場はない
▽権力という致命的な誘惑
本書は、第5共和国(5共)で国家安全企画部長(中央情報部長)を歴任した5人が、権力という、その致命的な誘惑の前で踊り、もがいた軌跡を追跡したドキュメンタリーである。主人公の5人は、全斗煥、兪学聖、盧信永、張世東、安武赫で、その一人ひとりについて、傲慢な権勢、権力乱用、忠誠競争、不法行為、そして自分なりの「憂国の熱情」のドラマや、埋もれていた秘話を掘り起こして記録した。
全斗煥時代とも呼ばれる5共は、3段階に区分できる。
▽第1段階
第1段階は1980~82年半ばの概ね2年余である。軍事反乱(「12・12反乱」)を画策し、5共政権という「お膳立て」(全斗煥の表現)をした全斗煥少将や許和平、許三守両大佐らの「反乱実行チーム」が天下を意のままに動かした時期である。反乱に成功し、「南山」(情報部)を占領して指揮を執ったのは、国軍保安司令官の全斗煥と、かれの軍の先輩である兪学聖だった。
<全斗煥>
朴正煕時代最後の中央情報部長だった金載圭と李熺性・臨時情報部長の後任として「お手盛り就任」した(1980年4月14日)。多くの反対を押し切って中央情報部長を兼ねた保安司令官の全斗煥は、朴正煕大統領暗殺犯の金載圭を処刑し(同年5月24日)、情報部の予算(国庫)120億ウォンを「撒き餌」としてばら撒(ま)いて5共時代を切り開いた。全斗煥は、金大中の逮捕や光州民主化運動の押さえ込みや既存の政治家に対する粛清といった、獰猛な反対勢力一掃作戦を主導し、大統領に昇りつめた。政治の過渡期を血まみれのなかで統治し、5共の「創業オーナー」となった。
<兪学聖>
「12・12軍反乱」(1979年)における「看板5人組」[全斗煥、盧泰愚、兪学聖、黄永時、車圭憲]の一人として情報部長に就任した(1980年7月)。実力者である大佐の許和平、許三守らを宥めながら情報部を率い、情報部を国家安全企画部(安企部)と改称した。しかし、5共を創出した捜査権力の保安司令部があまりにも強力な時期であり、若干、その引き立て役に甘んじた感がある。1982年春の李哲煕・張玲子夫婦による手形詐欺事件をめぐり、「全斗煥の親族にたいする断罪」を求めた「2許」(許和平、許三守)に同調して全斗煥の不興を買い、更迭された。
▽第2段階
第2段階は、1982年後半から85年2月12日の総選挙までだ。国家統治に自信を深めた全斗煥は、頭が痛かった創業同志である大佐の「2許」(許和平、許三守)を放逐する。全斗煥は、「2許」と密接な関係にあった安企部長の兪学聖を叩きつぶし、文官(外交官)の盧信永を安企部長に据えた。意表を突く、突発的な起用だった。そして、「2許」が煙たがっていた「2許」の陸士先輩である張世東を青瓦台の警護室長に据えたかと思うと、1982年12月には、とうとう「2許」を「宮廷の外」へ追い払ってしまう。
<盧信永>
中央情報部から安企部へと続く歴史において、初の文民出身の部長だった。外務部長官の時代、日本から100億ドルの外資を導入(韓日経済協力)しようという交渉を誠実にバックアップして全斗煥の信任を得た。安企部長時代、死刑囚だった金大中の釈放と渡米、在野宗教界との接触、野党の大物である崔炯佑の懐柔工作(離間策)など、あまり目立たない水面下の裏工作で全斗煥を感服させた。安企部長からそのまま国務総理に昇進、「5共最強の文官」として一時期、後継者の隊列にまで昇ったが、そこまでだった。
▽第3段階
第3段階は、1985年から88年にかけての、民心(民意)が離れ、「6月抗争」を経て大統領直選制が導入されていく移行期だ。強圧的な統治が限界に達し、野党、大学街、宗教界の闘争が激しくなる。ソウル・オリンピック(1988年)という国家的目標の前に、軍隊を動員して戒厳令というわけにもいかず、代わりに警察、検察、裁判所を押し立てた防衛戦を展開、それを背後から安企部が操った。不義の手先となった司法権力は、嘲(あざけ)りの対象として修羅場と化した。次から次へと噴き出す政権の矛盾に、鉄拳の腹心である張世東も右往左往するばかりでどうにもならず、自滅する。「6月抗争」で大統領直選制の導入が確定すると、安武赫が次の安企部長を引き継ぐことになる。
<張世東>
1985年2月12日の総選挙で金泳三と金大中が率いる新民党が躍進するや、黄昏(たそがれ)へと傾く5共政権の抑えの切り札として登板した。しかし、「強烈パンチの腹心」とされた張世東といえども、燃え上がる野党、在野、大学街の闘争の熱気には敵わず、無理筋を連発。ソウル大女学生にたいする富川警察署性拷問事件、政治ゴロを雇って野党の結成を妨害した「ヨンパリ事件」、スパイ捏造事件、ソウル大生朴鍾哲君拷問致死および捏造・隠蔽事件など、歴史に刻まれる汚点を残した。結局のところ、1987年5月、権力の舞台から退場していった。
<安武赫>
盧泰愚が5共の後継者として与党民正党の大統領候補に決まるころになって登場してきた。全斗煥と盧泰愚が額を突き合わせ、5共から6共(第6共和国/盧泰愚政権)への橋渡し役を果たす安企部長として安武赫を選んだ。安武赫は、李春九(民正党事務総長)とともに盧泰愚大統領時代を切り開いた「功臣」だった。しかし、6共が軌道に乗ると、盧泰愚の妻のいとこにあたった実力者の朴哲彦と、安企部内でぶつかるようになり、自ら辞めていった。
▽永眠の地、定まらぬ全斗煥
2021年秋にこの世を去った全斗煥は、この拙文を書いている今この瞬間もまだ、永眠の地が決まっていない。それなりに一時代を風靡した軍人、8年余にわたって一国を統治した元大統領としては、たとえそれが自らの業報なのだとしてもあまりにも虚しく、悲惨である。
いま、改めて思うのは、歴史の大平原に逃げ場はない、ということだ。全斗煥と、かれを護っていた南山の権力者たちが、いつかは歴史という名の果てしない大平原に凍える裸で立たされることになる、という厳然たる事実を前もって知っていたとしたなら、どうだっただろうか。今日の、そして未来の権力の担い手たちが、そのような「定められた運命」を直視できたなら、「愚か者たちの行進」も変わるのではあるまいか。
2022年5月 金忠植
<訳者に寄せられた文章>
■自宅に安置されたままの遺骨――分かれる評価
全斗煥(1931~2021)は、大統領として韓国を8年間にわたって統治した。しかし、没した後も永眠できる墓地を見いだせずにいる。2021年、波乱万丈の生涯を閉じたが、火葬された遺骨は今なお、生前に住んでいたソウル・延禧洞の自宅に置かれたままである。韓国の葬儀慣習としてはまったく、異例のことである。
▽さまよえる魂
国立墓地には埋葬することができない。歴代大統領たちと違い、反乱罪と内乱罪が確定していて埋葬資格がないからである。このため遺族らは2023年、やっとの思いで北朝鮮に近い京畿道・坡州の丘に墓地をいったん確保はした。
生前、「北の地が見える最前線の高台に、白骨となってでも留まり、統一の日を迎えたい」と遺言していたからである。
しかし、現地の坡州住民や自治体の反対により、この計画は霧散した。遺族は、他の地域でも同様の拒否運動や、報復的な墓の掘り起こしのようなことが起こらないかと恐れている。それで、かれの魂は安住できず、彷徨(さまよ)い続けているのである。
▽米紙は評価
全斗煥が1988年2月、韓国の大統領(第11代、12代)を退任した当時の米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の記事を見てみよう。そこでは好評を得ていた。
「韓国の全斗煥大統領は、実に不可思議な人物だ。在任中、成長・物価・国際収支という経済政策の三大目標を同時に達成した大統領だった。多くの国の指導者が一羽のウサギ(一兎)さえ捕まえられずにもがいているというのに、かれは三羽のウサギ(三兎)を同時に捕まえたのだ。それなのに奇妙なのは、これほど驚異的な業績をあげたというのに、かれほど国民に人気のない大統領はかつていなかったという事実である」(WSJ報道、イ・ジャンギュ(이장규)著『経済は、君が大統領であってこそ』)
▽リー・クアンユーも評価
外国の指導者の評価も悪くない。
シンガポールのリー・クアンユー首相(1923〜2015)も高く評価していた。リーは1996年、金泳三政権の全斗煥への断罪について、回顧録にこう記している。
「金泳三政権下でおこなわれた1996年の『歴史の立て直し』裁判は、全斗煥と盧泰愚を破滅させただけでなく、現代韓国を創ることに貢献した人物たちを傷つけた。そうして韓国人はすべての権威にたいして幻滅を感じたり、冷笑したりするようになった。全斗煥と盧泰愚は、当時の韓国の基準にかなう行動をしただけであり、決して悪党ではなかった」(『リー・クアンユー回顧録』)
▽ジェットコースター人生
全斗煥は悪党以上の罰を受けた。1996年、金泳三政権下で、次のような恐るべき罪状により一審で死刑を宣告された。二審で無期懲役に減刑され、それが大法院で確定した。
罪状は以下の通りである。
反乱首魁、反乱謀議参与▽反乱重要任務従事▽不法進退▽指揮官戒厳地域守所離脱▽上官殺害▽上官殺害未遂▽哨兵殺害(以上、1979年の「12・12クーデター」事件)
内乱首魁▽内乱謀議参与▽内乱重要任務従事▽内乱目的殺人(以上、1980年「5・17内乱陰謀事件」)
特定犯罪加重処罰法違反(収賄)(賄賂2205億ウォンを追徴された事件)
ドラマ以上の暗転ではないか。
経済成長において輝かしい業績を残した大統領としての全斗煥と、退任後に反乱罪・内乱罪・収賄罪で死刑判決を受け、二審でようやく無期懲役となって生き長らえた全斗煥。筆者はその極端な浮沈、まるでジェットコースターのような人生を掘り下げてきた。本書は、その興味深くも不可解な波瀾万丈の軌跡を取材し、記録した「全斗煥一代記」でもある。




