■「金大中を殺しても、時間が経てば忘れる」
金大中は死刑場のとば口に立っていた。グライスティーン元駐韓米大使の回顧――。
「全斗煥の最側近(許和平、許三守、許文道、李鶴捧)をはじめ、韓国の若手将校(ヤング・カーネル)たちの間に「反金大中」感情が広がっていることがよく分かっていたわたしたちは、(カーターが敗北し)レーガンが当選した米大統領選(1980年11月4日)の結果を彼らがどう受け止めるか、深く憂慮していた。新軍部内では驚くほど多くの者が金大中の処刑を求めていた。もし、ここで金大中を殺しておかなければ、また、政治の舞台に甦ってきて、彼らのこの間の『救国の努力』が無駄になってしまう、という主張だった。ひどいのになると、金大中をいったん処刑さえしてしまえば、外国人はいまは非難していても、そのうち時間が経てば忘れるだろう、などと公然と処刑を叫んでいた」
グライスティーンは急ぎ、米国へと飛び立った。
いや、米国に発つ前、ソウルにいるときから八方手を尽くして走り回っていた。
▽米国の救命努力
1980年5月17日夜に金大中が逮捕され、南山の地下室に連行されたあと、米国は、ワシントン駐在韓国大使の金溶植やソウルの戒厳司令官・李熺性および(ただのお飾りとなった)崔圭夏大統領に強力に抗議した。それ以来、金大中のことは、グライスティーン大使またはジョン・モンジョ副大使が全斗煥と十数回にわたって面会した際の最重要、あるいは唯一の議題となっていた。ワシントンでも米国の当局者らは、韓国の主要人物と会う際には必ず、金大中のことを取り上げていた(『グライスティーン回顧録』)。
グライスティーン大使は、金大中救命のために保安司令官の盧泰愚とも会った。新軍部の中心的な人物であり、全斗煥が最も信頼を寄せる人物だったので会ったのだという。また、外務部長官の盧信永とも会った。盧信永は崔圭夏大統領よりも新軍部に近く、信頼されていると大使は感じていた。
グライスティーン大使、モンジョ副大使、そして米第8軍のジョン・ウィッカム司令官や高級将校らは、彼らが知っている限りの影響力のある韓国軍将校や民間人当局者らに、金大中処刑という「極端に単純化された考え方」は誤りであることを納得させようと、組織的に奔走した。
大法院の確定判決を前に、状況は切迫していた。
▽北朝鮮カード
朴正煕軍事政権には、大法院の死刑判決からわずか18時間後に8人を処刑[1975年4月に判決が下された第2次人民革命党事件]した歴史がある。朴正煕1人の決定が8人を殺したのだが、いま、金大中1人を、8人よりずっと多い数の実力派の大佐や将官らが殺そうと息巻いている。
80年11月13日、グライスティーン米大使は外務部長官の盧信永と会い、爆弾発言をおこなった。
「金大中を殺せば国際社会でのけ者にされ、米国のメディアや議会で非難が高まるだろう。それ以上に深刻なのは米国の対北朝鮮政策が変わりうるという点だ」
意外なカードだった。盧信永は驚いた。
「ずいぶんと前から米国には、北朝鮮との関係を打開しようとする米国人が存在してきたことは盧信永長官もご存知のことと思う。そんな彼らが金大中の死刑を口実に、長い時間をかけて温めてきたその野望(韓国を孤立させて北朝鮮と直取引をすること)を正当化することだろう」(米大使)
そうなると、最悪である。
▽米国防長官の訪韓
盧信永は、驚いたそぶりを見せず、わざと共感してみせながら「大統領と金瓊元秘書室長に、大使のお言葉を報告する必要がありそうです」と答えた。
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| 全斗煥大統領(左)は1980年12月13日、ブラウン米国防長官(中央)と会談した。右端はグライスティーン駐韓米大使 |
そう言いながら、盧信永は一つの交渉カードを持ち出した。
折から、ハロルド・ブラウン国防長官が日米間の協議で東京に立ち寄ることになっていた。そこで、そのついでにソウルにも足を延ばしていただくわけにはいかないものかと頼んだのである。
「そうすれば、金大中の問題について大統領を説得するうえで役立つのか」(米大使)
「その通りだ」(盧信永)
この妙案は「神の一手」だった。
▽ターニングポイント
全斗煥はブラウンの訪韓を手放しで喜んだ。こうして、ブラウン長官が12月中旬にソウルにしばし立ち寄ったことがターニングポイントとなった。全斗煥はグライスティーン大使に会ってブラウン訪韓への力添えに感謝した。それより前、大使はカーター大統領の「金大中救命親書」を大法院の判決直前に、牽制用として全斗煥側に手渡していたのだが、そのことについて不平を言うこともなかった。金大中について「悪い政治家だ」などと、それまで毒づいていたような悪口も言わなかった。それほどまでにブラウン訪韓を強く望んでいて、うれしかったようだ。
▽「米国への借り」に言及
12月13日、ブラウン国防長官は会談の終わりに、全斗煥に静かに語りかけた。グライスティーン大使に言われた通りに言ったのである。
「金大中を処刑するようなことになれば、将来、わたしたちの安保と経済関係に深刻な影響が及ぶことになるでしょう」(ブラウン)
「裁判所の決定を尊重するほかありません。大法院が死刑を確定すれば、執行するほかありません」(全斗煥)
全斗煥はいったん、突っぱねてみせた。
しかし、そう言いながらも、「米国にたいする韓国の歴史的な借りや経済および安全保障関係の重要性もある。米国の勧告について慎重に考慮してみたい」と付け加えた。そばで聞いていたグライスティーン大使は、そんな言葉の最後の部分に注目した。「全斗煥が『借り』について話し、米国の見解を念頭に置くと語ったのは成果だ」と、本国に送る報告書に書いた。
一筋の希望を感じたのである。
▽「金大中の死を傍観するのか」
グライスティーンは、ワシントンに帰ってからも奔走した。
グライスティーンの急報を受けたカーター政権のエドマンド・マスキー国務長官は、レーガン次期政権の発足に向けた政権引き継ぎチームのリチャード・アレン国家安全保障担当補佐官と連絡をとった。そして、「レーガンの当選によって金大中が殺されることになる」「米国は金大中を何としても助けなければならない」と訴えた(『李姫鎬自伝』)。
国務長官のマスキーは、金大中の救命が米国の国益であると確信していた。
レーガン次期大統領側のアレン補佐官にたいして「金大中救命のために、任期末のカーター政権と次期レーガン政権で共同声明を出そう」と提案した(民主韓国日報)。
しかし、アレンはこれを拒んだ。いや、受け入れることはできなかった。
というのも、81年1月20日にレーガン新政権が発足するまでは「カーター政権の外交問題に口出ししない」という政権引き継ぎチームの内部決定があったからだ。アレンの反応が冷ややかなことが分かると、マスキーはこう言い放った。
「金大中は、あなたと同じカトリック教徒だ。このまま金大中が死ぬのをただ傍観しているつもりなのか」
訳:波佐場 清





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