2016年2月20日土曜日

平和協定へ話し合いを/金大中さんと夢の中でインタビュー②



夢の中での金大中大統領とのインタビューは続く。
―この緊迫した状況、どうしたらいいのでしょうか。

「具体的な方策の前に、まず北朝鮮が何を考えているのかを知っておく必要がある。なぜ、核実験やロケット発射を繰り返すのか。そこには国内的な理由―、国威発揚とか、5月の第7回労働党大会に向けて金正恩第1書記の求心力を高めるといったことも確かにあるだろう。しかし、それはなにも今回、金第1書記が初めてやっていることではない。核実験もロケット発射も金正日総書記の時代から繰り返している」

■平和協定求め、米国にサイン
「重要なのは、背景にあるもの―一言でいえば、要するに米国に対する脅しと言おうか、一つのサインなのだ。1950年6月に勃発した朝鮮戦争は法的にはまだ終わっていない。休戦状態でしかない。言ってみれば、『一時撃ち方やめ』の状態。だから不安定で、韓国と北朝鮮の間に引かれた休戦ラインを挟んでしょっちゅう小競合いや衝突が起きている。そこで、そんな休戦体制を平和体制に変えよう、いまの休戦協定に代わる平和協定を結ぶ話し合いをしよう、と北朝鮮は米国に求めている」

「これは、北朝鮮の一貫した主張なのだが、今回とくに昨年1月から、平和協定の締結を真正面から掲げて米国に話し合いを迫っていた。それを米国は『核放棄が先決』とする『戦略的忍耐』政策で事実上、無視してきた。北朝鮮にとって米国との平和協定締結は自らの体制の生き残りをはかるうえで欠かせない。核実験とロケット発射は、今の休戦体制がいかに危ういものであるかを米国と国際社会に再認識させることで、米国を交渉に引き込もうとしている面がある」

<朝鮮戦争休戦後、北朝鮮は南北間の平和協定を求めていたが、1970年代に入って「米朝間」を求めるようになった。「朝鮮半島に展開されている武力の統帥権を握るのは米軍と朝鮮人民軍だけだ」とする論理だ。80年代に入って、これに韓国を加えた「3者会談」を提案。以来、「米朝で平和協定、南北で不可侵宣言」という基本路線を維持している。90年代に入ってからは、休戦協定に代わる米朝間の「新しい平和保障システム」づくりを主張、現在の休戦体制がいかに危ういかをアピールしようとしているとみられる「意図的な挑発」も繰り返している>

<北朝鮮側のこうした「平和攻勢」を、韓国側は「在韓米軍を撤退させ、その隙をついて南侵を企てようとしている」と警戒してきた。休戦協定に替えて平和協定が結ばれる、つまり平和が保障されれば、韓国内に外国軍隊が駐屯する理由はなくなる―という論理を北朝鮮は展開してきたからだ>

―核実験やロケット発射は国際ルール違反だ、というのが日米韓に限らず、中国も含めた国際世論です。北朝鮮の主張は、国際社会では通用しません。

■圧力では解決しない
「日米韓は制裁と圧力一辺倒で、これは極めて危険だ。北朝鮮は果たして圧力をかければ降参して核を手放すだろうか。そんな柔な政権なら、とうに崩壊してしまっている。だから、やっかいなのだ。『太陽政策』と逆の『北風路線』は北をますます頑なにさせ、却って核にしがみつかせる結果を招いている。『核も経済も』という北の『並進路線』は要するに、南北の国力格差が大きく広がる中、米韓の軍事圧力に対抗していくうえで一発逆転の核兵器だけに集中した方が、経済的に安上がりになる、という路線だ」

「その点、中国は北の核実験とロケット発射を厳しく非難する一方で、国連制裁をめぐり『制裁そのものが目的でなない』と慎重な姿勢を見せている。追い込むだけでは解決につながらないことがよく分かっているからだ。実際、崩壊などということになれば大混乱で最悪の事態が予想される。中国は朝鮮半島の非核化を求めると同時に、休戦協定を平和協定に転換することも求めている」

<中国の王毅外相は2月17日、訪中のオーストラリアのビショップ外相との共同記者会見で、朝鮮半島の非核化と、休戦協定の平和協定への転換を並行して進める考えを明らかにした。(http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM17H7X_X10C16A2FF1000/)>

―その中国は6者協議の再開を模索していますが、簡単ではなさそうです。米韓は北朝鮮が核放棄に向かうことを再開の前提にしているし、北朝鮮は自ら「核保有国」と宣言し、憲法にまで書き込んでいます。6者協議はその目的を「朝鮮半島の非核化」としており、再開は容易ではなさそうです。

 ■4者会談も考えるべきだ
「ここ8年間開かれていないとはいえ、枠組みは残っている。これを何とか生かしたい。もし、6者協議がどうしても難しいというなら、南北と米中による4者でもいいではないか。実際、1990年代後半に4者会談は開かれてもいる。2005年の6者協議共同声明(「9・19声明」)や、廬武鉉大統領と金正日総書記が交わした2007年の首脳宣言(「10・4宣言」)でも、そういう趣旨のことが盛り込まれていた」

<4者会談は「(朝鮮半島で)恒久的平和協定を達成する過程を始めるため」(1996年4月の米韓首脳会談共同声明)とする米韓の提案により、97年末から99年夏にかけジュネーブを舞台に6回にわたって開かれたが、北朝鮮側が主張した「在韓米軍撤退」問題などを巡って紛糾し、成果は得られなかった>

<2005年の6者協議「9・19声明」は、「6者は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した」とし、「直接の当事者は、適当な話し合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する」と、「直接の当事者」に絞った協議にも言及している>

<2007年の「10・4宣言」は、「南と北は現在の休戦体制を終わらせ、恒久的平和体制を模索していかなければならないということで認識を同じくし、直接関係のある3者または4者の首脳が朝鮮半島地域で会い、終戦を宣言する問題を推進するために協力していくことにした」とした。ここで「3者」とは南北と米国、「4者」はその3者に中国を加えたフォーラムを意味していたとみられている>

―朴槿恵大統領は今、制裁と圧力だけを考えているようです。この間、中国への配慮から慎重だった在韓米軍への高高度迎撃ミサイルシステム「THAAD(サード)」配備についても米国と協議を始めています。3月7日から予定している米韓合同軍事演習も「最先端、最大規模で行う」と宣言しています。

 ■新冷戦への引き金
「平和とは全く逆方向に進もうとしている。本当に心配だ。とくに、米国のアジア太平洋リバランス戦略に組み込まれる在韓米軍へのTHAAD配備は、朝鮮半島を中心とした東北アジア地域を米中対立、新冷戦の最前線に変えてしまう。その配備は、この地域の軍事バランスを崩すことになり、中国はミサイル配備の増強で対抗してくるのは間違いない。韓国が東北アジア新冷戦の引き金を引くことがあってはならない」

「朴槿恵大統領は本来、オバマ大統領を説得し、平和の方向に導いていかなければならないのに、本当にもどかしい。地政学的に言っても、また現在の国際的な地位から見ても、東北アジアにおける韓国の存在感は十分に大きくなっているのだ」

「私が大統領の時代、当時のクリントン米大統領に米朝の対話を強く働きかけた。結果、オルブライト国務長官の訪朝が実現し、いよいよクリントン大統領の訪朝というところまでいった。結局、クリントン大統領の任期切れが迫り、中東和平の動きが急を告げたことで実現には至らなかったが、あのとき、クリントン大統領の訪朝が実現していたら、朝鮮半島の歴史は変わっていた。北朝鮮が核兵器を持ってしまっているなど、当時と状況は違ってきている面もあるとはいえ、その気になれば朴大統領は大きな役割を果たせる」

 ■早急に4者会談を開くべきだ
「繰り返しになるが、北朝鮮が求めているのは米国との平和協定だ。韓国も加わり、そこに向けて4者会談のようなものを早急に開いていくべきだ。北朝鮮の在韓米軍撤退要求も言葉通りに受け取る必要はない。実際、2000年6月の南北首脳会談のさい、金正日総書記は私に『米軍は引き続き朝鮮半島にいた方がいい。北東アジアの力関係からいって、統一後も残るべきだ』とはっきり言った。その点、金正恩第1書記も十分にわかっていると思う」

<在韓米軍をめぐる南北首脳会談のやりとりは『金大中自伝Ⅱ 歴史を信じて 平和統一への道』(波佐場清、康宗憲訳/岩波書店)240ページ参照。
http://www.amazon.co.jp/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E8%87%AA%E4%BC%9D%EF%BC%88II%EF%BC%89%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%92%E4%BF%A1%E3%81%98%E3%81%A6%E2%80%95%E2%80%95%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93-%E9%87%91-%E5%A4%A7%E4%B8%AD/dp/4000225820/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1455939334&sr=1-2

この問題に関しては、金大中政権下で「太陽政策」を推進した林東源元統一相の回顧録『南北首脳会談への道』(波佐場清訳/岩波書店)に詳しい。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%97%E5%8C%97%E9%A6%96%E8%84%B3%E4%BC%9A%E8%AB%87%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93%E2%80%95%E6%9E%97%E6%9D%B1%E6%BA%90%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2-%E6%9E%97-%E6%9D%B1%E6%BA%90/dp/400024163X/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1455939334&sr=1-3>

―クリントン大統領の訪朝が実現しなかったのは惜しまれます。とはいえ、目の前の現実を見るとき、北朝鮮は自ら「核保有国」を名乗って核実験を繰り返し、今回、「水素爆弾」とまで言っています。北朝鮮に核を手放させるのは簡単ではなさそうです。

 ■北の生存を認めたうえで…
「その通りだと思う。その点、米国のキッシンジャー元国務長官の考え方が参考になると思う。北朝鮮が核を持つのは体制の崩壊を恐れているからなのだ。いまの体制の生存の問題を含まない枠組みを用意し、そこで解決していくしかない」

<元外務省国際情報局長の孫崎享氏はその著書『これから世界はどうなるか----米国衰退と日本』(ちくま新書)などで、キッシンジャー氏の次のような指摘を紹介している。『核兵器と外交政策』(田中武克・桃井真訳、日本外政学会 絶版)からの引用を、そのまま孫引きすると、次のような内容である。

▽核兵器を有する国はそれを用いずして全面降伏を受け入れることはないであろう。

▽一方でその生存が直接脅かされていると信ずるとき以外は、戦争の危険をおかす国もないとみられる。

▽無条件降伏を求めないことを明らかにし、どんな紛争も国家の生存の問題を含まない枠をつくることが米国外交の仕事である>

―日本はどんな役割を果たすべきでしょうか。安倍晋三首相は「日米韓の協力」を強調するだけで、独自の策がよく見えてきません。

「安倍政権は拉致・核・ミサイル問題の包括的な解決、と言いながらその実、拉致問題だけを突出させてきた。拉致問題は重要な人権問題であることは言うまでもない。しかし、いまのやり方を見ていると本気で解決しようとしているようには思えない。核・ミサイルの問題も、ただ米国に追随しているだけだ」

「日朝の国交正常化は東北アジア地域の平和に欠かせない。それは日本の過去を清算する問題でもある。拉致問題をめぐる日朝の交渉においても日本はそのことをもっと前面に打ち出していくべきだ。そうすれば、北朝鮮も前向きになり、拉致問題解決の展望も開けてくるというものだ。安倍首相の国会での施政方針演説も、第2次内閣になってからは一度も過去清算や国交正常化に触れていない。前任の野田・民主党政権では毎回、安倍政権でも第1次内閣のときは、それでも言及だけはしていたのに…」

―具体的にどうすべきでしょうか…
と、聞こうとしたところで、目が覚め、夢も途絶えてしまった。残念だが、どうしようもない。この続きは、金大中大統領がまた夢に現れるまで待つしかない…

2016年2月17日水曜日

「戦争中でも対話」―朴槿恵大統領は有言実行の時/金大中さん、夢の中で直言


久しぶりに金大中大統領と会った。昨晩、もちろん、夢の中でのことである。北朝鮮の核実験やロケット発射で緊迫する情勢そのままに、故大統領の表情はいつになくこわばって見えた。

夢とはいえ、滅多とない機会である。故大統領はいま、この状況をどうみているのか。目が覚めるのを気遣いつつ、強引に金大中大統領との単独インタビューを試みた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 





  金大中(キム・デジュン/1924~2009) 全羅南道出身。1998年~2003年、韓国第15代大統領。対北朝鮮「太陽政策」を掲げ、2000年6月、金正日総書記と南北首脳会談。同年12月、ノーベル平和賞受賞。
 
―非常に緊迫した局面です。南北関係は冷戦時代の真っただ中に逆戻りしてしまったかのようです。

「開城工業団地の閉鎖はショックだ。あれを造るのに、どれほどの努力したことか。きっかけは2000年6月の私と金正日総書記の南北首脳会談だった。分断後初めて実現したあの会談で私が金正日総書記を説き伏せ、その後、ぎりぎりの折衝で漕ぎつけた南北和解と協力の象徴だった」

「金正日総書記は当初、強い拒絶反応を見せていた。承知のように開城地域は南北の軍事境界線のすぐ北側で、北の一大軍事拠点だった。ソウルまで60キロ。休戦状態で南と対峙する北にとってまさに要衝で、そこを南に開くというのは簡単な話ではない。実際、北の軍内部に強い抵抗があったのを金正日総書記が、私の説得を聴き入れて決断してくれたのだった。南を窺う軍事拠点を開放して和解と協力の拠点にする、つまりマイナスをプラスに180度転換させたわけで、その意義は極めて大きかった」

―それが、いま水泡に帰す危機に直面しているというわけです。

「開城工業団地でいえば、今回、韓国の方からまず、『操業全面中断』を突き付けた。これに対し北は『団地の閉鎖』『南側関係者の追放』『南側の資産凍結』で返し、『南北間の軍通信』や『板門店連絡ルート』の閉鎖、さらには工業団地の『軍事統制区域』化を通告してきた。北の「体制崩壊」にまで言及した朴大統領の昨日(2月16日)の国会演説はさながら絶縁の最後通牒ともいえる内容だった」

「このままでは、また軍事対決の最前線に逆戻りしてしまう。何ごともつくるのは大変だが、壊すのは簡単だ。この先、いったいどうしようというか。本当に心配だ。最初に『操業中断』のカードを切った朴槿恵大統領の責任は大きい」

―今回は、北朝鮮の方がまず、核実験とロケット(「ミサイル」)発射を行ったのが発端でした。国連で制裁が論議されるなか、朴槿恵大統領から見て中国の消極姿勢が何とももどかしい。そこで自ら率先して手本を示し、国際世論を誘導しようとしているようです。国会演説でもそのようなことを強調していました。

「朴槿恵大統領にはどんなことがあっても平和を守る責任がある。ここは大きな度量と包容力が求められる。北の最高指導者といっても、まだ30歳を超えたばかりだ。経験不足は否めない。それに比べて朴大統領は還暦を超えており、政治経験も随分と豊かだ。経済面など総合力からいって北は南と比べようもない。それを同列に並んでただ、ムキになり、売り言葉に買い言葉という感じでやっていてどうしようというのか」

「朴大統領はこの間『戦争中でも対話は必要だという言葉があり、緊張緩和と平和定着のためには対話を続けなければならない』と繰り返してきていたではないか。有言実行。いまこそ、それを行動で示すべき時だ。民族の将来、東北アジアの平和を考え、もっと大きな観点から、北の若い指導者を国際社会に引き込む努力をしていくべきだ。時間をかけて交流を重ねれば北も必ず変わる。それが歴史の必然というものだ」

―先日、平壌に太いパイプがある在日朝鮮人と話す機会があったのですが、「金正恩第1書記は裸の王様になっているようだ」と憂えていました。厳しい粛清の繰り返しで、だれも本当のことを言えなくなっている。取り巻きは顔色を窺ってばかりいるようだ、というのです。

「簡単な状況でないことは確かだろう。しかし、だからと言って、ただ圧力をかければいいというものではない。われわれは戦争をするわけにはいかない。対話しかないのだ。米国の元駐韓大使、ドナルド・グレッグさんも先ごろ、朝日新聞とのインタビューで改めてそのことを強調していた。グレッグさんは2年前に北朝鮮を訪れたさい、平壌駐在のスウェーデン大使夫妻と会ったときのことを話していたが、大使夫妻は『制裁は権力を持つ人たちには影響を及ぼさず、権力のない弱い人たち、庶民を傷つけているだけだ』と言っていたそうではないか。それが北の体制なのだ」

「ともかく、追い詰めるだけというのは危険だ。日本でも戦前の体験に照らして、そのことを恐れる声があるようだ。先日、京都新聞を読んでいたら、いまの対北朝鮮包囲網を戦前の『ABCD(米英中蘭)包囲網』の類推でとらえ、憂うる声が紹介されていた。韓国では『易地思之』ということをよく言う。立場をかえて之(これ)を思う―つまり、相手の立場に立ってみると見えなかったものも見えてくる、という意味だ。いまはとくにそれが必要な時だ」

<グレッグ氏のインタビューは今年2月13日付朝日新聞に掲載された。氏は「朝鮮半島の非核化に向けて国際社会は何をすべきか」との問いに、「対話をすることだ。とりわけ米国が果たすべき役割は大きい。…北朝鮮は朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に変えることで、体制の存続をはかろうとしている。米国に北朝鮮と再び戦争をする用意がない以上、対話のほかに選択肢はない」などと答えていた>

<今年2月11日付の京都新聞「読者の声」欄は、京都市右京区の太田垣幾也さん(85)の「北朝鮮制裁のみは危険」とする、概略次のような意見を載せていた。

▽70数年前、米国は日本への石油輸出を禁じた。日本軍の南部仏印(現ベトナム)進駐への対策だったのだが、政府は「ABCD」が日本を包囲している、と対米開戦の口実にした。当時11、12歳の私は疑うなど思いもよらず、日米開戦に興奮したものだ。

▽国外の情報が制限されるなか、自国の「庭先」で米韓が軍事演習を行い、米国は石油禁輸を言い立てる。日米韓の動きがABCD包囲網と酷似する中で、北朝鮮の12歳は過度に緊張するのではないか。

▽米国は(70数年前に)「制裁」で日本を「窮鼠猫をかむ」という状況に追い込んだ戦略を北朝鮮にも使うのか。米国務省の報道官が金正恩第1書記を「予測不可能な若者」と評したそうだが、一国の指導者に対し、あまりに傲慢かつ挑発的ではないだろうか。安倍政権が米戦略に追随するのは危険だ>

―引き続き日本の新聞も読んでおられるのですね。地方紙にまで目を通しておられるのはさすがです。で、具体的には、どうしたら、いいのでしょうか。(つづく)

2016年1月9日土曜日

いま、改めて山辺健太郎/中塚明先生が新著

山辺健太郎(1905~77)。戦後すぐの生まれの私たちの世代で、朝鮮半島に関心を持っていた者なら、少なくとも名前ぐらいは知っているはずである。1960年代後半、学生時代に朝鮮語をかじっていた私には、格別の名前である。

拙宅書棚の隅に、少し赤茶けた岩波新書『日韓併合小史』が見つかった。定価150円の時代に買ったはずだ。奥付をみると、「1966年3月15日第2刷発行」。著者山辺健太郎の経歴が、次のように記されている。

1905年東京に生まれる
1918年別府北小学校卒業
専攻―朝鮮近代史、日本社会運動史
著訳書―「アメリカ政治史概説」「コミンテルンの歴史」現代史資料「社会主義運動篇」13巻

なぜ急にいま、この人物なのかというと、日朝関係史の研究で知られる歴史家、中塚明・奈良女子大名誉教授が最近、『歴史家 山辺健太郎と現代』(高文研)を出版したのだ。「日本の朝鮮侵略史研究の先駆者」というサブタイトルがついている。
 

 
一読して感じたのは、山辺の視点の鋭さと、なぜか今この時代にもそのまま通じる新鮮さだ。中塚先生が「山辺健太郎と現代」とされた理由は十分にうなずける。本書は近く、韓国語版も出る。中塚先生は、その間の事情について次のようなことを書いている。

▽2014年2月、ソウルに招かれて講演したさい、ある市民運動の若い活動家から「話にでてきた山辺健太郎について韓国で本を出したい」との要望を受けた。韓国の、しかも若い世代から、そのような申し出を受けたのは意外だった。
 
▽歴史を忘れたかのような現在の思想状況のなかで、日本の青年にも読んでほしいと思い、結局、山辺健太郎が日本の朝鮮侵略史の研究がいかに大切かを力説した、その山辺の主張を軸に、この本を編著として出版することにした。

▽私は1950年代の中ごろから山辺と親しく交際し、歴史を研究する上で山辺から多くのことを学んだ。それは私の研究の核となっている。その学恩をあらためて思い出し、決心した。

▽山辺が主張し続けた日本帝国主義の朝鮮侵略史研究に主眼をおいて編集した。この問題が、日本の思想的課題として現在もなおきわめて重要な問題でありつづけていると考えるからだ。日本・韓国のとりわけ若い人たちに読まれることを期待する。

私自身、ほこりを払いながら『日韓併合小史』をめくってみる。ところどころ、傍線を引いてあるが、果たしてどこまで読み込めていたものか。実際、漢字カタカナ交じり文の史料がふんだんに使われており、私の基礎知識をもってしては、とても読みこなせる内容ではない。

中塚先生は今回の本のなかで、先生自身、この『日韓併合小史』に大いに刺激を受けた、と次のようなことを書いている。

▽山辺から私あての1966年3月2日付葉書によると、『小史』は、「出版と同時に3万部が売り切れ、余分の5千部もすぐ売れ、翌日再販しましたが、これも売り切れたらしく、いま3刷を印刷中」と書かれていた。…近代日本と朝鮮の関係について、新たに研究しようとしていた私たち若い研究者を大いに励ましたことはいうまでもない。

今回の本では、山辺の論文などの一部もそのまま再録している。私の心に特に響いたのは、『日韓併合小史』と同じころに出版された論文集『日本の韓国併合』(太平出版社)の「序論」部分に据えられた「征韓論と日本のナショナリズム」である。次のような指摘をしている。

▽征韓論の主張がやぶれて内閣を去った板垣、副島等が下野してのち政府に要求したのは、民選議院設立の建白であった。しかし民選議院の設立を要求する思想と征韓というような侵略主義の思想がどうして結びつくのであろうか? まことに不思議である。
ここに日本ナショナリズムの特徴がある。日本では、ナショナリズムはいつも侵略主義と結合していた。

▽自由民権運動が弾圧されて、日本国内の民主主義運動がおとろえてからは、国権論すなわち侵略主義一本になったといっていい。…この状態は日本による朝鮮併合までつづき、これからの日本は、中国侵略を目ざすようになった。この時代の思想的武器が「大アジア主義」であろう。
この「大アジア主義」は、いつもアジア解放論とむすびついているから、朝鮮問題でボロを出すのである。日本は朝鮮の植民地支配を強化しながら、アジアにあるイギリスの植民地だけの解放をさけぶ。これはちょうど、朝鮮を支配するために、朝鮮の清国からの独立をとなえた往年の日本の主張とまったくおなじものである。

▽「大アジア主義」を歴史的にみると、これは日露戦争後におこった日本ナショナリズムの一変型である。したがって日露戦争後日本が朝鮮を併合してしまってからは、朝鮮からさらにすすんで、アジア全体を侵略する思想的武器が大アジア主義だから、日本のナショナリズムでは朝鮮のことは問題にならなくなった。
ただ、朝鮮のかわりに、全アジアが日本の侵略すべき対象となる。日本のナショナリズムは、大アジア主義となり、さらに「大東亜共栄圏」となって自ら崩壊したわけである。

明治以来の日本のナショナリズムと侵略、植民地主義の、まさに核心をついた指摘といえる。そして、いま、日本のナショナリズムはどうなのか。嫌韓論や朝鮮バッシング一辺倒にみられる日本のナショナリズムの高揚は、いままた、新しい形の国権論をよみがえらせつつあるように私には見えるのである。

さらに、昨年8月の安倍首相の「戦後70年談話」に向けて首相の私的諮問機関「21世紀構想有識者懇談会」がまとめた報告書が、「満州事変後の大陸への侵略」や「1930年代後半からの植民地支配の過酷化」を指摘しながらも、日清・日露戦争を通じて日本が朝鮮半島を植民地化していったことについては言及しなかった。

この点も、この懇談会に集った有識者らは「日露戦争後日本が朝鮮を併合してしまってからは、朝鮮からさらにすすんで、アジア全体を侵略する思想的武器が大アジア主義だから、日本のナショナリズムでは朝鮮のことは問題にならなくなった」と山辺が指摘した精神構造をそのまま引きずっているのだろうか。

山辺の『日本の韓国併合』の巻頭には、戦時中も反ファシズムの姿勢を貫いた歴史学者、羽仁五郎(1901~83)の推薦文が載せられていた。中塚先生は本書で、その推薦文も再録している。書き出しは、次のような文章である。

▽筆でかいたうそは、血でかいた真実をかくすことができない。 この書をよんで、魯迅のこのことばをおもいおこすのは、ぼくひとりではあるまい。 朝鮮問題とは日本国民にとっては、実は日本問題なのである。 日本の支配者が朝鮮にむかってなにをしたか、その真実の認識なくして、日本国民の自覚は決して真実となることができない。

山辺は小学校を出ただけで実社会に出、社会主義の実践活動に入り、投獄・出所・投獄を繰り返し、日本の敗戦で出所した。第2次大戦中、予防拘禁され、そこで朝鮮の社会運動家、金天海と知り合ったことが、朝鮮問題に目を開いたきっかけになったともいわれている。戦後、国立国会図書館憲政資料室を拠点に近代日本の朝鮮侵略の歴史的研究に没頭した。

中塚先生は本書について、「とくに若い人に読んでもらいたい」と書いているが、古希が遠くない私のような者にとってもまさに「目からウロコ」の一書である。

新聞報道によると、自民党は昨年11月、総裁(安倍首相)直轄の新しい組織「歴史を学び未来を考える本部」(本部長・谷垣禎一幹事長)を立ち上げた。その本部長代理を務める稲田朋美・政調会長は産経新聞に次のように語っている。

▽戦後70年も経過しているのですから、東京裁判の判決理由の中に書かれた「歴史ストーリー」を何も疑ってはいけない、疑うのは歴史修正主義だという風潮からは、そろそろ脱却すべきでしょう。

▽幹事長から「韓国との関係では日清戦争から振り返ったほうががいい」とのアドバイスもいただき、結局、明治維新から現在までを対象とすることにしました。明治憲法と現行憲法の制定過程もテーマにしたいと思っています。(2015年12月23日付「単刀直言」)

歴史修正主義をはびこらせてはならない。中塚先生のこの書を、年齢を問わず日韓全国民必読の書にしたいものである。

 

 


2015年8月1日土曜日

「慰安婦は軍属」/辻政信が明言


旧日本陸軍参謀、辻政信(1902~68?)が著書『潜行三千里』のなかで慰安婦について「身分は軍属」と明言していたことを最近、同書を読んで初めて知った。

旧日本軍の慰安婦や慰安所をめぐっては1993年、当時の河野洋平官房長官が「河野談話」で、設置、管理に日本軍が関与していたことを認める一方で、一部には「民間業者が戦地に設置、運営した公娼」との主張もまだ根強い。

辻政信は陸軍大学卒業後大本営参謀となった人物で、ノモンハン事件やビルマ作戦を直接指揮したことでも知られている。そうした旧陸軍の核心人物が自ら、慰安婦は軍に所属する存在だったことを認めていたというわけである。

『潜行三千里』は、タイ・バンコクで敗戦を迎えた辻が、戦犯追及のイギリス軍の探索をかいくぐってベトナム経由で中国へ亡命、そこで国民党政府の国防部に勤務するなどして48年に上海経由で日本に帰ってくるまでのことを書いている。

1950年に出版されると、ベストセラーになった。私が読んだのは2008年1月に毎日ワンズから出された復刊版。
http://www.amazon.co.jp/%E6%BD%9C%E8%A1%8C%E4%B8%89%E5%8D%83%E9%87%8C-%E8%BE%BB-%E6%94%BF%E4%BF%A1/dp/4901622463

物語は45年初夏、ビルマ戦線で負傷した辻が空路バンコクに入るところから始まっている。当時バンコクに駐屯していた日本軍の中村明人司令官らにあいさつに出向いた時のことなどを記述したあと、次のように続けている。
 
…軍司令官官邸の裏に小さい神社があった。『大義神社』と墨痕鮮やかな標柱が立っている。おもしろい名前だ。『小義神社』というのがどこかにあるような気がする。
 六月八日、初の月例祭に参拝した。司令部の将兵全員とバンコクの居留民代表が朝早くからお詣りする。
 神籬(かみがき)の内に、拝殿に向かって右側に将校が、左側には居留民代表が居並び下士官や兵は鳥居の外で並んだ。
 召集将校の中に本職の神官がいる。白装束、烏帽子の謹厳な姿で祝詞(のりと)をあげている際に、前に向き合っている一群の若い女性たちがしきりに対面の将校にモーションをかけている。神域に不似合な光景であった。
 帰ってから調べてみると、この若い女たちは将校慰安所の女であり、偕行社の給仕であった。
 彼女らもある意味において、それぞれの役割を果たしているのであろう。身分も軍属である。…

◇     ◇

辻が慰安婦に触れているのは、これがすべてである。ただ「将校慰安所の若い女」とするだけで、国籍や服装などは分からない。「一群の…」とあるので、相当な人数だったのだろう。「将校慰安所」とあるから、これとは別に、下士官や兵の慰安所もあったと考えるのが自然だろう。
 
そして彼女らは「偕行社の給仕」でもあったとしている。

偕行社(かいこうしゃ)とは何なのか。たとえば、ブリタニカ国際大百科事典は次のように説明している。

<旧日本陸軍の全将校の社交、研究団体。1877年創立。1924年に財団法人。酒保、宿舎の経営のほか、図書の出版、死亡者への義助などの便益を行った…>

彼女らは、その偕行社で給仕をする一方で、「ある意味において、それぞれの役割を果たしているのだろう」と、辻は書いているのである。

ここで、私の頭に浮かんできたのは、朝日新聞が最近報じた京都大学大学院の永井和教授(日本近現代史)のインタビュー記事である。「慰安婦問題を考える」として1ページ全面を埋めた2015年7月2日付のこの特集記事は、警察や軍の公文書などをもとに「慰安所は軍の施設として設置された」とした永井教授の明快、説得力ある研究成果を分かりやすく簡潔に整理してくれている。

永井教授はここで、「慰安所を軍の施設とする根拠は?」との記者の問いに次のように答えていた。

「陸軍大臣が日中戦争開始後の37年9月に『野戦酒保規程』という規則を改定した記録を04年、防衛庁防衛研究所(当時)の所蔵資料から見つけました。軍隊内の物品販売所『酒保』に『慰安施設を作ることができる』との項目を付け加える内容です。上海派遣軍参謀長は12月、『慰安施設の件方面軍より書類来り』『迅速に女郎屋を設ける』と日記に記しました。派遣軍が『慰安施設』として『女郎屋』を設けたことを意味しています」

1945年6月、つまり日本の敗戦間際、辻政信がバンコクで目撃した「将校慰安所の女であり、偕行社の給仕」で「身分も軍属」だったこの女性たちこそ、永井教授が掘り起こした、陸軍大臣が1937年9月に改定した「野戦酒保規程」によって軍隊内の酒保に設けることが認められた慰安施設の女性たちではなかったのか。

「慰安所は戦地における民間の売春施設であり、慰安婦は公娼だった」とする一部の主張は、旧陸軍の核心人物であった辻政信が書き残した著書によっても明確に否定されているのである。