2026年10月23日金曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(70)

 ■「金融実名制クーデター」

 前代未聞の金融詐欺事件(李哲煕・張玲子手形詐欺事件)で鼻をへし折られた全斗煥大統領は、経済首席秘書官の金在益を呼んで聞いた。

 ――何かいい手立てはないのか、どうしたらいいだろうか?

全斗煥大統領に金融実名制を進言した金在益・経済首席秘書官(左)。
一度は導入が決まったものの、「
3許」らの強い反対で流れた

 金首席秘書官にとっては胸の内に温めてきていた「金融の実名化」なるものについて打ち明けるチャンスだった。財務部長官の姜慶植とも密かに心を通わせてきていた話だった。

 ▽アングラマネーの透明化

 「閣下、いま、市中銀行の資本金はどことも700億ウォン程度です。そんなところへ、こんどの手形詐欺の額は実に6000億ウォンを超えています。庶民が一生をかけて稼ぐ額などとはまるっきり桁が違う大金を李・張夫婦は湯水のごとく使っていたわけです。これは単に個人の不正がどうのということではなく、社会の構造的な問題です」

 「根本的な解決策はあるのか」

 「地下経済で流通しているアングラマネーを透明化することです。すべての金融取引を実名化することです」

 金首席補佐官が、(全斗煥政権が掲げていた最大のスローガンである)「正義社会の実現」のためにも是非とも実名制が必要だと訴えると、全大統領はうなずいた。政権の根幹を揺るがしていた詐欺事件だった。ただでさえ正統性に欠ける政権に大きな痛手を与えた、そんなうんざりとするトンネルから抜け出し、メンツを取り戻すためなら、できないことなど何があるというのか。

 金在益は財務部長官の姜慶植を味方につけた。姜長官も同じ考えであり、2人は極秘のうちに作業を進めた。2人は、明らかに大きな抵抗が予想される難航路になると直感していた。

 ▽電撃発表

 電光石火――。事は一気に運ばなければならなかった。

 財務部から、ごく少人数の実務担当者を選りすぐって極秘で作業にあたり、計画案をまとめた。

1982年7月3日、電撃的に金融実名制が発表された。

奇襲的な発表の中身は、以下のようなものだった。

1)1年後の1983年から、すべての金融取引を実名化する(架空の名義などは許さない)。

2)金融所得を総合課税の対象とする。

 3)実名でない3000万ウォン以上の金融資産については、5%の課徴金を課す。納付しない場合は、資金の出所調査を行う(これは「自首すれば許す」というものでなく、「自首しても処罰する」とする、いくぶん過激な改革案だった)。

 ▽「スリー許」の反発

 第5共和国をスタートさせて「開国功臣」を自負していた許和平、許三守らは、「とんでもない内容だ」と飛び上がった。

 大それたことに、「スリー許」も知らないところで「経済クーデター」を起こそうというのか――。大統領が署名するまでまったく知らされていなかったことに許氏らは怒りを爆発させた。

 許和平は、大統領補佐官になって以来、続く政務首席秘書官の在任期間を通して、秘書室長以上の実力者としてならしていた。秘書室長は「鞘」に過ぎず、「刀身」は許和平という権力構造だった。そんな政務首席秘書官に一言の相談もないまま、大統領の署名までもらってしまうということがあっていいというのか――。

 もちろん、全斗煥の本音は「煙たいスリー許を外して進めろ」というものだったが、そんなことは口にできない。

 金在益首席秘書官に向けて容赦ない罵詈雑言が浴びせられた。のちに全大統領が「和平と三守にずいぶんと無礼な扱いを受けたそうだが、どうしてワシには一言も言ってくれなかったんだ」と金在益にねぎらいの言葉をかけるほどだった。

 ▽政権中枢勢力が反対

 「クーデター並みの力技」だったといえば、その通りである。

 姜慶植が財務長官に就任したのが1982年6月25日であり、金融実名制の発表は、そのわずか1週間後の7月3日だったのだから……。

 金融実名制は、手形詐欺事件の後遺症で苦しんでいた全斗煥大統領のために、財務部長官の姜慶植と経済首席秘書官の金在益が密室で編み出した劇薬の処方箋だった。虚を突かれて煮え湯を飲まされた「スリー許」は激昂し、反対の旗を振って出た。政権中枢の盧泰愚や与党事務総長の権翊鉉らも、経済の現実や資本が海外に逃避する恐れがあることを名分に「スリー許」に同調し、政権全体が反対する方向へと流れていったのだった。

                      訳:波佐場 清

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