2026年10月17日土曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(68)

  ■盧泰愚、矢面に立たされ、手紙で済ます

 新軍部の「大株主会合」で盧泰愚が全斗煥大統領に「鈴」を付ける役目を押しつけられるかたちとなったその翌日、全大統領は盧泰愚から、長文の涙を誘うような「嘆願」の手紙を受け取った。盧泰愚は、さすがに全斗煥に面と向かって「まことに恐縮ながら…」とも言いづらく、夜通し悩んだ末に手紙で済ませたのである。

内務部長官当時の盧泰愚

 「盧泰愚スタイル」である。

 ▽全斗煥の怒り

 こうして伝えられた「内密の決議」を知った全斗煥は、怒りで震えた。安企部長の兪学聖を含む「12・12反乱」の立役者全員が大統領の知らないところで会合をもっていたということ自体、耐え難いほどに辛く、不愉快だった。

 これが共謀でなくて何であろうか――。

 窮地に追い込まれた大統領に手を差し伸べるどころか、自分たちだけで集り、自分たちだけが潔白であるかのように装って集団進言などとは……。やることなすことが癪に障る。許和平と許三守の「2許」が安企部長の兪学聖を押し立てていると思っていたら、もう、ここまで盾(たて)ついて来るというのか。ひとまず、兪学聖の首を刎ねてでも、何か見せしめをしておかなければならなかった。全斗煥は歯ぎしりをした。とくに許和平に不信を募らせて警戒し、いまにみておれ、という思いを抱き始めた(『盧泰愚回顧録』)

 許和平は、その怒りのとばっちりで半年後の1982年12月末、許三守とともに青瓦台を追い出される。そして第5共和国が終わるまで権力の蚊帳の外に置かれることになる。

 ▽逆風

 「2許」と安企部長の兪学聖は、いったんは「主君」(全斗煥大統領)を屈服させた。

全大統領夫人の叔父にあたる李圭光が拘束されたのに続き、その兄の李圭東は大韓老人会長を下ろされ、全大統領の義弟にあたる金相球も平和統一政策諮問会議事務次長を辞めさせられた。実弟の全敬煥もセマウル運動本部事務総長の辞表を出した(辞表は結局、受理されなかった)。このように親族が芋づる式に辞めたのには、安企部長の兪学聖と、そのバックにいた「2許」の猛烈な圧力があったからだった(銀行頭取や元中央情報部員、企業の幹部ら30人ほどが逮捕されたりもした)。

 全大統領は憤った。許和平の現を借りると、それは「凄まじい逆風」だった。

 1982年5月20日、最終捜査結果の発表を前に法務部長官の李鐘元と検察総長の鄭致根が青瓦台に入ると、大統領は怒りを爆発させた。

 「これからは世論に頼った人民裁判はだめだ。法によって処理しないと、な」

 李圭光の拘束が気に食わない、というのであった。全大統領はさらに畳みかけた。

 「スリー許がやっているように、批判の世論が強いからといって何でもない人間を殺してしまうようなことをしていたら、この先、仕事をやる人間がいなくなってしまうではないか」(朴哲彦の証言)

 ▽首席秘書官全員が辞表

 82年5月22日、秘書室長の李範錫が(大統領特使としての)中南米4カ国歴訪から帰ってきてみると、首席秘書官の李鶴捧が辞表を出して出勤していない、という。荷物をまとめて出ていってしまったというのである。

 権力内部の「パワーゲーム」をどうするか。老獪な外交官出身の李範錫は知恵を働かせた。

 李鶴捧の辞表却下に率先して動けば、「2許」と敵対することになるだろう。

 そこで李範錫は、自ら秘書室長主宰の会議を開いた。

 「こんどの事件(手形詐欺事件)で、背後に権力が関与しているのではないか、と疑われている以上、わたしたち秘書室が責任を感じるのは当然のことではありませんか。ここは、わたしを含め、首席秘書官全員が辞表を出し、閣下の『フリーハンド』に委ねることにしましょう」

 「一括辞表」という提案で事を大きく広げると、許和平は予想通り、異を唱えてきた。

 「どうして、全員が辞表を出さないといけないのでしょうか」

 (大統領の親族管理を担当する)民情首席秘書官(李鶴捧)せいで、こういうことになったのに、自分たちまで巻き添えを食うのは悔しい、と言いたげな口ぶりだ。

しかし、李範錫室長が沈着な声で提案したその穏当な提案を受け、金在益(経済)、金泰鎬(政務第2)、李雄煕(公報)の各首席秘書官が辞表を書いた。結局、許和平、許三守の「2許」の首席秘書官も辞表を書かざるを得なくなった。

▽ルビコン渡った「2許vs李鶴捧」

全大統領は、李範錫が出した一括辞表をいったん受け取り、一括して却下するというやり方で李鶴捧を救った。

李範錫室長は辞表関連の書類一切をシュレッダーにかけて破棄した。

こうして、この問題は、何ごともなかったかのようにされたのだが、「2許」と李鶴捧の関係は、元には戻らなかった。引き返せない「ルビコン川」を渡ってしまったのである。きのうの「同志」は、今日はもう「他人」となった。「苦楽を共にする」とは、よくいうが、「苦」は共にできても、「楽」を共にすることはそれだけ難しいことなのだった。

                      訳:波佐場 清

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