2026年10月2日金曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(63)

  ■「大統領の親族であっても叩け」

「先進祖国の創造」という第5共和国の理念の前には、全斗煥大統領の親族であっても例外はあり得ない――とばかりの「スリー許」(許和平、許三守、許文道)らの高圧的な態度は、(大統領の親族の管理を担当する)民情首席秘書官の李鶴捧や秘書官の朴哲彦、孫晋坤らの反感を買った。かれらは「スリー許」に背を向け、みじめな境遇に転落(?)した大統領にかえって同情した。

とくに許和平の存在は、首席秘書官のなかでも際立っていた。盧泰愚も回顧録のなかでこう書き残している。

手形詐欺事件で逮捕された李哲煕(右端)張玲子(左端)夫婦と李圭光(中央)=1982年5月

「スリー許が目立つようになり、人がそこに集まり始めた。権力の属性とはそういうものではないか。いつの間にか長官たちも、大統領と面談した場合、青瓦台を出る前にかれらのところに立ち寄るようになった。大統領と話した内容について、かれらに説明して初めて安心できる、というような空気になっていった。全斗煥としては、気分がよかろうはずがなかった」(『盧泰愚回顧録』)

▽「3許」と安企部長に不信

前々から全斗煥は、盧泰愚にたいして「許和平らはけしからん」と口にしてきていた。

全大統領は困惑し、怒りまくった。

安企部長の兪学聖は「スリー許」とグルになり、軍部の声を代弁すると称して「親族を切り捨てないと生き残れない。劇薬は時には良薬にもなる」と厳しく責め立ててきているのではないか――。

安企部長が申し立てている「親族の第一線からの後退」とは、大統領夫人である李順子の新世代育英会長辞任や李順子の父(大統領の義父)李圭東の大韓老人会長辞退、大統領の義弟に当たる金相球の平和統一諮問会議事務次長退陣、大統領の実弟である全敬煥のセマウル中央本部事務総長辞任を意味していた。

「スリー許」や兪学聖は、全斗煥が青年期の貧しかったころ、妻の実家暮らしをしていたことは知っていたはずである。妻方の人たちに頭が上がらず、困惑していることは、だれよりもよく分かっていたのではなかったのか。

さらに言えば、兪学聖率いる安企部が初動の措置さえうまくやっていたら、ここまで大ごとにならずに済んだ、という報告も全斗煥大統領は受けていた。

▽「安企部に責任」

李哲煕は、中央情報部の次長を務めた経歴を生かして全斗煥政権の身内に近づき、「陽友会」(中央情報部退職者の共済組合)の資金を自分に任せてくれればうまく運用して増やしてやると持ちかけていたこともあった。それで、青瓦台民情首席秘書官室のほうでも「要注意人物」としてマークしていた。

さらには、李哲煕が経営する大華産業には中央情報部の退職者たちが再就職していた。そんなことからも安企部は、事の深刻さを見過ごしてしまったのではないか。李哲煕・張玲子夫婦は、大統領の親族であることをひけらかして世渡りをしている、というぐらいに軽く考えていたのではないか。まさか、とてつもない手形詐欺を働いているとは、ずいぶんと後になるまで気付かなかったのではないか。

安企部にも責任はある――。

大統領は首席秘書官会議で怒りを爆発させた。

「ワシが信じる者たちのほうが、かえって騒ぎを起こしている。罪状をはっきりさせもせずに、やたらと親族を排除せよというが、このワシにいったい、どうしろというんだ」

安企部長の兪学聖と「スリー許」、とくに許和平を狙った詰問だった。

▽兪学聖・安企部長更迭へ布石

全斗煥はまず、兪学聖を叩くことにした。

そのためにはまず、外堀から埋めなければならない。

1982年5月19日、警護室長の張世東が、民正党院内総務の李鍾賛を急遽、呼び出した。

「大統領閣下は全国体育大会でいま、大田におられるのだが、急いで来るようにとのことだ」というのだった。李鍾賛は、大田へ駆けつけた。

ソウルに帰る大統領専用列車の中で全斗煥は李鍾賛に、声を潜めてこう言った。

「権正達事務総長[与党民正党の幹事長]から辞表を取り付けなければならなくなった。これ以上引き延ばすと、権正達のためにもいいことはないだろう。ソウルに着いたら、すぐに辞表をもらってくれ」

李鍾賛は、そうはいっても権正達だけを狙い撃ちすれば、かれ一人ですべての泥をかぶることになると思った。

「辞表は受け取らないといけませんが、事務総長だけを辞めさせると、報道されたすべての疑惑を与党が認めるかのようになります。それよりも、政治的責任を問うて党役員全員が辞表を出す方向で行くほうが、新たに出直すという雰囲気づくりのうえからもいいのではないでしょうか」[権正達は、与党内における「スリー許」派のボスだった。全斗煥がいきなり安企部長やスリー許を更迭すれば、軍部や与党内の反発を招く恐れがあり、「権正達の更迭」は搦め手から攻めようとしたものだった。これにたいして李鍾賛は「与党全体の責任」というかたちにもっていくほうがいいと考えた]

全斗煥大統領はうなずくと、さらに一歩踏み込んだ。

「そうだな。党役員を入れ替え、内閣も変えよう。それが民心を収拾するうえでよいだろう。ソウルに着き次第、すぐに党役員全員の辞表を取りまとめてくれ。ただ、おまえと李載衡・民正党代表の辞表だけは差し戻すから、そのつもりでいるように…」

                      訳:波佐場 清