■「金融実名制は副作用が多く、実効性に乏しい」
1982年7月中旬、当選1回の国会議員金鍾仁[1940~/のちに韓国政界で「キングメーカー」といわれた経済学者]は、夏季休暇で江原道束草の海に出かけた。海辺でくつろいでホテルに帰る途中、交通警察官に捕まった。交通違反も犯していないのに「どういうことだ」と尋ねると、治安本部[現在の警察庁。当時は内務部(省)内部にあった]から「手配中」なのだという。
▽実名制放棄で、大統領を説得
「どういう容疑があるというのか」(金鍾仁)
「発見したらすぐに議員をキャッチし、民正党代表に電話するように、という指示なのです」(警察官)
携帯電話も電子メールもなかった頃の話だ。連絡が途切れたら、そのようにして捜していた時代だった。
急いで電話をすると、「明日午後、大統領に金融実名制について報告しなければならないので、急ぎ、青瓦台の会議に出席するように」というのだった。
そうして、すでに大統領が署名までしていた金融実名制の導入を保留させる「猫の首への鈴付け役」を果たすことになったのだった。
この問題の厄介さについて金鍾仁は、よく理解していた。
青瓦台の御前会議で、こう説いた。
「金融実名制とはいったい、何なのでしょうか。完全なかたちで総合所得税を徴収しようというものです。しかし、その副作用は明らかであり、実効性も乏しいものです。いま、わが国の国税庁は、400万人にも満たない自営業者の付加価値税(1978年に導入)すらまともに徴収できていません。そんな行政能力でもって1000万人をも対象とする総合所得税を、いったいどうやって管理できるというのでしょうか。初めから話になりません。よく分からないものをどうして強行しようとなさるのでしょうか」
▽白紙化、13年後に実現
全斗煥は初めて反対論を聞いたように顔色を変えたかと思うと、こう言って、あっさりと引き下がった。
「以後、この問題に経済首席秘書官(金在益)は関わってはならない。党のほうで、政務首席秘書官(許和平)と相談するように」
金在益を外し、実名制に反対してきた許和平(それも当時、すでに大統領から遠ざけられていた)と相談せよ、ということは、実名制というカードを棄てることを意味していた。
こうして後退した金融実名制は1987年、盧泰愚によって大統領選の公約として掲げられたが、当選後、盧泰愚大統領の経済首席秘書官となった金鍾仁によって白紙化された。そんな曲折をへて金融実名制は93年8月、金泳三政権の電撃的な宣言によって導入されることになった。金在益、姜慶植の「経済クーデター」によって持ち出されてから13年、金融実名制は、ここにようやく結実をみたのだった。
▽政治資金と矛盾
後日、許和平はこう語っている。
「あの当時、金融実名制は政治の現実を無視したものだった。(裏で企業から政治献金を受け取るという)政治の矛盾をほったらかしにしておいて「企業の矛盾を解決しろ」だなんて言えるだろうか。順番が間違っている。わたしも反対だったし、民正党も反対した。結局、大統領も考えを変えたわけだが、政治資金の問題を考えると実名制の導入は難しいということが分かったのだと思う」
いずれにしろ、大統領がいったん署名までしていた政策が覆ったのは、韓国現代史で唯一、この第5共和国における金融実名制のケースだけである。
手形詐欺事件で「2許」と袂(たもと)を分かつことになった李鶴捧は、かれらについてこう批判した。
「金融実名制は、すべてを透明化しようというものだ。ところが、(許氏らは)改革や正義社会の実現を主張しながら実名制に反対した。これは自家撞着であり、矛盾ではないのか」
▽歴史のアイロニー
だれ知ろう、これは歴史のアイロニーである。
第5共和国は青史に正義あふれる政権として輝かなければならない、と言っていた許氏らが、仮にあの時、実名制を支持していたとしたら、どうだったろうか。
「もし、革命的な実名制をそのままやり抜いていたとしたら、(のちに金融実名制を導入した金泳三政権下で暴かれた)全斗煥と盧泰愚による天文学的な額の秘密資金事件は起きていなかっただろう。裏金づくり自体、不可能だったはずだ。その場合、金泳三政権が眠りから急に目覚めたように『5・18特別法』[1995年12月に制定。光州事件(5・18民主化運動)の首謀者らを処罰するため、控訴の時効停止を盛り込んでいた]をつくって全斗煥と盧泰愚を反乱の首隗として監獄に放り込むようなこともなかったのではないか」(経済ジャーナリスト・李長圭)
「歴史にIF(もしも)はない」という。
しかし、許和平や許三守、そして盧泰愚が必死になって実名制に反対せずに、そのまま認めていたとしたら、どうだったろうか。ずっと後(1996年)になって「『12・12』は軍事反乱だった」とする判決が確定し、老後の軍人年金までを吹っ飛ばしてしまうようなことはなかったのではないか。全斗煥と盧泰愚の秘密資金がなかったなら、「成功したクーデター」として、そのまま無事に済んでいたのではないか。
▽金泳三と金大中の息子、そして盧武鉉
金泳三政権が全斗煥と盧泰愚の秘密資金に狙いをつけ、まるでクーデターのように強行した金融実名制の(資金の流れを追跡できる)機能は結局のところ、金泳三の息子の金賢哲を逮捕させることになった。さらに金大中の息子「弘3トリオ」[「ホンサム(홍삼)トリオ」。弘一、弘業、弘傑の3人の息子のことを、発音が同じ韓国名産「紅参」と引っかけて、一部の韓国人はそう呼んだ]を監獄に送り、盧武鉉を自殺に追い込む罠ともなったのだった。歴史のアイロニーには、ただ言葉を失うばかりである。
訳:波佐場 清
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