2026年5月27日水曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(23)

  崔圭夏の姑息な策謀

 1980314日、崔圭夏大統領の発言で、ひとしきり騒動が起きた。

 大統領制にすこし揺さぶりをかけ、二元執政制の可能性について探ろうとするものだった。

 「新憲法における政府の形態としては、大統領中心制と議院内閣制の折衷型が望ましい。大統領に過度に権力を集中させると、大統領に万一のことがあった場合には危機を招くし、選挙も激しくなって混乱をもたらす」(改憲審議委員会開会式での発言)

 ▽二元執政制

 この一言が過渡期の政権を非難する世論に油を注ぐ結果を招いた。

 折衷型の政府とは?

 崔圭夏は、大統領は外交など象徴的な役割を担い、総理が実質的な権限を行使する、とする二元執政制について語ったのである。ところが、世間は、これを申鉉碻総理のくわだてであると誤解した。

 いま、申鉉碻の証言などを基に整理してみると、これは崔圭夏の野心から生まれたものだった。申鉉碻は一貫して大統領中心制を主張していた。要するに、「崔圭夏大統領は、自分が大統領で居続けることに汲々とし、新軍部ともたれ合いながらその地位を維持したいという思いが強かった」というのが、申鉉碻の回顧である。

 ▽総理に非難の矛先

 ところが当時、誤解は申鉉碻に向けて集中していた。

 この世の出来事や人生は、その半分以上が誤解のうえに成り立っている面がある、ということなのだろうか。

 二元執政制のために、申総理は「3金」[金大中、金泳三、金鍾泌]をはじめとする政界、そして政権奪取を決意した新軍部、さらには街頭や大学街のデモ隊から十字砲火を浴びることになる。

ソウル大学では「二元執政制」構想に反対する討論会が「アクロポリス広場」で開かれた

 崔圭夏は、ほくそ笑んでいたことだろう。

 尹錫悦「裁判長」、総理に「死刑」の判決

 「申鉉碻は退陣しろ」

 ふざけ半分でおこなわれたソウル大学の模擬裁判でも、申鉉碻総理に「死刑」が言い渡された。裁判長役を務めたのは、ソウル大法学部の学生、尹錫悦(第20代大統領、元検察総長)だった。尹錫悦はこう振り返っている。

 「198058日に学生会館2階のラウンジで、夜を徹しての模擬裁判がおこなわれました。518[光州事件]の直前のことで、検閲と報道管制で正確な情報がなく、漠然と全斗煥、盧泰愚が軍事反乱を起こしたという噂だけを聞いていたときでした。当時、東亜日報に入社した先輩から情報を聞いてきた法学部の4年生らが被告人不在の欠席模擬裁判を企画し、わたしが裁判長役を務めたというわけです。間違った情報のせいで、あの方(申鉉碻)をクーデターの首謀者と思い込み、死刑の判決を下したのです。全斗煥は『無期懲役』でした。いま思うと、申鉉碻総理には大変申し訳ないことをしてしまいました」(20217月、京郷新聞のインタビューに答えて)

 ▽検挙逃れ、避難

 翌日、キャンパスに号外のビラが出回った。

 裁判長役の学生尹錫悦が、新軍部勢力にたいする欠席模擬裁判で死刑や無期の判決を下した、と伝えていた。

 軍による反対勢力の一斉検挙がおこなわれれば、捕まるところだった。

 ところが、それが始まった517日の前夜、保安司令部に勤務する遠い親戚から自宅に電話があり、「尹錫悦を早く避難させろ」というのだった。それで尹錫悦は、江陵(江原道)の母方の親戚の家に3カ月間身を隠し、もう大丈夫だという知らせを聞いてから、ソウルに戻ってきたのだった。

                          訳:波佐場 清

 

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