2026年5月21日木曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(21)

  「大統領になられるお方」

全斗煥が国家元首になるだろう。そんな話を最初に耳にしたのは意外にも、西氷庫の保安司令部捜査分室[当時、朴正煕暗殺事件の合同捜査本部の取調室として使われていた]に拘束されていた鄭昇和派の将官たちだった。

802月初め、全斗煥が初めて西氷庫に現れた。

李建栄、張泰玩、文洪球、金晋基ら一人ひとりと個別に面談した。

西氷庫の捜査官は、あらかじめ警告していた。

「すぐに国家元首になられる方なのだから、必ず敬語で接しなければなりません」

保安司令部の捜査官らは、全斗煥が大統領になることをすでに既定の事実として話した。

とはいえ長い間、全斗煥に対して先輩という立場で接してきた将官たちではないか。話しているうちについ、かつての口調そのままに「おまえ、全将軍」といった言葉が口をついて出た。その度に捜査官らは「尊敬語を使え」と注意した。世の中がひっくり返っていた。

▽靴下を手袋代わりに…

全斗煥が来ていった後すぐに、西氷庫の中庭で運動してもよろしい、という「恩恵」が施された。

 厳冬の収容所の「敗軍の将」たちは、交代で中庭に出て徒手体操などの運動をした。氷点下10度の超す寒波が襲ったある日、手袋がなかったために各自、靴下を手にはめた奇妙ないでたちで、狭い中庭をランニングした。将官というにはあまりにも惨めな格好だったが、30~40分間だけでもそのように運動できるということは、涙が出るほどありがたかった、という。

 ▽「軍は出るべきでない」

803月、全斗煥は保安司令官の先輩である姜昌成を招待した。

姜昌成(右)は19722月、金載圭(左/のちに中央情報部長として朴正煕大統領を殺害)から保安司令官を引き継いだ。

 姜は、全斗煥から秘かに連絡を受け、保安司令官室で会った。

1時間ほどの面談で全斗煥は、自分が政権をとるのを手伝ってほしいといった趣旨のことを話した。

「金鍾泌はキズ疑惑)が多くて軽率だし、金泳三は能力が不足しているようだ。金大中は思想が疑わしい」

姜昌成は首を横に振り、維新体制が終わったところへ軍が再び出るべきではない、と忠告した。全斗煥は反論して言い張った。

「先輩、みんながわたしのところに来ては、当分の間、軍が政権を引き受けてくれないといけないと、せがむんです。朴鐘圭(元警護室長)の兄貴など、わたしのところへ来て『もし、全将軍でなく、ほかの奴が政権をとろうと言いだしたら、だれにも知られぬやり方で自分で始末してやる』と言うんです」

朴鐘圭のこのような熱い焚き付けは、全斗煥にとってさぞかし満足のいくものであったはずだ。全斗煥はさらに、こう続けた。

「崔圭夏は、まったく間抜けな人間です。あんな者に政権を任せることはできません。そのまま傀儡として立てておき、軍部で実権を握っていくのがよさそうです」

姜がそれでも納得しないと、全斗煥は苛立ったように秘書室長の許和平を呼び、「次に待っている者はいないのか?」と言い、追い出すように立ち上がった。

▽報復

このあと、姜昌成は報復を受ける。

全斗煥が大統領に就任(80年9月1日)するころ、保安司令部は、姜昌成の海運港湾庁[現在の海洋水産部の前身]長官時代の不正をほじくり出して永登浦刑務所に収監した。そこで姜は、一般の刑法犯らといっしょに容赦のない三清教育隊に4回も連行され、悪名高い棒体操[重い丸太を繰り返し担がせる過酷な訓練]で死ぬ思いをさせられることになる(黄龍熙刑務官の記録)。

▽「いっそのこと、大統領まで…」

 80年春。そのころの保安司令官の接見室は、まちの市場のようなにぎわいぶりだった。

 政治、行政、経済の司令塔となった保安司令部の秘書室には、あれこれと口実を設けて幹部クラスが競うように押しかけた。顔を覚えてもらおうという者たちで、まさに「門前市を成す」ありさまだった。秘書室長の許和平はすでに「一人の下、万人の上」[つまり、全斗煥に次ぐナンバー2]の地位を存分に味わっていた。

 そんな彼に、財務長官の李承潤が進言するように言った。

 「全斗煥司令官がいっそのこと、すべてを(大統領まで)引き受けてしまえば、このように(青瓦台に行ったり、総理室に行ったりといった)煩わしい思いをしなくてもいいものを」と。

 ▽阿諛追従

反対勢力の一掃を急かす声も聞こえてきたという(元国情院長の目撃談)。

 駐韓米軍司令官ウィッカムの回顧録にも「ゴマすり」たちの話が出てくる。

 国会の文亨泰国防委員長はウィッカムに繰り返し、こう言ったという。「政府高官たちが全斗煥のところへ群れをなして押しかけて阿諛追従(あゆついしょう)し、全斗煥がそれを楽しんでいる。そのせいで事態はますます歪んでいっている」と。

 ウィッカムの、その次のくだり、皮肉を込めた言い方が、おぞましい。

 「ところで、文亨泰自身もまた、頻繁に全斗煥と接触しているではないか。それで、わたしは文亨泰も全斗煥の自宅詣(もう)でをする高官のうちの一人である、という事実に注目せざるを得なかった」(『ウィッカム回顧録』)

                           訳:波佐場 清

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