2026年5月9日土曜日

金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(17)

  新党づくりに情報部の予算

 1980年2月初め、保安司令官の全斗煥は、親友である特戦司令官の鄭鎬溶に新党づくりについて話した。「政治家らが、禁止されてきた活動を再開すると騒々しくなり、ややこしくなる。参謀たち(権正達、許和平、許三守)は、政党をつくろうとしているようだが、どこで資金を調達できるか、調べてみてくれ」というのだった。

鄭鎬溶(右)は198312月、陸軍参謀総長に昇進した

 200億ウォン

200億ウォンという額だった。

そのころ、戒厳司令官の李熺性は記者会見で、こんなことを言っていた(8025日)。

「記者たちは、軍部は新党をつくるのかと聞くが、そんなことはしない。新しく党をつくろうとすれば200億ウォンほどかかるという。新党はつくらない」

200億ウォンというのは保安司令部の中心メンバーが見積もった額だった。

李熺性は、意味深長な言葉を付け加えた。

20年前(朴正煕らによる516軍事クーデター)とは違い、経済は経済の専門家、行政は行政の専門家がやらないとうまく回らない。それほど社会は複雑かつ、大きくなってきている。軍人のわたしが政権を握ったとして、当座は受け入れられるかもしれないが、後世には逆賊呼ばわりされることになるだろう。たとえ、わたしの代でうまくいったとしても、息子は逆賊と呼ばれてしまう」

当座は通用するかもしれないが、後世には逆賊――。いま振り返ってみると、まさに名言である。

のちに明らかになったところだが、李熺性のこの言葉は、全斗煥らに対して、のちのち逆賊になってはいけないという、本心からの忠告だった。かれは力のない、ただの引き立て役にすぎなかった。けっして、反乱グループの手先となって政権奪取をそそのかしていたわけではなかった。

▽旧統一教会関係者らが資金約束

ともあれ、鄭鎬溶は特戦司令部に戻って保安班長の金忠立少佐に全斗煥の話を伝え、資金の工面先について調べてみるよう、指示した。

金忠立は答えた。

「朴正煕大統領の甥の朴載鴻(のちに民正党国会議員)が汝矣島のビルを売却して80億ウォンを工面し、新党づくりの準備を進めているという噂があったけど、やはり資金を必要としているようですね。調べてみます。ところで、打診はわたしがするとして、資金提供者には司令官が直接会っていただかなければなりません」

金忠立は1週間ほど時間がほしいと言い、それから何日かして鄭鎬溶司令官に報告した。

「許萬基氏(のちに民主党国会議員)と朴普煕総裁[旧統一教会総裁。教祖文鮮明の右腕として知られていた]に会い、それぞれ50億ウォンずつ、計100億ウォンを出してもらう約束を取り付けました。さらに、ライフ住宅の趙乃璧会長から50億ウォン、新元通商の朴聖哲会長からも30億ウォンの約束を得たので、総計180億ウォンは可能です」

▽「噂」を怖れる秘書室長

翌日、鄭鎬溶が全斗煥に会いに行く際、金忠立少佐は募金額を記した名簿を手渡しながら言った。

 「全斗煥保安司令官に直接お渡しください。決して、秘書室長の許和平大佐に渡してはなりません」

 「なぜだ?」

 「外部資金がいらなくなることも考えられます。その場合、企業家の立場からすれば、資金を受け取ってもらえれば『忠臣』になれるが、もし献金すると言っても受け取ってもらえないとなると、『逆賊』扱いされるのではないかと不安がる恐れがあります。その点、とくに心すべきです」

 鄭鎬溶はしかし、これをいい加減に聞き流した。

 全斗煥が求めるのは当然、腹心の秘書室長許和平を助けてやってほしい、ということだと考えていた。それで、名簿と金額が書かれたメモをそのまま秘書室長の許和平に手渡し、こう伝えた。

 「全斗煥司令官に頼まれて調べてみたものです。政治資金が必要なら、これらの企業家と連絡をとって、受け取ったらいいでしょう。わたしの方で、すでに話をつけてあります」

 ▽「国外退去」

 ところが、それから3時間ほどして朴普煕から鄭鎬溶に電話がかかってきた。いまにも死にそうな声だった。

 「大変です。保安司令部の許和平秘書室長がわたしに、明日朝10時までに国外に出ろ、出ないと逮捕する、容疑は政治資金法違反だ、取り調べの結果によっては反国家陰謀罪にもなり得る、というのです」

 許和平は、極秘に進める新党づくりが噂になることを警戒しているようだった。困った鄭鎬溶は金忠立と対策を話し合った。

二人は、許和平の言う通り、朴普煕を出国させることが最善の策と判断した。翌朝7時、金忠立は、出国準備をする朴普煕と、漢南洞の「国一館」[旧統一教会の教祖文鮮明が住んでいた]で会った。

 「まったく弁解の余地もなく、申し訳ありません。誤解が生じてしまいました。こうなったからには、しばらく避難するほかないでしょう。鄭鎬溶司令官もそのように考えています」

 鄭鎬溶はこのハプニングを経て、許和平は新党づくり計画を握りつぶしたのだと見ている。

 一石三鳥

なら、政権づくりのための組織に必要な200億ウォンはどこで工面するというのか。

 だれかが、機能停止状態になっている中央情報部に残っている予算がある、とアイディアを出した。

 当時の新軍部の中心メンバーが、2005年にメディアのインタビューで、こう明らかにした。

 「政権掌握の準備に入って資金の問題にぶつかると、まず、中央情報部の統治資金的な予算を流用することにし、国保委(国家保衛非常対策委員会)づくりの資金をそこから持ってきて使った」(ハンギョレ新聞200531日)

 そのようにして中央情報部の予算から120億ウォンを引き出し、国保委創設の資金に100億ウォンを充て、残りの20億ウォンは保安司令官室に送り、合同捜査本部で使った。

 保安司令部が情報部の予算を流用するには、保安司令官が自ら情報部長になるほかない(保安司令部は「516クーデター」の研究を通じて、政党の新設とそれに必要な資金規模をすでに把握していた。それで、全斗煥、鄭鎬溶、李熺性の口から、結党に180億、200億といった数字が出てきていたのである)。

 情報部長のポストが空いているのだから、保安司令官の全斗煥がそれを兼任してしまえば、それで済むことではないか。兼任さえできれば、将官の星(階級章)を付けたままで国務会議(情報部長は国務委員クラス)にも出入りできる。

全斗煥は31日、少将から中将に「お手盛り昇進」(陸軍参謀総長李熺性の反対を強引に押し切った)したが、それでもまだ満足しない。長官たちの前で力を誇示したい。そして、情報部長だった金載圭による朴正煕殺害の後、機能停止状態になっている情報部の人事を刷新し、新しい政権創出のための政治捜査の道具として再活用しなければならない(実際、全斗煥が情報部長兼任となって1カ月後に起きた「517クーデター」では、内乱陰謀のでっち上げや反対勢力一掃の捜査に情報部が動員されたのだった)

 全斗煥による情報部長兼任は、まさに一石三鳥[資金確保、情報独占、政治捜査権の掌握]ではないか――。

 ▽情報部改編案

 新軍部の「アウトサイダー」として、最初に、この全斗煥の情報部長兼任の動きに勘付いたのは李鍾賛だった。全斗煥が、崔圭夏大統領と申鉉碻総理に、情報部長を兼任したいと食い下がる前のことだ。

 2月9日、李鍾賛は保安司令部の情報処長、権正達大佐に呼ばれて瑞麟(ソリン)ホテルの昼食の席に行くと、許和平、許三守、李鶴捧らが集まっていた。

 「本日の議題は、中央情報部の改革に関する件です」

 秘書室長の許和平が、相当に整理された情報部改編案について説明した。李鍾賛は、全斗煥が情報部長を兼任しようとしている、と悟った。この会議のあと、李鍾賛は、許和平、許三守、金容甲(いずれも陸士17期、金容甲はのちに総務処長官)と頻繁に会って情報部改編案を作り、312日、権正達処長を通して全斗煥司令官に上げたのだった。

                          訳:波佐場 清

 

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