2025年3月6日木曜日

『李在明自伝 わたしが目指す韓国』を出版

李在明(イジェミョン)氏をご存知ですか?

韓国でいま、次期大統領に最も近いともいわれている人物です。

そんなかれの『自伝』を日本語に翻訳して出版しました。

『李在明自伝 わたしが目指す韓国』(東方出版)です。

<韓国の最大野党、進歩系の「共に民主党」代表李在明氏については否定的に報じられることが多かった。

「疑惑まみれ」「相次ぐ側近らの不審死」「嫌悪感」「求心力低下」……。前回二〇二二年三月の大統領選で現大統領の尹錫悦(ユンソンニョル)氏に惜敗した後とくに、それが目立った。検察捜査の標的になり、公選法違反や背任などで起訴が繰り返されてきた。 

しかし、それでいながら李在明氏は「将来の政治指導者」としての期待度を問う世論調査では常に、ほぼ最上位にその名前が挙がってきた。昨年四月の総選挙では保守与党「国民の力」に大勝。昨年末の尹錫悦大統領の「非常戒厳」以来の弾劾政局でいままた、次期大統領の有力候補として大きく浮上してきている。 

起訴された刑事裁判の結果によっては次期大統領選への出馬資格を失う。そんな「司法リスク」を抱えながらもここまで多くの支持を集めているのはなぜなのか。 

ソウルの書店で『李在明自伝』(ASIA出版)を手にしたのは昨年初夏のことだった。「その夢があってここまで来た」(「 꿈이 있어 어기까지 왔다)というタイトル。前回の大統領選に向けて出された本だった。読んでみて、私の「なぜ」に一つの答えが示されているように思えた。本書を出すに至った動機である。……>

                       ――本書の「訳者あとがき」より 

お読みいただければ、李在明氏がなぜ韓国民に強い支持を得ているのか、お分かりいただけると思います。 

そして、李在明氏を抜きにはいまの韓国社会を語れないということも――。

 

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李在明自伝 – 丸善ジュンク堂書店ネットストア

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            波佐場 清(立命館大学コリア研究センター上席研究員)

2025年3月4日火曜日

[全訳]大統領弾劾審判の国会訴追団代表最終陳述/「一日も早く尹錫悦罷免を」

韓国の尹錫悦大統領が出した「非常戒厳」めぐり、大統領罷免の可否を判断する憲法裁判所の弾劾審判が最終局面を迎えている。韓国メディアは「3月中旬にも憲法裁の判断が示される」との見方を示している。大統領は何を問われたのか。225日の最終弁論で「罷免」を求めた国会弾劾訴追団代表、鄭清来(チョンチョンレ)法制司法委員長(「共に民主党」議員)の40分余にわたった最終陳述をここに全訳で紹介したい。(小見出しは訳者が付けた)

                               波佐場 清

[풀영상] ", 몽상 빠져있던 권력자..응분의 책임 물어야/파면으로 헌법수호" '탄핵심판' 최종변론, 국회 소추위원 정청래 최종진술 - [MBC뉴스] 2025 02 25

憲法裁の最終陳述で「尹錫悦罷免」を訴える鄭清来議員 フェイスブック

■尹錫悦は罷免すべきだ

尊敬する憲法裁判所の裁判官のみなさま、大韓民国の運命を左右する現職大統領にたいする弾劾事件を審理する間、その歴史的重圧にどれほど苦労が多かったことでしょうか。民主主義と憲法を守るための熱情で一貫してこられた裁判官のみなさまのご労苦と献身に国民の一人として敬意を表します。

 大韓民国の民主主義と国家発展のために、被請求人尹錫悦は罷免されなければなりません。「123内乱」[尹錫悦大統領による2024123日の「非常戒厳」宣言のこと――訳者注/以下[ ]内はいずれも訳者注]の夜、全国民がテレビの生中継で、国会を侵奪した武装戒厳軍の暴力行為を見守りました。天も地も知っていることです。天は戒厳軍のヘリコプターの轟音をはっきりと聞き、地は武装した戒厳軍の軍靴を見ました。池の水面(みなも)に浮かんでいた月影も目撃者です。全国民が目撃者であり、全世界の外電も韓国の非常戒厳親衛クーデターをリアルタイムで打電しました。内乱首謀の被疑者尹錫悦を罷免すべき、必要かつ十分な条件はすでに熟しています。

 ■違うと、間違っているは違う

大韓国民5千万の国民の考えがみな同じであるということはあり得ません。男女の違いがあり、生まれた日時や地域、環境、文化も違います。それで、考えも違い、意見、主張も違います。しかし違うということと間違っているということは区別しなければなりません。自分の考えと違うからといってほかの人が間違っているということにはなりません。自分の考えと違うからといって、差別してはなりません。政治的見解が違うといって嫌悪し、蔑み、弾圧してはなりません。ましてや権力を悪用して相手を弾圧、除去の対象としてはなりません。ひとり一人の人間が天下なのであり、宇宙なのです。夜空に浮かぶ星のように国民ひとり一人がみな、尊重されなければなりません。これが憲法第10条で定めた「すべての国民は人間としての尊厳と価値を持ち、幸福を追求する権利を持つ。国家は個人が持つ不可侵の基本的人権を確認し、これを保障する義務を持つ」という基本権条項を貫く根本原則なのです。

■国民が国の主人である

 大韓民国は国民、主権、領土から成っています。国民がすなわち国家なのです。国民は国家を愛し、国家は国民の生命、財産、安全を保障しなければなりません。国民は国家を愛するがゆえに愛国歌を歌い、国旗に誓うのです。大韓民国の国民は考えが違っていても愛国歌と太極旗を愛しています。国家のために個人を犠牲にして献身、奉仕する愛国心は大韓民国の国民が一番です。大韓民国の国民は国を愛しています。壬辰倭乱[日本でいう「文禄・慶長の役]、日帝強占[日本による植民地支配]、韓国戦争[朝鮮戦争]、軍部独裁から国を守ったのも国民であり、国を発展させたのも国民です。腰ひもを引き締め直して子どもたちを教育し、今日の民主化と産業化を達成した主人公は、わたしたちの祖父母であり父母、つまりは国民だったのです。映画『パラサイト 半地下の家族』、『イカゲーム』、BTS――といった文化強国、オリンピックで金メダルをとるスポーツ強国大韓民国を達成したのは誇るべきわが息子、娘たちでした。国を守ったのも国民、国を発展させたのも国民、国も主人も国民です。 

 ■すべての権力は国民に由来する

 大韓民国国民は憲法を愛しています。憲法は、考えや主張、意見が違うとき、大韓民国はこの方向でいこうと決めている国民にたいする合意文書です。国民全体の約束であり、国民が守らなければならない国家の里程標です。憲法は羅針盤です。憲法は国民であり、愛国歌であり、太極旗です。大韓民国の国民はだれも憲法の上にあって君臨することはできません。大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民に由来するということ、これが第1条でうたう民主共和国の憲法精神です。

 ところが、国と憲法を愛する国民を銃剣で殺そうとし、血で守ってきた民主主義を踏みにじり、血をインクとして一字一字を書き刻んだ憲法を破壊しようとした人物がいます。血で書いた民主主義の歴史を舌で消そうとしたのです。銃剣で憲法と民主主義の心臓である国会を蹂躙しようとしたのです。いま、この弾劾審判場にいる被請求人尹錫悦です。

 ■不寛容によってできた「寛容の国」

憲法擁護の最後の砦(とりで)である憲法裁判所の裁判官のみなさま。

フランス共和国は寛容によってできたものではありませんでした。民族反逆者には公訴時効がないとしてナチス加担者を最後まで追跡して不寛容に処罰したことによって逆説的にも寛容の国、トレランスの国になることができました。今日の文化芸術の強国フランスはこうして建設されたのです。

 これに対してわたしたちは1945年8月15日の光復後、反民特委[解放後、日本統治時代に親日活動をおこなった者を処罰するために国会内に設けられた反民族行為特別調査委員会]の挫折によって親日加担者を処罰できず、その結果、正義と不義、愛国と売国、民主主義と独裁が混在して民主主義にたいする挑発や反対のうごめきは止みませんでした。もはや堕落し汚染した反民主主義的、反憲法的な饒舌と詭弁の連環は断ち切らなければなりません。行く道がどれだけ遠いといっても民族の精気を正すべきです。

 ■民主主義の主敵

 平和や文化が花開く文化芸術強国は民主主義の土壌で育つ木です。民主主義の礎(いしずえ)は国家発展の土台です。民主主義発展のプロセスが国家発展のプロセスです。民主主義の定着なしに国家の発展をなした国はありません。先進国家のなかに独裁国家はありません。民主主義と国家発展の主敵がまさに独裁です。国家発展のためには独裁の毒を抜かなければなりません。独裁の典型的な姿が非常戒厳、内乱、そして永久執政の陰謀です。被請求人は2022510日、国会において就任しました。憲法第69条にしたがって「憲法を順守し、国家を保衛します」という宣誓をして大統領に就任しました。しかし、被請求人は憲法を順守し、国家を保衛すると誓った、まさにその場所である国会に戒厳軍を送って侵奪し、憲法を蹂躙しました。大韓民国の憲法と民主主義を抹殺しようとした被請求人尹錫悦は罷免されて当然です。

 現職大統領には刑事不訴追権という憲法上の特権があるが、現職大統領といえども内乱の罪を犯したときは憲法守護の次元から不寛容でなければなりません。それが憲法第11[国民の平等]と第84[刑事上の特権]の精神です。内乱の犯罪は現職大統領を含め誰であっても例外なく処罰の対象です。この間、国会の法律代理人たちは違憲・違法な「123非常戒厳」と罷免理由について、その証拠と法理をすでに数回にわたって明瞭に説明しました。わたしは国民の立場から国民の声を込めて被請求人を罷免すべき理由についていま一度、申し述べたいと思います。

 ■戒厳の条件に違反

 第一に、被請求人尹錫悦は憲法第77条で規定された戒厳の条件に違反しました。憲法第77条第1項は「大統領は戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態において兵力で軍事上の必要に応じたり公共の安寧秩序を維持する必要があときには、法律の定めるところによって戒厳を宣布できる」となっています。123日の大韓民国は戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態でもなく、兵力で軍事上の必要に応じたり公共の安寧秩序を維持する必要はありませんでした。平穏な一日でした。兵力で公共の安寧秩序を害した張本人が被請求人です。戒厳宣布は論難の余地がない明白な違憲行為です。

 ■手続きも不当

 第二に、被請求人尹錫悦は戒厳宣布の手続き面の正当性に反しました。憲法第82条は「大統領の国法上の行為は文書でおこない、その文書には国務総理と関係国務委員が副署する。軍事に関したこともまた、同じ」としています。戒厳法第2条第5項は「大統領が戒厳を宣布したり変更しようとするときは国務会議の審議を経なければならない」となっています。同じく第6項は「国防部長官[国防相]または行政安全部長官[行政安全相]は国務総理[首相]を経由して大統領に戒厳の宣布を建議することができる」となっていますが、被請求人は憲法第82条や戒厳法第2条のすべてに違反しています。戒厳宣布時、正常な国務会議の審議がありませんでした。国務委員らの証言によると、国務総理を経る手続きもとっておらず、開会宣言、案件説明など、正常な国務会議も副署した議事録文書も存在していないようです。被請求人を罷免すべき明白な証拠であり、理由です。

 ■国会を侵奪

 第三に、被請求人尹錫悦は非常戒厳を解除する唯一の権限がある国会を侵奪しました。憲法第77条第5項は「国会が在籍議員の過半数の賛成で戒厳の解除を要求したときには大統領はこれを解除しなければならない」となっています。非常戒厳を解除できるのは唯一、国会だけです。そのような国会の権限と権能を強圧によって妨害しようと国会を武装兵力で統制、封鎖しようとしました。憲法第87条、刑法第91条で規定した内乱の罪を犯した明白な国憲紊乱、内乱行為です。国会の秩序についても云々していますが、国会には国会自体の秩序維持システムがあります。国会のガラス窓を壊し、乱入したことは秩序の維持ではなく、抑圧であり、暴力です。国会秩序を紊乱したのは被請求人の尹錫悦本人です。

 ■布告令は違憲・違法

 第四に、被請求人は違憲・違法な布告令を発表しました。戒厳布告令第1項で「国会と地方議会、政党の活動と政治結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じる」としているのは憲法第77条第3[「非常戒厳が宣布されたときは法律が定めるところによって令状制度・言論・出版、集会・結社の自由、政府や法院の権限に関して特別な措置をとることができる」と定めている]に真っ向から背きます。たとえ、合法的な戒厳であったとしても国会に関してはどのような特別な措置もとることができないようになっているのです。

 ■国家紊乱

 第五に、戒厳軍が中央選挙管理委員会を侵奪したことも、司法府の主要な人物を逮捕・拘禁しようとしたことも、すべて憲法や法律に背くものでした。司法権の独立に真っ向から反しただけでなく憲法の三権分立の精神にも背きます。これは憲法第77条第3項、憲法第114[選挙管理委員会について定めている]、憲法第105[法官の任期などについて定めている]、憲法第106[法官の身分保障について定めている]、憲法機関の独立性の精神に違反し、刑法第91条で「憲法によって設置された国家機関を強圧によって転覆またはその権能行使を不可能にすること」と定義づけた国家紊乱目的の内乱罪に該当します。

憲法裁でおこなわれた尹錫悦大統領弾劾審判の最終弁論 フェイスブック

 ■危険な人物

 このほかにも被請求人が非常戒厳後にみせた司法正義破壊行為は国民に大きな失望と衝撃を与えました。被請求人は「123内乱」後、法官が発付した逮捕令状を拒否して司法機関の法執行を無秩序状態にしてしまいました。ごく一部の支持者を頼りに国家の混乱を助長し扇動するようなみっともない態度をみせ、不正選挙という妄想にとらわれています。不正選挙という陰謀論はわたしが見るに、戒厳宣布文にもなかった後づけのアリバイに過ぎません。万が一にも彼が職務に復帰すれば、また非常戒厳をおこなうかもしれないという疑念を持つに十分な、危険な人物です。

 尊敬する憲法裁判官のみなさま。被請求人尹錫悦の憲法と法律に違反した行為はこの間、2回の準備手続きと本日の第11回弁論に至るまでの厳格な審理のなかで証拠文書や映像、16人の証人の証言によって十分に立証されたと考えます。この際、反省し、自分のことを振り返ってみて国民に真摯に頭を下げ謝って当然です。人間なら良心があるはずです。しかし被請求人は国民にたいする謝罪どころか、警告のための短い戒厳だったとか、何ごとも起こらなかったなどと弁明しています。これによって国民は戒厳宣布当時の衝撃、それ以上の衝撃を受けています。

 戒厳が早く終わったのは被請求人の功労でしょうか。死傷者が出ずに済んだのは被請求人の自慢なのでしょうか。戒厳の被害をそれでも減らすことができたのは国会に駆けつけた市民、戒厳軍を防いだ国会議員補佐官、装甲車を食い止めた市民らのおかげです。本人も告白したように明白な不法命令に消極的に抵抗した軍人、戒厳解除のために命がけで塀を乗り越えた国会議員らの合作品です。警告のための戒厳であり、何ごとも起こらなかったのだから、また、戒厳をなさるというおつもりなのか。人間なら、恥を知るべきです。

 ■過去が現在を助け、死者が生者を救った

大韓民国は軍事独裁と非常戒厳の痛い傷痕を抱えています。わたしたち国民は19805月の光州を血で染めた全斗煥を中心とした新軍部の非常戒厳を鮮明に記憶しています。「なぜ刺したんだろう、なぜ撃ったんだろう、トラックに積んでどこへ行ったんだろう」[光州民主化運動後に歌われた民衆歌謡「5月の歌」の一節]。「望月洞のいからした眼」[同じく「五月の歌」の一節で、望月洞は民主化運動犠牲者らが眠る墓地の所在地]で、大韓民国の民主主義を見守っています。この光州虐殺の傷痕と精神が45年後の内乱の夜、国会を守ってくれたのです。ノーベル文学賞受賞作家ハン・ガン(韓江)さんの言葉通り、過去が現在を助け、死者が生者を救ったのです。

 民主憲法の守護神である憲法裁判官のみなさま。被請求人は非常戒厳の緊急談話文の中で「国会は犯罪者集団の巣窟になり、自由民主主義体制の転覆をはかっており、国会が自由民主主義体制を崩壊させる怪物になったようだ。大韓民国は今すぐにつぶれてもおかしくない風前の灯火の運命にある。国民の自由と幸福を奪っている破廉恥な従北反国家勢力を一挙に剔抉し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する」と言いました。被請求人に問いたいと思います。今も202412月に大韓民国がすぐにつぶれてもおかしくないほどの風前の灯火の運命にあったと考えているのか。もしかして「ミョン・テギュンの黄金フォーン」[政治ブローカー、ミョン・テギュン氏が使っていた携帯電話のこと。尹錫悦大統領夫妻の国会議員候補公認介入などの疑惑に絡む音声が録音されていると韓国メディアは報じている]による本人だけの危機ではなかったのでしょうか。

 ■再び非常戒厳?

 国会は犯罪者の巣窟なのか。国会は反国家勢力なのか。国会が従北反国家団体というなら総選挙で投票した国民も反国家従北勢力だというのでしょうか。国家予算の編成権は行政府にあり、予算の審議・議決権は国会の権限です。使途を疎明できず国民の血税浪費と目されてきた検察の特殊活動費が削減されたといって戒厳をするなら、科学技術分野におけるRD予算を大幅に削減した被請求人はだれが懲らしめるべきなのでしょうか。1%にもならない国家予算を削ったといって非常戒厳をするとなると毎年非常戒厳をしなければならないことになり、憲法裁判所で弾劾が棄却されればまた、非常戒厳をするつもりなのでしょうか?

 ■弾劾の権限と大統領の拒否権

違憲・違法な高官らを弾劾する権限は国会にあります。国会の厳然たる合法的な弾劾の権限について言えば、被請求人も国会の権限に基づいて弾劾され、法的手続きにしたがって今ここで弾劾審判を受けています。被請求人もやはり、憲法と法律に基づいて20余回も拒否権を行使したのではなかったのですか? 金建希特別検察法[大統領夫人を取り巻く疑惑の捜査に専従する検察官を特別に任命する法]、蔡海兵特別検察法[水害の行方不明者を捜索していた海兵隊員の死亡事故をめぐり、上司の過失についての捜査に大統領室が圧力を加えたのではないかとの疑惑解明に特別検察官を任命する法]など、本人や妻の利害が絡む法案もみな、拒否権を行使したのではなかったのですか。国会も大統領も、憲法と法律にしたがってそれぞれが権限を行使したのです。国家機関は憲法と法律の枠内で権限を合法的に行使しなければなりません。自分が気に入らないからといって憲法や法律をまったく無視して反憲法的な内乱を画策していいのでしょうか。気に入らないからといって国民や憲法を殴りつけ、リンチしていいのでしょうか。

 被請求人は与野党合意がなされないので拒否権を行使すると言いました。与野党合意は憲法や国会法のどこにも書いてありません。そのような考え方自体、反憲法的です。総選挙にあたり、一票、一議席でも多く得ようと努力するのは、憲法第49条で規定した「国会の意思決定は多数決で行え」という憲法の命令があるからです。与野党合意が法案通過の前提条件というなら、それは民意を否定し歪曲する反憲法的、反法律的言動です。代議民主主義憲法の否定です。何のための総選挙なのでしょうか?

 ■動かせぬ証言

 尊敬する裁判官のみなさま。被請求人は「警告性の戒厳であり、何ごとも起こらなかった」と仮想現実にいる人間のようなことを言っています。本人は逮捕を指示していなかったと言い、洪壮源・前国情院第一次長と郭種根・前陸軍特殊戦司令官の工作だと主張しています。だれよりも被請求人に忠直だった2人が、どんな理由から被請求人を陥れようとしたというのでしょうか。被請求人から直接指示を聞いたというのは2人の証言だけでもないのに、指示を聞いた人間のみんなが工作に加担したというのでしょうか。そんなことは可能でしょうか。

 国会の内乱国調特委(内乱容疑真相究明国政調査特別委員会)でノ・ヨンフン防諜司令部捜査室長は「軍事警察の未決収用所という正常な拘禁施設があるのにB1バンカーを確認すること自体が正常なことではなかった」と証言しました。 キム・デウ前防諜司令部捜査団長は「李在明[「共に民主党」代表]、禹元植[国会議長]、韓東勲[前「国民の力」代表]3人に集中しろとの指示を受けたのか」との質問に「はい」とはっきりと答えました。また、この憲法裁判所が唯一、職権で採択した証人チョ・ソンヒョン首都防衛司令部第一警備団長もやはり、「中に入っていって議員らを引きずり出せとの指示を聞いた」とはっきりと証言しました。被請求人側で「議員」を「要員」とごまかしてしまおうとする小細工は失敗したのです。

最終陳述をおこなう鄭清来議員 フェイスブック

 ■気に入らない人物の根絶狙う?

よしんば野党が従北反国家団体だとして主要人物を逮捕、拘禁しようとしたのなら、政権与党の韓東勲代表はなぜ、逮捕しようとしたのでしょうか? 結局、被請求人は反国家勢力という見せかけをして自分の気に入らない人物を根絶やしにしようとしたのではないのでしょうか。そういう人たちを全員逮捕し、永久執政を夢見たのではないか。「ノ・サンウォン手帳」[尹錫悦大統領による「非常戒厳」をめぐり内乱罪で起訴された元軍情報司令官の占師、ノ・サンウォン氏の手帳。金龍顕前国防相=内乱罪で起訴=と連携し、戒厳令宣布後に拘束・監禁しようとした人物名などが書かれていたと報じられている]とはまた、何なのか? 「寝室に爆発物、化学薬品、緻密な回収(逮捕)計画」というおぞましい内容です。「殺害暗示のノ・サンウォン手帳 文在寅[前大統領]、柳時敏[ジャーナリスト、元国会議員]500人射殺 政治家・法曹人・放送人・スポーツ関係者らを狙う」「捕縄で収容所送り……全左派勢力崩壊」――これらはこの件を報じたメディアの見出しです。生涯、サッカー以外に知らない車範根監督がなぜ、ここに記載されたのでしょうか。車監督は「わたしはサッカーを愛し、サッカー以外のことには関心や欲心がない。わたしの名前がどうして手帳に書かれているのか、ただ驚くばかりだ」と語り、「わたしは平和、愛、幸福といった言葉で満たされる老後を過ごしたい」と言っています。

■大きな後遺症

 いまはもう、空想にふけった権力者が崩そうとした平和な日常を取り戻さなければなりません。被請求人は何ごとも起こらなかったと強弁していますが、たくさんのことが起き、戒厳の被害はとてつもないものです。国民はまだ、内乱性ストレスで眠られず、ソウル西部地裁乱入[尹錫悦大統領の拘束に反発した支持者が暴徒化して地裁に乱入し、器物を損壊した事件]のようなひどい事態を目撃しました。憲法擁護の最後の砦である憲法裁判所までテロの脅威にさらされています。被請求人が犯した内乱で、国民はお互いを敵とみなし、心理的内戦状態に陥っています。

 尊敬する憲法裁判官のみなさま。大韓民国は輸出で食べている国です。対外依存度が高い経済構造上、国家の安定がすなわち経済であり、平和がすなわち経済です。民主主義先進国大韓民国を不安な目で見ている全世界に、わたしたちの民主主義の回復能力を見せてやらなければなりません。一日も早く内乱を克服し、国政を安定させることがその出発点です。戒厳に伴う国政の混乱と不安感による被害はあまりにも大きなものです。1回目の弾劾訴追案が否決された直後の昨年129日、韓国株式市場のコスピ(KOSPI)とコスダック(KOSDAQ)は年間最低値を記録しました。戒厳宣布の一言で時価総額140兆ウォンが下落したのです。戒厳後、為替レートは急落し、内需景気も凍りつきました。「何ごとも起こらなかった」という被請求人の言葉とは違い、戒厳の後遺症は大きかったのです。

 建物ごとに賃貸問い合わせのビラが張り出され、食堂の主人は「お客さんがいない」と嘆き、廃業を心配しています。

 ■商工人の泣訴

 きょう最終弁論書を作成する、国民といっしょに作成したいのでネットのコメントで上げてほしいとお願いしたところ、ある方が書き込んでくれました。数千人の声のなかの一つです。ある商工人社長の泣訴です。製造卸売の自営業者です。「戒厳のあと、急に注文が減り、資金難で苦しんでいたが、2月を最後にやむを得ず3人の従業員に辞めてもらい、家族4人でなんとかやりくりしています。この1年、苦しいなかでも従業員の給料は赤字を出しながらなんとか埋め合わせていたのに戒厳後はIMF危機[1987年、韓国が国際通貨基金の支援を受けた金融危機]の時より深刻なようです。50年間守ってきた工場は閉じることになりました」。これがいま苦しんでいる国民の声なのです。

 ■外交にも被害

 国益の追求が最終目標の外交も被害は甚大です。米国政府は非常戒厳の発表が事前に通報されていなかったことに当惑と憂慮を表しています。トランプ政権との初期首脳外交のゴールデンタイムを逸しました。202412月に予定されていた日本の中谷元防衛相の訪韓、2025年の年初に予定されていた石破茂首相の訪韓が取り消されました。EUやヨーロッパ諸国は韓国の民主主義毀損に憂慮を表明しており、スウェーデン首相の訪韓が取り消され、2025年上半期に予定されていたマクロン仏大統領の訪韓も延期されるなど、国の品格失墜に伴う被害はあまりにも大きいといえます。

 ■国軍の名誉失墜

 尊敬する裁判官のみなさま。非常戒厳で最も大きな被害を負ったのは大韓民国の国軍です。軍部独裁の被害を繰り返さないためにわたしたちの憲法第87条は「軍人は現役を免除された後でなければ国務委員に任命されない」と規定して軍の政治的中立を宣言しています。しかし被請求人の私的な目標達成のために戒厳軍に動員された軍が、自身らが守るべき国民に銃口を向けたという汚名を着せられることになりました。失墜した軍の名誉を回復させてかれらが再び国と国民を守るのだというプライドをもって勤務できるようにしなければなりません。その出発点は軍の存在理由を崩してしまった被請求人にたいして応分の責任を問うことであらねばなりません。

 ■36年前の悪夢

 尊敬する憲法裁判官のみなさま。わたしは123日の夜1050分ごろ、非常戒厳の緊急速報を見て、怖さでぶるぶる震えながら国会後門の塀を乗り越えました。戒厳軍が先に陣取っていて、逮捕・連行されるのではないかと怖かったのです。国会のグランド近くから本庁舎へ一歩一歩踏み出すごとに36年前の19889月の夜のことがまるで昨日のことのように思い浮かびました。午前1時、安企部に捕まり[国家保安法違反容疑]、いまもどこだったか分からないソウル乙支路のどこかにあるホテルに引っ張って行かれてタオルで……、タオルで目隠しされたまま下着姿で4時間……、拳で殴られ、足で蹴られ……、拷問の暴行を受けました。生きているのが苦しかった。メディアで伝えられた「ノ・サンウォン手帳」通りのことが行われていたら、多くの人たちが死を免れなかったと思います。

 ■誇らしい国を傷つけた大統領

 尊敬する裁判官のみなさま。大韓民国は世界が驚くほどの発展を遂げてきました。この100年間で王朝国家から民主主義国家に、援助を受けていた国から援助の与える国、文化芸術の強国へと発展してきました。いま、この時間にもコリアンドリームを夢見ながら世界のあちこちの韓国語塾で韓国語を学ぼうという人たちが列をつくっています。政治、経済、外交的にも大韓民国は有数の民主主義先進国となり、軍事的にも世界6位の強大国になりました。白凡・金九先生[独立運動家、上海臨時政府主席などを務めた]が夢見た文化の花開く国になりました。わたしたち国民はこの間、外国のどの国も、北朝鮮もあえて揺さぶることのできない国になったと自負してきました。

 そのような誇らしい国で、現職大統領によって国会が戒厳軍に侵奪され、政敵を除去するための親衛クーデターというおぞましいことが起きるとは夢にも思いませんでした。被請求人尹錫悦はいまも非常戒厳が高度の統治行為だといい、反省と自己省察を拒んだまま、戒厳と内乱を正当化する詭弁と饒舌を弄しています。かれを罷免することによって一日も早く大韓民国を正常に戻さなければなりません。

 ■最後の砦

 尊敬する憲法裁判官のみなさま。憲法裁判所は憲法擁護の最後の砦であり、国民主権を守る最後の防波堤です。被請求人の反憲法的内乱行為は民主主義の根幹を揺るがす重大な違憲の試みであり、国民の自由と権利を本質的に侵害する反憲法的挑発でした。被請求人は軍の統帥権者として与えられた強大な権限を乱用して軍と警察を私有化する重大な違憲行為を犯しました。いぜんとして不正選挙陰謀論にとりつかれていて、総選挙の結果によって構成された国会を否定しています。弾劾が棄却されれば国政をどう率いていく、などとでたらめな弁明や食言をこのあとも続けるのかもしれません。

 ■民主主義の敵は民主主義で、憲法の敵は憲法で

 国民は被請求人が盗っ人猛々しくも他人のせいばかりにする言葉遊びをもう信じないでしょう。仮にほんとうのことを言ったとしてもだれが信じますか。被請求人の言葉に騙されてはいけません。信無くば立たず――といいます。信頼を失った大統領は国民の前に再び立つことはできません。民心は海のようなもので、船を浮かべることもひっくり返すこともできます。被請求人から民心は離れました。被請求人の反憲法的内乱行為は主権者である国民に対する明白な背信でした。被請求人の私益と貪欲のための権力乱用と憲政秩序の破壊によって国民の信頼は完全に失われました。国民がこれ以上許さないことはあまりにも当然のことです。被請求人を罷免することは、大統領という最高権力者に憲法を順守する義務があることをいま一度想起させ、憲法の敵から憲法を守ることです。憲法を破壊した行為には例外なく断固として対処するというのが憲法の峻厳な命令です。民主主義の敵は民主主義で払いのけ、憲法の的は憲法で払いのけなければなりません。

 ■韓国民主主義の底力

大統領の弾劾はけっして軽々しく決めてはなりませんが、憲法で定めた要件が充たされ、憲法秩序を守るための不可避な選択だとしたら必ずなされなければなりません。いま、わたしたちに必要なのは憲法の上に君臨しようとするなんでもできる王ではなく、「絶対権力者も過ちがあれば罰を受ける」という一般常識です。大統領にたいする罷免の決定は私的感情による政治報復や政治的攻撃ではなく、ひたすら憲法と法治主義を回復するための憲法擁護者の決断です。被請求人尹錫悦にたいする罷免決定は大韓民国の民主主義の驚くべき回復力を見せてやると同時に大韓民国憲法が生きていて現実に作動する実質規範であることを示す歴史の記録となるでしょう。

 尊敬する裁判官のみなさま。被請求人は以上のような理由により、大韓民国の大統領職を維持する資格がありません。国民のこころのなかの大統領ではありません。わたしたち国民は憲法の敵を憲法によって防ぎました。民主主義の敵も民主主義で守り抜きました。大統領尹錫悦を罷免することによって憲法擁護の意志を見せてやることを望みます。被請求人にたいする罷免で得られる国家的利益は圧倒的に大きなものです。必然は偶然の衣服を着て現れるといいます。非常戒厳が妄想家の偶然の突出行動であったとしたら、内乱の克服は国民が成し遂げた必然です。その必然が大韓民国の民主主義の底力です。

 ■コリアンドリームの実現を

 内乱の克服は国を愛する国民の民主主義にたいする必然的な本能と自己救済策であり、ひとつ一つの努力の結果でした。いまはもう、内乱を克服し、国政を安定させて未来に進まなければなりません。よりよい民主主義、より広い民主主義の広場で「K-民主主義」が咲き乱れ、光の革命で国民のエネルギーを一つにまとめ、ひとり一人が豊かに暮らす国、しばし停滞した外交・安保・国防のしっかりとした国、平和な朝鮮半島、経済と文化芸術が共に発展するコリアンドリームを国民とともに夢見ながら再び前に進みましょう。被請求人の非理性的、反歴史的な非常戒厳は起きてはならなかった非現実的な妄想でしたが、「神がお護りくださる我が国万歳」[国歌「愛国歌」の一節]です。憲法を愛する国民が愛国歌を誇らしく歌えるよう民主主義と憲法擁護のために被請求人尹錫悦を一日も早く迅速に満場一致で罷免してくださるようお願いします。「東海の水が乾き、白頭山が朽ち果てても 神がお護りくださる我が国万歳 無窮花、三千里、華麗な山河 大韓人は大韓を 永遠に保全しよう」[]。最終弁論の最後を映像で締めくくりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。


2024年6月16日日曜日

「民主主義は只(ただ)ではない」/金大中さんが語った日韓の民主主義の違い

5月、韓国・光州で、1980年の「光州事件」にちなむ民主化運動記念行事を見てきた。1980年代末~90年代初め、新聞記者として取材で現地を訪れて以来、30余年ぶりだったと思う。 

光州の街は私の記憶のなかにあるものとはずいぶんと違っていた。街並みは整備され、「市民軍」が立てこもった旧全羅南道庁の建物は記念館になって補修工事が進められていた。 

■金大中さんの全南大学講演

市内にある国立全南大学を訪ねた。805月の学生デモの拠点となったところである。そのことを確認したかったのと、もう一つ、私のこころの中にずっとあった、ある残像をたどってみたかったからである。

光州市にある国立全南大学    

事件から26年が経った200610月、ここ全羅南道地域出身の元大統領金大中さんがこの大学で特別講演会を開いていた。金大中さんが亡くなる3年前のことだった。私がその講演会のことを知ったのはだいぶ後になってからで、たまたまYouTubeで遭遇したのだった。 

金大中さんはここで、民主主義の普遍性や韓国の民主主義、そして日本の民主主義についても熱っぽく語っていた。今回、光州行きにあたって聴き直してみて、改めて腸(はらわた)にしみいるものを感じた。日本の民主主義が危機的な状況にある折、そんな講演内容を拙訳で紹介したい。 

――韓国型民主主義はアジアの民主主義のモデルになり得るでしょうか?

金大中さんの民主主義論は全南大学留学中のウズベキスタンの女子学生のこんな質問に答えるなかで語られた。金大中さんは「民主主義は普遍的なもので、韓国型といったものはない」などと、次のように語ったのだった。https://youtu.be/upk6meSmdHY 

 ■民主主義は只ではない

 民主主義はただではありません。対価なしに得られるものではない。米国の第3代大統領トーマス・ジェファーソンは「民主主義は血なまぐさい」と言いました。そのことはまさに、わが国で証明されました。

金大中さんのYouTube画像

 どれほど多くの人が死んだでしょうか。光州で、そして全国の至る所で…。私も死刑判決を受け、執行直前で助かりました。約6年にわたる監獄暮らしもしました。亡命、軟禁生活も10年以上に及びました。 

 ■根を張った韓国の民主主義

これは自慢ではありません。どれほど多くの方々が、この光州で命を捧げたでしょうか。だから韓国の民主主義はしっかりと根を張っているのです。いまはもう、どんな軍部の人間も、どんな独裁者も韓国では民主主義をしないわけにはいきません。軍部がまた、クーデターを起こすなど夢想だにできません。 

全南大学の正門

私たちは3度、独裁者を克服しました。李承晩、朴正煕、全斗煥。そして結局、盤石の民主主義を築いたのです。

全南大学正門横には1980年5月18日、ここで撮った写真パネルが展示してあった
 ■与えられた日本の民主主義

 最近、日本を見ると、急激に右傾化しています。それは日本人が自ら自分の手で民主主義をやらなかったからです。軍国主義をしていて突然降伏し、戦後マッカーサーが来て民主主義をしろ、というからやったのでした。日本には民主主義の主体勢力がありません。 

 だから過去の軍国主義時代の勢力がまた、復活したのです。いま見ると、そのような軍国主義勢力が幅を利かせてきており、「民主主義を守らないといけない。軍国主義の方向に行ってはならない。非常に危険だ」といっている。いまごろ、そんなことを言っても話になりません。 

 ■過去を教えない日本

 日本は戦争を起こし、戦争犯罪をおかしたことを国民に教育してきませんでした。だから、いま5060代以下の人たちは過去のことをまったく知りません。 

それで、わが朝鮮半島を占領し、朝鮮人を助けてやった、という。中国で南京大虐殺をしたというのは全部ウソだ、われわれは大東亜戦争をし、アジア人を西欧の植民地から解放してやったのだ、という。 

 現在だけでなく、将来がもっと問題です。この先、韓国、中国とも、東南アジア諸国とも葛藤があることでしょう。このように見てくると、「民主主義は只ではない」ということを、日本を見るにつけ、ほんとうに実感してしまいます。 

 ■犠牲になる覚悟が必要

 民主主義について質問したウズベキスタンの学生の心情は理解できます。ほんとうに胸が痛みます。しかし、ウズベキスタンの場合も、民主主義は結局のところ、ウズベキスタンの人たちがしなければなりません。 

 やることができます。ただ、そこには民主主義のために犠牲になる覚悟が必要です。そして国民をそこに導いていかなければなりません。

全南大学キャンパス メタセコイアの並木がきれいだった

 私たちも、「419革命」[1960419日をピークとした全国的な学生蜂起で李承晩政権を倒した民主闘争――訳者注]では、まず学生たちが立ち上がりました。そして遂には、国民がこぞってそれに加勢しました。 

1987年の民主抗争[876月の民主化要求闘争。大統領直選制などを求め、政権側から「民主化宣言」を引き出した――訳者注]のときも、最初に学生、政治家が始めたのが、最後には結局、全国民が参加していったのです。 

そうなると国会の方でも独裁者に圧力をかけ、「李承晩大統領は下野しろ」「全斗煥氏の戒厳令は許さない」となったのです。結局、始まりは私たちが受け持ち、犠牲も引き受けなければなりませんが、最後は、全国民が参加することになり、世界が援けてくれるのです。 

■英国の平和革命と血のフランス革命

ウズベキスタンの場合も同じです。中央アジアのすべての国もそうでしょう。それは必ずそのようになるだろうと思います。 

経済が発展すれば、中産層が生まれます。そうなると中産層は自由を求め、政治参加を要求します。投票権を求め、被選挙権を要求するようになります。要求が認められなければ問題が生じます。 

イギリスでは産業革命によって中産層が生まれました。彼らがそのような要求をすると、貴族らは気持ちよく明け渡しました。それでイギリスは平和革命となりました。 

フランスでは貴族らが要求を受け入れなかった。それで大革命が起き、皆殺しになりました。このことはどこの国であっても真理なのです。 

■揺るがぬ民主主義と、長続きしない民主主義

民主主義は只ではないということ、血と汗と涙を流さなければならないということ、最後は国民が同調するようにしなければならないということ、そうすれば成功し、そうして成し遂げられた民主主義は決して揺らぐことなく根を張ることができます。 

そうしないで外国勢力や偶然によって民主主義がなされても、そういうものは長続きしないということ、そういうことを申し上げたいと思います。 

以上が、200610月、金大中さんが全南大学でおこなった特別講演の民主主義論に関する部分のほぼ全訳である。 

The tree of liberty must be refreshedwith the blood

金大中さんが「民主主義は只ではない」と繰り返し強調し、米大統領トーマス・ジェファーソンの言葉として引用した「民主主義は血なまぐさい」は、金大中さんが韓国語で「민주주의는 피를 먹고 산다」と言ったのを拙訳したものである。 

このフレーズを例えばGoogle翻訳にかけてみると「民主主義は血を食べて生きる」という機械的な逐語訳が返ってくる。ジェファーソンは実際、どう言ったのか。立命館大学で学ぶ韓国からの留学生に調べてもらうと、「これだと思います」と次のような一文を示してくれた。 

The tree of liberty must be refreshed from time to time with the blood of patriots and tyrants. 

Google翻訳にかけると、「自由の木は、愛国者や暴君の血で時々更新されなければなりません」となる。英語に自信があるわけではないが、納得のいく訳語といえる。 

■「民主主義は闘いだ」

最近、フランスのマクロン大統領が「(人々が)民主主義に慣れてしまい、それが闘いであることを忘れている」と語ったという(6月11日付朝日新聞、杉山正欧州総局長)。欧州議会選での右翼政党躍進を伝えるなかで紹介された発言だが、闘いを止めれば、民主主義は後退するというのは真理であろう。

民主化運動記念行事で気勢を上げる参加者 5月17日 光州・錦南路

 

44年前の5月、銃撃の現場となった光州市のメーンストリート、錦南路一帯で開かれた今年の民主化運動記念行事を見ながらずっと考えていたのは金大中さんの「民主主義は只ではない」という言葉のことだった。

           


             立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

 

2024年6月7日金曜日

ハンギョレ新聞イ・ジェフン記者に聞く(下)/南北関係はどうなっていくのか

韓国のハンギョレ新聞記者イ・ジェフンさんは韓国政府の対応や南北関係のこんごの見通しについても話してくれた。

――韓国政府は北朝鮮の「2国家」路線をどう見ているのでしょうか。 

■「北は反統一勢力」

尹錫悦大統領は「反民族、反統一であり、歴史に逆行する挑発だ」と言いました。金暎浩(キム・ヨンホ)統一部長官(統一相)も「歴史に逆行する」と非難し、「統一は究極の目標であり、最重要課題だ」と言っています。簡単に言えば、北は反統一勢力であり、反民族的で、歴史に逆行する、北が統一をしないというなら、われわれがする――というのが尹錫悦政権の立場です。

韓国大統領室HP  尹錫悦大統領

――尹錫悦政権になって統一部(省)で南北交流を担う部門が統廃合され、人員も削減されました。保守層には「統一部をなくしろ」という主張もあったと聞いています。北の新路線で韓国の統一部もなくなる方向に進むのでしょうか? 

 ■存続する韓国の統一部

 逆でしょう。いま言ったように、北に対し尹錫悦大統領は「反統一、反民族、反歴史的だ」と非難しています。そんなことを言う一方で、統一部をなくすというのは理に合わないでしょう。尹錫悦大統領は外に向けても内に向けても「北が統一をしないというなら、われわれがやらないといけない。私がやろう」といったふうに主張していくと思います。統一部がなくなるとは想像しがたいことです。 

 ■南北逆転

 かつて金日成主席は口さえ開けば統一の話をしていました。朝鮮半島の外にいる人には統一に関しては北の方がある意味、南よりも優位にあるようにも見えたかと思います。北は経済的には劣っているが、民族の自主、統一という面では南よりずっと積極的で一定、政治的正当性もあるではないか、と。そんな歴史的関係が金正恩総書記のこんどの宣言で逆転しました。北の政権にとっては政治的に危険な状況といえるでしょう。 

 逆に、韓国政府にとって統一部は政治的資産になります。いまの枠組みが大きく変わらない限り、韓国はこの先どんな政権になっても統一部はなくならないと思います。 

――この間、韓国では「南北は統一指向の特殊な関係」という考え方が広く共感されていたように見えました。 

 ■「特殊関係」か、「2国関係」か

 その通りです。南北基本合意書ができたあと、南北に関することはすべてそれに基づいてやってきました。北に行くときはパスポートでなく統一部長官(統一相)の承認を受ける。ODA援助から北を除く。貿易でなく交易とし、輸出入統計に含めない。学校でも「北は外国ではない」と教えてきました。 

一方で、韓国では一部進歩的知識人を中心に「平和的2国関係を」とする主張がずっとなされてきました。北を国家ではなく「反国家団体」とする国家保安法に反対する立場から「南北が敵対的でない、平和的な2国関係になれば保安法は根拠を失い、そこから統一への道も開ける」とするものです。とくに若い層には「統一」より「平和共存」志向が強くなってきており、こんご、そんな主張も強くなるように思えたのですが、北の新路線で、そうした論議はかえって困難になるかもしれません。 

――南北分断は80年近くになります。若い層は「統一」より「平和共存」志向だといわれましたが、統一はしたくないということなのでしょうか。 

 ■北は他人ではない

統一への関心がないと言っても、例えば北朝鮮がどこかの国とスポーツの試合をするとなると、たとえそれが韓国との友好国であったとしても、韓国人の大部分は必ず北の方を応援します。外国人にはよく分からないと思いますが、韓国人が北を応援しないのは南北間で試合するときだけです。 

北朝鮮は貧しく、小さな国です。しかし、韓国人はEU委員長や英国首相の名は知らなくても、北の最高指導者の名前は、そこらの小学生でもみんな知っている。北は他人ではないと思っているからです。韓国人は保守的であれどうであれ、言葉では統一する必要はないと言っていても、いつか、そういうときになれば、統一すると思っているのです。 

――韓国を「敵対国家」とする北朝鮮の新路線はずっと続いていくのでしょうか。韓国とはもう、対話や交渉はしないのでしょうか。 

 ■「発展権」をどうするか

結論から言えば、変わる可能性はあると私は見ています。北朝鮮は米国と交渉するときなどによく「自主権」「生存権」「発展権」ということを言っていました。それでいうと、「自主権」と「生存権」は金正恩体制のいまの路線で最小限の目標は達成できるでしょう。しかし「発展権」は可能なのか、ということです。 

「発展権」を北朝鮮流に言えば、「瓦屋根の家に住み、白いご飯と肉のスープ」。つまり生存のレベルではなく、ちょっとゆとりのある暮らしということになるでしょう。それが中ロの援助でできるのか。できるならすでにそうなっていたはずです。だから、金日成主席の時代から米国、日本と関係正常化をしようとしてきたのです。 

「発展」の問題を解決するには米国、日本、さらには韓国とも関係を持ち、交流することが不可欠だということです。停戦体制を平和体制にかえる問題もあります。そう考えると「敵対的2国家関係」は、持続可能と断言し難いと思います。 

すでに見たように「2国家関係」というのは歴史的趨勢であり、戦略的、防御的なものです。しかし「敵対的」かどうかは相手の出方によって変わり得ます。北朝鮮がこの先も永遠に統一の話をせず、大韓民国を他国だと、ずっと言い続けることができるのかどうか。そういうことはできないように私には思えます。 

――韓国の尹錫悦政権は敵対政策を続けていくのでしょうか。  

 ■「北カード」

変わる可能性がないとは断定できません。もちろん尹錫悦大統領の基本認識に照らすと真摯な意味での対北政策変更はまず期待できないといっていいでしょう。しかしこの春の総選挙で野党が圧勝したことで国政運営が難しくなっています。就任以来この2年間の米日偏向外交で韓国の外交的立場が弱まって来てもいます。そんな状況にあって活路を南北対話に求めようとする可能性も排除できないと思います。 

歴代の保守政権、李明博政権や朴槿恵政権も、行き詰った時には「北カード」を使おうとしました。全斗煥政権のときもそうでした。もっとも、政権の狙い通りに行くかどうかは、別の問題ですが……。 

――最後に、ご自身はいま、朝鮮半島の平和と統一について、どう考えておられるのでしょうか。 

 ■真の平和のために…

 今のような状況で、仮に、統一か平和か、どちらか一つを選べと言われれば、私は平和を選びます。しかし統一なしに真の平和はむずかしいと思います。統一は困難だけど、私たちが進んで行かなければならない道なのです。

 

イ・ジェフン(이제훈/李制勲) 1965年生まれ。ソウル大学社会学科卒。北韓大学院大学で博士。93年ハンギョレ新聞入社、編集局長などを経て現在、同紙政治部統一外交安保チーム先任記者。近著に『非対称な脱冷戦1990~2020:平和への細い回廊に刻まれた南北関係30年』(市村繁和訳、 緑風出版)。非対称な脱冷戦1990~2020 李 制勲(著/文) - 緑風出版 | 版元ドットコム (hanmoto.com)

                                    おわり

立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

2024年6月6日木曜日

ハンギョレ新聞イ・ジェフン記者に聞く(中)/北朝鮮社会に混乱や動揺はないのか

韓国のハンギョレ新聞政治部統一外交安保チーム先任記者、イ・ジェフン(이제훈/李制勲)さんは北朝鮮内部の状況についても語った。

――北朝鮮がここに至って「南北2国家」を明言したのはなぜなのでしょうか。 

 ■吸収統一への警戒

 金正恩総書記の演説のなかに、「万一の場合、核戦力を含むすべての物理的手段を動員して南朝鮮の全領土を平定…」などとした部分があり、一部保守的な学者の中には金日成時代の「戦争統一論」に戻るものだという人もいます。しかし金正恩総書記は「敵が手出しをしない限り、一方的に戦争を決行しない」とも言っています。私は、防御的なものであり、戦略的変化を追求するものだと見ています。

労働新聞HP  昨年末の労働党中央委全員会議での金正恩総書記
北朝鮮は1980年代からずっと韓国に対して「吸収統一をするな」と言い続けてきました。「2国家」表明はそんな文脈の上にあり、吸収統一の憂慮をなくそうとするものです。金正恩総書記は韓国の歴代政権について、「われわれの体制と政権を崩壊させようという野望は『民主』も『保守』も同じだった」と言っています。南は吸収統一を狙っている、よろしい、それなら統一はしない――ということなのだと思います。 

■南と手を切る好機

なぜ、今なのかで言えば、3つの側面があると思います。まず国際情勢。新冷戦なのかどうかはともかくも米国と中国が対立し、北朝鮮は中国、ロシアとの関係を強めている。そんなときに対米交渉が決裂し、北朝鮮としては南と手を切るのは今だ、「北方政策」に集中しよう、と判断したのでしょう。 

次に、南北関係です。南北間の交流協力が始まって30年になりますが、北で主導権が取れていないし、南への依存度も高まってきていました。そんなところへ「北は敵だ」という尹錫悦政権が登場してきた。文在寅前政権のように、毎日、対話しよう、会談をしようと言ってきているときに「敵対的な2国家関係」などというのはむずかしいが、「今なら…」というわけです。 

北の内部事情からいってもその必要に迫られていました。北では3年ほど前から「反動思想文化排撃法」「青年教養保障法」「平壌文化語保護法」という3つの法律が相次いで施行されています。南のビデオやテレビを見るな、南の言葉を使うな、と。労働新聞を見ると、思想闘争をしなければならないとしきりと説いている。思想取り締まりのうえからも南との遮断が迫られたのだと思います。 

――それにしても急な転換です。北朝鮮はごく最近まで一貫して統一を「最重要課題」としていました。そんなところへ、いきなり「統一といった概念をなくしろ」という。大きな混乱は起こらないでしょうか? 

■大きな混乱?

統制と収拾ができないほどの困難さを伴うだろうと思います。金正恩総書記の言うとおりに「民族史から『統一』『和解』『同族』という概念を完全になくす」となると、ほぼすべての教科書や辞書、百科事典なども改めなければならない。金日成、金正日の選集や著作集のようなものを見ても真っ先に出てくるのが統一の問題ではありませんか。 

たとえば、『金日成著作集』の第31巻には、1976年に日本の月刊誌『世界』の編集局長とおこなった会見の内容が出てきます。そこでは「クロス承認」[日米が北朝鮮を、中ソが韓国をそれぞれ承認することで朝鮮半島の平和を達成しようという政策。70年代以降、韓米によって唱えられた――筆者注]に触れる中で「『2つの朝鮮』を言うのは売国奴だ」というようなことを言っている。どうしますか。直すこともできないでしょう。 

金正恩総書記は昨年末の党中央委全員会議で「現在、朝鮮半島に最も敵対的な2つの国家が併存していることについては、だれも否定できない」と公言しました。「朝鮮は一つ」と言っていた祖父(金日成)の「遺訓」と孫(金正恩)の「教示」は論理上、共存不可能な状況にあるのです。 

■経済的にも負担

ともかく、図書館にある本も、科学技術などイデオロギーと直接関係のない分野を除けば、統一という言葉が出てこないものはまず、ないでしょう。彼らは口さえ開けば、「統一」と言ってきたのですから。徹底するとなると、経済的にも大きな負担になると思います。 

この間、首都平壌の入り口に設置していた「祖国統一3大憲章記念塔」の撤去▽京義線・東海線道路での地雷埋設と街路灯撤去▽北の「愛国歌」の歌詞変更▽平壌の地下鉄駅「統一駅」の駅名変更――といったことが報じられています。 

金正恩総書記は1月の最高人民会議で、統一に関連した憲法上の規定の削除に言及し、「次回の最高人民会議で憲法改正を審議すべきだと思う」と言っていました。その後どうなったのか、次の最高人民会議はいつ開くのか、といった続報はありません。さまざまな問題が生じていることも考えられます。 

――北朝鮮の一般人民の思いは、どうなのでしょうか? 動揺や大きな反発などはないのでしょうか? 

■「統一」の目標を失って…

北朝鮮に長い間住んでいた人に聞いてみると、外部の人にはよく理解できないだろうが、北では「やれ」と言われれば、そのとおりにする、のだと…。少し冷笑的な言い方でしたが、人民は反発したりはせず、適応していくだろう、というのです。

ハンギョレ新聞のイ・ジェフン先任記者

しかし、いくら「一心団結」が強調され、閉鎖的な社会だからといって、北の社会にあって「統一」は空気のようなものだったと思われます。そんなところへ一朝にして「統一をしない」という。それでうまくいくのか、という気がします。 

人民の不満を抑えてきたのはイデオロギーです。言ってみれば、次のようなことだったと思います。

われわれが統一しようというのに、米国が南朝鮮を占領し、植民地にしてわれわれを圧迫している。戦争も起こし、われわれを無くしてしまおうと虎視眈々と狙っている。 

だから、われわれは貧しいなかでも武器を大量につくらなければならず、人手が十分でないというのに若者をみな軍隊に送らなければならない。夏場や春には農作業をしなければならないのに、米国の奴らが来て軍事演習をし、飛行機を飛ばすから、しかたなく地下のトンネルに入って過ごさなければならない。 

 そんななかで、統一さえすれば苦しみは終わる、統一をしよう――と。そういうことでやってきたのに統一をしないという。だとすれば、この苦しみはどこから来ているというのか、どうやって解決したらいいのか、と……。 

 ■北の政権にリスク?

金正恩総書記は、一心団結し、「卵に思想を込めれば、岩をも砕く」の精神で一生懸命働けば、われわれも他人を羨むことのない、いい暮らしができる、というようなことを言っています。人民はどこまでそれを信じていくのか。北朝鮮のこんどの新路線は、金正恩政権にとって危険な側面があると私は思います。(つづく)

           立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

 

2024年6月5日水曜日

ハンギョレ新聞イ・ジェフン記者に聞く(上)/ 北朝鮮の「南北2国」路線、長期間をかけて準備

 「北と南は同族の関係でなく、敵対的な2国間関係」「わが共和国の民族史から『統一』『和解』『同族』という概念を完全になくすべきだ」――北朝鮮が昨年末から今年初めにかけてこんな方針を打ち出し、実際に行動に移しつつある。朝鮮半島の南北分断からほぼ80年になる。この間一貫して「統一」を主張してきた北朝鮮に何が起きたというのか。南北関係はどう展開していこうとしているのか。5月、韓国を訪問した折に、こうした問題で洞察に富む筆をふるうハンギョレ新聞記者イ・ジェフン(李制勲)さん(58)に聞いた。

(立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清)


イ・ジェフン(이제훈/李制勲) 1965年生まれ。ソウル大学社会学科卒。北韓大学院大学で修士・博士。93年ハンギョレ新聞入社。編集局長、『ハンギョレ21』編集長などを経て現在ハンギョレ新聞政治部統一外交安保チーム先任記者。近著に『非対称な脱冷戦1990~2020:平和への細い回廊に刻まれた南北関係30年』(市村繁和訳、 緑風出版)。非対称な脱冷戦1990~2020 李 制勲(著/文) - 緑風出版 | 版元ドットコム (hanmoto.com)

 ――南北関係の歴史的な転換といえそうです。朝鮮民主主義人民共和国という国のアイデンティにもかかわるように思えます。予兆はあったのでしょうか。

 ■外務省局長が「入国」不許可

 信号は発せられていました。例えば昨年7月1日、北朝鮮は、韓国現代グループの玄貞恩会長の金剛山地区(北朝鮮)への訪問希望にたいし、外務省局長名で「南朝鮮のいかなる人物の入国も許可できない」という談話を出しました。玄会長は、金剛山地区の観光事業に尽力した夫の故鄭夢憲元会長のお墓がある同地区への訪問を韓国統一部(統一省)に申請していました。それに対して北は、外務省局長談話で「入国」は許可できないとしたのです。

  南北は1991年末に採択した「南北基本合意書」で、「双方は国と国の関係でない、統一を指向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」であると約束しあい、その通りにやってきました。韓国では統一部、北では特別な対南機構がそれぞれ窓口となり、いずれも外務省とは切り離していた。南北間の人の往来も「入境」「出境」と言っていました。そんなところへ、外務省の局長が出てきて「入国」は許可しないとしたのです。その時点で明らかに、南を「外国」として扱っていたわけです。

  ■対南部門を外務省傘下に?

 昨年末の労働党中央委員会全員会議で金正恩総書記は「党の統一戦線部をはじめ対南事業部門の機構を整理改編する」と明らかにし、今年1月15日の最高人民会議(国会に相当)では祖国平和統一委員会や民族経済協力局、金剛山国際観光局の廃止を決めてしまいました。

労働新聞HP   1月15日、最高人民会議で演説する金正恩総書記

 今年1月初めの労働新聞は、崔善姫外相が金正恩総書記の指示を受け、対南事業部門の整理改編について対南部門の関係者と協議会を開いた、と報じました。外相が主催したというのです。対南部門はいったん外務省の下に入っているように見えます。

――2年前に発足した韓国保守派の尹錫悦政権は「北朝鮮の政権と軍は韓国の敵」とするなど、前任の文在寅政権と比べ強硬な姿勢をとっています。そのことと関係があるのでしょうか。 

 ■長い期間にわたって準備?

 韓国内には、尹錫悦政権の対北政策が敵対的だから北も強硬なのであり、韓国の政権がかわれば、北の対南政策も変わるという見方がありますが、私はそうは思いません。この間の歴史的な積み重ねのうえに、この「新路線」がある。長い期間にわたって準備してきたものだと見ています。 

 要するに、南北の分離です。たとえば、北朝鮮は20158月、北の標準時を韓国や日本より30分遅らせる「平壌時間」というのを始めました。労働新聞は「奸悪な日本帝国主義者らの、わが国の標準時間まで奪う許し難い行為」を糾弾していましたが、金日成・金正日政権期には問題にしていなかったことを考えてもこじつけに過ぎません。

  金正恩総書記は南北で時間を分離することを狙っていたのだと思います。「平壌時間」はその後、20184月の板門店での南北首脳会談直後に撤回されましたが……。 

 北朝鮮のいう「わが国家第一主義」というのも同じです。これは201711月の労働新聞に初めて登場し、20211月の第8回党大会で公式的に宣言されました。先代の父、金正日総書記は「わが民族第一主義」と言っていた。明らかに南北分離志向といえます。 

 ■「南の革命」を放棄

 第8回党大会時の党規約改定では、労働党の「当面の目的」について、それまで「全国的な範囲で民族解放民主主義革命の課題を遂行する」としていたのを、「全国的範囲で社会の自主的で民主主義的な発展を実現する」と改めた。韓国は革命の対象ではない、韓国に対して統一戦線戦術を駆使しないといったのと同じことです。私は当時、「北は2つの国家を指向している」と書きました。 

 第8回党大会では、金正恩総書記は「統一という夢はさらにかなたへと遠ざかった」と言いました。米朝のハノイ会談が決裂した後でもあり、当時は、情勢が悪くなったから、という解釈がなされていたのですが、「南北2国家」「統一問題」という観点から改めて演説文を読み返してみると、そこには「統一をしなければならない」といった言い方がない。第7回党大会(2016年)では統一は「最も重大かつ切迫した課題」としていたのに、です。 

8回党大会の時点、あるいはそれを準備する過程で金正恩総書記と首脳部は悩んでいた可能性があります。それで、「統一の夢はかなたへ遠のいた」という言い方になったのでしょう。後から考えると、そういうふうに解釈できます。どれだけの期間にわたって準備をしたかは分かりませんが、「南北2国家」は即興で決めたようなものではありません。 

――北朝鮮は長いあいだ、「朝鮮は一つ」と言っていました。 

157カ国が南北双方と国交

 「朝鮮は一つ」というのはスローガンにすぎず、内容を伴いませんでした。中国(中華人民共和国)が「一つの中国」というのとは違う。中国の場合は、どこかの国が台湾と国交を結べば、その国とは断交します。中国、台湾双方との国交はありえない。例外はありません。

  その点、北朝鮮と国交を持つ国はいま、159カ国を数えますが、うち157カ国は韓国とも  国交がある。シリアとパレスチナの2カ国を除くと、みな、南北双方と国交を結んでいます。これまではキューバも含めて3カ国だったのですが、そのキューバも今年になって韓国とも国交を結びました。 

 金日成主席の時代から北が掲げてきた「朝鮮は一つ」というモットーは「絶対原則」というより統治イデオロギーの一環でした。実際には「2つのコリア」をずっと認めてきていたのです。 

 ■「2つの国家」かつ「統一指向の特殊関係」

  1972年の「74南北共同声明」もそうでした。「自主・平和・民族大同団結」という 「統一3原則」に合意したこの声明は、正式国号こそ明示していなかったものの、お互いの政治的実体を暗黙のうちに認めていました。 

 19919月の南北の国連同時加盟は、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が国際法的に 別個の「主権国家」として国際社会に公認されたことを意味しました。つづいてその年12月、南北は「基本合意書」を通して双方の関係が「統一を指向する特殊な関係」であると確認しあいました。要するに、国際的には「2つの国家」、南北間では「統一指向の特殊関係」という矛盾した関係設定に合意したというわけです。 

■「主体年号」と、「南北共同宣言」と…

金正日総書記の時代になり、19977月に北朝鮮独自の「主体」年号が導入されました。金日成主席が生まれた1912年を「主体元年」とするものです。南北で「時間の分離」を指向したといえ、さきほど触れた金正恩総書記の「平壌時間」は、その延長線上にあったというわけです。 

金大中コンベンションセンターでは南北首脳談時の写真が展示されていた  5月18日、光州市内で
20006月、金大中大統領と金正日総書記の間で分断後初の南北首脳会談がおこなわれました。そこで出された「南北共同宣言」は、南北の統一案(連合制案と、低い段階の連邦制案)に共通性があることを認め合い、「その方向から統一をめざす」としていました。「統一」が表に出ているのですが、「長期共存」を指向している点に注目する必要があります。 

分断の歴史にあって南北の最高指導者が初めて直接会い、相手方の統一案が「悪いもの」ではないと認め合い、統一を「長期にわたる過程」と認識しあったという点が重要なのです。 

――そんなところへ、今、金正恩総書記が「2国家関係」を明言した、ということになりますね。   (つづく) 

2024年3月3日日曜日

「蕃国」新羅を見下す「帝国」日本/百済歴史散策⑱

日本の律令国家は、隋唐帝国の脅威に対処するための権力集中と軍事体制強化によって実現していった。その仕組みは大化改新以後半世紀、近江令、飛鳥浄御原令をへて701年の大宝律令の完成によってほぼ整った。「日本」が国号として正式に用いられるようになったのもこのころだ。 

■唐の律令法と日本

律令国家づくりで日本が手本にしたのは唐の国制だった。そんな唐の律令法とはどういうものであり、日本はどう見習ったのか――。坂上康俊『平城京の時代 シリーズ日本古代史④』(岩波新書)は次のように書いている。 

隋唐の律令法は、天から統治を委託された皇帝(天子)が、徳治主義をもって天下を統治するための法、すなわち帝国法でもあった。…

皇帝が支配する空間には同心円的に価値が付与され、郡県に分けられて官僚が派遣される支配地を「中国」と呼び、その周辺に羈縻(きび)政策といって、官僚を派遣せずに現地の有力者の支配を温存する地域を置くことがあり、さらに外蕃(げばん)と呼ばれる、皇帝に朝貢してくる諸国があり、さらにその外側には、国家の態を成さない人々がいることにしていた(華夷秩序)。 

日本の律令は、いま述べた点まで含めて唐のそれとそっくりに作られている。天皇は皇帝・天子とも呼ばれ(儀制令)、元号を制定し(公式令)、詔勅を出す様式や手続きが盛り込まれている(公式令)。 

日本と新羅はともに唐に朝貢していた。しかし、日本が唐の冊封を受けずに独自の年号や律令法をつくったのに対し、唐の脅威により直接的にさらされた新羅は激しいあつれきの末に冊封国として唐との関係を築いていったことは先に見た通りである。 

■「蕃国」新羅

日本の律令にあって外国は「隣国」の唐と、「外蕃(蕃国、諸蕃とも)」の新羅(のちに7世紀末にできた渤海も)に区分され、ほかに隼人、蝦夷など列島内の異民族を「夷狄(いてき)」と位置づけた。そこでは、天皇は蕃国や夷狄を従える存在であらねばならなかった。 

新羅は、唐と対立していたことから日本には比較的低姿勢で臨んだ。日本が大宝律令を制定した後も、たとえば706年正月に藤原宮でおこなわれた元旦の朝賀に使臣を参列させたりしている。日本はそんな新羅を名目上、朝貢国とし、日本からも遣新羅使を送っていた。

奈良・明日香村の甘樫丘から藤原京跡付近を望む。正面は耳成山

■新羅征討計画

変化は、唐と新羅の接近によってもたらされた。732年、渤海が唐山東半島の登州を攻撃、唐の要請を受けた新羅は唐側について参戦した。これをきっかけに735年、新羅は唐から大同江以南の朝鮮半島領有を正式に認められ、両国は安定した関係を築いていった。 

これに伴い、新羅は日本に強い態度で臨むようになった。これより先、渤海は日本に使節を送ってきており、対新羅で利害を共にする日本と渤海の関係はおのずと深まった。とはいえ、日本にとって渤海はあくまで「蕃国」であり、朝貢国あらねばならなかった。 

758年に渤海から帰国した小野田守が、唐で「安史の乱」(755763)が起こり、玄宗皇帝が都から逃げたと報告すると、翌年、朝廷は新羅征討計画を立てた。内乱の唐に新羅を援ける余裕がないとみたようで、当時実権を握っていた恵美押勝(藤原仲麻呂)によって準備が進められた。 

律令国家は諸蕃と夷狄を支配する帝国でなくてはならなかった。新羅が名目的な朝貢関係から離反するのを容認することは、押勝にはできなかった。

(吉田孝『日本の歴史【2】 飛鳥・奈良時代』岩波ジュニア新書) 

新羅征討は押勝の失権で実行に移されなかったが、日本と新羅の関係はこのように険悪なものになっていたのである。 

■「白村江の呪い」

以上が7世紀後半から8世紀半ばごろにかけての日本と新羅の関係の概略である。記紀はこんな時代状況のなかで編纂されていったのだった。明治維新時の「征韓論」と結びついたとみられる神功皇后による「三韓征伐」は、そんな史書の中で語られていたのである。 

『日本書紀』の記述について盧泰敦(橋本繁訳)『古代朝鮮 三国統一戦争史』(岩波書店)は次のような指摘をしている。 

白村江の戦い以降、数多くの百済人が倭に亡命した。…亡命した百済人のうち相当数は、彼らの才能を活用しようという倭の朝廷に登用された。…日本の皇室に寄生して明日の暮らしを立てていくほかないのが、彼らのもつ宿命であった。 

彼らは、百済復興と故国復帰を望んだが、自力で具体化する力量はなかった。彼らがこれを熱望すればするほど、実現の可能性は、日本勢力の朝鮮半島への介入に見出すほかなかったのである。…このために朝鮮半島が早い時期から日本の天皇家に従属したという歴史像の構築に積極的に乗り出した。…

いわゆる百済三書[筆者注:日本書紀の基本史料の一つ]は彼らの叙述であるか、彼らの手を経て修正されたものと考えられ、そうした著述は『日本書紀』の内容構成に大きく作用した。…

『日本書紀』は、その後の日本人の対外意識、特に対朝鮮認識に大きな影響を及ぼした。白村江の戦いで流された百済人と倭人の血の呪いは、千数百年過ぎた今日まで作用して、韓日両国人の間の葛藤を焚きつけている。いまやその呪いから逃れねばならない。 

■「朝貢」vs「交隣」

『日本書紀』の記述は日本人の対朝鮮観に大きな影響を及ぼし、その「呪い」はいまもとけていないというのである。同書は次のようにも書いている。 

  唐との安定的な朝貢・冊封関係を結ぶようになった新羅としては、今や現実的に安全のために日本の動向にこれ以上神経を使う必要がなくなった。日本は隣国として同じ唐の朝貢国であるので、当然、両国は対等な隣国として関係を結ばなければならないと考えた。 

この点に日本が反発したので、両国の関係は次第に悪化した。新羅の対外政策は、唐とは事大関係、日本とは交隣関係と設定された。こうした対外政策の基調は、その後、高麗・朝鮮を経て、朝鮮半島諸王朝の対外政策の基本的枠組みとなった。 

一方日本は、引き続き新羅を朝貢国とみなそうとしたため、両者の間に摩擦と不信が積み重なっていった。新羅としては、日本との関係は交隣関係であるほかなく、現実的に日本もそれを受容するほかないと考えたが、日本朝廷が拒否する姿勢を堅持したことによって、両国の関係は事実上断絶へと向かった。…

両国支配層が想定する相手国の性格は、それぞれ隣国・蕃国であった。これは統一戦争の終盤である新・唐戦争[筆者注:「羅唐戦争」]を歴史的背景として形成されたもので、その後も両国関係に影響を与え、ある面では、今日でも両国人の意識に作用していると思われる。 

日韓はどうしてこうなのか――。そんな私の問いかけに対する一つの答えがここには提示されている。これをどう受け止めるか。歴史を直視することが未来の関係づくりへの確実な一歩であることはいうまでもない。(おわり)

 立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

参考資料(百済歴史散策⑯~⑱)

姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』(朝日選書)

姜在彦『新版 朝鮮の歴史と文化』(明石書店)

朝鮮大学校歴史学研究室編『朝鮮史 古代から近代まで』(朝鮮青年社)

盧泰敦(橋本繁訳)『古代朝鮮 三国統一戦争史』(岩波書店)

吉川真司『飛鳥の都 シリーズ日本古代史③』(岩波新書)

韓国民族文化大百科事典 경주 문무대왕릉(慶州 文武大王陵) - 한국민족문화대백과사전 (aks.ac.kr)신문왕(神文王) - 한국민족문화대백과사전 (aks.ac.kr)

坂上康俊『平城京の時代 シリーズ日本古代史④』(岩波新書)

大津透『律令国家と隋唐文明』(岩波新書)

吉田孝『日本の歴史【2】 飛鳥・奈良時代』(岩波ジュニア新書)