2024年6月5日水曜日

ハンギョレ新聞イ・ジェフン記者に聞く(上)/ 北朝鮮の「南北2国」路線、長期間をかけて準備

 「北と南は同族の関係でなく、敵対的な2国間関係」「わが共和国の民族史から『統一』『和解』『同族』という概念を完全になくすべきだ」――北朝鮮が昨年末から今年初めにかけてこんな方針を打ち出し、実際に行動に移しつつある。朝鮮半島の南北分断からほぼ80年になる。この間一貫して「統一」を主張してきた北朝鮮に何が起きたというのか。南北関係はどう展開していこうとしているのか。5月、韓国を訪問した折に、こうした問題で洞察に富む筆をふるうハンギョレ新聞記者イ・ジェフン(李制勲)さん(58)に聞いた。

(立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清)


イ・ジェフン(이제훈/李制勲) 1965年生まれ。ソウル大学社会学科卒。北韓大学院大学で修士・博士。93年ハンギョレ新聞入社。編集局長、『ハンギョレ21』編集長などを経て現在ハンギョレ新聞政治部統一外交安保チーム先任記者。近著に『非対称な脱冷戦1990~2020:平和への細い回廊に刻まれた南北関係30年』(市村繁和訳、 緑風出版)。非対称な脱冷戦1990~2020 李 制勲(著/文) - 緑風出版 | 版元ドットコム (hanmoto.com)

 ――南北関係の歴史的な転換といえそうです。朝鮮民主主義人民共和国という国のアイデンティにもかかわるように思えます。予兆はあったのでしょうか。

 ■外務省局長が「入国」不許可

 信号は発せられていました。例えば昨年7月1日、北朝鮮は、韓国現代グループの玄貞恩会長の金剛山地区(北朝鮮)への訪問希望にたいし、外務省局長名で「南朝鮮のいかなる人物の入国も許可できない」という談話を出しました。玄会長は、金剛山地区の観光事業に尽力した夫の故鄭夢憲元会長のお墓がある同地区への訪問を韓国統一部(統一省)に申請していました。それに対して北は、外務省局長談話で「入国」は許可できないとしたのです。

  南北は1991年末に採択した「南北基本合意書」で、「双方は国と国の関係でない、統一を指向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」であると約束しあい、その通りにやってきました。韓国では統一部、北では特別な対南機構がそれぞれ窓口となり、いずれも外務省とは切り離していた。南北間の人の往来も「入境」「出境」と言っていました。そんなところへ、外務省の局長が出てきて「入国」は許可しないとしたのです。その時点で明らかに、南を「外国」として扱っていたわけです。

  ■対南部門を外務省傘下に?

 昨年末の労働党中央委員会全員会議で金正恩総書記は「党の統一戦線部をはじめ対南事業部門の機構を整理改編する」と明らかにし、今年1月15日の最高人民会議(国会に相当)では祖国平和統一委員会や民族経済協力局、金剛山国際観光局の廃止を決めてしまいました。

労働新聞HP   1月15日、最高人民会議で演説する金正恩総書記

 今年1月初めの労働新聞は、崔善姫外相が金正恩総書記の指示を受け、対南事業部門の整理改編について対南部門の関係者と協議会を開いた、と報じました。外相が主催したというのです。対南部門はいったん外務省の下に入っているように見えます。

――2年前に発足した韓国保守派の尹錫悦政権は「北朝鮮の政権と軍は韓国の敵」とするなど、前任の文在寅政権と比べ強硬な姿勢をとっています。そのことと関係があるのでしょうか。 

 ■長い期間にわたって準備?

 韓国内には、尹錫悦政権の対北政策が敵対的だから北も強硬なのであり、韓国の政権がかわれば、北の対南政策も変わるという見方がありますが、私はそうは思いません。この間の歴史的な積み重ねのうえに、この「新路線」がある。長い期間にわたって準備してきたものだと見ています。 

 要するに、南北の分離です。たとえば、北朝鮮は20158月、北の標準時を韓国や日本より30分遅らせる「平壌時間」というのを始めました。労働新聞は「奸悪な日本帝国主義者らの、わが国の標準時間まで奪う許し難い行為」を糾弾していましたが、金日成・金正日政権期には問題にしていなかったことを考えてもこじつけに過ぎません。

  金正恩総書記は南北で時間を分離することを狙っていたのだと思います。「平壌時間」はその後、20184月の板門店での南北首脳会談直後に撤回されましたが……。 

 北朝鮮のいう「わが国家第一主義」というのも同じです。これは201711月の労働新聞に初めて登場し、20211月の第8回党大会で公式的に宣言されました。先代の父、金正日総書記は「わが民族第一主義」と言っていた。明らかに南北分離志向といえます。 

 ■「南の革命」を放棄

 第8回党大会時の党規約改定では、労働党の「当面の目的」について、それまで「全国的な範囲で民族解放民主主義革命の課題を遂行する」としていたのを、「全国的範囲で社会の自主的で民主主義的な発展を実現する」と改めた。韓国は革命の対象ではない、韓国に対して統一戦線戦術を駆使しないといったのと同じことです。私は当時、「北は2つの国家を指向している」と書きました。 

 第8回党大会では、金正恩総書記は「統一という夢はさらにかなたへと遠ざかった」と言いました。米朝のハノイ会談が決裂した後でもあり、当時は、情勢が悪くなったから、という解釈がなされていたのですが、「南北2国家」「統一問題」という観点から改めて演説文を読み返してみると、そこには「統一をしなければならない」といった言い方がない。第7回党大会(2016年)では統一は「最も重大かつ切迫した課題」としていたのに、です。 

8回党大会の時点、あるいはそれを準備する過程で金正恩総書記と首脳部は悩んでいた可能性があります。それで、「統一の夢はかなたへ遠のいた」という言い方になったのでしょう。後から考えると、そういうふうに解釈できます。どれだけの期間にわたって準備をしたかは分かりませんが、「南北2国家」は即興で決めたようなものではありません。 

――北朝鮮は長いあいだ、「朝鮮は一つ」と言っていました。 

157カ国が南北双方と国交

 「朝鮮は一つ」というのはスローガンにすぎず、内容を伴いませんでした。中国(中華人民共和国)が「一つの中国」というのとは違う。中国の場合は、どこかの国が台湾と国交を結べば、その国とは断交します。中国、台湾双方との国交はありえない。例外はありません。

  その点、北朝鮮と国交を持つ国はいま、159カ国を数えますが、うち157カ国は韓国とも  国交がある。シリアとパレスチナの2カ国を除くと、みな、南北双方と国交を結んでいます。これまではキューバも含めて3カ国だったのですが、そのキューバも今年になって韓国とも国交を結びました。 

 金日成主席の時代から北が掲げてきた「朝鮮は一つ」というモットーは「絶対原則」というより統治イデオロギーの一環でした。実際には「2つのコリア」をずっと認めてきていたのです。 

 ■「2つの国家」かつ「統一指向の特殊関係」

  1972年の「74南北共同声明」もそうでした。「自主・平和・民族大同団結」という 「統一3原則」に合意したこの声明は、正式国号こそ明示していなかったものの、お互いの政治的実体を暗黙のうちに認めていました。 

 19919月の南北の国連同時加盟は、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が国際法的に 別個の「主権国家」として国際社会に公認されたことを意味しました。つづいてその年12月、南北は「基本合意書」を通して双方の関係が「統一を指向する特殊な関係」であると確認しあいました。要するに、国際的には「2つの国家」、南北間では「統一指向の特殊関係」という矛盾した関係設定に合意したというわけです。 

■「主体年号」と、「南北共同宣言」と…

金正日総書記の時代になり、19977月に北朝鮮独自の「主体」年号が導入されました。金日成主席が生まれた1912年を「主体元年」とするものです。南北で「時間の分離」を指向したといえ、さきほど触れた金正恩総書記の「平壌時間」は、その延長線上にあったというわけです。 

金大中コンベンションセンターでは南北首脳談時の写真が展示されていた  5月18日、光州市内で
20006月、金大中大統領と金正日総書記の間で分断後初の南北首脳会談がおこなわれました。そこで出された「南北共同宣言」は、南北の統一案(連合制案と、低い段階の連邦制案)に共通性があることを認め合い、「その方向から統一をめざす」としていました。「統一」が表に出ているのですが、「長期共存」を指向している点に注目する必要があります。 

分断の歴史にあって南北の最高指導者が初めて直接会い、相手方の統一案が「悪いもの」ではないと認め合い、統一を「長期にわたる過程」と認識しあったという点が重要なのです。 

――そんなところへ、今、金正恩総書記が「2国家関係」を明言した、ということになりますね。   (つづく) 

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