2024年6月16日日曜日

「民主主義は只(ただ)ではない」/金大中さんが語った日韓の民主主義の違い

5月、韓国・光州で、1980年の「光州事件」にちなむ民主化運動記念行事を見てきた。1980年代末~90年代初め、新聞記者として取材で現地を訪れて以来、30余年ぶりだったと思う。 

光州の街は私の記憶のなかにあるものとはずいぶんと違っていた。街並みは整備され、「市民軍」が立てこもった旧全羅南道庁の建物は記念館になって補修工事が進められていた。 

■金大中さんの全南大学講演

市内にある国立全南大学を訪ねた。805月の学生デモの拠点となったところである。そのことを確認したかったのと、もう一つ、私のこころの中にずっとあった、ある残像をたどってみたかったからである。

光州市にある国立全南大学    

事件から26年が経った200610月、ここ全羅南道地域出身の元大統領金大中さんがこの大学で特別講演会を開いていた。金大中さんが亡くなる3年前のことだった。私がその講演会のことを知ったのはだいぶ後になってからで、たまたまYouTubeで遭遇したのだった。 

金大中さんはここで、民主主義の普遍性や韓国の民主主義、そして日本の民主主義についても熱っぽく語っていた。今回、光州行きにあたって聴き直してみて、改めて腸(はらわた)にしみいるものを感じた。日本の民主主義が危機的な状況にある折、そんな講演内容を拙訳で紹介したい。 

――韓国型民主主義はアジアの民主主義のモデルになり得るでしょうか?

金大中さんの民主主義論は全南大学留学中のウズベキスタンの女子学生のこんな質問に答えるなかで語られた。金大中さんは「民主主義は普遍的なもので、韓国型といったものはない」などと、次のように語ったのだった。https://youtu.be/upk6meSmdHY 

 ■民主主義は只ではない

 民主主義はただではありません。対価なしに得られるものではない。米国の第3代大統領トーマス・ジェファーソンは「民主主義は血なまぐさい」と言いました。そのことはまさに、わが国で証明されました。

金大中さんのYouTube画像

 どれほど多くの人が死んだでしょうか。光州で、そして全国の至る所で…。私も死刑判決を受け、執行直前で助かりました。約6年にわたる監獄暮らしもしました。亡命、軟禁生活も10年以上に及びました。 

 ■根を張った韓国の民主主義

これは自慢ではありません。どれほど多くの方々が、この光州で命を捧げたでしょうか。だから韓国の民主主義はしっかりと根を張っているのです。いまはもう、どんな軍部の人間も、どんな独裁者も韓国では民主主義をしないわけにはいきません。軍部がまた、クーデターを起こすなど夢想だにできません。 

全南大学の正門

私たちは3度、独裁者を克服しました。李承晩、朴正煕、全斗煥。そして結局、盤石の民主主義を築いたのです。

全南大学正門横には1980年5月18日、ここで撮った写真パネルが展示してあった
 ■与えられた日本の民主主義

 最近、日本を見ると、急激に右傾化しています。それは日本人が自ら自分の手で民主主義をやらなかったからです。軍国主義をしていて突然降伏し、戦後マッカーサーが来て民主主義をしろ、というからやったのでした。日本には民主主義の主体勢力がありません。 

 だから過去の軍国主義時代の勢力がまた、復活したのです。いま見ると、そのような軍国主義勢力が幅を利かせてきており、「民主主義を守らないといけない。軍国主義の方向に行ってはならない。非常に危険だ」といっている。いまごろ、そんなことを言っても話になりません。 

 ■過去を教えない日本

 日本は戦争を起こし、戦争犯罪をおかしたことを国民に教育してきませんでした。だから、いま5060代以下の人たちは過去のことをまったく知りません。 

それで、わが朝鮮半島を占領し、朝鮮人を助けてやった、という。中国で南京大虐殺をしたというのは全部ウソだ、われわれは大東亜戦争をし、アジア人を西欧の植民地から解放してやったのだ、という。 

 現在だけでなく、将来がもっと問題です。この先、韓国、中国とも、東南アジア諸国とも葛藤があることでしょう。このように見てくると、「民主主義は只ではない」ということを、日本を見るにつけ、ほんとうに実感してしまいます。 

 ■犠牲になる覚悟が必要

 民主主義について質問したウズベキスタンの学生の心情は理解できます。ほんとうに胸が痛みます。しかし、ウズベキスタンの場合も、民主主義は結局のところ、ウズベキスタンの人たちがしなければなりません。 

 やることができます。ただ、そこには民主主義のために犠牲になる覚悟が必要です。そして国民をそこに導いていかなければなりません。

全南大学キャンパス メタセコイアの並木がきれいだった

 私たちも、「419革命」[1960419日をピークとした全国的な学生蜂起で李承晩政権を倒した民主闘争――訳者注]では、まず学生たちが立ち上がりました。そして遂には、国民がこぞってそれに加勢しました。 

1987年の民主抗争[876月の民主化要求闘争。大統領直選制などを求め、政権側から「民主化宣言」を引き出した――訳者注]のときも、最初に学生、政治家が始めたのが、最後には結局、全国民が参加していったのです。 

そうなると国会の方でも独裁者に圧力をかけ、「李承晩大統領は下野しろ」「全斗煥氏の戒厳令は許さない」となったのです。結局、始まりは私たちが受け持ち、犠牲も引き受けなければなりませんが、最後は、全国民が参加することになり、世界が援けてくれるのです。 

■英国の平和革命と血のフランス革命

ウズベキスタンの場合も同じです。中央アジアのすべての国もそうでしょう。それは必ずそのようになるだろうと思います。 

経済が発展すれば、中産層が生まれます。そうなると中産層は自由を求め、政治参加を要求します。投票権を求め、被選挙権を要求するようになります。要求が認められなければ問題が生じます。 

イギリスでは産業革命によって中産層が生まれました。彼らがそのような要求をすると、貴族らは気持ちよく明け渡しました。それでイギリスは平和革命となりました。 

フランスでは貴族らが要求を受け入れなかった。それで大革命が起き、皆殺しになりました。このことはどこの国であっても真理なのです。 

■揺るがぬ民主主義と、長続きしない民主主義

民主主義は只ではないということ、血と汗と涙を流さなければならないということ、最後は国民が同調するようにしなければならないということ、そうすれば成功し、そうして成し遂げられた民主主義は決して揺らぐことなく根を張ることができます。 

そうしないで外国勢力や偶然によって民主主義がなされても、そういうものは長続きしないということ、そういうことを申し上げたいと思います。 

以上が、200610月、金大中さんが全南大学でおこなった特別講演の民主主義論に関する部分のほぼ全訳である。 

The tree of liberty must be refreshedwith the blood

金大中さんが「民主主義は只ではない」と繰り返し強調し、米大統領トーマス・ジェファーソンの言葉として引用した「民主主義は血なまぐさい」は、金大中さんが韓国語で「민주주의는 피를 먹고 산다」と言ったのを拙訳したものである。 

このフレーズを例えばGoogle翻訳にかけてみると「民主主義は血を食べて生きる」という機械的な逐語訳が返ってくる。ジェファーソンは実際、どう言ったのか。立命館大学で学ぶ韓国からの留学生に調べてもらうと、「これだと思います」と次のような一文を示してくれた。 

The tree of liberty must be refreshed from time to time with the blood of patriots and tyrants. 

Google翻訳にかけると、「自由の木は、愛国者や暴君の血で時々更新されなければなりません」となる。英語に自信があるわけではないが、納得のいく訳語といえる。 

■「民主主義は闘いだ」

最近、フランスのマクロン大統領が「(人々が)民主主義に慣れてしまい、それが闘いであることを忘れている」と語ったという(6月11日付朝日新聞、杉山正欧州総局長)。欧州議会選での右翼政党躍進を伝えるなかで紹介された発言だが、闘いを止めれば、民主主義は後退するというのは真理であろう。

民主化運動記念行事で気勢を上げる参加者 5月17日 光州・錦南路

 

44年前の5月、銃撃の現場となった光州市のメーンストリート、錦南路一帯で開かれた今年の民主化運動記念行事を見ながらずっと考えていたのは金大中さんの「民主主義は只ではない」という言葉のことだった。

           


             立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

 

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