■ミス・コリアやスチュワーデスまで動員
安企部長の兪学聖が乗り出すという話は、オリンピック誘致民間推進委員長を任された現代グループ会長の鄭周永にとって慰めとなった。鄭周永はまず、兪安企部長に、実業家の動員に責任を負ってもらいたい、と頼んだ。
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| 鄭周永会長 現代自動車HP |
実業家らも、安企部といえば、恐れるはずである。
▽企業の現地駐在員を動員
鄭周永はまず、第一段階として、韓国企業と取引のある国にいる現地駐在員の支援を受けて、その国のIOC委員にアプローチすることにした。それが短期戦では最善の策のように思えた。兪学聖率いる安企部が腕まくりをして取り組むと、それまで高みの見物を決め込んでいた実業家らも、「どうせやるなら」と本気で動き始めた。
決戦の舞台はドイツ・バーデンバーデン、1981年9月30日がその決戦の日だ。
IOC委員82票のうち、当初、韓国が確信を持てたのは3票――米国、台湾、そして韓国……。それだけだった。
外務部は盧信永長官と全相振大使[この時期、韓国の外務部特使や巡回大使として活躍した。大韓体育会副会長や大韓オリンピック委員会副会長も兼ねていた]を先頭に、在外公館を督励して票の獲得に乗り出した。途中、外務部が中間集計してみると、韓国の推定得票は支持24票、前向き15票。目標の半分を達成しており、「可能性は十分ある」と士気は上がった。
▽「色仕掛け」作戦も
決戦までの3~4カ月、その間に広報館を建て、広報映画をつくり、実業家らを督励して大急ぎで得票活動をおこなった。ミス・コリアや大韓航空の女性客室乗務員までをPRのための「色仕掛け」作戦に動員した。投票日が迫ってからは、五輪関係者が宿泊するホテルの部屋という部屋に花籠を差し入れ、バーデンバーデンの街中の花屋がすっかり品切れになるほどだった。
安企部要員たちは、現地で妨害工作に出た北朝鮮の工作員らを監視する一方で、韓国の実業家らが自分に割り当てられた役目を十分に果たしているかをチェック、監督する役割も担った。そうする間、鄭周永をはじめとする韓国の誘致団は、先進国のIOC委員よりも、中東やアフリカの委員を集中的に攻略した。その戦略が見事に的中した。
▽逆転、「52対27」
決戦の日の午後3時45分――。
IOCのサマランチ会長が投票結果を発表した。
「Seoul(ソウル)!」
強敵・名古屋を破ったのである。3票から始めた得票工作は、52対27という、劇的な逆転勝ちで終わった。
鄭周永の功も大きかったが、全斗煥にとっては外務部長官の盧信永を見直すきっかけとなった。
▽外相・盧信永の浮上
中央庁の大会議室でオリンピック誘致の祝賀宴が開かれた日、総務処長官の金容烋はマイクを手に「大統領閣下より、祝賀の宴は盧信永外務部長官が帰国したあとで開くようにとの格別の指示がありました」と公表した。盧信永が後日、安企部長や国務総理へと破竹の勢いで昇進していくシグナルだったというわけである。
ソウル五輪は冗談のように始まり、運命のようになっていった。
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| ソウル五輪組織委の看板上掲式。 中央で握手している2人は南悳祐総理(右)と金溶植ソウル五輪組織委員長。 右端は盧泰愚政務長官 |
最初は恥かきを押し付け合う「爆弾ゲーム」のように始まった五輪誘致だったが、1981年9月30日に誘致が確定すると、やがて政権と国家の運命がかかったイベントへと変わっていった。
▽歴史を変えた五輪
オリンピックの成功が第5共和国国政の最優先課題に浮上し、86年のアジア競技大会の誘致にもつながった。この両イベントのために、全斗煥政権はラングーンのアウンサン廟爆弾テロ(1983年)に遭っても耐え忍ぶなど、それは対北朝鮮関係においても重大な変数となっていった。グローバルなスポーツ祭典を成功裏に開催するためには国内政治の安定と朝鮮半島の緊張緩和、そして国際協力が必要だった。
オリンピックは第5共和国の暴走を抑え、その運命を握る軛(くびき)となっていく。
いくらデモや抵抗が激しくても、国内において軍隊式に鉄拳を徹底的に振り回すようなことはできず、外部にあっても中国をはじめソ連や東欧の共産圏にまで目配りをするほかなかった。オリンピックは国の歴史を変えたのである。
▽放送プロデューサーの不正腐敗
1982年初め、兪学聖の安企部は再び、「万能の司令部」として君臨し始めた。
安企部は、放送局のプロデューサーの不正腐敗に関する情報を収集・整理して大統領に報告した。「プロデューサーたちが女性タレントらに金銭や肉体関係を要求しており、被害者は400人にものぼる」という諜報に、全斗煥大統領は朴哲彦秘書官を呼び、検察に捜査させるよう指示した。
「具体的な情報は安企部の金根洙局長が持っている。李光杓・文化公報部長官からも資料が入手できる。そうした放送局関係の資料を入手して検察総長に渡すんだ」(朴哲彦の証言)
82年1月22日、鄭致根・検事総長は朴哲彦秘書官から大統領の厳命の伝達を受けた。検察は内偵に乗り出し、韓国放送公社(KBS)25人、文化放送(MBC)20人、キリスト教放送(CBS)1人の計46人の不正を確認した、との報告を上げた。全斗煥大統領は報告を受けたものの、公表せず、各放送局が社長の責任のもとに自らの判断で懲戒するように、との指針を下した。
訳:波佐場 清


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