2024年6月16日日曜日

「民主主義は只(ただ)ではない」/金大中さんが語った日韓の民主主義の違い

5月、韓国・光州で、1980年の「光州事件」にちなむ民主化運動記念行事を見てきた。1980年代末~90年代初め、新聞記者として取材で現地を訪れて以来、30余年ぶりだったと思う。 

光州の街は私の記憶のなかにあるものとはずいぶんと違っていた。街並みは整備され、「市民軍」が立てこもった旧全羅南道庁の建物は記念館になって補修工事が進められていた。 

■金大中さんの全南大学講演

市内にある国立全南大学を訪ねた。805月の学生デモの拠点となったところである。そのことを確認したかったのと、もう一つ、私のこころの中にずっとあった、ある残像をたどってみたかったからである。

光州市にある国立全南大学    

事件から26年が経った200610月、ここ全羅南道地域出身の元大統領金大中さんがこの大学で特別講演会を開いていた。金大中さんが亡くなる3年前のことだった。私がその講演会のことを知ったのはだいぶ後になってからで、たまたまYouTubeで遭遇したのだった。 

金大中さんはここで、民主主義の普遍性や韓国の民主主義、そして日本の民主主義についても熱っぽく語っていた。今回、光州行きにあたって聴き直してみて、改めて腸(はらわた)にしみいるものを感じた。日本の民主主義が危機的な状況にある折、そんな講演内容を拙訳で紹介したい。 

――韓国型民主主義はアジアの民主主義のモデルになり得るでしょうか?

金大中さんの民主主義論は全南大学留学中のウズベキスタンの女子学生のこんな質問に答えるなかで語られた。金大中さんは「民主主義は普遍的なもので、韓国型といったものはない」などと、次のように語ったのだった。https://youtu.be/upk6meSmdHY 

 ■民主主義は只ではない

 民主主義はただではありません。対価なしに得られるものではない。米国の第3代大統領トーマス・ジェファーソンは「民主主義は血なまぐさい」と言いました。そのことはまさに、わが国で証明されました。

金大中さんのYouTube画像

 どれほど多くの人が死んだでしょうか。光州で、そして全国の至る所で…。私も死刑判決を受け、執行直前で助かりました。約6年にわたる監獄暮らしもしました。亡命、軟禁生活も10年以上に及びました。 

 ■根を張った韓国の民主主義

これは自慢ではありません。どれほど多くの方々が、この光州で命を捧げたでしょうか。だから韓国の民主主義はしっかりと根を張っているのです。いまはもう、どんな軍部の人間も、どんな独裁者も韓国では民主主義をしないわけにはいきません。軍部がまた、クーデターを起こすなど夢想だにできません。 

全南大学の正門

私たちは3度、独裁者を克服しました。李承晩、朴正煕、全斗煥。そして結局、盤石の民主主義を築いたのです。

全南大学正門横には1980年5月18日、ここで撮った写真パネルが展示してあった
 ■与えられた日本の民主主義

 最近、日本を見ると、急激に右傾化しています。それは日本人が自ら自分の手で民主主義をやらなかったからです。軍国主義をしていて突然降伏し、戦後マッカーサーが来て民主主義をしろ、というからやったのでした。日本には民主主義の主体勢力がありません。 

 だから過去の軍国主義時代の勢力がまた、復活したのです。いま見ると、そのような軍国主義勢力が幅を利かせてきており、「民主主義を守らないといけない。軍国主義の方向に行ってはならない。非常に危険だ」といっている。いまごろ、そんなことを言っても話になりません。 

 ■過去を教えない日本

 日本は戦争を起こし、戦争犯罪をおかしたことを国民に教育してきませんでした。だから、いま5060代以下の人たちは過去のことをまったく知りません。 

それで、わが朝鮮半島を占領し、朝鮮人を助けてやった、という。中国で南京大虐殺をしたというのは全部ウソだ、われわれは大東亜戦争をし、アジア人を西欧の植民地から解放してやったのだ、という。 

 現在だけでなく、将来がもっと問題です。この先、韓国、中国とも、東南アジア諸国とも葛藤があることでしょう。このように見てくると、「民主主義は只ではない」ということを、日本を見るにつけ、ほんとうに実感してしまいます。 

 ■犠牲になる覚悟が必要

 民主主義について質問したウズベキスタンの学生の心情は理解できます。ほんとうに胸が痛みます。しかし、ウズベキスタンの場合も、民主主義は結局のところ、ウズベキスタンの人たちがしなければなりません。 

 やることができます。ただ、そこには民主主義のために犠牲になる覚悟が必要です。そして国民をそこに導いていかなければなりません。

全南大学キャンパス メタセコイアの並木がきれいだった

 私たちも、「419革命」[1960419日をピークとした全国的な学生蜂起で李承晩政権を倒した民主闘争――訳者注]では、まず学生たちが立ち上がりました。そして遂には、国民がこぞってそれに加勢しました。 

1987年の民主抗争[876月の民主化要求闘争。大統領直選制などを求め、政権側から「民主化宣言」を引き出した――訳者注]のときも、最初に学生、政治家が始めたのが、最後には結局、全国民が参加していったのです。 

そうなると国会の方でも独裁者に圧力をかけ、「李承晩大統領は下野しろ」「全斗煥氏の戒厳令は許さない」となったのです。結局、始まりは私たちが受け持ち、犠牲も引き受けなければなりませんが、最後は、全国民が参加することになり、世界が援けてくれるのです。 

■英国の平和革命と血のフランス革命

ウズベキスタンの場合も同じです。中央アジアのすべての国もそうでしょう。それは必ずそのようになるだろうと思います。 

経済が発展すれば、中産層が生まれます。そうなると中産層は自由を求め、政治参加を要求します。投票権を求め、被選挙権を要求するようになります。要求が認められなければ問題が生じます。 

イギリスでは産業革命によって中産層が生まれました。彼らがそのような要求をすると、貴族らは気持ちよく明け渡しました。それでイギリスは平和革命となりました。 

フランスでは貴族らが要求を受け入れなかった。それで大革命が起き、皆殺しになりました。このことはどこの国であっても真理なのです。 

■揺るがぬ民主主義と、長続きしない民主主義

民主主義は只ではないということ、血と汗と涙を流さなければならないということ、最後は国民が同調するようにしなければならないということ、そうすれば成功し、そうして成し遂げられた民主主義は決して揺らぐことなく根を張ることができます。 

そうしないで外国勢力や偶然によって民主主義がなされても、そういうものは長続きしないということ、そういうことを申し上げたいと思います。 

以上が、200610月、金大中さんが全南大学でおこなった特別講演の民主主義論に関する部分のほぼ全訳である。 

The tree of liberty must be refreshedwith the blood

金大中さんが「民主主義は只ではない」と繰り返し強調し、米大統領トーマス・ジェファーソンの言葉として引用した「民主主義は血なまぐさい」は、金大中さんが韓国語で「민주주의는 피를 먹고 산다」と言ったのを拙訳したものである。 

このフレーズを例えばGoogle翻訳にかけてみると「民主主義は血を食べて生きる」という機械的な逐語訳が返ってくる。ジェファーソンは実際、どう言ったのか。立命館大学で学ぶ韓国からの留学生に調べてもらうと、「これだと思います」と次のような一文を示してくれた。 

The tree of liberty must be refreshed from time to time with the blood of patriots and tyrants. 

Google翻訳にかけると、「自由の木は、愛国者や暴君の血で時々更新されなければなりません」となる。英語に自信があるわけではないが、納得のいく訳語といえる。 

■「民主主義は闘いだ」

最近、フランスのマクロン大統領が「(人々が)民主主義に慣れてしまい、それが闘いであることを忘れている」と語ったという(6月11日付朝日新聞、杉山正欧州総局長)。欧州議会選での右翼政党躍進を伝えるなかで紹介された発言だが、闘いを止めれば、民主主義は後退するというのは真理であろう。

民主化運動記念行事で気勢を上げる参加者 5月17日 光州・錦南路

 

44年前の5月、銃撃の現場となった光州市のメーンストリート、錦南路一帯で開かれた今年の民主化運動記念行事を見ながらずっと考えていたのは金大中さんの「民主主義は只ではない」という言葉のことだった。

           


             立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

 

2024年6月7日金曜日

ハンギョレ新聞イ・ジェフン記者に聞く(下)/南北関係はどうなっていくのか

韓国のハンギョレ新聞記者イ・ジェフンさんは韓国政府の対応や南北関係のこんごの見通しについても話してくれた。

――韓国政府は北朝鮮の「2国家」路線をどう見ているのでしょうか。 

■「北は反統一勢力」

尹錫悦大統領は「反民族、反統一であり、歴史に逆行する挑発だ」と言いました。金暎浩(キム・ヨンホ)統一部長官(統一相)も「歴史に逆行する」と非難し、「統一は究極の目標であり、最重要課題だ」と言っています。簡単に言えば、北は反統一勢力であり、反民族的で、歴史に逆行する、北が統一をしないというなら、われわれがする――というのが尹錫悦政権の立場です。

韓国大統領室HP  尹錫悦大統領

――尹錫悦政権になって統一部(省)で南北交流を担う部門が統廃合され、人員も削減されました。保守層には「統一部をなくしろ」という主張もあったと聞いています。北の新路線で韓国の統一部もなくなる方向に進むのでしょうか? 

 ■存続する韓国の統一部

 逆でしょう。いま言ったように、北に対し尹錫悦大統領は「反統一、反民族、反歴史的だ」と非難しています。そんなことを言う一方で、統一部をなくすというのは理に合わないでしょう。尹錫悦大統領は外に向けても内に向けても「北が統一をしないというなら、われわれがやらないといけない。私がやろう」といったふうに主張していくと思います。統一部がなくなるとは想像しがたいことです。 

 ■南北逆転

 かつて金日成主席は口さえ開けば統一の話をしていました。朝鮮半島の外にいる人には統一に関しては北の方がある意味、南よりも優位にあるようにも見えたかと思います。北は経済的には劣っているが、民族の自主、統一という面では南よりずっと積極的で一定、政治的正当性もあるではないか、と。そんな歴史的関係が金正恩総書記のこんどの宣言で逆転しました。北の政権にとっては政治的に危険な状況といえるでしょう。 

 逆に、韓国政府にとって統一部は政治的資産になります。いまの枠組みが大きく変わらない限り、韓国はこの先どんな政権になっても統一部はなくならないと思います。 

――この間、韓国では「南北は統一指向の特殊な関係」という考え方が広く共感されていたように見えました。 

 ■「特殊関係」か、「2国関係」か

 その通りです。南北基本合意書ができたあと、南北に関することはすべてそれに基づいてやってきました。北に行くときはパスポートでなく統一部長官(統一相)の承認を受ける。ODA援助から北を除く。貿易でなく交易とし、輸出入統計に含めない。学校でも「北は外国ではない」と教えてきました。 

一方で、韓国では一部進歩的知識人を中心に「平和的2国関係を」とする主張がずっとなされてきました。北を国家ではなく「反国家団体」とする国家保安法に反対する立場から「南北が敵対的でない、平和的な2国関係になれば保安法は根拠を失い、そこから統一への道も開ける」とするものです。とくに若い層には「統一」より「平和共存」志向が強くなってきており、こんご、そんな主張も強くなるように思えたのですが、北の新路線で、そうした論議はかえって困難になるかもしれません。 

――南北分断は80年近くになります。若い層は「統一」より「平和共存」志向だといわれましたが、統一はしたくないということなのでしょうか。 

 ■北は他人ではない

統一への関心がないと言っても、例えば北朝鮮がどこかの国とスポーツの試合をするとなると、たとえそれが韓国との友好国であったとしても、韓国人の大部分は必ず北の方を応援します。外国人にはよく分からないと思いますが、韓国人が北を応援しないのは南北間で試合するときだけです。 

北朝鮮は貧しく、小さな国です。しかし、韓国人はEU委員長や英国首相の名は知らなくても、北の最高指導者の名前は、そこらの小学生でもみんな知っている。北は他人ではないと思っているからです。韓国人は保守的であれどうであれ、言葉では統一する必要はないと言っていても、いつか、そういうときになれば、統一すると思っているのです。 

――韓国を「敵対国家」とする北朝鮮の新路線はずっと続いていくのでしょうか。韓国とはもう、対話や交渉はしないのでしょうか。 

 ■「発展権」をどうするか

結論から言えば、変わる可能性はあると私は見ています。北朝鮮は米国と交渉するときなどによく「自主権」「生存権」「発展権」ということを言っていました。それでいうと、「自主権」と「生存権」は金正恩体制のいまの路線で最小限の目標は達成できるでしょう。しかし「発展権」は可能なのか、ということです。 

「発展権」を北朝鮮流に言えば、「瓦屋根の家に住み、白いご飯と肉のスープ」。つまり生存のレベルではなく、ちょっとゆとりのある暮らしということになるでしょう。それが中ロの援助でできるのか。できるならすでにそうなっていたはずです。だから、金日成主席の時代から米国、日本と関係正常化をしようとしてきたのです。 

「発展」の問題を解決するには米国、日本、さらには韓国とも関係を持ち、交流することが不可欠だということです。停戦体制を平和体制にかえる問題もあります。そう考えると「敵対的2国家関係」は、持続可能と断言し難いと思います。 

すでに見たように「2国家関係」というのは歴史的趨勢であり、戦略的、防御的なものです。しかし「敵対的」かどうかは相手の出方によって変わり得ます。北朝鮮がこの先も永遠に統一の話をせず、大韓民国を他国だと、ずっと言い続けることができるのかどうか。そういうことはできないように私には思えます。 

――韓国の尹錫悦政権は敵対政策を続けていくのでしょうか。  

 ■「北カード」

変わる可能性がないとは断定できません。もちろん尹錫悦大統領の基本認識に照らすと真摯な意味での対北政策変更はまず期待できないといっていいでしょう。しかしこの春の総選挙で野党が圧勝したことで国政運営が難しくなっています。就任以来この2年間の米日偏向外交で韓国の外交的立場が弱まって来てもいます。そんな状況にあって活路を南北対話に求めようとする可能性も排除できないと思います。 

歴代の保守政権、李明博政権や朴槿恵政権も、行き詰った時には「北カード」を使おうとしました。全斗煥政権のときもそうでした。もっとも、政権の狙い通りに行くかどうかは、別の問題ですが……。 

――最後に、ご自身はいま、朝鮮半島の平和と統一について、どう考えておられるのでしょうか。 

 ■真の平和のために…

 今のような状況で、仮に、統一か平和か、どちらか一つを選べと言われれば、私は平和を選びます。しかし統一なしに真の平和はむずかしいと思います。統一は困難だけど、私たちが進んで行かなければならない道なのです。

 

イ・ジェフン(이제훈/李制勲) 1965年生まれ。ソウル大学社会学科卒。北韓大学院大学で博士。93年ハンギョレ新聞入社、編集局長などを経て現在、同紙政治部統一外交安保チーム先任記者。近著に『非対称な脱冷戦1990~2020:平和への細い回廊に刻まれた南北関係30年』(市村繁和訳、 緑風出版)。非対称な脱冷戦1990~2020 李 制勲(著/文) - 緑風出版 | 版元ドットコム (hanmoto.com)

                                    おわり

立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

2024年6月6日木曜日

ハンギョレ新聞イ・ジェフン記者に聞く(中)/北朝鮮社会に混乱や動揺はないのか

韓国のハンギョレ新聞政治部統一外交安保チーム先任記者、イ・ジェフン(이제훈/李制勲)さんは北朝鮮内部の状況についても語った。

――北朝鮮がここに至って「南北2国家」を明言したのはなぜなのでしょうか。 

 ■吸収統一への警戒

 金正恩総書記の演説のなかに、「万一の場合、核戦力を含むすべての物理的手段を動員して南朝鮮の全領土を平定…」などとした部分があり、一部保守的な学者の中には金日成時代の「戦争統一論」に戻るものだという人もいます。しかし金正恩総書記は「敵が手出しをしない限り、一方的に戦争を決行しない」とも言っています。私は、防御的なものであり、戦略的変化を追求するものだと見ています。

労働新聞HP  昨年末の労働党中央委全員会議での金正恩総書記
北朝鮮は1980年代からずっと韓国に対して「吸収統一をするな」と言い続けてきました。「2国家」表明はそんな文脈の上にあり、吸収統一の憂慮をなくそうとするものです。金正恩総書記は韓国の歴代政権について、「われわれの体制と政権を崩壊させようという野望は『民主』も『保守』も同じだった」と言っています。南は吸収統一を狙っている、よろしい、それなら統一はしない――ということなのだと思います。 

■南と手を切る好機

なぜ、今なのかで言えば、3つの側面があると思います。まず国際情勢。新冷戦なのかどうかはともかくも米国と中国が対立し、北朝鮮は中国、ロシアとの関係を強めている。そんなときに対米交渉が決裂し、北朝鮮としては南と手を切るのは今だ、「北方政策」に集中しよう、と判断したのでしょう。 

次に、南北関係です。南北間の交流協力が始まって30年になりますが、北で主導権が取れていないし、南への依存度も高まってきていました。そんなところへ「北は敵だ」という尹錫悦政権が登場してきた。文在寅前政権のように、毎日、対話しよう、会談をしようと言ってきているときに「敵対的な2国家関係」などというのはむずかしいが、「今なら…」というわけです。 

北の内部事情からいってもその必要に迫られていました。北では3年ほど前から「反動思想文化排撃法」「青年教養保障法」「平壌文化語保護法」という3つの法律が相次いで施行されています。南のビデオやテレビを見るな、南の言葉を使うな、と。労働新聞を見ると、思想闘争をしなければならないとしきりと説いている。思想取り締まりのうえからも南との遮断が迫られたのだと思います。 

――それにしても急な転換です。北朝鮮はごく最近まで一貫して統一を「最重要課題」としていました。そんなところへ、いきなり「統一といった概念をなくしろ」という。大きな混乱は起こらないでしょうか? 

■大きな混乱?

統制と収拾ができないほどの困難さを伴うだろうと思います。金正恩総書記の言うとおりに「民族史から『統一』『和解』『同族』という概念を完全になくす」となると、ほぼすべての教科書や辞書、百科事典なども改めなければならない。金日成、金正日の選集や著作集のようなものを見ても真っ先に出てくるのが統一の問題ではありませんか。 

たとえば、『金日成著作集』の第31巻には、1976年に日本の月刊誌『世界』の編集局長とおこなった会見の内容が出てきます。そこでは「クロス承認」[日米が北朝鮮を、中ソが韓国をそれぞれ承認することで朝鮮半島の平和を達成しようという政策。70年代以降、韓米によって唱えられた――筆者注]に触れる中で「『2つの朝鮮』を言うのは売国奴だ」というようなことを言っている。どうしますか。直すこともできないでしょう。 

金正恩総書記は昨年末の党中央委全員会議で「現在、朝鮮半島に最も敵対的な2つの国家が併存していることについては、だれも否定できない」と公言しました。「朝鮮は一つ」と言っていた祖父(金日成)の「遺訓」と孫(金正恩)の「教示」は論理上、共存不可能な状況にあるのです。 

■経済的にも負担

ともかく、図書館にある本も、科学技術などイデオロギーと直接関係のない分野を除けば、統一という言葉が出てこないものはまず、ないでしょう。彼らは口さえ開けば、「統一」と言ってきたのですから。徹底するとなると、経済的にも大きな負担になると思います。 

この間、首都平壌の入り口に設置していた「祖国統一3大憲章記念塔」の撤去▽京義線・東海線道路での地雷埋設と街路灯撤去▽北の「愛国歌」の歌詞変更▽平壌の地下鉄駅「統一駅」の駅名変更――といったことが報じられています。 

金正恩総書記は1月の最高人民会議で、統一に関連した憲法上の規定の削除に言及し、「次回の最高人民会議で憲法改正を審議すべきだと思う」と言っていました。その後どうなったのか、次の最高人民会議はいつ開くのか、といった続報はありません。さまざまな問題が生じていることも考えられます。 

――北朝鮮の一般人民の思いは、どうなのでしょうか? 動揺や大きな反発などはないのでしょうか? 

■「統一」の目標を失って…

北朝鮮に長い間住んでいた人に聞いてみると、外部の人にはよく理解できないだろうが、北では「やれ」と言われれば、そのとおりにする、のだと…。少し冷笑的な言い方でしたが、人民は反発したりはせず、適応していくだろう、というのです。

ハンギョレ新聞のイ・ジェフン先任記者

しかし、いくら「一心団結」が強調され、閉鎖的な社会だからといって、北の社会にあって「統一」は空気のようなものだったと思われます。そんなところへ一朝にして「統一をしない」という。それでうまくいくのか、という気がします。 

人民の不満を抑えてきたのはイデオロギーです。言ってみれば、次のようなことだったと思います。

われわれが統一しようというのに、米国が南朝鮮を占領し、植民地にしてわれわれを圧迫している。戦争も起こし、われわれを無くしてしまおうと虎視眈々と狙っている。 

だから、われわれは貧しいなかでも武器を大量につくらなければならず、人手が十分でないというのに若者をみな軍隊に送らなければならない。夏場や春には農作業をしなければならないのに、米国の奴らが来て軍事演習をし、飛行機を飛ばすから、しかたなく地下のトンネルに入って過ごさなければならない。 

 そんななかで、統一さえすれば苦しみは終わる、統一をしよう――と。そういうことでやってきたのに統一をしないという。だとすれば、この苦しみはどこから来ているというのか、どうやって解決したらいいのか、と……。 

 ■北の政権にリスク?

金正恩総書記は、一心団結し、「卵に思想を込めれば、岩をも砕く」の精神で一生懸命働けば、われわれも他人を羨むことのない、いい暮らしができる、というようなことを言っています。人民はどこまでそれを信じていくのか。北朝鮮のこんどの新路線は、金正恩政権にとって危険な側面があると私は思います。(つづく)

           立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清

 

2024年6月5日水曜日

ハンギョレ新聞イ・ジェフン記者に聞く(上)/ 北朝鮮の「南北2国」路線、長期間をかけて準備

 「北と南は同族の関係でなく、敵対的な2国間関係」「わが共和国の民族史から『統一』『和解』『同族』という概念を完全になくすべきだ」――北朝鮮が昨年末から今年初めにかけてこんな方針を打ち出し、実際に行動に移しつつある。朝鮮半島の南北分断からほぼ80年になる。この間一貫して「統一」を主張してきた北朝鮮に何が起きたというのか。南北関係はどう展開していこうとしているのか。5月、韓国を訪問した折に、こうした問題で洞察に富む筆をふるうハンギョレ新聞記者イ・ジェフン(李制勲)さん(58)に聞いた。

(立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清)


イ・ジェフン(이제훈/李制勲) 1965年生まれ。ソウル大学社会学科卒。北韓大学院大学で修士・博士。93年ハンギョレ新聞入社。編集局長、『ハンギョレ21』編集長などを経て現在ハンギョレ新聞政治部統一外交安保チーム先任記者。近著に『非対称な脱冷戦1990~2020:平和への細い回廊に刻まれた南北関係30年』(市村繁和訳、 緑風出版)。非対称な脱冷戦1990~2020 李 制勲(著/文) - 緑風出版 | 版元ドットコム (hanmoto.com)

 ――南北関係の歴史的な転換といえそうです。朝鮮民主主義人民共和国という国のアイデンティにもかかわるように思えます。予兆はあったのでしょうか。

 ■外務省局長が「入国」不許可

 信号は発せられていました。例えば昨年7月1日、北朝鮮は、韓国現代グループの玄貞恩会長の金剛山地区(北朝鮮)への訪問希望にたいし、外務省局長名で「南朝鮮のいかなる人物の入国も許可できない」という談話を出しました。玄会長は、金剛山地区の観光事業に尽力した夫の故鄭夢憲元会長のお墓がある同地区への訪問を韓国統一部(統一省)に申請していました。それに対して北は、外務省局長談話で「入国」は許可できないとしたのです。

  南北は1991年末に採択した「南北基本合意書」で、「双方は国と国の関係でない、統一を指向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」であると約束しあい、その通りにやってきました。韓国では統一部、北では特別な対南機構がそれぞれ窓口となり、いずれも外務省とは切り離していた。南北間の人の往来も「入境」「出境」と言っていました。そんなところへ、外務省の局長が出てきて「入国」は許可しないとしたのです。その時点で明らかに、南を「外国」として扱っていたわけです。

  ■対南部門を外務省傘下に?

 昨年末の労働党中央委員会全員会議で金正恩総書記は「党の統一戦線部をはじめ対南事業部門の機構を整理改編する」と明らかにし、今年1月15日の最高人民会議(国会に相当)では祖国平和統一委員会や民族経済協力局、金剛山国際観光局の廃止を決めてしまいました。

労働新聞HP   1月15日、最高人民会議で演説する金正恩総書記

 今年1月初めの労働新聞は、崔善姫外相が金正恩総書記の指示を受け、対南事業部門の整理改編について対南部門の関係者と協議会を開いた、と報じました。外相が主催したというのです。対南部門はいったん外務省の下に入っているように見えます。

――2年前に発足した韓国保守派の尹錫悦政権は「北朝鮮の政権と軍は韓国の敵」とするなど、前任の文在寅政権と比べ強硬な姿勢をとっています。そのことと関係があるのでしょうか。 

 ■長い期間にわたって準備?

 韓国内には、尹錫悦政権の対北政策が敵対的だから北も強硬なのであり、韓国の政権がかわれば、北の対南政策も変わるという見方がありますが、私はそうは思いません。この間の歴史的な積み重ねのうえに、この「新路線」がある。長い期間にわたって準備してきたものだと見ています。 

 要するに、南北の分離です。たとえば、北朝鮮は20158月、北の標準時を韓国や日本より30分遅らせる「平壌時間」というのを始めました。労働新聞は「奸悪な日本帝国主義者らの、わが国の標準時間まで奪う許し難い行為」を糾弾していましたが、金日成・金正日政権期には問題にしていなかったことを考えてもこじつけに過ぎません。

  金正恩総書記は南北で時間を分離することを狙っていたのだと思います。「平壌時間」はその後、20184月の板門店での南北首脳会談直後に撤回されましたが……。 

 北朝鮮のいう「わが国家第一主義」というのも同じです。これは201711月の労働新聞に初めて登場し、20211月の第8回党大会で公式的に宣言されました。先代の父、金正日総書記は「わが民族第一主義」と言っていた。明らかに南北分離志向といえます。 

 ■「南の革命」を放棄

 第8回党大会時の党規約改定では、労働党の「当面の目的」について、それまで「全国的な範囲で民族解放民主主義革命の課題を遂行する」としていたのを、「全国的範囲で社会の自主的で民主主義的な発展を実現する」と改めた。韓国は革命の対象ではない、韓国に対して統一戦線戦術を駆使しないといったのと同じことです。私は当時、「北は2つの国家を指向している」と書きました。 

 第8回党大会では、金正恩総書記は「統一という夢はさらにかなたへと遠ざかった」と言いました。米朝のハノイ会談が決裂した後でもあり、当時は、情勢が悪くなったから、という解釈がなされていたのですが、「南北2国家」「統一問題」という観点から改めて演説文を読み返してみると、そこには「統一をしなければならない」といった言い方がない。第7回党大会(2016年)では統一は「最も重大かつ切迫した課題」としていたのに、です。 

8回党大会の時点、あるいはそれを準備する過程で金正恩総書記と首脳部は悩んでいた可能性があります。それで、「統一の夢はかなたへ遠のいた」という言い方になったのでしょう。後から考えると、そういうふうに解釈できます。どれだけの期間にわたって準備をしたかは分かりませんが、「南北2国家」は即興で決めたようなものではありません。 

――北朝鮮は長いあいだ、「朝鮮は一つ」と言っていました。 

157カ国が南北双方と国交

 「朝鮮は一つ」というのはスローガンにすぎず、内容を伴いませんでした。中国(中華人民共和国)が「一つの中国」というのとは違う。中国の場合は、どこかの国が台湾と国交を結べば、その国とは断交します。中国、台湾双方との国交はありえない。例外はありません。

  その点、北朝鮮と国交を持つ国はいま、159カ国を数えますが、うち157カ国は韓国とも  国交がある。シリアとパレスチナの2カ国を除くと、みな、南北双方と国交を結んでいます。これまではキューバも含めて3カ国だったのですが、そのキューバも今年になって韓国とも国交を結びました。 

 金日成主席の時代から北が掲げてきた「朝鮮は一つ」というモットーは「絶対原則」というより統治イデオロギーの一環でした。実際には「2つのコリア」をずっと認めてきていたのです。 

 ■「2つの国家」かつ「統一指向の特殊関係」

  1972年の「74南北共同声明」もそうでした。「自主・平和・民族大同団結」という 「統一3原則」に合意したこの声明は、正式国号こそ明示していなかったものの、お互いの政治的実体を暗黙のうちに認めていました。 

 19919月の南北の国連同時加盟は、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が国際法的に 別個の「主権国家」として国際社会に公認されたことを意味しました。つづいてその年12月、南北は「基本合意書」を通して双方の関係が「統一を指向する特殊な関係」であると確認しあいました。要するに、国際的には「2つの国家」、南北間では「統一指向の特殊関係」という矛盾した関係設定に合意したというわけです。 

■「主体年号」と、「南北共同宣言」と…

金正日総書記の時代になり、19977月に北朝鮮独自の「主体」年号が導入されました。金日成主席が生まれた1912年を「主体元年」とするものです。南北で「時間の分離」を指向したといえ、さきほど触れた金正恩総書記の「平壌時間」は、その延長線上にあったというわけです。 

金大中コンベンションセンターでは南北首脳談時の写真が展示されていた  5月18日、光州市内で
20006月、金大中大統領と金正日総書記の間で分断後初の南北首脳会談がおこなわれました。そこで出された「南北共同宣言」は、南北の統一案(連合制案と、低い段階の連邦制案)に共通性があることを認め合い、「その方向から統一をめざす」としていました。「統一」が表に出ているのですが、「長期共存」を指向している点に注目する必要があります。 

分断の歴史にあって南北の最高指導者が初めて直接会い、相手方の統一案が「悪いもの」ではないと認め合い、統一を「長期にわたる過程」と認識しあったという点が重要なのです。 

――そんなところへ、今、金正恩総書記が「2国家関係」を明言した、ということになりますね。   (つづく)