2024年2月8日木曜日

命運尽きて…/百済歴史散策⑫

対百済戦争を準備した唐は、その前にまず西突厥を滅ぼして西方の不安を取り除き、さらに高句麗の西部国境を攻撃して高句麗の防御力と百済の注意をその方面に引きつけた。そのうえで6603月、蘇定方を司令官とする13万の軍が唐を進発、海路、百済に向かった。 

徳積島  덕적도 공식HP

武烈王(金春秋/キムチュンチュ)と金庾信(キムユシン)が率いた新羅軍も5月に都(慶州)を発って北上、6月、利川(京畿道)に至った。武烈王は太子の金法敏(のちの文武王)を仁川沖の徳勿島(徳積島/トクチョクト)に送り、唐軍を迎えさせた。そこで両軍は710日に百済の都、扶余(泗沘)で落ち合う作戦を申し合わせた。


■決戦「黄山伐」

陸戦を受け持った新羅は金庾信率いる5万の精兵が黄山伐(ファンサンボル/忠清南道論山付近)方面へと向かった。唐軍は徳勿島で航海の疲れを癒してから錦江の河口に向かって進発した。 

新羅・唐両軍の動きに百済は慌て、防御策をめぐって紛糾した。領土の入り口を封鎖して戦うか、領土内に引き込んで邀撃するか。結局、後者が選ばれ、新羅との陸戦は黄山伐が決戦の場となった。 

우리 역사 넷
新羅軍の精兵5万に対し、百済軍は階伯(ケベク)将軍率いる5千。階伯は戦いに臨んで自らの手で妻子を斬殺し、この世の未練を断ち切ってから出陣、新羅軍の攻勢を4度撃退したあと、戦場に散ったとされる。 

■義慈王降伏

一方、錦江河口付近に進んだ唐海軍は左岸の伎伐浦に上陸。付近の百済軍を打ち破り、満潮にあわせ河をさかのぼって進撃した。泗沘城近くにまで進んだところで西進してきた新羅軍と合流、両軍で泗沘城を包囲した。百済の義慈王は713日、太子の扶余孝とともに防御に有利な上流の熊津(公州)城に逃れた。 

義慈王が去ったあと、泗沘城に残った王子・扶余隆らは城を出て降伏。残る王の親族らも城門を開き、相次いで敵に降った。見捨てられた宮女たちが錦江に身を投げたのはこの時のこととされる。718日、熊津城に逃げた義慈王と扶余孝も白旗をあげた。数百年続いた百済王朝の命運はこうして尽きた。 

■日本の遣唐使が目撃

8月2日、泗沘城で勝者による大宴会が開かれた。武烈王、蘇定方らは堂上に座り、堂下の義慈王と扶余隆に酒をつがせた。93日、蘇定方は帰国の途に就いた。義慈王はじめ王族と貴族93人のほか、12千人の民が捕虜として連行された。 

義慈王は唐の洛陽で開かれた戦勝の儀式に引き出された。高宗皇帝は勝者の雅量を誇示して義慈王の「罪」を許し、放してやった。義慈王はその後、いくらも経たずに病を得て異郷の地で果てた。 

そのころ唐の長安には、先に見たように日本の遣唐使一行が抑留されていた。百済平定後、一行の禁は解かれ、10月、長安から洛陽に着いた。そこで、義慈王、扶余隆らが引き立てられるところを目撃している。 

■英雄伝説

百済の滅亡は後世、さまざまな伝説を生んだ。「三千宮女」のほか、「忠臣階伯」もその一つである。滅びゆく国に、妻子を犠牲にして忠誠を尽くしたと語られるこの英雄は、各地に銅像が建てられ、そのどれもが新羅の都慶州の方角をにらんでいるとされる。この間テレビドラマ化されたり、映画化されたりもしてきた。 

階伯将軍像 論山市HP

2003年に公開された映画「黄山伐」を見てみた。韓国で観客270万人を動員したといい、

日本の映画祭でも「黄山ケ原」のタイトルで上映されている。ブラックユーモアにあふれたコメディ作品にしているのが大きな特徴だ。 

나무위키
新羅の金庾信と百済の階伯を中心に、義慈王(百済)、武烈王(新羅)、蘇定方(唐)、淵蓋蘇文(高句麗)ら「三国統一戦争」の英雄が勢ぞろいし、それぞれが「お国言葉」を駆使、史実に沿ったストーリーが展開される。 

圧巻は、慶尚道方言の新羅軍と全羅道方言の百済軍のコテコテの方言のやりとりだ。意思疎通が十分かなわないなか、双方「新羅と百済は根っこからして違うんだ」などと口を極めてののしり合い、悪態の限りを尽くす。 

一方で、階伯の妻が「恥辱の人生より名誉ある死を選べ、だって? 戦いに明け暮れるアンタが、私たち家族に何をしてくれたというの? 国が亡ぼうが、それが子どもの命となんの関係があるというのよ」と伝説をひっくり返し、激しい全羅道弁でまくしたてる。 

朝鮮半島の南部中央には千メートル級の険しい山々が連なる小白山脈が南北に走り、新羅と百済の国境を成した。その山々が国土を東西に分け、嶺南地域(慶尚道)、湖南地域(全羅道)という呼び方で区切られる。 

両地域にはいまも対立感情があると言われ、選挙時などにしばしば問題になったりもする。民族分断の南北対立があることも言うまでもない。映画は、そんな民族内の問題と、さらには韓国社会にいまも根強く残る家父長主義を、コメディならではの機知で痛烈に風刺しているように私には思えた。(つづく)         波佐場 清

参考資料(百済歴史散策⑩~⑫)

『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館)

『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)

(1) KBS 역사스페셜 – 삼천궁녀에 가려진 의자왕의 진실 / KBS 2002.11.30. 방송 - YouTube

吉川真司『飛鳥の都 シリーズ日本古代史③』(岩波新書)

盧泰敦(橋本繁訳)『古代朝鮮 三国統一戦争史』(岩波書店)

吉田孝『大系日本の歴史③ 古代国家の歩み』(小学館ライブラリー)

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