2024年2月20日火曜日

百済の微笑/百済歴史散策⑮

私たちの小さな旅も終わりに近づいた。最終日の4日目、私たちは忠清南道瑞山(ソサン)市を訪ねた。宿泊地の公州から高速道路を北西方向に走って1時間40分。そこの山中で見た別名「百済の微笑」といわれる摩崖仏が印象に残った。

摩崖如来三尊像

加耶山(標高678メートル)という山の中腹にあった。あいにくの雨模様だった。渓流にかかる橋を渡り、ぬれ落ち葉の石段を用心しながら一段一段登っていくと、切り立った崖面で3体の仏像が穏やかな微笑みで迎えてくれた。

■磨崖如来三尊像

国宝の「磨崖如来三尊像」だった。現地のパンフレットによると、中央は如来立像(高さ28メートル)、向かって左に菩薩立像(17メートル)、右は半跏思惟像(166メートル)で、それぞれ法華経の釈迦と弥勒、提華褐羅菩薩を表現しているという。 

よく見ると、表情はそれぞれにあじわい深い。中央の如来立像は大きな目がなごやかで、やや獅子鼻、厚ぼったい唇はおおらかさと慈悲深さを感じさせる。左の菩薩立像は目と口元の笑み、そして宝珠を包み込む手がいかにも優しい。右脚を左脚の上に載せる半跏思惟像は右手の指をそっとほおに当てており、心清い童女を思わせる。 

この仏像が世に知れたのはそう古いことではない。1959年、付近の寺院址などを調べていた扶余の博物館長がムラの木こりから偶然聞いた話が「大発見」につながった。 

瑞山の地は扶余に都した百済後期(538660)、中国に通じる交通の要所にあたった。この摩崖仏は中国との文化交流が盛んだったそのころにつくられたとみられている。 

■「高句麗が統一していたら…」

私たちはすべの旅行日程を予定通りに無事終えた。日本に帰ったあと、百済の本拠地といえる忠清道地域出身のソウルの友人にメールで報告し、この「百済の微笑」についての「感銘」を伝えると、意外な返事が戻ってきた。 

「百済の微笑……ふっふっふ(ㅎㅎㅎ)、微笑だけ浮かべていて、それで滅んでしまった。やはり強い軍事力を持たないことには……。百済の文化を見て察せられたと思うけど、平野が多く豊かな穀倉地帯だった分、どこか、もの静かでおとなしく、気質の面で高句麗や新羅に押されてしまった。いまも忠清道の人はすこしのんびりしていると言われたりするんです」 

「あの時代、私は高句麗が統一してくれていたらよかったのに、と思っています。そうすれば、中国との国境が白頭山よりずっと北のほうまで広がっていた。韓国人なら、ほとんどみんな、そう考えていると思いますよ」 

「高句麗が統一してくれていたら…」という話は、これまで韓国人から何度か聞いたことがある。 

■百済の仏教

百済は朝鮮3国のなかでも古くから日本と関係が深かった。4世紀、高句麗の隷属下にあった百済は倭国の軍事援助で独立をはかろうとした。奈良県天理市の石上神宮に伝わる七支刀も「軍事同盟」の証しとして百済から倭国に贈られたとみられるということについはすでに触れた。 

百済と倭国の軍事同盟関係はその後も維持され、百済は主に中国の南朝から得た当時最高の文化や技術を軍事援助の見返りとして倭国に伝えた。538年の百済の聖王から欽明天皇への「仏教公伝」もそんななかでなされたのだった。 

そんな仏教は中国から朝鮮に伝わった。372年、五胡十六国時代の前秦から高句麗に伝えられ、百済へは384年、江南の東晋から伝わったとされる。新羅には535年、高句麗からもたらされた。日本公伝はそのすぐ後、ということになる。 

この時代、仏教は東アジア普遍のイデオロギーだった。鎮護国家思想とした国王らも多かった。そんななかで百済には極端すぎる王も出た。第29代法王(在位599600)は一切の殺生を禁じ、民家で飼っている鷹を放させ、魚釣りや狩りの道具までも燃やさせたという。 

「百済の微笑」は、法王のそのような原理主義的な信仰心にもつうじる「優しさ」だったのだろうか。百済と対立した新羅はその間、国力の増強につとめ、それが両国の力の逆転につながったともいわれているようだ。

 ■日韓関係の「答え」を求めて…

私はこの旅を始めるにあたり、歴史問題でぎくしゃくする今の日韓関係に関して、日本と韓国はなぜこうなのか、という問題を提起した。東京大学の小島毅教授の著書を引き合いに、どうやら7世紀後半の国際情勢のなかで編纂された記紀(『古事記』と『日本書紀』)に由来する「歴史捏造」とも関係しているのではないか、という仮説を立ててみた。 

『日本書紀』は681年に天武天皇が発した詔(みことのり)によって編纂事業が始まったと考えられており、完成したのは720年だった。『古事記』も似たような編纂過程をたどり、712年に完成している。

私たちの「百済歴史散策」の旅は終わったが、この間にたどった歴史は、記紀編纂の時代にまでまだ到達できていない。私が最初に投げかけた問いに対する「答え」はまだ探し出せていない。 

その答えを求めて、もうすこし、歴史の旅をつづけてみたいと思う。(つづく)

 立命館大学コリア研究センター上席研究員  波佐場 清 

参考資料(百済歴史散策⑬~⑮)

盧泰敦(橋本繁訳)『古代朝鮮 三国統一戦争史』(岩波書店)

吉田孝『大系日本の歴史③ 古代国家の歩み』(小学館ライブラリー)

吉川真司『飛鳥の都 シリーズ日本古代史③』(岩波新書)

遠山美都男『白村江 古代東アジア大戦の謎』(講談社現代新書)

교육부 검정고등학교 한국사(미래엔)

https://www.youtube.com/watch?v=kwURGkNehOM

姜在彦『新版朝鮮の歴史と文化』(明石書店)

崔夢竜編著(河廷竜訳)『百済をもう一度考える』(図書出版周留城)


 

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