2016年10月17日月曜日

「満州」への旅⑭――関東軍の「マジノ線」

吉林駅に戻った。駅舎はどっしりした建物で、まだ新しい。

 
次の目的地は吉林省延辺朝鮮族自治州の首府、延吉市。吉林駅では少し時間の余裕があり、高速鉄道のホームで待っていると、和諧号が静かに滑り込んできた。出発時刻は午後6時過ぎだった。



■トンネル50
私たちが乗ったのは吉林―図們―琿春を結ぶ「吉図琿」高速鉄道。昨年9月に開業したばかりの新しい路線だ。ここから延吉西駅まで2時間足らずである。

日暮れが迫るなか、和諧号は東に向かってひた走る。車窓の後方に落ちていく夕日は雲間に弱々しい光を放ち、山の端をシルエットで浮かび上がらせている。私が思い描いてきた「満州の赤い夕日」とはほど遠い情景ではあるが、これはこれなりに趣深い。
車窓を流れていく一帯の風景は、「満州の広野」というイメージからはほど遠い。そう高くはないものの、長白山脈から連なる山々が次々と現れ、高速鉄道はそれらを貫いて走っていく。

列車に乗ってすぐにトンネルの多さに気づき、つれづれに任せてメモ帳に「正」の文字を書きつけ、その数を数えてみた。必ずしも正確にカウントできたわけではないが、この吉林―延吉西間で最低45個、漏れた分を考えると、あるいは50個くらいあったかもしれない。短いものが多かったが、思っていた以上に多い数だ。

■最後の防御ライン
実際、いま、高速鉄道が走るこのルートは、かつて満州国を支配した軍国日本が山岳を盾に一時、最期の防御線と考えていたラインと重なるのである。共同通信社社会部編『沈黙のファイル―「瀬島龍三」とは何だったのか』(新潮文庫)によると、次のようだった。

太平洋戦争末期、ソ連参戦を2カ月余り後に控えた19455月、日本の大本営はそれまでの対ソ作戦方針を全面的に転換。関東軍に対し「京図線(新京[長春]―図們)以南、連京線(大連―新京)以東の要域を確保して持久を策し、大東亜戦争の遂行を有利ならしむべし」と命令した。

つまり、ソ連が参戦した場合、関東軍の主力は南満州の朝鮮国境沿いの山岳地帯に立てこもって持久戦を続け、大陸の一角を確保して本土決戦を有利にせよというのだったが、ここに出てくる「京図線」にほぼ沿ったかたちで、高速鉄道は走っている。

大本営は併せて、新京から南へ二百数十キロ離れた中朝国境にほど近い通化を持久戦の拠点として選び、要塞づくりを進めた。そのことは北部満州に入植した開拓団にはいっさい知らせていなかった。

4589日、ソ連参戦。大本営は、関東軍総司令部に「朝鮮ヲ保衛スベシ」と下達し、満州を放棄した。

開拓民らはそのまま置き去りにされた。これまでに紹介した吉林・砲台山の悲劇や宮尾登美子が『朱夏』で描いた極限状況は、こうしたなかで生じたのだった。

長春や吉林など都市部やその周辺にいた人たちはまだ、ラッキーな方だといえた。より悲惨だったのはソ連国境近くに入植していた人たちだった。ソ連軍や中国人暴徒からの過酷な逃避行を強いられ、多くの人々が命を失った。残留孤児の悲劇もここで生まれた。『沈黙のファイル』は、ソ連参戦時、満州各地に散らばっていた約155万人の民間人のうち、国境付近にいた人を中心に約176千人が帰国を果たせずに死亡した、と記している。

■「長吉図開発区」
関東軍が一時、最後の「マジノ線」として構想した、そんな山岳地帯を抱えるこの地域だが、中国各地で急速な国土開発が進むなか、ここでもいま、大きな槌音が響き始めた。2009年、国家級プロジェクトに採択された「長吉図開発開放先導区」の開発計画である。

「長吉図」とは、長春・吉林・図們江(豆満江)の意。吉林省の産業の中心地である長春市と吉林市の一部、それに延辺朝鮮族自治州の全域を合わせて一つの経済圏にまとめ、総合的な発展をはかろうという計画だ。そこでは、北朝鮮、ロシアと隣接する同自治州の琿春市を窓口に朝ロ両国経由で日本海航路を生かした国際輸送ルートを開いていこうという構想も盛り込まれている。(日本貿易振興機構『世界のビジネスニュース』)

私たちの乗った和諧号はこの構想区域を突っ切って目的地の延吉に着いた。この街を中心とする延辺朝鮮族自治州は中国のほぼ東の端に位置する。南は豆満江を隔てて北朝鮮と国境を接し、北からはロシア領がせり出してきて朝ロ両国に挟み込まれるようなかたちで中国領土は尽きる。そこから東の日本海まで最短距離で15キロ。このわずかな距離が「陸の壁」となり、同自治州の「どん詰まり感」を醸してきた。

■東の海より、高速鉄道の西
海への新しい可能性を開く「長吉図開発区」構想は、この地域の人たちに大きな夢を与えているのは間違いないが、いま、そこへ新しく西から高速鉄道が延びてきた。これによって、延吉から首都・北京までの所要時間がこれまでの14時間から一気に9時間に短縮され、東北地方の主要都市も一日旅行圏となった。

いま、北朝鮮の核ミサイル問題などで、海への道はいま一つ見通しが立ちにくい。そんな中にあっては、この地域の人たちの目も当分、東より西、海よりは陸側に向いていくのかもしれない。高速鉄道延吉西駅を降りて思ったのは、そんなことだった。

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