■「嘆願書を書いたら、助けてやる」
獄中の金大中は、全斗煥政権と米国との間でこのような緊迫した綱引きがおこなわれているとは知る由もなく、ただ、悲しく取り乱して泣いた。
レーガンが当選したことで、もう死ぬしかないのか――。
その米大統領選の結果についてすら、だれも教えてくれず、やきもきしたかれが清掃員に聞いてやっと分かるという始末だった。カトリック信者の金大中は、昼夜を問わず天主(神)に助けてほしいと祈り、すがった。(『金大中自伝』)
▽「嘆願書を書いてほしい」
祈りのおかげだったのだろうか。
新しい年が明けて1981年1月18日、安企部(中央情報部は81年1月、国家安全企画部と改称された)の幹部が金大中の前に現れた。いきなり、大統領に減刑を嘆願する文書を書いてくれというのだった。新軍部は、レーガン・全斗煥会談を通して全斗煥政権の国際的な承認を得ようと金大中減刑の手続きを急いでいた。
金大中が「嘆願書は書けない」と拒むと、重ねて要求した。
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| 金大中が書いた嘆願書(部分) |
「あなたはいま、死刑囚なのです。死刑を免れるには、国務会議の議決が必要です。『これまでのことに責任を感じており、これからは政治活動をしない』と書くだけでいいのです。すべては形式上の手続きに過ぎません。政府内にも減刑に反対する勢力が厳然と存在するので、これが必要なのです。この嘆願の事実が公にされることは絶対にありません」
▽罠
安企部長の兪学聖が直接乗り出し、自らカトリック信者だといい、外部に公表しないことを神の前に誓う、とまで言った(『李姫鎬自伝』)。
金大中は嘆願書を書いてやった。
ところが、よく考えてみると、新軍部の罠にはまり、命乞いをしているように思えた。嘆願書を返してほしい、と頼んだ。すると、兪学聖は「そのように処理したい」と言っていたのだが、何日かして約束を破り、メディアに公表してしまった。謀られたと思ったが、もう、どうしようもなかった。
▽死刑確定、即日無期に減刑
1981年1月23日、大法院で上告が棄却となり、死刑が確定した。
しかし、同じ日の午後、無期懲役に減刑となった。
水面下では、米国と全斗煥の間で、首脳会談をめぐり、息詰まるような裏取引がおこなわれていた。レーガン当選に机を叩いて歓呼する「スリー許」に驚いた駐韓米大使のグライスティーンが米国に発った80年11月から数えると、ほぼ50日間にわたる緊迫したドラマだった。
金大中は劇的に、九死に一生を得たのだった。
訳:波佐場 清

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