朝鮮通信使に関する歴史資料については、いま、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産登録が期待されている。その登録申請をしたのは日韓の民間団体だが、この本を読み直して感じたのもやはり民間レベルの交流が果たす役割の大きさということについて、だった。
そんな本の韓国語版に「解説」を書かせていただくことになった。以下に、日本語で書いたその拙文を再録しておきたい。この本に、いまいちど、光が当たることを願いつつ…。
(ジャーナリスト 波佐場 清)
■希望もたらす民間交流
日韓関係はどこに行こうとしているのか。いま、慰安婦問題をめぐる両国政府の動きを見ていると、絶望的にさえ思えてくる。しかし、政府次元ではなく、いったん視線を民間レベルに移してみると、そう悲観する必要はない。本書はそのことに気づかせてくれ、勇気を与えてもくれる。
筆者の上野敏彦氏は共同通信の記者である。駆け出し時代の1980年春、初めて辛基秀さんと知り合ったころのことを私はよく知っている。私自身、当時、朝日新聞大阪社会部の記者として上野氏と同じ記者クラブにいたのである。
以来、上野氏は辛さんを通して日本と朝鮮半島のかかわりについて考えてきた。本書はそんなジャーナリストが初心を貫いて結晶させた一つの答えでもある。
■日本社会に生き続ける「通信使」
辛さんが生きた日本社会は朝鮮半島にルーツを持つ人たちに優しくはなかった。差別と偏見があった。しかし歴史を振り返ると、両民族の関係はそんな時代ばかりではなかった。江戸時代の朝鮮通信使は広く、日本の文化人や庶民層も巻き込んで善隣友好の輪を広げていたのである。
本書は在日2世の辛さんが朝鮮通信使にたどり着いた過程を中心に、通信使の意義や日本の社会にもたらした影響について多角的にスポットを当てている。結果、戦後の在日韓国人史というだけでなく、朝鮮通信使に関する格好の入門書にもなっている。
上野氏は、朝鮮通信使に関する史料掘り起こしなど辛さんの研究の足跡をただ、なぞっただけではない。対馬から江戸までのルートに自ら足を運び、各地でいまも通信使の研究を続ける郷土史家らの話を直接聞いてその熱い思いを詳細に紹介している。それはこの通信使が過去の一過性の出来事だったのではなく、いまも日本の社会に生き続けていることを物語っている。
■「国際化」より「民族際化」を
本書から教えてもらったことは少なくない。京都大名誉教授だった上田正昭さん(1927~2016)が次のようなことを言っていたというのもその一つだ。
「『国際化』という言葉は好きではない。国家と国家の関係も重要だが、限界がある。それよりも互いの民族が主体性を尊重し、理解し合う『民族際化』という考えを大事にしたい」
同感である。国と国の関係はたしかに重要である。朝鮮通信使自体、秀吉の朝鮮侵略で破綻した日朝関係の修復へ双方の政治的思惑があった。しかし、それが広い層に根付き、時空を超えて「民族際化」の可能性を開いていったことは本書で見る通りである。
いま、日韓の国レベルの関係は厳しい。一部メディアには「反日」「嫌韓」という言葉があふれている。それをあおり、自らの政治勢力の拡大につなげようとするような動きも日韓双方に見られなくもない。
芳洲の生家跡にある雨森芳洲庵 =滋賀県長浜市高月町雨森で |
しかし一方で、足元を見直すとき、もう一つの光景も見えてくる。日韓間ではいまも年間数百万の人々が行き交っている。日本のテレビで韓流ドラマが放送されない日はない。
■引き継がれる「誠心の交」
この春、本書でも紹介されている滋賀県・琵琶湖北岸に近い小さな町の「雨森芳洲庵」を訪ねてみた。江戸中期、対馬藩で朝鮮外交を担った雨森芳洲を故郷で顕彰しているのだが、ここを訪れる人は後を絶たない。館長の平井茂彦さん(72)はこう話してくれた。
「年間4千人ほどが来てくれ、うち300~400人は韓国からの観光客や修学旅行生です。過疎の町に活気を与えてくれ、とくに韓国からの客人は町民こぞって大歓迎です」
芳洲が朝鮮外交の心構えとして説いた「誠心の交」の心は引き継がれているのである。上野氏のこの本が韓国で出版されることの意味の一つは、この点を確認することにある。 2017年4月
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