12月13日付朝日新聞、「朝日川柳」の一句である。
朴槿恵大統領を追い詰めた韓国の大デモを見ながら日韓両社会の違いについて考えさせられた。何が、どう違うのか。結局のところ、「国のかたち」といった根本からして違うのではないか。
早いところ、憲法を見比べてみる。
■民主共和国/国民主権
韓国の憲法は「悠久の歴史と伝統に輝くわが大韓国民は…」とする前文で始まる。つまり、主語は「国民」であり、続く第1条[国号・政体・主権]で、次のようにうたっている。
①
大韓民国は民主共和国である。
②
大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民から出てくる。
読んで字のごとく、「民主共和国」であることと「国民主権」をまず、第一に強調しているわけである。
■象徴天皇
日本国憲法については言わずもがな、だろう。前文で「日本国民」を主語として国民主権をうたい、第1条[天皇の地位・国民主権]は、「天皇は…」で始まる次のような条文である。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
以下、日本国憲法は第8条までが天皇に関する条項であり、続く第9条で「戦争の放棄」をうたっていることは周知のとおりである。
■李在明氏の演説
こんなことを意識したのは、韓国の次期大統領選レースで急浮上している李在明氏(1964年12月生まれ、51歳)の演説を聞いてからである。イ・ジェミョン(李在明)? そう、私も最近までよく知らなかったのだが、最大野党「共に民主党」所属、弁護士出身の城南市長のことである。韓国を揺るがす今回の件で、朴槿恵大統領の弾劾を真っ先に主張し、支持率を上げてきた。「過激」な発言で、「韓国のトランプ(米次期大統領)」と言われているようだが、自らは「あえて言うなら、私は『成功したサンダース[訳注:米大統領選の民主党予備選で善戦したバーニー・サンダース氏]』をめざす」と切り返しているようだ。ともあれ、YouTubeに上がっている、その演説というのはこうだ。
週末ごとの大デモの走りとなった10月29日のソウル中心部のデモ集会で訴えているシーンである。再生回数は12月17日現在、129万回を超えている。少し長くなるが、韓国民が何に怒っているのかが伝わってくるので、概要を訳出してみた。
■「国民こそが、国の主人」
≪大韓民国は民主共和国です。国民が国の主人であり、すべての権力は国民から出ています。大統領は国の支配者ではなく、国民を代表し国民のために仕事をする雇われ人であり、代理人に過ぎないのです。
そのような人間がまるで支配者のように、女王のように、上皇の崔順実[訳注:国政に介入した疑いで逮捕された朴大統領の友人]にとりつかれて国民、大韓民国、民主共和国を愚弄しています。
国民は大統領がこれまで犯してきた腐敗、無能、堕落に耐えてきました。(旅客船セウォル号沈没事故で修学旅行生ら)300余人が死んでいく現場を離れ、どことも知れぬ場所で7時間を過ごしたという事実にも私たちは耐えてきました。
平和を破壊し、朝鮮半島を戦争の危険に陥れたことすら私たちは我慢してきました。
国民の暮らしが破壊され、公明、公正であるべき国が、公明でなくなり、不公正の奈落に落ち込んだときも私たちは耐えてきました。
しかしそんな大統領という存在が、国民の委任したその偉大な政治権限を、得体もしれない巫女の家族に、その奇妙な者たちに丸投げしていたことを私たちは許すことができません。
私たちには力がなく、カネもないとはいえ、自尊心がないわけではありません。
私たちが朴槿恵の月給を出しており、朴槿恵にその権限を任せたこの国の主人なのです≫
■「これ以上に悪くなることはない」
≪朴槿恵はすでに大統領としての権威を失いました。朴槿恵はすでにこの国を導く基本的な素養、資質すら全くないということを国民の前に自ら明らかにしました。
朴槿恵はもう、大統領ではありません。即刻、形ばかりの権力を捨て、下野しなければなりません。退陣すべきです。弾劾といわず、今すぐ大韓民国に関わる権限を捨て、即刻おうちにお帰りなさい。
この国の主人が命じます。朴槿恵は国民の支配者ではなく、私たちの雇われ人であり、いつでも解雇し、そのポストから追い出すことができます。朴槿恵は(権利が守られるべき)労働者ではなく国民の代理人なので、解雇しても構いません。
一部に、下野すれば混乱する、弾劾してはいけない、という声があります。しかし、私は確信しています。いま、戦争の危険に瀕し、国が滅びようとし、数百人の国民が死んでいく現場を離れてしまう大統領がいること以上に大きな混乱はあり得ましょうか。大統領が去ったからと言って、いまよりも私たちの暮らしが悪くなり、朝鮮半島がさらに危うくなるということがあるでしょうか≫
■「既得権を撃破し、新しい道に進もう」
≪民主共和国のために私たちは闘わなければなりません。公平に機会が保障される平等な国のために、公正な競争が保障される真に自由な国のために、戦争の危険がない平和な国のために、生命の心配がない安全な国のために、私たちは闘う時です。
朴槿恵を追いだし、朴槿恵の本体であるセヌリ党を解体し、既得権を撃破し、新しい道に進もうではありませんか。私たちが闘えば、力を合わせれば、私たちは勝つことができます。新しい歴史をつくることができます。この既得権、過去の悪い構造を壊し、新しい道、希望の道をつくることができます。共に闘いましょう≫
以上、確かに扇動的で、過激な部分がある。しかし、訴えている内容じたい、民主共和国、国民主権を取り戻そうというのだ。憲法の基本精神に立ち返ろう、といっているのである。それに市民らが歓呼しているのである。
■「デモもなく…すいすいと」
さて、冒頭の一句である。日本の「まつりごと」にも国民主権の危うさを感じてしまう局面がないわけではい。韓国をカガミに「我が振り」を直したい、という気持ちは私にもある。しかし、なかなかそうもいかない。
「デモもなくカジノ・年金すいすいと」(宮城県 斎藤 光雄)=12月15日付朝日新聞「朝日川柳」
日本の国民、メディアの関心は国民主権といった「まつりごと」よりは、「日本の象徴」「日本国民統合の象徴」のほうに向いているようだ。実際、このところの主要メディアは天皇の「生前退位」に関する報道や解説であふれている。いや、それもまた、広い意味では「まつりごと」の一部なのだろうか。
いま、日韓の「国のかたち」の違いといったことを、改めて思ってしまう。
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