コリア閑話
2026年7月2日木曜日
金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(35)
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■ 「金大中だけだと、全羅道が反発 … …」 ここでもう一度、 1980 年 5 月 18 日に戻りたい。その日の朝が明けた。 南山の中央情報部の食堂で、李鍾賛・総務局長と出くわした捜査局長の金根洙(のちに国会議員、尚州市長など)が暗い表情でこう言った。 「...
2026年6月29日月曜日
金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(34)
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■ 金大中が危ない 1980 年 5 月 17 日夜、金大中のソウル東橋洞の自宅では電話が鳴りやまなかった。 「世の中がひっくり返った。金大中が危ない。すべてが終わったので、身の安全に気を付けろ」 「梨花女子大に集まった学生たちが銃床で殴られ、血まみれになって...
2026年6月26日金曜日
金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(33)
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■ 朴鐘圭の裏切り 1980 年 5 月中旬、中央情報部長を兼任する保安司令官の全斗煥は突然、人事作業をいったん、中止させた。学生たちの街頭デモが激しくなると、徐廷和次長は会議のたびに、こう言っていた。 「いまは情報部を改編している時ではなく、全員総がかりで社...
2026年6月23日火曜日
金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(32)
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第 5 章 光州の流血踏み台に大統領に ■ 文在寅の運命――留置場で弁護士への道つなぐ 1980 年 5 月 13 日から学生デモが激しくなり、絶叫がソウルの街にこだました。 「全斗煥、申鉉碻 退陣しろ」 「戒厳令撤廃 民主主義を回復せよ」 ...
2026年6月20日土曜日
金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(31)
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■ 「革命は銃剣でやるものだ」 1980 年 5 月 17 日午後遅く、落ち着かない気分でソウル三清洞の総理公邸にいた申鉉碻総理を、国防部長官の周永福と戒厳司令官の李熺性が訪ねていった。 「総理、デモがひどくなり、もう手の施しようがありません。ですから、どうぞ全国戒...
2026年6月17日水曜日
金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(30)
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■ 「いっしょに退陣しよう」 長い、実に長い一日だった。 新軍部にとっても、過渡政権にとっても、そして暴力に呑み込まれ、流されていった政治家たちにとっても、ほんとうに長く、緊迫した 24 時間 ―― 歴史に、そう記録されている。 ▽最後の逆転画策 国務総理の...
2026年6月14日日曜日
金忠植『5共 南山の部長たち』/韓国民主化40年(29)
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■ 「大統領は天が決める」 陸軍保安司令官・全斗煥の中央情報部長兼任が 1980 年 4 月 14 日に発令されてから何日かして正式にその座についた全斗煥が尹潽善元大統領を自宅に訪問した日のことである。「権勢の誇示」を兼ねた、意気揚々たるお出ましだった。そのころは日々...
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