■「米軍の撤収、覚悟しろ」
その日、12月13日の午後、全斗煥はジョン・ウィッカム米韓連合軍司令官に会おうとブリュースター米CIA支部長を通してかけあったが、会えなかった。ウィッカム回顧録や元駐韓大使グライスティーンの回顧録には、意図的に会うのを避けたと明記している(一部、全斗煥が洪淳龍を通訳にして会ったという記録もあるが、会えなかったことは明白である)。
▽連合軍司令官の怒り
ウィッカムは、グライスティーン大使よりも、もっと興奮していた。有名な原則主義者であり、敬虔なモルモン教徒らしく、盧載鉉国防部長官を前にカンカンに怒っていた。連合軍司令部の兵力を自分の承認なしに移動させたことは到底、見過ごせることではなく、クーデター軍の振る舞いは許せない、軍法会議にかけるべきだ、というのだった。
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| ウィッカム米韓連合軍司令官 |
「陸軍参謀総長の鄭昇和将軍や合同参謀本部本部長の文洪球将軍を収監したのは、理由の如何を問わず不当だ。クーデターを率いた者たちのやり方は許せない」(ウィッカム)
全斗煥合同捜査本部長や反乱軍のメンバーらは、ウィッカムの怒りの爆発に肝を冷やした。
ウィッカムは、国防長官の盧載鉉だけでなく、合同参謀本部議長の金鍾鎬、韓米連合軍司令部副司令官の柳炳賢に対しても、全斗煥、盧泰愚、黄永時を軍法会議にかけるべきだと怒鳴り散らした。 米第8軍の作戦統制権下にある前線部隊をクーデターに動員した者たちを許すわけにはいかない、というのだった。
▽米軍の作戦統制権下
ウィッカムの主張は、まったく正しかった。
ソウルに乱入した反乱軍の3個部隊、すなわち第9師団第29連隊、第2機甲旅団の1個戦車大隊、第30師団第90連隊は、間違いなく米韓連合軍司令官の指示なしには動くことのできない部隊だった。黄永時第1軍団長の配下ではあるが、米第8軍の作戦統制権下にあることは明らかだった。
ウィッカムが激怒していたところへ、グライスティーン大使も戦略のうえから全斗煥とは会うべきではないと言い、二人は面会拒否を申し合わせた。
米大使がウィッカム将軍に「全斗煥の軍の指揮体系違反や社会不安を引き起こす危険な行動について、米国がどれほど深刻に考えているかを分からせてやる必要がある」と持ち掛けたのだった。駐韓米軍司令官が会うこと自体、反乱の首謀者である全斗煥の立場を公式に認めてしまうことになるというのが大使の計算だった。
▽全斗煥一派の手先
ウィッカムは、その代わりに12月13日、盧載鉉国防長官と会った。
前夜の銃弾の跡も生々しい国防部庁舎で会った盧載鉉は、一夜のうちにすっかり変わっていた。疲れた様子で、しょげていた。
前夜、ウィッカムといっしょに米軍のバンカーで声を張り上げていた時とは違い、何ごともなかったかのように全斗煥一派の手先になっていた。かれは、反乱軍の行動や動機について弁明を並べ立てた。全斗煥に言われた通りを演じているに過ぎなかった。
かれの横にはカセットテープがあり、二人の話を録音していた。ウィッカムは、生れて初めての経験だったと書き残している。テープレコーダーがあるということは反乱軍も聞くということだ。ウィッカムは全斗煥一味に、よく聞いておけ、とばかりにぶちまけた。
▽「在韓米軍の撤退も」
グライスティーン大使と打ち合わせた通り、冷徹な話を突きつけた。
「盧長官、あなたの説明はどう考えてみても納得できない。信憑性もない」
盧載鉉は緊張した面持ちで耳を傾けていた。ウィッカムは畳みかけた。
「昨夜の出来事は北朝鮮の侵略を招きかねず、米韓関係に不安をもたらすものだ。米国はこんご、在韓米軍の撤収をはじめ、科学技術移転、ミサイル共同開発、韓国への兵器売却、経済援助、さらには米韓連合軍司令部の責任と権限の強化に向けた最近の対韓提案なども含め、外交政策全般を全面的に再検討するに至った」
一つひとつが爆弾宣言だった。いずれも韓国という国の存立にかかわる問題ではないか。
盧載鉉は驚き、姿勢を正して座り直した。そうして、韓米関係のためにも最善の努力をしてもらいたいと請うた。
ウィッカムはさらに、冷たく言い返した。
「わたしは軍人としての本分を尽くすのみだ。米韓関係正常化のようなことは権限外のことであり、関与するところではない。そうしたことはむしろ、昨夜、あのような事態を起こした軍部の方で考えるべきだ」
▽「反乱軍も愛国者」
盧載鉉は声を張り上げて、一つのショーを演じた。
「昨夜のことは、鄭昇和総長の逮捕にたいする誤解から生じた結果にすぎません。かれらも愛国者であり、政治を混乱させるつもりなど、なかったのです」
ウィッカムは、次のように記録している。
「そのあとも何分間か、さらに話をしたが、対話にはならなかった。わたし(ウィッカム)は権力を握った新軍部に向かって話し、一方の盧長官はワシントンにいるわたしの上官に向けて話した。それぞれが伝えたい内容を、壊れたレコードのように繰り返しているだけだった」
12月13日に米国政府が出した公式声明――。
「グライスティーン大使が全斗煥少将と会った。大使は韓国軍部の分裂は、北朝鮮の侵攻を招くことになると強く警告し、大変憂慮していると伝えた。大使はまた、憲政秩序を維持し、政治の自由化を進めることが大切だと強調した。そして国務総理、国防部長官と会い、米韓連合軍司令部の作戦統制権下にある軍部隊を移動させることは容認できない危険な行為であると警告した」
▽食事も喉を通らずに…
クーデター軍とその家族らは、お先真っ暗となり、途方に暮れた。
米政府から認められず、ウィッカム司令官も「米軍撤収のほか、科学技術移転、ミサイル共同開発、韓国への武器売却、さらには経済援助まで再検討すべきだ」といい、軍法会議にかけると言っているではないか。
「全斗煥はもちろん、夫人の李順子も、決起が失敗に終わったのではないかという不安から一時気を失い、食事も喉を通らなかった、と噂された」(文洪球回顧録)。実際、李順子は「ウィッカムのせいで失敗に終わるのではないか、と気をもむあまり、夫は卒倒した」と言っていた、というK将官夫人の証言もある。この将官夫人は、西氷庫に拘束された夫の救命のために李順子を訪ねた際、そのような話を聞かされたという(作家李啓星の記録)。
▽宥め役
激怒したウィッカムら米軍将官たちを宥(なだ)めるにあたり、その先頭に立ったのは、光州から急遽ソウルに上京してきた光州歩兵学校長の金潤鎬だった。黄永時を「兄貴」と呼んできた金潤鎬は、英語に堪能だった。在米韓国大使館に武官として勤務した経歴もあり、米軍の将官たちとも親交が深かった。黄永時が13日明け方、米側との窓口役として急遽、呼び寄せたのだった。
金潤鎬は、ブリュースターCIA支部長やグライスティーン大使に対して「12・12反乱」を弁護し、「全斗煥らが政治をやることは、ないでしょう」と刷り込んでいった。
かれは光州から呼び出されたばかりというのに、反乱軍の主要メンバーの記念撮影(12月14日)では、最前列で黄永時の横に座った。それに値するだけの役割を十分果たしたのである。このあと、黄永時が陸軍参謀次長に栄転していくと、金潤鎬も、黄の後任の第1軍団長に栄転した。
▽「見事な人選」
金潤鎬についてはウィッカムも、それなりの役割を果たしたと評価した。
「クーデターグループ(新軍部)は、米国を説得して支持を取り付けることを急いでいた。その課題を解決するうえで、金潤鎬の功績は大きかった。金将軍の説明は、かれの長年の友人であるブリュースターCIA支部長を含む米国の知人たちを説得するのに十分で、その功によって第1軍司令官、合同参謀本部議長にまで登り詰めた。クーデターを率いた者たちが金潤鎬を選んだのは、見事な人選だった」(ウィッカム回顧録)
ウィッカムは、反乱事件から2カ月ほど経った80年2月16日、首謀者全斗煥との正式な面会を許した。
訳:波佐場 清

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