米国のポンペオ前国務長官が最近出版した回顧録で、2018年3月、北朝鮮の金正恩総書記から「在韓米軍は必要だ」と告げられたと明らかにした、と各メディアが伝えている。それによって中国から自らを守ることができるという趣旨の発言だったという(https://www.47news.jp/world/8860910.html)が、北朝鮮の「米軍容認論」自体は、先代の金正日総書記の時代からの一貫した方針だったようだ。
■『林東源回顧録』
北朝鮮が在韓米軍を容認していることが広く知られるようになったのは、北朝鮮に対して「太陽政策」をとった韓国の金大中大統領の側近、林東源氏の回顧録によるところが大きい。
金大中政権(1998~2003年)で大統領外交安保首席秘書官や統一相、国家情報院長などを務めた林東源氏は退任後の2008年に回顧録『ピースメーカー』(日本語版『南北首脳会談への道』岩波書店南北首脳会談への道―林東源回顧録 | 林 東源, 東源, 林, 清, 波佐場 |本 | 通販 | Amazon)を出版。その中で林氏は自ら同席した初の南北首脳会談(2000年6月、平壌)における金正日氏の在韓米軍容認発言を公にしている。
■『林東源自叙伝』
詳細は同書に譲るが、林氏は昨年10月にソウルで新たに出版した『林東源自叙伝』(原題『다시,평화 임동원자서전』https://youtu.be/WWhrABGvC1w)でも、その要点を次のように書き記している。
ソウルで出版された『林東源自叙伝』 |
金正日国防委員長(労働党総書記)は金大中大統領に秘密の事項について申し上げるといい、在韓米軍の問題について次のように話した。
「1992年初め、金容淳書記を米国へ特使として派遣し、『北と南はもうけんかをしないことで合意した』と伝え、『米軍が引き続き残り、南と北が戦争しないように役割を果たしてほしい』と頼みました。……『東北アジアの力学関係から考えて朝鮮半島で平和を維持しようとするなら米軍がいるのがいい』と言ってやりました。金大中大統領は『統一した後も米軍はいなければならない』と言われたそうだが、私の考えも同じです」
この時の首脳会談の10日前、林東源氏は水面下の事前準備のため大統領特使として北朝鮮を訪問し、中国国境近くの新義州の別荘で初めて金正日委員長と会談。そこでも在韓米軍のことなど対米関係についての金正日委員長の考えを聞き出していた。
新しい『自叙伝』は次のように書いている。
金正日委員長は米国との関係についても率直な考えを聞かせてくれた。
「朝鮮半島の問題は外国勢力に頼らず、わが民族同士で力を合わせ、自主的に解決していかな ければならないという自主の原則が重要です。もちろん、歴史的な経験の上からも、朝鮮半島が置かれた地政学的な位置から見ても、米国といい関係を保つことが非常に重要です。金大中大統領は東北アジアの平和と安定のために統一後も米軍は引き続き駐屯すべきだと主張されているが、実際のところ、私も米軍の駐屯自体、別に悪いわけではないと思っています」
予想外の発言に私は耳を疑った。金委員長は続けた。
「ただ、在韓米軍は共和国[北朝鮮]に対して敵対的な軍隊ではなく、朝鮮半島の平和維持軍に地位と役割が変更されなければならないということです。……われわれは過去の敵対関係を清算し、米国との関係を正常化することを重要な目標にしています。米国との関係が正常化すれば、米国が憂慮するすべての安保問題を解消できます」
■「中国人はうそつきだ」
今回、ポンペオ氏が回顧録の中で金正恩総書記の発言について触れたのはトランプ前政権下の2018年3月、中方情報局(CIA)長官として平壌を極秘訪問したときのことについてだ。
共同電などによると、ポンペオ氏が金正恩氏との会談で「中国共産党は一貫して米国に対し、米軍が韓国から撤収すればあなたが喜ぶと言ってきた」と水を向けると、金正恩氏は笑いながら「中国人はうそつきだ」と応じ、「中国共産党から自分を守るために在韓米軍は必要だ」と述べたという。
さらに、金正恩氏は「中国は朝鮮半島をチベット、新疆ウイグル両自治区のように扱うため、米軍撤収が必要なのだ」とも語ったという。
■米朝急接近と決裂
米中覇権競争下、次期米大統領選で共和党からの出馬を目指しているとも伝えられるポンペオ氏の今の時点での発信は、たぶんに政治性を帯びた部分も含まれていそうだ。しかし、金正恩氏の「在韓米軍容認」発言自体は、先代金正日政権時代のことから判断して、その時点における率直な考えだったとみるのが自然だろう。
米朝はポンペオ氏のこの時の極秘訪朝のあと急接近。1カ月半後の18年6月、シンガポールでトランプ大統領と金正恩総書記による史上初の米朝首脳会談が開かれ、米朝関係改善などをうたった共同声明を発表した。続いて翌19年2月、両氏による2度目の首脳会談がベトナムのハノイで行われたが、決裂。両国関係は再び冷え込んでいったのだった。
(立命館大学コリア研究センター上席研究員 波佐場 清)