丁世鉉氏 |
チョン・セヒョン 1945年生まれ。ソウル大卒。77年に国土統一院(現・統一省)に入り、金泳三政権で大統領統一秘書官、金大中、盧武鉉両政権で統一相などを務めた。現在、文在寅政権の「ブレーン」の一人として活発に発言している。大阪での講演は金大中平和センター日本後援会(共同代表 梁官洙・大阪経法大教授)主催の「金大中大統領追悼講演」として行われた。
■平壌のスタジアムでの大統領演説
<9月の平壌での南北首脳会談では、文在寅大統領が15万人収容の「5・1スタジアム」で、韓国大統領として初めて北の一般市民を前に演説した。演説内容について北側は事前に何の条件も付けなかったという>
――率直に言って驚きました。金正恩委員長にはリスキーな面があったと思うが、その心情はどういうものだった、と?
これまでの南北首脳会談では夕食会や昼食会のあいさつなどは互いに事前に見せ合ってきた。北の方で負担になるといわれ、南側で一部手直ししたこともある。今回、事前に何の条件も付けなかったということは、文大統領が演説しているときの金委員長の緊張した表情からも読み取れた。
青瓦台HP 平壌の「5・1スタジアム」で観衆に応える文在寅大統領 |
それだけ文大統領を信頼しているということだろう。2人にとっては3回目の会談だった。文大統領が大体どういう話をするか、金委員長には分かっていた。悪いことは言わないだろうという信頼ができていた。
演説には「核兵器と核の脅威がない平和」を約束しあったという部分があり、そこがポイントだった。南北、米朝間で「完全な非核化」に合意したことは平壌のメディアも伝えてはいたが、この間の経緯を考えると金委員長の口から説明するのはなかなか難しい。文大統領が「こんな合意をした」と言ったのは基本方向を人民に理解させるうえで有効だった。
■非核化には抵抗感?
――非核化には北の内部に抵抗もあった、と?
4月の板門店会談のさい、金委員長は「ここまで来るのは大変だった」という趣旨のことを言った。そこには決断が大変だったという意味も含まれる。内部で非核化に相当な抵抗があったという話だ。いい加減な約束をして後で米国にやられてしまうのではないか、危険だ、と。
金正恩委員長は最高権力者ではあるが、若い。金日成の時代から政権の中枢で仕事をしてきた人たちからみると、ちょっと危ないと考えたとしてもおかしくない。板門店の南側地域まで出ていくと急いでいるような印象を与え、南のペースに巻き込まれてしまうのではないか、という心配もあったはずだ。金委員長はそれを抑えて板門店に出ていった。
文大統領の演説は、非核化は南北間の合意なのだ、ということを国内に分かりやすく伝えるのに役立った。
■タテの比較からヨコの比較へ
――金正恩委員長はかなり率直なようにみえる。4月の文在寅大統領との最初の首脳会談では、平昌五輪に行った北の関係者は韓国の高速鉄道を称賛していたといい、一方で、文大統領を北に招くにも交通事情がよくない…、などと言っていた。「百戦百勝」を強調した過去の最高指導者とは相当違うようにもみえます。
金日成、金正日の時代までは首領の無謬性を強調し、首領が決めれば無条件に従わなければならないということでやっていた。金正恩委員長はそうした無謬性をひっくり返したというわけだ。昨年の「新年の辞」でも、自ら「能力が及ばない」などと「自責の念」を告白した。
自ら足りない点があると認めるには勇気がいる。勇気は自信の裏返しでもある。それを認めても体制に影響はなく、むしろ人民の信頼を得ることができるという統治次元の計算もあったはずだ。韓国の大統領にそういうふうに言うのも信頼を得るためだ。飾らず、事実通りにモノを言えば、それだけ信頼を得ることができる。
――世界を広く知り、自国を客観的に見ているということでしょうか。
重要な点だ。北はこの間、自らの体制の優位性をアピールするため、いつもタテ軸、つまり過去と比べて今を評価してきた。日本の植民地時代がどうだったとか、解放直後はどれほど困難で、いまはどれほど良くなったか、という具合だ。
それでは発展はない。ヨコの比較、つまり南と比べてみて初めて自らの遅れも認識できる。そうなると、追いつかないといけないと努力する。遅れを認めること自体、ヨコの比較で住民を発奮させようということだ。
――ヨコの比較は体制にとって危険もありそうです。
南と比べて遅れているとなると、体制に対する不満も出てくる。そういう不満が出てくる前にヨコとの比較を通して早い速度で経済をよくすれば金委員長の評価と期待は高まる。実際のところ、北の住民は中国を通して南の事情がよく分かってきている。だから金委員長は果敢に遅れを認め、努力しようというわけだ。
■「北朝鮮の鄧小平」
――中国の最高指導者、鄧小平のことが思い浮かびます。鄧小平は自国の遅れに率直でした。
<鄧小平は例えば、1978年10月に来日した際、「まず必要なのは、我々が遅れていることを認めることだ。遅れていることを素直に認めれば、希望が生まれる」などと言っていた。その年の暮れ、中国は改革開放政策を決定した>
鄧小平は毛沢東時代になかったヨコの比較概念で、改革開放に出た。追いつくには遅れていることを認めることから始めなければならない。遅れていないと錯覚し慢心していたら、滅んでしまう。
私はこの間、金正恩氏は北朝鮮の鄧小平になる可能性が高いと言ってきた。そうなると、それは平和の始まりだ。韓国が支援すれば、韓国も平和を享受できる。米国が後押しすれば、核問題も解決できる。
■ベトナム型の開放?
――金正恩委員長は具体的にどういう発展方向を考えているのでしょうか。
4月の板門店での南北首脳会談の際、金委員長は文大統領との2人だけの対話で、米国の不可侵の約束と終戦宣言を条件に核を放棄すると言ったほか、経済に関し、「開放するとしたらベトナムのようにやりたい」と語った。
ベトナムの「ドイモイ(刷新)」は、米国との国交回復より10年早く、1986年に始まった。これは、米国との国交が確定した後で改革開放に踏み切った中国とは順序が逆だった。ベトナムの場合、米国の敵視政策が続いていたため国交が遅れた。
北朝鮮は米国との国交を望んでいる。それが安全の保証につながると考えている。できれば、米朝国交のあとで開放に踏み切りたいところだろうが、核問題の現状を考えると簡単ではない。
北朝鮮は2016年5月の第7回党大会で「国家経済発展5カ年戦略」の存在を明らかにした。2020年に終わることになっており、残るところ、あと2年だ。それまでの間に米国と国交を開くのは不可能だろう。そこで、米国の敵視政策をいったん緩めさせようというのが朝鮮戦争の終戦宣言提案だ。
■現有の核兵器は交渉カード
それが交渉カードだ。北は米国に脅威を与えられるほどの核兵器を持ったから、米国が相手にしてくれるようになったと考えている。米国を交渉に引き出すということでは、もう新たに核兵器をつくる必要はなくなった。これ以上つくれば制裁が強化されるだけなので「やめた」と言った。しかし既存の核兵器を放してしまえば、交渉カードはなくなる。交渉の過程で米国から重要な反対給付が得られたときに手放すということだ。
これまでのところ、北は「米国が相応の措置を取れば、寧辺の核施設の永久廃棄に踏み切る用意がある」などとしているが、米国が求める核兵器・施設リストの提出などには、いまのところ応じようとしていないようだ。
■年内の終戦宣言はむずかしい
――終戦宣言について言えば、南北間で年内に行おうと約束し合いましたが、非核化をめぐる米朝間の交渉はこのところ停滞しています。
<今年4月の南北首脳会談で出した「板門店宣言」は、「休戦協定締結65年に当たる今年、終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制の構築のための南北米3者または南北米中4者の会談の開催を積極的に推進していく」としている>
米朝交渉がうまくいかないと終戦宣言はできない。第2回の米朝首脳会談が来年に延ばされた状況下では、年内の終戦宣言はむずかしい。
――板門店宣言でみるように、南北は朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に転換しようと改めて約束し合ったわけです。そこに至る過程については、どう考えていますか。
休戦協定を平和協定に換えるにはまず、軍備管理から始めなければならない。(9月の南北首脳会談で採択した「軍事分野合意書」の実行で)これはすでに始まっている。次は軍備削減で、それなくして平和協定はない。
休戦協定は米朝中の3者で調印したが、平和協定は韓国を加えた4者が基本にならなければならない。平和協定締結にあたっては米国がアジア地域に展開する核兵器をどうするか、という問題は避けて通れない。そう考えると、ロシア、日本も加わるべきだ。日本はすでに軍事強国だし、核大国のロシアもそこに入って米国を牽制する役割を果たすべきだろう。
■金正恩委員長のソウル訪問は年内に
――金正恩委員長は年内にソウルを訪問できるでしょうか。米朝交渉の状況から見て、むずかしいようにもみえます。金委員長のソウル訪問実現の条件は?
<9月の「平壌共同宣言」は、「金正恩国務委員長は文在寅大統領の招請により、近い時期にソウルを訪問することにした」とした。文大統領は平壌の会見で「特別な事情がない限り、年内という意味が込められている」と説明した>
青瓦台HP 平壌の首脳会談に臨んだ両首脳 |
条件はないと思う。金委員長のソウル訪問は、平壌を訪問した文大統領が相互主義の立場から要請したのであって、金委員長はそれに受諾した。9月の平壌首脳会談の時点では第2回米朝首脳会談の早期実現を見込み、ソウルの首脳会談ではそれをさらに発展させうるという考えがあったかもしれない。しかしこれは、あくまで答礼次元の話なのだ。
金委員長は年内、それもできるだけ早くソウルへ来るべきだ。来ないといけない。来て、南北首脳会談をもう一度して、そこで、米国の要求をもう少し受け入れろと文大統領は金委員長を説得すべきだ。米朝首脳会談が早く開かれるよう、文大統領はいま一度、役割を果たさないといけない。
ソウルの南北首脳会談で北の態度が変われば、文大統領の説得で金委員長は決心したということで正当化できる。それがない条件で北が譲歩すれば、米国の圧力に屈したということになる。北としてはメンツの上からもそういうことはできない。
■反対デモは織り込み済み
――ソウルを訪問すれば、反対デモも起きます。
金正恩委員長もそれは分かっている。2000年6月の金大中―金正日会談の共同宣言にも金正日委員長の「適切な時期のソウル訪問」が盛り込まれ、実際、北の関係者がソウルを下見にきた。結果、「到底、行ける状況にない」と判断し、平壌に帰って金正日委員長にそのように報告した。
そういう先例はあるが、その時は、ソウルに行ったからといって米朝や南北の関係が画期的によくなるという展望もなかった。ただ首脳会談の答礼という次元でソウルを訪問するのでは、得るものがなく、失うものだけが多いと考えた。北が恐れたのは最高首脳のイメージ損傷だった。
しかし、金正恩委員長の場合は自ら足りない面があることを認めている。北が南に比べて遅れていると認めるほどに現実的な判断ができる人物だ。南に行けば反対する人間もいるということは分かっている。警護面で心配ないということも知っている。金委員長がソウルに来てこそ、信頼はいっそう深まる。この先、国際社会に出ていこうとするなら、このような約束は守らなければならないということも分かっている。
――文在寅大統領は平壌の大衆の前で演説したが、同様のことは金正恩委員長にはもちろん、できない?
それはできない。せいぜい国会演説程度。北では5・1スタジアムの15万観衆も統制できる。実際、2000年にソウルを下見に来た北の関係者は当時、「我々はすべてを統制できるが、南ではそれができない。だから、将軍(金正日委員長)にソウルに行ってくださいとは言えない」と韓国側に言っていた。