丁世鉉氏はいまの文在寅政権の対北政策を、1970年代以来韓国内で積み重ねられてきた朝鮮半島の冷戦構造解体への努力の延長線上に位置づけ、一方で、北朝鮮の金正恩委員長についても、その経済発展戦略のうえから、もう後戻りはできないと言い切った。
講演会は、駐大阪韓国総領事館(呉泰奎総領事)が主催し、北区の民団大阪本部で開かれた。以下は、講演の要約である。 (波佐場 清)
■もう、戦争はない
ことし4月27日、板門店の南北首脳会談で文在寅大統領と金正恩委員長が合意して発表した「板門店宣言」は冒頭、次のように始まっていた。
「両首脳は朝鮮半島にもう戦争はないであろうということ、新しい平和の時代が始まったということを8千万同胞と全世界に厳粛に宣言した」
去年1年を振り返ると、4月危機説、8月危機説、10月危機説といったものが流布されるなか、戦争の恐怖に戦々恐々としていたわが国民は、その日、「もう戦争はない」との言葉に涙を流した。海外の同胞にあっても同じ気持ちだったと思う。
■文在寅大統領の「ベルリン構想」振り返ると、去年7月6日、ドイツのベルリンを訪問した文在寅大統領はケルバー財団主催の演説で「朝鮮半島の冷戦構造解体と恒久的平和の定着」に向けた対北朝鮮政策に関し、その基調として次の5項目を提示していた。
① 北の崩壊や吸収統一、人為的な統一を排除し、平和を追求する②北の体制の安全を保障しつつ、非核化を追求する③南北間の合意を法制化し、終戦宣言をおこない、関係国が参加する平和協定を締結する④南北の鉄道をつなぎ、韓国-北朝鮮-ロシアを結ぶ天然ガスパイプラインを敷設するなど「朝鮮半島の新経済地図」を実現していく⑤非政治的な交流協力は政治・軍事状況と切り離して推進する。
そのうえで、文大統領はいったん易しいことから始めよう、と次の4つの事業を北に提案した。① 「10・4宣言」(*2007年、盧武鉉大統領と金正日総書記が交わした「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」)10周年に合わせて離散家族の再会と墓参を実現しよう②北の平昌冬季五輪参加を望む③軍事境界線での敵対行為を止めよう④南北対話を再開しよう。
■南北首脳の約束へと昇華いま振り返ると、この「ベルリン構想」は今年初めから相当部分が実行に移され、残された部分は「板門店宣言」の随所に盛り込まれた。
「ベルリン構想」は「朝鮮半島の冷戦構造解体と恒久的な平和定着」を目指す文大統領の統一への意志の表現だったのだが、それから9カ月たったところで出された「板門店宣言」は、「ベルリン構想」を土台に南北が手を取り合ってその目標を達成していこうという南北両首脳の約束へと昇華されたのである。
「ベルリン構想」は、「板門店宣言」として再生したのだ。
■朝鮮半島の冷戦構造を解体朝鮮半島分断の歴史を振り返ると、その冷戦構造解体への努力はずっと前からあった。それはわれわれの悲願であってきたのである。
1971年の大統領選で、その年の4月18日、金大中候補はソウルの奨忠壇公園での演説で「4大国クロス承認」と「南北交流」を提起したが、これは冷戦の真っただ中でなされた朝鮮半島の冷戦構造解体論だった。野党候補の提案だったため、国家政策へと発展することはなかった。
1988年7月7日、盧泰愚大統領が発表した「7・7宣言」も朝鮮半島の冷戦構造解体論だった。「韓国が、イデオロギーで敵対していたソ連、中国と国交を結ぶので、米国と日本も北朝鮮と国交を開いてほしい。その土台のうえに南北関係を安定的に発展させていきたい」というものだった。
当時、米日両政府の無関心と協調のなさから、これは入れられず、朝米、朝日の国交はなされなかった。しかし一方で、韓ソ、韓中の国交は達成された。こうして90年代初め、朝鮮半島の冷戦構造は半分だけが解体された。
1998年8月31日、北朝鮮は日本列島をまたぎ、太平洋に向けて中距離ミサイル(テポドン1号)を発射した。当時、米国のクリントン政権は金大中大統領の太陽政策を支持していたのだが、これによって対北政策の修正を求める世論が高まると、クリントン大統領はウィリアム・ペリー元国防長官を対北政策調整官に任命した。
■6カ国が合意した「ペリー・プロセス」ペリー調整官は韓国政府と協調しつつ、北の核・ミサイル問題の解決策を準備するため日本、中国、ロシア、北朝鮮を巡回訪問し各国と協議した。99年5月23日、ペリー氏が平壌を訪問した後に発表された「ペリー・プロセス」は、朝鮮半島をめぐって6カ国が同意した冷戦構造解体論だった。
ペリー・プロセスは、北の核・ミサイル問題について朝鮮半島に残る冷戦構造の産物であると見て、まず朝米の敵対関係から解消していこう、というのが骨子になっていた。
朝米、朝日の国交と南北関係の改善を通して朝鮮半島の冷戦構造を完全に解体してこそ、北朝鮮にとっても核・ミサイル開発の必要性がなくなると見たのである。しかし、それも2001年、米国がブッシュ政権となり、ペリー・プロセスは推進力を失ってしまった。
■「非核化」を入り口に据え、挫折このあと、ブッシュ政権の間違った対北核政策によって北の核・ミサイル問題は悪化し、朝米の敵対関係が強まった。韓国政府も冷戦構造解体へと流れをリードしていくことができなかった。
韓国の李明博―朴槿恵政権と米国のオバマ政権が重なった時期は「非核化」をまず、入り口に据える政策をとったことで、2008年から10年間、朝鮮半島の非核化をめぐる北京での6者協議も開かれなかった。
この期間、北の核能力は速いスピードで高度化し、結果として北朝鮮は6回の核実験を重ねた。2017年11月29日には1万3千キロを飛ぶICBMの発射実験にも成功した。
ブッシュ政権以来の間違った対北政策で初期段階の小さなうちに防げたものが今、とてつもなく大きくなってしまったわけである。そんななか、今年初めからトランプ米政権はもうこれ以上放置できないと判断し、朝米の国交を開いてでも北の非核化を実現しようと打って出ているのである。
■トランプ大統領を動かした文在寅大統領これは不幸中の幸いといえる。北朝鮮が非核化し、朝米が国交を結べば、朝日間の国交も不可避となるだろう。朝米と朝日の国交が開かれれば、朝鮮半島の冷戦構造は完全に解体されることになる。
ところで、今回の動きはトランプ大統領自らが進んで選んだものではなかった。文在寅大統領の役割が大きかった。文大統領は、去年7月に「ベルリン構想」を宣言した後、黙々とそれを一つずつ推進してきた。それがこうした結果に結びついたといえる。
トランプ大統領はこの間、北朝鮮に対する圧迫と制裁を声高に叫んできた。そんな中にあって文大統領は「ベルリン構想」で提案した通りに北の平昌五輪参加を実現させた。それを機会に南北対話を復元し、南北間の特使交換とシャトル外交を通じて金正恩委員長とトランプ大統領を結びつけたのだった。
■破格の米朝合意
米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長は6月12日、シンガポールのカペラホテルで会った。過去70年にわたって敵対し、核問題で4半世紀の間「悪魔」視してきた北朝鮮の首脳と、米国首脳が初めて会ったのだ。その対面は、北朝鮮の国旗と星条旗が交互に並ぶ壁の前で握手を交わすという破格のシーンから始まった。
破格さは形式だけではなかった。首脳会談の結果として出てきた「6・12共同声明」はその内容において、もっと驚くべきことがあった。朝米が新しい関係を樹立し、朝鮮半島の平和体制をつるくためにいっしょに努力するとし、北朝鮮は完全な非核化を約束したのである。
北の核と関連したこの間の朝米間の合意は、北がまず非核化をすれば、米国はそれに国交樹立で応じ、経済支援方式で補償してやるという構図だった。
それが、今回の共同声明は違っていた。第1項で、新しい関係の樹立、つまり朝米国交をうたい、第2項に平和体制の構築を盛り込んだ。北の非核化は第3項だった。過去25年にわたる北の核問題の解決手順とは完全に異なるパラダイムで両首脳は合意したのである。
■曲折を経つつも前進
朝米首脳会談後、7月6、7日に実現したポンペオ国務長官と金英哲党副委員長の協議は双方の当事者間で評価に多少の食い違いがあった。しかし「6・12共同声明」の実行を準備する実務協議をこんごも続けていくことにしたことの意味は大きい。
北朝鮮は東倉里のミサイル発射実験台も解体中であり、朝鮮戦争で行方不明になった米兵の遺骨返還も始まった。したがって今は多少の曲折を経つつ軋んではいるが、朝米首脳の共同声明は結局は実行されていくことになるだろう。
いま、米国は北に対して非核化の日程表をまず提出するよう求めている。これに対し、北は朝米国交と朝鮮半島平和づくりへの入り口といえる終戦宣言からやろうと主張している。互いに相手方が先に動くことを求め、綱引きをしているわけだ。しかしこの間の朝米交渉の先例に照らすと、このようないざこざは大きく見て交渉戦略の一環といえるだろう。
■後に引けない金正恩委員長
巷間、金正恩委員長の誠意を疑い、朝米合意実行の可能性は低いとの見方もある。しかし、こんどの朝米首脳会談の合意が実行されなければ、金正恩委員長は国内政治的に困難な局面に陥ると考えられる。
というのも、その場合、金正恩委員長が2016年5月の朝鮮労働党第7回大会で住民に約束した「国家経済発展5カ年戦略」は一歩も前へ進めなくなってしまうからだ。
言い換えると、金正恩委員長は住民と交わした経済発展の約束を守るためにも朝米合意を実行しなければならない。つまりは、この間苦労して開発してきた核を放棄してでも朝米の国交を実現し、それを土台に海外からの投資も誘致しようと決心したということだ。
こうした点で朝米首脳会談合意の実行は国内政治の上から、トランプ大統領よりも金正恩委員長の方がもっと切実に望んでいると見るべきだ。それが実行されるかどうかは、北朝鮮ではなく、むしろ米国の国内事情如何にかかっているといえるのである。
■新秩序へ、周辺国のうごめき
ともあれ、トランプ大統領と金正恩委員長のビッグディールで非核化と朝米国交が実現すれば、北朝鮮に対する敵対を前提としてきた朝鮮半島の冷戦構造は解体されるほかない。その場合、北東アジアの国際秩序も再編されるしかない。実際、そこへ向けての周辺国の動きはあわただしい。
金正恩委員長は朝米首脳会談を前に2度にわたって中国の習近平主席と会った。さらにその後6月19、20日にも3度目の訪中をした。これはこんご展開される北東アジアの国際秩序再編の過程で中国がメーン・アクターになろうとしていることと無関係ではないだろう。
ロシアのプーチン大統領も金正恩委員長に9月の首脳会談を要請した。これもまた、北東アジアの国際秩序再編の過程にあって自らの持ち分を確保しようとする動きと見るべきだ。日本の安倍首相も北朝鮮との接触の機会をつくろうと心を砕いているようだ。拉致問題をインセンティブにしようとしているようだが、まだ成果は得られていない。
■変わる北東アジアの政治力学
朝鮮半島の冷戦構造解体は北東アジアの国際政治力学を大きく変えていくだろう。冷戦時代以来、最も厳しく敵対してきた朝米が国交まで開くとなると、朝日、朝中の関係も変わらざるを得ない。韓中、韓ロの関係も今とは違ったものになるだろう。そうした中でわれわれは北の核・ミサイル問題がもたらす戦争の恐怖から逃れ、平和のうちに暮らせるようになるだろう。
朝米が非核化と国交をビッグディールすることで原則合意した。早晩、朝鮮戦争の終戦が公式に宣言され、朝米間の不可侵協定や朝鮮半島における平和協定の締結へ向けた話し合いも始まるだろう。韓米間では、変化した北東アジアの国際秩序にマッチするよう、韓米同盟の位相と役割を調整すべきだろう。
在韓米軍は2つの帽子をかぶってきたが、まずは国連軍司令部の帽子は脱がなければならないだろう。しかし、そのような調整は在韓米軍の撤収を意味するものではない。南北間では軍備管理や軍縮の話し合いも行われることになるだろう。
■韓国社会にも大きな変化
朝鮮半島の冷戦構造解体は、韓国内の政治・社会にも大きな変化をもたらすだろう。朝鮮半島の冷戦と南北対決の構造のなかでつくられた分断体制は過去70年間、北に対する敵愾心を滋養分として巨木に成長した。朝鮮半島の冷戦構造が残っていたことでそれは可能となった。
そんなところへ、分断体制と表裏一体の関係にあった冷戦構造が完全に解体されれば、分断体制もこれ以上、維持し難くなるだろう。
冷戦構造の解体が始まれば、北への敵対を前提に構築されてきた各種社会文化秩序や法体系までも影響を受けることになるだろう。朝米がもう敵対せず、国交までを結ぶというのに、南北が敵対し続けるのは難しいのではないか。
南北間で連絡事務所を設置しあうことも可能となり、南北は一つの経済共同体として関係が深まっていくだろう。1989年以降、韓国政府が追求してきた「南北連合」段階に入れば、海外同胞社会でも「親北」か「反北」か、といった対立は無意味となるだろう。
冷戦時代、北にかこつけた公安統治が行われ、北の軍事脅威を理由に安保至上主義が国内政治を支配した。いま、冷戦構造の解体と分断体制の瓦解が進めば、冷戦と分断を前提につくり上げられた政治の論理と既得権をそのまま維持していくのは難しくなるだろう。
■逆らえない歴史の流れ
南北首脳会談と朝米首脳会談が行われたことで、北東アジアに国際秩序再編の新しい流れがすぐに始まるだろう。いまやもう、その滔々たる歴史の流れを逆流させたり、それに逆らったりすることはできないだろう。
19世紀の中盤から後半にかけて西洋の文化が東洋に押し寄せたとき、日本はその流れに乗ったために自分の運命を自分で決定でき、結果としてアジアの強者になることができたといえる。
一方で、朝鮮はそれが新しい流れであることも分からず、旧秩序にすがっていて自らの運命を自分で決められず、遅れてしまったあとで右往左往した。結果、朝鮮は日本の植民地になってしまった。
歴史に学ぶべきだと簡単に言うが、こんどこそ、われわれは過去の前轍を踏んではならない。政府はもちろん、世論指導層を含む国民皆が、南北首脳会談と朝米首脳会談がもたらす朝鮮半島の冷戦構造解体と国際秩序の再編、そして分断体制瓦解の過程で起こることへの対策をあらかじめ準備しておかなければならない。