2018年4月9日月曜日

統一急がず、まず平和/激動兆す朝鮮半島

■朝鮮半島平和プロセス 
文在寅大統領が朝鮮半島平和構想「ベルリン宣言」(201776日)を発する1週間前、ワシントンで米韓首脳会談があった。
ベルリンで演説する文在寅大統領=青瓦台HPより
 
ここで文大統領は「北朝鮮に対する制裁は外交的手段であって、平和的に朝鮮半島の非核化を実現する」「当面する危機を打開するうえからも南北関係の改善が重要」という点で米韓が一致したとし、こう主張した。

<中断していた朝鮮半島平和プロセスを再開する基本条件が整ったのです>
 
「朝鮮半島平和プロセス」とは、米国、日本など周辺国と協力しながら包括的なアプローチで朝鮮半島に残る冷戦構造をなくし、平和を定着させようという構想だ。1990年代末、金大中政権で着手し、続く盧武鉉政権にかけて推進された。朝鮮半島の非核化はもとより米朝、日朝の国交正常化プランもそこには組み込まれていた。
 
ベルリン宣言は、そんな平和プロセスの再開に向けて、具体的な「政策方向」も指し示していた。
 
2つの首脳宣言文に立ち返る
まず、平和の定着。「我々が求めるのはひたすら平和である」とし、「核と戦争の脅威がなく、南北が互いに認め合い、共に良く暮らしていける道を我々は知っている」として、こう述べた。
 
<「615共同宣言」と「104首脳宣言」に立ち返ることです。
南と北は、この2つの宣言で南北問題の主人は我が民族であることを明らかにし、朝鮮半島の緊張緩和と平和の保障へ緊密に協力することを約束しました>
 
615共同宣言」は2000年の第1回首脳会談(金大中―金正日会談)、「104首脳宣言」は07年の第2回首脳会談(盧武鉉―金正日会談)でそれぞれ発せられた宣言である。文在寅大統領は、そこに立ち返ろうというのである。
 
■「わが民族同士」で「自主的に」
朝鮮半島分断下、南北首脳会談の最大のテーマは当然のことながら、国の統一問題になる。過去2回の首脳会談で出された宣言はまず、この問題を真っ先に取り上げていた。
 
◇「615共同宣言」
一、南と北は、国の統一問題をその主人であるわが民族同士、お互いに力を合わせ自主的に解決していくことにした。

二、南と北は、国の統一のための南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案が互いに共通性があると認め、こんごこの方向から統一を指向していくことにした。
 
◇「104首脳宣言」
一、南と北は615共同宣言を固守し、積極的に具現していく。
南と北は、「わが民族同士」の精神にしたがって統一問題を自主的に解決し、民族の尊厳と利益を重視し、すべてをこれに指向させていくことにした。…
 
これは何を意味するのか。
 
統一問題を「わが民族同士」で「自主的に解決」するとしたのは、それが自らの問題であることを考えると、当然だろう。そのうえで、双方、それぞれの統一案をすり合わせているのである。
 
■連合制と連邦制
韓国の統一案は「民族共同体統一案」といわれる。民主化後の1989年、盧泰愚政権で示され、続く金泳三政権で一部修正が加えられて今の統一案となった。三段階で統一を目指す、としている。
 
1段階は、南北が互いの体制を認め合い、共存共栄へ交流協力を進める。第2段階は南北連合(2体制、2政府)。ここで南北の経済・社会共同体を成熟させ、事実上の統一状況をつくり出す。第3段階では、南北で総選挙をおこない、「1体制、1国家」を実現する、としている。
 
念頭にあるのは欧州の統合。欧州ではECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)→EEC(欧州経済共同体)→EC(欧州共同体)をへて現在のEU(欧州連合)に至り、将来の理念として政治統合を描いている。それを手本に当面、南北共存で共同体→連合に進もうというのである。
 
対する北朝鮮は連邦制の統一案。南北を地域政府としてそれぞれの思想と体制をそのまま残し、中央に連邦政府を置こうという「1国家、2制度」の統一案だ。1980年に打ち出したあと91年、「暫定的に地域政府により多くの権限を付与できる」(金日成主席の「新年の辞」)と柔軟性をみせた。
 
首脳会談で双方、統一案をすり合わせた結果、統一を急がないことを確認しあったわけである。
 
■「統一は民族共同体回復の過程」
実際、第1回の首脳会談では、両首脳間で次のようなやりとりがあった。金大中大統領の最側近としてこの首脳会談に立ち会った林東源・元統一相は回顧録でこう書いている。
 
金正日委員長 金大中大統領は、完全統一には1020年かかると言っているそうですが、わたしは完全統一にはこの先40年とか、50年がかかると思っています。そしてわたしが言いたいのは、連邦制でいきなり統一しようというのではありません。それは冷戦時代にしていた話です。わたしの言う「低い段階の連邦制」というのは南側の主張する「連合制」のように、軍事権と外交権を南と北の2つの政府がそれぞれ持ち、漸進的に統一を進めようという概念です。

 金大中大統領 統一案はこの場で合意できる性質のものではありません。わたしたちが主張する「南北連合制」と、北側の「低い段階の連邦制」について、こんご引き続き論議することで合意すれば、いいでしょう。      
          (南北首脳会談への道 林東源回顧録』波佐場清訳、岩波書店)

文在寅大統領はベルリン宣言の中で、次のようにも述べていた。

<我々は北の崩壊を望まず、どのような形の吸収統一も推進しません。人為的な統一を追求することもないでしょう。

統一は双方、共存共栄しながら民族共同体を回復していく過程です。統一は平和が定着すれば、いつかは南北間の合意によって自然と成されていくのです>
 
ここで示された「統一は民族共同体を回復していく過程だ」とする考えは、「法的な統一」に先立ってまず、「事実上の統一状況」をつくっていこうとした金大中政権から盧武鉉政権にかけての統一政策と軌を一にしている。
 
■地殻変動の予感
過去2度の南北首脳会談で出された2つの宣言文は、統一問題のほかにも南北間の交流・協力など多様な問題に触れている。とくに「104首脳宣言」は、南北間で軍事的敵対関係を終わらせて緊張緩和をはかる問題や休戦体制を平和体制に移行させる問題につても具体的に書き込んでいる。
 
文大統領がそこに立ち返るとした2つの宣言文は、北朝鮮にとっても格別な重みを持つ。北朝鮮の体制にあって絶対的な存在である最高首脳自らがサインした文書だからだ。実際、北朝鮮は「615共同宣言」を「統一大綱」、「104首脳宣言」をその「実践綱領」と位置付け、この間、李明博、朴槿恵政権と続いた韓国の保守政権に対しても、しばしばその実行を迫っていた。
 
2つの宣言文重視の姿勢は、南北間でいま、一致しているといっていい。427日の南北首脳会談で文在寅大統領と金正恩委員長がそれを共通の羅針盤として確認し合ったとしてもおかしくはない。その後に続く米朝首脳会談の行方や中国の出方にもよるが、朝鮮半島の当事者である南北が実際に動き出せば、冷戦構造がこびりつく北東アジアに大きな地殻変動を呼び込むことになるだろう。(波佐場 清)


2018年4月6日金曜日

文在寅大統領に強い当事者意識/激動兆す朝鮮半島


朝鮮半島情勢が大きく動き始めた。金正恩朝鮮労働党委員長が電撃訪中し326日、習近平国家主席と会談。427日には軍事境界線の板門店で韓国の文在寅大統領と金正恩委員長の南北首脳会談が予定されている。5月中には史上初の米朝首脳会談も開かれる見通しだ。

年明け、平昌冬季五輪へ向けて北から南へ対話を呼びかけたのが直接のきっかけだったが、1年前、韓国に登場した進歩派文在寅政権の対北政策を抜きに今の状況は語れない。これまでのところ、文大統領がこの流れを主導してきているといっていい。

実際、朝鮮半島問題解決の最大のカギを握る米朝の首脳会談を仲介したのも文大統領だ。文大統領には朝鮮半島の当事者として非核化や平和づくりの問題をリードしていこうという強い意気込みが感じられる。文在寅大統領は何を考え、朝鮮半島情勢は、どう動いていこうとしているのか。(波佐場 清)

■「ベルリン宣言」
文在寅大統領の対北朝鮮政策の骨格は、就任2カ月後の201776日、ドイツ・ベルリンのケルバー財団主催の演説で「朝鮮半島平和構想」として示された。ハンブルクで開かれたG20首脳会合に合わせてドイツを公式訪問した際のことで、「ベルリン宣言」とも呼ばれている。

昨年7月6日、ベルリンの演説会場で=青瓦台HPより 
なぜ、ベルリンだったのか。文大統領は演説の中で、ドイツが冷戦と分断を克服して国の統一を成し遂げ、いま、欧州統合と国際平和を先導している点を指摘したうえで、次のように語った。

<ここベルリンは今から17年前、韓国の金大中大統領が南北和解・協力の枠組みを準備した「ベルリン宣言」を発表した場所です。

ここアルテス・シュタットハウス(元東ドイツ総理官邸)はドイツ統一条約が協議された歴史的な現場です。

私は本日、ベルリンの教訓が生きているこの場で大韓民国新政府の朝鮮半島平和構想を語ろうと思います>

文大統領がここで言及した金大中大統領の「ベルリン宣言」とは200039日、金大中大統領がベルリン自由大学でおこなった「朝鮮半島の冷戦終結と恒久平和、南北和解と協力のためのベルリン宣言」のことだ。

金大中大統領はここで、北朝鮮に対しては民間の経済協力だけでは限界があるとし、「北朝鮮当局の要請があれば、政府レベルの支援を積極的に検討する」と表明。並行して水面下の南北間交渉を進め、この年6月、分断後初の南北首脳会談開催にこぎつけたのだった。

ちなみに、この時の南北交渉には、いま文在寅政権で国家情報院長に抜擢されて対北交渉にあたる徐薫氏も深くかかわっていたのだった。

■「韓国主導で大胆に」
ベルリンの演説で文大統領は、こう続けた。

<朝鮮半島の平和と統一を願うわが国民にとってベルリンは金大中大統領の「ベルリン宣言」とともに記憶されています。

金大中大統領のベルリン宣言は2000年の第1回南北首脳会談につながり、分断と戦争のあと60余年間にわたって対立してきた南北が和解と協力の道に踏み出す大転換をもたらしました。

その後を継いだ盧武鉉大統領は2007年の第2回南北首脳会談で南北関係の発展と平和・繁栄への里程標を打ち立てました>

そのうえで、次のように決意を語った。

<私は先行したこの2政権の努力を引き継ぐとともに、韓国のより主導的な役割を通して朝鮮半島に平和体制を構築する大胆な旅程を始めようと思います>

金大中政権と盧武鉉政権の対北政策は、一般に「太陽政策」と呼ばれてきた。文大統領はそれを引き継ぐとともに「韓国の主導的な役割」をいっそう強め、「大胆」に取り組んでいくとしたのである。
昨年8月18日、故金大中大統領の追悼式で=青瓦台HPより
文在寅氏は選挙中から「太陽政策の継承と発展」を公約として掲げていたが、ここで改めてそれを宣言したのである。

■「自国の運命は自らの力で」
「韓国主導」は、文在寅大統領が繰り返し発してきたメッセージだ。朝鮮半島の当事者として、積極的に自らの役割を果たそうというのである。ベルリン演説の1カ月余あと、昨年815日の光復節演説では次のように訴えた。
 
 <(南北)分断は、私たちが自ら国の運命を決めるだけの国力がなかった植民地時代がのこした不幸な遺産です。冷戦の中にあってそれを清算できなかった。しかし今、私たちは自ら自国の運命を決めることができるほどに国力が大きくなりました。朝鮮半島の平和も分断克服も、私たちの力で成していかなければなりません>
 
同年111日、国会での施政演説でも次のように説いた。

<わが民族の運命は私たち自らが決めていかなければなりません。植民地支配や南北分断のように私たちの意思とは無関係なところで私たちの運命が決められた不幸な歴史を繰り返してはなりません>

ベルリン演説の少し前、630日にワシントンで開かれた米韓首脳会談では、トランプ大統領から「朝鮮半島の平和統一環境をつくるにおいて韓国が主導的な役割を果たす」(米韓共同声明)との約束を取り付け、同日夕のワシントンでの演説で、文大統領は次のように胸を張った。

<韓国は朝鮮半島問題の直接の当事者として、より主導的な役割を担っていきます>
<韓国が米国との緊密な協力のもとに南北関係を改善していけば、その過程で米国を含む国際社会も北朝鮮との関係を改善できます>

■前回の首脳会談に「悔い」
427日に予定される板門店での南北首脳会談は、いずれも平壌で開かれた20006月の金大中―金正日会談、0710月の盧武鉉―金正日会談に次いで3度目の南北首脳会談になる。文在寅氏は第2回会談の際、盧武鉉大統領の最側近、大統領秘書室長として盧武鉉大統領をサポートした。その時のことについて文在寅氏は20116月に出した回顧録『運命』の中で次のように書いている。
 
 <平壌について行って会談を見守りたい気持ちは山々だった。しかし、首脳会談準備委員長として両首脳が話し合う議題と共同声明、合意文に盛り込む事項を統括的に準備しなければならなかった。
 
大統領が北に行っている間、青瓦台を守り、非常待機しなければならないのでどうしようもなかった。万一の突発状況に対処できるよう万端の準備をしていなければならなかった。緊張とときめきが交差するなかで北から情報がくるのを神経を研ぎ澄ませて待った>

<何時間か後に最終合意が出た。各分野で我々が推進しようとしていたテーマの大部分が合意文に盛り込まれていた。どこかで独りっきりになり万歳三唱でもしたい気持ちだった。感激でいっぱいだった。我々が欲張った内容がほとんど入っていた。ただ一つ、漏れていたとすれば、首脳会談の定例化だった>

 2007104日の南北首脳の共同宣言「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」はこうしてできたのだった。しかし、この宣言は実行されないまま今日に至っている。盧武鉉大統領の任期は宣言4カ月後の20082月に切れ、それを前に0712月におこなわれた大統領選では保守の李明博氏が当選したのだった。
 
李明博政権で対北政策は大きく転換、南北関係は断絶状態となっていった。続く、やはり保守の朴槿恵政権で対立と断絶はさらに深まり、一触即発の様相さえみせた。核問題もますます深刻化していった。文在寅氏は回顧録で振り返る。

<過ぎてみると、やはり惜しいのは南北首脳会談がもう少し早く開かれるべきだったということだ。そうすることもできた。6者協議の共同声明(「919声明」)が出て首脳会談の雰囲気が熟した時点で持ち上がった米財務省の「バンコ・デルタ・アジア(BDA)」凍結措置(金融制裁)が南北首脳会談まで凍結させてしまった。

おかげで1年間が空白となった。その空白なしに首脳会談が開かれていたら、南北関係はもっと進んでいたはずだ。もっと惜しかったのは国会批准だ。首脳会談はうまくいったが、任期が多く残っていない状況だった。

次期政権に移行する前に会談の成果を強固にしておく必要があった。南北首脳間の合意は法的にいえば、国家間の条約の性格を持つ。「104共同宣言」は国家や国民に重大な財政的負担を負わせる条約に該当した。それで私は首脳会談合意について国会で批准同意を受けておくのがいいと強調した>

■「10・4共同宣言」の復活狙う?
しかし、文在寅氏の主張は通らないまま、盧武鉉政権の任期は尽きた。続く保守政権下で共同宣言は店晒しとなったのだった。

その時から10年。いま文在寅氏は大統領となり、5年任期の最初の1年という段階で、北の首脳、金正恩委員長と直接向き合うことになった。

いま、2007年とは状況が大きく違う。この間、北朝鮮は核実験と弾道ミサイル発射を繰り返し、非核化のハードルは比べようもなく高くなっている。

しかし、任期中の時間は十分にある。文大統領はまず、非核化問題のクリアに注力し、その先に「104宣言」を甦らせようとしているのは間違いない。

 太陽政策
金大中政権(1998年~2003年)の対北政策の通称。「関与政策」「包容政策」「和解協力政策」とも呼ばれ、次の3つの原則をうたっていた。

 どのような武力挑発も認めない

 我々には、北を害したり吸収したりする考えはない
 南北間の和解と協力を進めていく

金大中政権下、統一相や国家情報院長として「太陽政策」を推進した林東源氏は次のように説明していた。

旅人の外套を脱がせたのは北風でなく太陽だった――。そんなイソップの寓話にちなみ、北がかたくなに閉じこもっている独特の体制の殻を、和解と交流を進めることによって脱がせ、変化を促していこうというものだ。

金大中政権の対北政策は、続く盧武鉉政権に引き継がれて「平和繁栄政策」として推進され、文在寅氏はそれを支えた。

文在寅大統領は昨年615日、「南北首脳会談17周年記念式典」での演説で「金大中政権の和解協力政策と盧武鉉政権の平和繁栄政策を今日に合うように継承・発展させていこう」と訴えた。