9月29日の衆院解散表明で、安倍晋三首相はこう述べた。
遊説でも「圧力」を強調しているようだ。
しかし、それでいいのか。圧力を最大限に高めた、その先に何があるというのか。北朝鮮はそれで「降参」し、核を放棄するというのか。戦争にならないという保証はあるのか。何よりも首相自身、この間どれほど「対話の努力」をしてきたというのか。
■国連総会でも「圧力」強調
安倍首相は9月20日、国連総会一般討論演説でも同じように「対話より圧力を」と訴えた。国連総会で演説する安倍首相=官邸HPより |
次のような内容だった。
(官邸HP http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0920enzetsu.html)
「国際社会は北朝鮮に対し、1994年からの十有余年、最初は(米朝)枠組み合意、次には六者会合(6者協議)によりながら、辛抱強く、対話の努力を続けた。しかし我々が思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は核、ミサイルの開発をあきらめるつもりなど、まるで持ち合わせていなかったということだ。対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」
結果、核兵器がなく、弾道ミサイル技術も成熟に程遠かった北朝鮮がいまや水爆とICBMを手に入れようとしているとし、次のように断じた。
「対話による問題解決の試みは一再ならず、無に帰した。なんの成算あって我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのか」
■信頼欠いた「約束」
確かに、北朝鮮は国際社会の目を逃れて核開発を進めてきた。対話を「時間稼ぎ」に利用した面もなかったとはいえない。しかし、一方で日米韓などによる対話努力が十分尽くされたとは言えないのも事実だ。
安倍首相が国連演説で挙げた2つの対話例のうち、まず1994年の「枠組み合意」を見たい。
これは、北朝鮮が黒鉛減速炉や関連施設を凍結する代わりに米国が軽水炉建設の支援や代替エネルギーの提供を行うなどとしたもので、安倍首相はこう指摘した。
「日米韓は(枠組み合意の)翌年3月、KEDOをこしらえる。これを実施主体として北朝鮮に軽水炉2基をつくって渡し、エネルギー需要のつなぎに年間50万トンの重油を与える約束をした。これは順次、実行されたが、時を経るうち、北朝鮮はウラン濃縮を着々と続けていたことが分かった」
この期間、北朝鮮は「ウラン濃縮を着々と続けていた」と断定できるのか。実際のところ、米国は2002年10月、北朝鮮側が訪朝した米高官に「高濃縮ウラン施設建設」などを認めたと発表したが、確証は示されなかった。その後、北朝鮮は09年9月になって国連大使が「ウラン濃縮実験成功」を表明。確認できたのは翌2010年、現地を訪れたヘッカー米スタンフォード大学教授らによってであった。
ともあれ、北朝鮮側だけが合意に背いた、とする見方は一面的に過ぎる。北朝鮮への軽水炉提供は2003年までの完成を約束しながら工事は大幅に遅れていたのである。
合意ができたのは金日成主席死去のすぐあと。当時、日米韓では北朝鮮の崩壊論がまことしやかに語られていた。米政府も「そのうちに崩壊する」と見込み、初めから本気で取り組んでいなかったとの証言が関係者から出ている。米朝間に信頼関係が築けていなかったのである。
■「行動対行動」
次に、2003年に始まり、05年9月に共同声明を出した「6者協議」。安倍首相はこれについて、こう説明した。
「(共同声明で)北朝鮮はすべての核兵器、既存の核計画を放棄することと、NPT、IAEAの保障措置に復帰することを約束した。さらに2007年2月、共同声明の実施に向け、6者がそれぞれ何をすべきかに関し、合意がまとまる。北朝鮮に入ったIAEAの査察団は、寧辺にあった核関連施設の閉鎖を確認、見返りとして北朝鮮は重油を受け取るに至った」
それなのに、そんな6者協議のかたわらで北朝鮮は2005年2月、核保有を宣言し、翌06年10月、第1回の核実験を公然と実施した、と安倍首相は言う。
しかし、これもやはり一面的と言わざるを得ない。6者協議の共同声明はなにも北朝鮮に対してだけ核の放棄などを求めていたわけではなかった。そこには例えば、次のような内容も盛り込まれていた。
▽米国は北朝鮮に対して核兵器または通常兵器による攻撃または侵略を行う意図を有しないことを確認した。
▽北朝鮮と米国は相互の主権尊重、平和的共存およびそれぞれの政策に従って国交を正常化するための措置をとる。▽北朝鮮と日本は平壌宣言に従って、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として国交正常化のための措置をとる。
そして、6者はこれらを「約束対約束、行動対行動」の原則に従って段階的に実施していくために調整された措置をとることで合意したとしていたのである。
(外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/ks_050919.html)
■「国交正常化のための措置」も約束
つまり、これを北朝鮮側から見るとき、もう一つ別の風景が見えてくる。北朝鮮だけが一方的に核を放棄するのではなく、「行動対行動」、つまり、たとえば休戦状態で向き合う米国との間で平和共存が担保され、国交正常化のための措置がとられる▽日本との間でも国交正常化のための措置がとられる――といった条件のもとで初めて北朝鮮は核を放棄できる、ということになるのである。
北朝鮮は日米などの「行動」に疑念と不信を抱いたまま核開発を進めていったのである。
実際、米国や日本にどこまでこの約束を履行する準備と覚悟ができていたのか。この点、安倍首相が国連演説で触れた2007年2月の「共同声明実施に向けた初期段階の措置」(外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/6kaigo5_3ks.html)に伴う北朝鮮への重油提供についてみても対応が十分だったとはいえない。
この問題について当時、日本は「日本人拉致問題に前進がなければエネルギー供与に参加できない」という立場をとり、他の参加国から浮き上がるかたちになってしまう局面があったのも事実である。
■「脅し」/「無視」
安倍首相の国連演説からは、国際社会はこの間一貫して北朝鮮への対話努力を続けてきたかのような印象も受けるが、決してそうではなかった。
とくにブッシュ(子)政権時代の初期、米国はイラク、イランと並べて北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しするなかで2003年、イラク戦争を強行。「次は…」とおびえる北朝鮮は「自衛のための核兵器開発」を公言し、核実験に突き進んでいったのである。
続くオバマ政権も「戦略的忍耐」の名のもとにその実、北朝鮮を無視するかたちで核放棄を迫ったが、逆に、核・ミサイル開発を急がせる結果に終わってしまったのだった。
■安保理決議は「6者協議支持」
さて、いま日本は解散総選挙。自民党は10月2日、選挙公約を発表したが、そこでも「北朝鮮に対する国際社会による圧力強化の主導」をうたい上げた。安倍演説といい、自民の選挙公約といい、その「圧力強化」主張は勇ましいが、これは国際社会でも突出している。
安倍首相の国連演説は「すべての加盟国による一連の安保理決議の厳格かつ全面的な履行」を訴えたが、その実、安保理決議自体、決して圧力一辺倒というわけではない。
たとえば、その6回目の核実験を受けた9月11日の決議。ここでは石油輸出に上限を設けるなど厳しい制裁内容を盛り込む一方で6者協議への支持を再確認し、「2005年9月の共同声明で表明された公約への支持を改めて表明する」(安保理決議2375―28.)としていたのである。
「米国と同盟国を守らなければならないとき、北朝鮮を完全に破壊するほか選択肢はない」(トランプ大統領)、「(トランプ大統領が)最悪の宣戦布告をした以上、それに相応する史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」(金正恩委員長)。この両国トップの応酬が端的に物語るように、米朝対立は極限に達している。
そんなところへ安倍首相は「さらなる圧力を」と叫び、「国難突破解散」だとあおっているのである。
■対話による平和的解決を
「革命的首領観」。そんな独特、異形の体制の殻にこもる北朝鮮を相手にするのは容易ではない。「圧力の強化」だけで核を手放すとは考えにくい。それは「国体護持」をすべてに優先させた戦前日本の体験に照らしても分かろうというものだ。実際この間、北朝鮮は圧力が強まるほどに反発を強め、核への執着を強めてきたのである。
安倍首相の、対話の努力はすべて尽くしたかのような言いぶりが一面的なものであることは見たとおりである。第一、安倍首相自身、北朝鮮の核問題解決へどれほどの対話努力をしてきたというのか。ただ米国に追従してきただけではなかったのか。
これは遠い世界のことではない。まさに日本の平和と安全に直接かかわる問題である。国民を本心から守ろうというなら、ただ危機をあおるのではなく、いまこそ対話による平和解決に外交努力を集中させなければならない。Jアラートを鳴らし、子らに避難訓練を強いることで目先をくらませてはならない。
この局面を選挙に利用しようとすることなど、もってのほかだ。