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■「キャンドル革命」は建国理念の実践
尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、キャンドル革命で国民主権の時代が開かれて初めて迎える光復節です。今日、この日にはとりわけ意義深いものがあります。
写真はいずれも青瓦台HPより |
国民主権――これはいま、この時代を生きる私たちが初めて用いる言葉ではありません。100年前の1917年7月、独立運動家14人が上海で発表した「大同団結宣言」は、独立運動の理念として国民主権を闡明しました。
そこでは「庚戌国恥」[訳注:韓国併合条約が結ばれた1910年8月29日のことを指す]は国権を喪失した日ではなく、むしろ、国民主権が生じた日であると宣言し、国民主権に立脚した臨時政府の樹立を提唱していました。そして1919年3月、理念、階級、地域を超越して展開された全民族的な抗日独立運動(「3・1運動」)を経て、この宣言は大韓民国臨時政府樹立の基盤になっていったのでした。
国民主権は臨時政府の樹立を経て大韓民国建国の理念となり、私たちは今日、その精神を受け継いでいます。国民が主人となる国を建てようという、そんな先代らの念願は100年の歳月を継いで、ついにキャンドルを持った国民の実践となったのです。
光復は与えられたものではありませんでした。名前の3文字を含めすべてを奪われても、独立の熱望を守りきった3千万民族が取り返したものなのです。民族の自主独立に生命を捧げた先烈は言うまでもありません。独立運動で出ていく息子のために服を繕った母も、日帝の目を盗んで夜学で母国語を教えた先生も、私たちの伝統にしたがって小遣い銭を出して支援した人たちも、みんな光復の主人公です。
光復は抗日義兵から光復軍まで愛国烈士たちの犠牲と献身が流した血の対価でした。そこには職業も性別も年齢もありませんでした。義烈団員であり、モンゴルの天然病を根絶した医師李泰俊先生、「間島惨変」を取材中に失踪した東亜日報記者張徳俊先生、武装独立団体「西路軍政署」で活躍した独立軍の母である南慈賢女史、科学で民族の力を育てようとした科学者金容瓘先生、独立軍決死隊員だった映画監督の羅雲奎先生――私たちにはあまりにも多くの独立運動家たちがいました。
独立運動の舞台も朝鮮半島だけではありませんでした。1919年3月1日、沿海州や満州、米州、そしてアジアの各地で一斉に大韓独立の喊声が広がりました。
抗日独立運動のこのすべての輝かしいシーンの数々が昨冬、全国津々浦々で、そしてわが同胞たちのいる世界各所で、キャンドルによって甦りました。わが国民が高く掲げたキャンドルの炎は独立運動の継承です。
偉大な独立運動の精神は民主化と経済発展で甦り、今日の大韓民国をつくりました。その過程で犠牲になり、汗を流したすべての方々、その一人ひとりが今日のこの国を建国した貢献者たちです。
きょう、私は独立有功者と遺家族のみなさん、そしてそれぞれに抗日の暗黒の時代を生き抜いたすべての方々、また、キャンドルの新しい時代を開いてくださった国民のみなさんに、いまいちど深い敬意と感謝のことばを申し上げます。
■独立運動家は孫の代まで礼遇
併せて、私は今日、私たちが記念するこの日が、民族と国家が直面した困難と危機に立ち向かう勇気と知恵を反芻する日となるよう望みます。尊敬する独立有功者と遺家族のみなさん。
慶尚北道安東に臨清閣という由緒ある家屋があります。日本の植民地支配時期、全家産を処分し、満州に亡命して新興武官学校を建て武装独立運動の土台をつくった石洲・李相龍先生の本家です。実に、9人もの独立闘士を輩出した独立運動の産室であり、大韓民国のノブレス・オブリ―ジ(noblesse oblige)を象徴する空間です。
これに対する報復として日本はその家を貫くかたちで鉄道を敷設しました。99間もの大邸宅だった臨清閣はいまも半分に裂かれたままの姿を見せています。李相龍先生の孫たちは解放後、大韓民国で孤児院暮らしもしました。臨清閣のこの姿こそ、まさに私たちがかえりみなければならない大韓民国の現実です。日帝と親日の残滓をまともに清算できず、民族の精気を正しく打ち建てることができませんでした。
歴史を忘れれば、根本を見失います。独立運動家たちをもうこれ以上忘れられた英雄にしておいてはなりません。ただ名誉だけというレベルにとどめておいてはいけません。
独立運動をすれば3代が滅ぶといわれてきましたが、そういうことがあってはなりません。親日に加担した者と独立運動家の境遇が解放後も変わるところがなかった、という体験が不義を正当化する歪んだ価値観を生み出しました。
独立運動家に対する国家の姿勢を完全に改めます。最高の尊敬と礼儀で報います。独立運動家は3代にわたって礼遇し、子息と孫全員の生活安定を支援し、国家に献身すれば3代にわたってよく処遇されるという認識を定着させます。
独立運動の功績を子孫たちに記憶させるために臨時政府記念館を建立します。臨清閣のような、独立運動を記憶に残せる遺跡地はすべて探し出します。忘れられた独立運動家をすべて発掘し、海外の独立運動遺跡地を保存します。
これを機会に政府は大韓民国の功勲の枠組みを完全に改めたいと思います。大韓民国は、国名を守り、国を取り戻し、国の呼びかけに自ら進んで応じた方々の犠牲と献身の上に建っています。そうした犠牲と献身にきちんと応える国をつくります。
若き日を国に捧げ、いまはもう高齢になられた独立有功者と参戦有功者に対する礼遇を強化します。生きておられる間、独立有功者と参戦有功者の治療は国家で責任を負います。参戦名誉手当も引き上げます。
有功者のお年寄りの最後の一人に至るまで、大韓民国の胸が温かく栄光あるものだったと思えるようにします。殉職した軍人、警察官、消防公務員の遺家族に対する支援も拡大します。それが私たちみんなの自負心になるものと信じます。
功勲によって大韓民国のアイデンティティを明確に確立します。愛国の出発点が功勲となるようにします。
■南北共同で強制動員の被害調査
尊敬する国民のみなさん、過去の歴史において国家が国民を守ってやれず国民が甘受しなければならなかった苦痛にも向き合わなければなりません。
光復70年が過ぎるまで日本の植民地期の強制動員の苦痛が続いています。この間、強制動員の実情が部分的に明らかになったものの、被害規模がすべて分かったということではありません。明らかになった部分はそれとして解決し、不十分なところは政府と民間が協力して、すべて解決しなければなりません。こんご、南北関係が改善されれば、南北共同で強制動員の被害実態の調査をすることも検討します。
解放後も故国に帰られなかった同胞が多くいます。在日同胞の場合、国籍を問わず人道主義の次元で故郷訪問を正常化します。いまなお、シベリアやサハリンなどあちこちに強制移住と動員の傷跡が残っています。そうした方々とも同胞の情をいっしょに分け合います。
尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、
今日、光復節を迎え、朝鮮半島をめぐる軍事的緊張の高まりが私たちの心を重くしています。
分断は、冷戦という時代状況のなかで生じたものですが、私たちの力で自らの運命を決めことができなかった植民地時代がのこした不幸な遺産でもあります。しかし今、私たちは私たちの運命を自ら決めることができるほどに国力が大きくなりました。朝鮮半島の平和も分断の克服も私たちが成していかなければなりません。
今日、朝鮮半島の時代的召命は言うまでもなく平和です。朝鮮半島の平和定着を通した分断克服こそが光復を真に完成する道です。
平和はまた、当面の私たちの生存戦略です。安保も経済も、成長も繁栄も、平和なしには未来を担保できません。平和は私たちだけの問題ではありません。朝鮮半島に平和がなければ、東北アジアに平和はなく、東北アジアに平和がなければ、世界平和は台無しです。
いま世界は恐怖の中にあって明らかな真実を目撃しています。いま、私たちが進むべき道は明らかです。世界といっしょに朝鮮半島と東北アジアの恒久的平和体制の構築に向けて大長征を始めることです。
■朝鮮半島の問題は韓国主導で解決
いま、当面する最大の挑戦は北朝鮮の核とミサイルです。政府は現在の安保状況を非常に厳しいものと認識しています。政府は堅固な韓米同盟を基盤に米国と緊密に協力して安保危機を打開していきます。しかし、私たちの安保を同盟国に頼るだではいけません。朝鮮半島の問題は私たちが主導して解決しなければなりません。
政府の原則は確固としています。大韓民国の国益が最優先であり、正義です。朝鮮半島で再び戦争を起こしてはなりません。朝鮮半島における軍事行動は大韓民国だけが決定でき、だれも大韓民国の同意なしに軍事行動を決定できません。政府はすべてをかけ、戦争だけは防ぎます。どんな紆余曲折を経ようとも北の核問題は必ず平和的に解決しなければなりません。この点において韓国と米国政府の立場に違いはありません。
政府は国際社会において平和的解決の原則が揺るがないよう外交努力をいっそう強化していきます。国防力を背にした強固な平和に向けてわが軍をより強く、頼もしく革新して強い防衛力を構築していきます。一方で、南北間の軍事的緊張状況がいま以上に悪くならないよう軍事的対話のドアも開いておきます。
北朝鮮に対する制裁と対話はどちらが後先という問題ではありません。北の核問題の歴史は制裁と対話がいしょに進むとき、問題解決の端緒が開かれたことを示してくれています。
北朝鮮がミサイルの発射実験を猶予したり、核実験の中断を明らかにしたりした時期は例外なく、南北関係が良好な時期だったということを記憶しておかなければなりません。そのような時は米朝、日朝間の対話も進み、東北アジアの多者間外交も活発でした。私が機会のあるごとに朝鮮半島問題の主人は私たちであると言ってきた理由もここにあります。
北の核問題解決は核凍結から始められるべきです。少なくとも北がさらなる核とミサイルによる挑発をやめてこそ、対話の条件が整い得ます。北に対する強い制裁と圧迫の目的も北を対話に引き出すためのものであって、軍事的緊張を高めるためのものではありません。この点でも、韓国と米国政府の立場に違いはありません。
北朝鮮当局に促したいと思います。国際的な協力と共生なしに経済発展の達成は不可能です。このまま行けば、北朝鮮には国際的な孤立と暗い未来があるだけです。多くの住民の生存と朝鮮半島全体を苦境に陥れることになります。
私たちもやはり、望みはしないながらも北に対する制裁と圧迫をさらに強めていかざるを得ません。即刻、挑発をやめ、対話の場に出て核がなくても北が安保について心配せずに済む状況をつくるべきです。私たちが支援し、そのようにしていきます。米国と周辺諸国も助けることでしょう。
いま一度明らかにしておきます。私たちは北朝鮮の崩壊を望みません。吸収統一や人為的統一を追求したりもしないでしょう。統一は民族共同体のすべての構成員が合意する「平和的、民主的」なやり方でなされねばなりません。北が既存の南北合意の相互履行を約束するなら、私たちは政府がかわっても対北政策が変わらないよう国会の議決をへてその合意を制度化するでしょう。
■経済協力で南北共同の繁栄を
私はずっと前から「朝鮮半島の新経済地図」構想を明らかにしてきています。南北間の経済協力と東北アジアの経済協力は南北共同の繁栄をもたらし、軍事的対立を緩和するでしょう。経済協力の過程で北は核兵器を持たなくとも自身の安保が保障されるという事実に自然と気づくことでしょう。
易しいことから始めることをいま一度、北に提案します。離散家族問題のような人道的な協力を一日も早く再開すべきです。この方たちの恨(ハン)を解いてあげる時間はいくらも残っていません。離散家族の再会と故郷訪問、墓参りに早急に応じるよう求めます。
近づく平昌冬季五輪も南北が平和の道へ一歩進むことのできる良い機会です。平昌五輪を平和の五輪にしなければなりません。これを南北対話の機会とし、朝鮮半島平和の枠組みをつくらなければなりません。
東北アジア地域で連続して開かれる2018年の平昌冬季五輪、2020年の東京夏季五輪、2022年の北京冬季五輪は朝鮮半島とともに東北アジアの平和と経済協力を促進できる絶好の機会です。私は東北アジアの全指導者に、このチャンスを生かすために頭を突き合わせることを提案します。
とくに韓国と中国、日本は域内の安保と経済協力を制度化しながら共同の責任を分け合う努力をいっしょにしていくべきでしょう。国民のみなさんにも意を同じくしていただけるよう、お願いします。
■未来重視でも歴史に蓋はできない
尊敬する国民のみなさん、毎年、光復節になると私たちは韓日関係を顧みざるを得ません。韓日関係もいまや2国間関係を超えて東北アジアの平和と繁栄のために共に協力し合う関係に発展していくべきでしょう。過去の出来事や歴史問題が韓日関係の未来志向的な発展に対して足を引っ張り続けることは望ましくありません。
政府は新しい韓日関係の発展のためにシャトル外交を含む多様な交流を広げていきます。当面する北の核とミサイルの脅威への共同対応のためにも両国間の協力を強化せざるを得ません。しかし私たちが韓日関係の未来を重視するからといって歴史問題に蓋をしてやり過ごすことはできません。むしろ、歴史問題をきちんと決着させるとき、両国間の信頼はより深まることでしょう。
この間、日本の多くの政治家と知識人たちが両国間関係と日本の責任を直視しようとする努力をしてきました。その努力が韓日関係の未来志向的な発展に寄与してきました。そのような歴史認識が日本国内の政治状況によって変わらないようにすべきです。韓日関係の障害は過去の出来事それ自体ではなく、歴史問題に対する日本政府の認識如何によるからです。
日本軍慰安婦や強制徴用など韓日間の歴史問題の解決に関しては人類の普遍的価値と国民的合意に基づく被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止の約束という国際社会の原則があります。韓国政府はこの原則を必ず守ることでしょう。日本の指導者らの勇気ある姿勢が必要です。
■2年後の建国100周年に向けて
尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、2年後の2019年は大韓民国建国と臨時政府樹立100周年を迎える年です。来年の8月15日は政府樹立70周年でもあります。
私たちにとって真の光復とは、外国勢力によって分断された民族が一つになる道に進むことです。私たちにとっての真の功勲とは先烈たちが建国の理念とした国民主権を実現して国民が主人となる国らしい国をつくることです。
今から準備にかかりましょう。その過程で癒しと和解、統合に向けて過去1世紀の歴史を決算することも可能でしょう。国民主権の巨大な流れの前にあって保守、進歩の区分が無意味だったように韓国の近現代史において産業化と民主化を2つの勢力として分けるやり方もいまや乗り越えなければなりません。
私たちは誰もが歴史の遺産の中で生きています。すべての歴史には光と影があるものであり、この点、個人の生のなかに入り込んできた時代を産業化と民主化に分けることは可能でもなく意味のないことです。大韓民国の第19代大統領文在寅もやはり、金大中、盧武鉉だけでなく、李承晩、朴正煕から続く大韓民国のすべての大統領の歴史のなかにいます。
私は韓国社会の癒しと和解、統合を願う気持ちを込めて先の顕忠日の追悼の辞で愛国の価値を申し上げました。いまは、過去100年の歴史を決算し、新しい100年に向けた共同体の価値を再定立することを始めなければなりません。
政府の新しい政策基調もそこにあわせています。保守や進歩、あるいは各党派の視座を超えて新しい100年の準備にみんながいっしょに加わってくださることを願わずにはいられません。
尊敬する国民のみなさん、
今日、私たちはいっしょに宣言しましょう。私たちの前には多くの挑戦が押し寄せているが、新しい変化に適応し、乗り切っていくことにおいては私たち大韓民国国民が世界最高だと堂々と叫びましょう。大胆に、自信を持って新しい挑戦を迎えましょう。いつでもそうであったように大韓民国の名で一つになり、勝ち抜きましょう。国民のための国家、正義に反しない大韓民国を完成させましょう。いまいちど、私たちの底力を確認しましょう。
国のために自らのすべてを捧げた独立有功者の方々に深い尊敬の念を捧げます。いつまでも健康であられんことをお願いします。ありがとうございます。
2017年8月15日 大韓民国大統領 文在寅(波佐場 清)