龍井一帯を回った後、図們市に向かった。豆満江(中国名・図們江)を挟んで北朝鮮と向かい合い、対岸の北朝鮮内部をうかがうことができる町で、一つの観光スポットになっている。
■大洪水被害
図們対岸の北朝鮮側は、咸鏡北道の南陽という町である。朝日の紙面には、その町を一望できる図們の丘の上から撮った被災後の写真が載せられている。私たちが図們を訪れたのは6月20日だったが、その際に私も、朝日掲載の写真を撮った平賀拓哉記者とまったく同じスポット、同じアングルでシャッターを切っていた。
私の写真と、朝日の写真を比べてみる。最初の1枚が私の撮った写真で、あとの3枚は朝日新聞の紙面からである。
朝鮮中央通信など平壌のメディアによると、この夏の台風10号と低気圧の影響で、8月末から9月初めにかけ、豆満江流域で観測史上最大の洪水が発生。それに伴う死者・行方不明者は数百人にのぼり、6万8000余人が避難した。9月14日時点の国連の報告では、138人の死亡が確認され、行方不明者は約400人にのぼっているという。
この事態に北朝鮮はいま、国を挙げての復旧作業に取り組んでいる。5月の第7回党大会を受けて6月から始めた生産・建設拡大キャンペーン「200日戦闘」のプログラムに急遽、この辺りの復興を優先的に組み込み、軍を動員して人海戦術を展開しているのだ。
詳細は朝日の紙面に譲るが、図們の対岸の南陽では5階建て前後のアパート建設が夜を日に継いで進められており、完成すれば、付近の眺めはこれまでとは相当変わったものになりそうだ。
■「金日成バッジ」
ここで紹介している写真の下部付近を見ると斜め横に1本の橋がのびている。これは中朝間を結ぶ鉄道橋だが、この少し下流に道路橋の図們国境大橋がある。6月、私たちがこの地を訪れた際には、主に、この道路橋付近を見た。豆満江をまたいで対岸の南陽を結ぶその橋は、長さ500メートル、幅約6メートル。たもとに「1941年11月竣工」と刻んだ橋名板があり、日本がこの辺りを支配していた時代に造られたものと分かる。
橋の手前に展望台があり、双眼鏡が備え付けられている。のぞいてみると、橋の突き当りの建物に掲げられた金日成主席と金正日総書記の肖像が目に飛び込んできた。南陽の鉄道駅舎なのだそうで、階段のようなところを中学生くらいの子どもたちが飛び跳ねている様子も見える。2人の指導者の肖像の横には「栄光ある朝鮮労働党万歳」などと書かれたスローガンが掲げられているのが、木立の間から見えていた。
展望台の土産物店をのぞくと、北朝鮮の「紙幣セット」や「金日成バッジ」が並べられていた。バッジは1個10元。いかにも安っぽく、すぐにまがい物とわかる。その点を指摘すると、引き出しの奥から、いかにもそれらしい「本物」を持ち出してきた。一つずつ綿布で包んであり、こちらは1個200元。「高い」と言ってみると、「大変な危険を冒しているのだから、それだけの価値はある」と声をひそめた。
■減った韓国人観光客
土産物店の話では、このところ観光客はあまり多くない。とくに韓国からの客が、がた減りしているようだ。
私たちがここを訪れた時期、北朝鮮をめぐる情勢はすでに相当緊迫していた。今年1月、北朝鮮が「水爆実験」とした4回目の核実験。2月、国際社会が長距離弾道ミサイル発射実験と見た「人工衛星打ち上げ」。これに対して3月、国連が北朝鮮産鉱物資源の禁輸などを盛り込んだ新しい制裁決議採択をすると、北朝鮮は反発を強め、立て続けに弾道ミサイル発射。韓国政府は年初来、韓国民に中朝国境付近に近づくな、と呼びかけていた。
■のどかさと、緊張と…
展望台を下りて橋に向かう。橋は、入場料を払うと北朝鮮側に向かって中ほど近くまで歩いて行ける。試してみると、公安関係者と思えるTシャツ、トレーナー姿の男が一人ついてきた。観光客用に朝鮮の民族衣装を貸し出す店が近くにあり、それを着て橋の中央付近で記念撮影している中国人の姿も見かけた。橋の下を、屋根がついた小さな遊覧船がくぐっていった。しばらく見ていると、北朝鮮側から2台の大型トラックがやってきた。ゆっくり、のろのろと近づいてくる。ここにはスピードがまったくふさわしくない雰囲気がある。のどかなようで、どこかに漂う緊張感……。不思議な気持ちに誘われるなか、トラックの積み荷をそれとなく見ると、石炭だった。
■指呼の間
石炭でいえば、年初の第4回核実験のあと、国連の制裁決議で北朝鮮からの石炭輸出は原則禁止となったが、「民生目的」は対象外とされてきた。北朝鮮はその後、9月に第5回の核実験を強行したため、いま、さらなる制裁として石炭の全面禁輸も国連の場で論議されている。
こんな中で中国は、北朝鮮の核実験そのものには「断固たる反対」(中国外務省声明)を表明しながらも、制裁強化一辺倒のアプローチには反対しており、対話による解決を求めている。
10年前、中朝の国境を分ける豆満江の川沿いを源流近くまで中国側から遡ってみたことがある。当然、川幅は狭くなり、浅瀬も多い。川沿いの朝鮮族住民からは「朝鮮側と川越しに声を掛け合うこともある」という話も聞いた。まさに「指呼の間」である。
その時のことを思い起こすと、中国側の気持ちは分からないことはない。中朝の国境線は、日本海に流れ込む豆満江と黄海に注ぐ鴨緑江を中心に東西約1400キロに及ぶ。そこでは各地で国境貿易も行われている。そんなところで制裁をこれ以上強めると、どうなるというのか。
最近、国連での「核兵器禁止条約」をめぐる各国のやりとりをみていて思ったことがある。もとより、北朝鮮の核開発を擁護するものではないが、日米のように、自らの核抑止論を正当化して禁止条約に反対し、北朝鮮に一方的に核放棄を迫る姿勢にどれほどの説得力があるというのか。
北朝鮮の核問題解決には話し合いしかない。図們で思ったのも、そんなことだった。